ブログ雑記帳

日々の雑記帳です。オストメイトに関することや、パソコン、散歩など、日々の出来事について気が向いた時に書いています。

高校同窓会に出席。

2010-01-31 10:45:36 | Weblog
金曜日の夜に高校同期生の新年会に出席。

私を含めて同期生は皆、第一線を退いて暇になったためか、昨年から2ヶ月ごとに集まりがある。
私は2回出席したが、忘年会はメールに気づかず欠席してしまった。

今回は飯田橋の「めん房」という居酒屋で、懐石料理も出す店。
15年前の阪神大震災後、神戸の新長田から上京して店を構えている。
震災15周年記念ということで幹事さんがこの店を選んだとのこと。



震災「記念」というのが不謹慎と文句も言う人もあったようだ。
震災時に同期で死んだ方はいないと思うが、母親がなくなった方はおられる。
私の家族も一応無事だったが、親戚の何軒かは家がつぶれてしまった。

参加者は20名と盛況でほとんどは見かけたことがある方ばかり。
食事時の会話も知り合い通しの会話に変化している。

評判どおり、充実したコース料理が堪能できた。





東京都の身体障害者相談員研修会に出席

2010-01-24 21:06:39 | オストメイト
水曜日の午後、市ヶ谷の私学会館にて東京都身体障害者団体連合会主催の東京都身体障害者相談員研修会に出席。


出席したのは障害者相談員を中心に関係者などを含めて約140人。
当然、私も含めて、その多くが肢体障害者、視覚障害者、聴覚障害者などの障害者だった。

もちろん手話やパソコン入力による文字表示が行われた。


最初に東京都身体障害者団体連合会会長の八ツ橋氏の挨拶。

八ツ橋氏


次に都議会議員の山加朱美氏の挨拶。
文化放送の「走れ歌謡曲」でパーソナリティをやっていた人で下肢機能障害4級とのこと。
自民党議員で自民党は国政では野党だが、都議会では与党であることを強調していた。
厳しい中で福祉予算は増額を働きかけるとの言があった。

山加氏


東京都の福祉保健局障害者施策推進部の芦田部長の挨拶ではH25年?に自立支援法が廃止になり総合福祉法なるものを作る方向にあるとのこと。
応益負担が応能負担に戻るようだ。
中野区では自立支援法施行により人工膀胱のストーマ装具代が無料になったのに、法律改正で有料になるのは確実なので、私としては余り嬉しくない。

芦田部長


メインイベントの講演をされた竹内氏は山梨県の障害者福祉協会の理事長で、昭和42年の制度発足時から障害者相談員をされている方。

竹内氏


最初に身体者相談員の役割は行政の補完であり、地域活動の必要性を強調された。

次に四肢切断という重い障害者で戦前から活動された中村久子氏の生涯を紹介された。
中村久子氏は四肢切断の身でありながら「だるま女」として興行界で活躍し、結婚もされた方で、着物を縫うことや小説を書くことなど殆ど一般人と同様に暮らすことが出来るようになり、来日したヘレンケラーとも対談されている。

当時の厚生大臣との対談では普通の人と同じ扱いをして欲しい、差別しないで欲しい、重い障害者では手厚い手当てをして欲しい、普通の人と同じく外出をさせて欲しいなどを訴えている。
「人生に絶望なし、逆境こそ恩寵なり」という言葉を残されている。
私が軽度の障害で絶望を感じたりしたことは甘えに過ぎないと思わされた。

質疑応答


佐久間司会者


閉会の辞

新宿御苑と浜離宮恩賜庭園を散歩

2010-01-18 21:31:00 | 散歩
日曜日に新宿御苑と浜離宮恩賜庭園を散歩。
昼頃にJR千駄ヶ谷駅を降りて新宿御苑に。
晴天だったが寒さのためか人は少ない。


今は花が少ない時期だがスイセンが見ごろ。


他にジャノメエリカ、ヒボケ、ロウバイなどが咲いていた。
ジャノメエリカ

ヒボケ

ロウバイ


御苑を一周した後、千駄ヶ谷口から出て千駄ヶ谷駅の近くの都営地下鉄国立競技場駅から大江戸線にのり汐留駅に。
汐留駅の近くのコンラッド東京の28階で昼食。


コンラッド東京はヒルトン系の高級ホテルということだが、サンドイッチは一人2800円と特高で唖然。
家にたどり付けるだろうかと心配した(障害者ということで浜離宮や大江戸線が無料なので助かったが)。
ホテルのコーヒーはうまくなかったが、窓からの景色は良く、浜離宮恩賜庭園を眼下に見下ろすことができる。


