水曜日の午後、市ヶ谷の私学会館にて東京都身体障害者団体連合会主催の東京都身体障害者相談員研修会に出席。
出席したのは障害者相談員を中心に関係者などを含めて約140人。
当然、私も含めて、その多くが肢体障害者、視覚障害者、聴覚障害者などの障害者だった。
もちろん手話やパソコン入力による文字表示が行われた。
最初に東京都身体障害者団体連合会会長の八ツ橋氏の挨拶。
八ツ橋氏
次に都議会議員の山加朱美氏の挨拶。
文化放送の「走れ歌謡曲」でパーソナリティをやっていた人で下肢機能障害4級とのこと。
自民党議員で自民党は国政では野党だが、都議会では与党であることを強調していた。
厳しい中で福祉予算は増額を働きかけるとの言があった。
山加氏
東京都の福祉保健局障害者施策推進部の芦田部長の挨拶ではH25年?に自立支援法が廃止になり総合福祉法なるものを作る方向にあるとのこと。
応益負担が応能負担に戻るようだ。
中野区では自立支援法施行により人工膀胱のストーマ装具代が無料になったのに、法律改正で有料になるのは確実なので、私としては余り嬉しくない。
芦田部長
メインイベントの講演をされた竹内氏は山梨県の障害者福祉協会の理事長で、昭和42年の制度発足時から障害者相談員をされている方。
竹内氏
最初に身体者相談員の役割は行政の補完であり、地域活動の必要性を強調された。
次に四肢切断という重い障害者で戦前から活動された中村久子氏の生涯を紹介された。
中村久子氏は四肢切断の身でありながら「だるま女」として興行界で活躍し、結婚もされた方で、着物を縫うことや小説を書くことなど殆ど一般人と同様に暮らすことが出来るようになり、来日したヘレンケラーとも対談されている。
当時の厚生大臣との対談では普通の人と同じ扱いをして欲しい、差別しないで欲しい、重い障害者では手厚い手当てをして欲しい、普通の人と同じく外出をさせて欲しいなどを訴えている。
「人生に絶望なし、逆境こそ恩寵なり」という言葉を残されている。
私が軽度の障害で絶望を感じたりしたことは甘えに過ぎないと思わされた。
質疑応答
佐久間司会者
閉会の辞
出席したのは障害者相談員を中心に関係者などを含めて約140人。
当然、私も含めて、その多くが肢体障害者、視覚障害者、聴覚障害者などの障害者だった。
もちろん手話やパソコン入力による文字表示が行われた。
最初に東京都身体障害者団体連合会会長の八ツ橋氏の挨拶。
八ツ橋氏
次に都議会議員の山加朱美氏の挨拶。
文化放送の「走れ歌謡曲」でパーソナリティをやっていた人で下肢機能障害4級とのこと。
自民党議員で自民党は国政では野党だが、都議会では与党であることを強調していた。
厳しい中で福祉予算は増額を働きかけるとの言があった。
山加氏
東京都の福祉保健局障害者施策推進部の芦田部長の挨拶ではH25年?に自立支援法が廃止になり総合福祉法なるものを作る方向にあるとのこと。
応益負担が応能負担に戻るようだ。
中野区では自立支援法施行により人工膀胱のストーマ装具代が無料になったのに、法律改正で有料になるのは確実なので、私としては余り嬉しくない。
芦田部長
メインイベントの講演をされた竹内氏は山梨県の障害者福祉協会の理事長で、昭和42年の制度発足時から障害者相談員をされている方。
竹内氏
最初に身体者相談員の役割は行政の補完であり、地域活動の必要性を強調された。
次に四肢切断という重い障害者で戦前から活動された中村久子氏の生涯を紹介された。
中村久子氏は四肢切断の身でありながら「だるま女」として興行界で活躍し、結婚もされた方で、着物を縫うことや小説を書くことなど殆ど一般人と同様に暮らすことが出来るようになり、来日したヘレンケラーとも対談されている。
当時の厚生大臣との対談では普通の人と同じ扱いをして欲しい、差別しないで欲しい、重い障害者では手厚い手当てをして欲しい、普通の人と同じく外出をさせて欲しいなどを訴えている。
「人生に絶望なし、逆境こそ恩寵なり」という言葉を残されている。
私が軽度の障害で絶望を感じたりしたことは甘えに過ぎないと思わされた。
質疑応答
佐久間司会者
閉会の辞