浜離宮恩賜庭園を一周。海水を導いている潮入の池が珍しい。ハゼやウナギなどの海水魚が生息しているようだ。
鴨も群生している。


日本式庭園の背後に汐止め高層ビル群が連なる庭園の風景はいつ見ても特徴的。



ツバキやスイセンのほかに、早くもウメが咲き始めていた。


家電量販店の「さくらや」が全店閉鎖

2010-01-15 20:48:31 | パソコン・デジタルモノ
家電量販店の「さくらや」を全店閉鎖すると親会社のベスト電器が発表したとのこと。
ベスト電器は経営不振の自社の再建計画の一環として、特に業績の悪い子会社のさくらや
(首都圏で15店)の全店を2月末までに閉鎖する。
ビックカメラが一部を引き継ぐが、大半の店は閉じる。さくらや社員450人は原則解雇とのこと。

さくらやは70年代には日の出の勢いだったが、
90年代に仙台進出に失敗して業績が頭打ちになり、
2000年台には債務超過になりベスト電器の傘下になったが結局再建できず、
最近は主力館である新宿西口駅前店や新宿本店などを手放したあげく
終にベスト電器に見放されたとのこと。
ベスト電器も自社が経営不振に陥り持ちきれなくなったようだ。

日航なんかの大会社は政府や銀行が支援するが、この程度の規模の企業にはどこからの支援もない。

私は新宿の近くに住んでおり、さくらやは新宿に多数の店舗を持つので
ヨドバシカメラとともに良く利用していた。ノートパソコンを買ったこともある。
特に新宿東口のパソコン館(現新宿三丁目館)は、新宿東口のパソコン店としては最大だったので、インクや用紙などのパソコン消耗品を買うためによく利用していた。
新宿西口駅前店も西口ではもっとも駅に近かったので良く利用した。

新宿には他にヨドバシカメラやビックカメラがあるので、さくらやがなくても困りはしないが、
何十年も良く利用したのでやはりさびしい。

新宿東口館


新宿三丁目館。裏口には完全閉店の看板があった。


新宿東口ホビー館
 

WATCH(旧新宿ウォッチKAN )


メガネKAN新宿東口

港区の美術館めぐりの後で中野区の成人式に遭遇

2010-01-12 22:13:03 | 散歩
11日の成人の日に港区の美術館3つを訪問。
地下鉄銀座線の虎ノ門駅を降りて、最初に菊池寛実記念智美術館を訪問。
最近開館したところで、最近建てられた西久保ビルと大正時代に建てられた西洋館(国の登録文化財)がある。


菊池寛実は高萩炭砿などを経営していた実業家でその娘の菊池智氏が蒐集してきた現代陶芸のコレクションが中心のようだ。但しここは外から眺めただけ。

次に近くの大倉集古館に。ホテルオークラの隣にある。



軍需品の扱いなどで一代で大倉財閥を築いた実業家の大倉喜八郎が集めたコレクションが中心。
常設の木造普賢菩薩騎象像(国宝)などのほかに、企画展として能面や能装束を展示していた。


3番目に泉屋博古館分館を訪問。住友家の所蔵品を展示する京都の本館の分館として最近開設したもの。関東の美術品愛好家の便宜を図るために開設したというが、京都にあれば不便と感じる後援者が多いのかもしれない。
「春の妝い」と題して橋本雅邦などの絵画や工芸品を展示していた。


中野に帰ったら、中野サンプラザ前の広場に中野区の成人式の集団が群れをしていた。
女性は晴れ着だらけというか晴れ着でないと参加しづらいのかもしれない。




神戸の病院で定期受診

2010-01-11 20:15:31 | オストメイト
金曜日に神戸の神鋼病院に定期受診。
神鋼病院は10年前に膀胱がんで膀胱全摘手術を受けた病院で、半年ごとに定期健診を受けている。
木曜日の夜に新幹線で新神戸に。近くのビジネスホテルで宿泊。
ここは安いのでよく宿泊している。


金曜日の朝にJR三宮駅からJR灘駅に。


JR灘駅は最近まで昔ながらの木造駅舎だったが
近代的なエレベータ、エスカレータ付きの橋上駅舎に建替わっていた。

便利になったのはありがたいが、さびしい気もする。
JR灘駅から10分足らずで神鋼病院に。

尿検査や超音波の検査をしたが、何もないということで一安心。

半年後の定期受診とその際のCT検査を予約。
先生はもうその必要がないといいたそうな口ぶりだったが。
先生も去年3月に愛媛県の宇和島に帰って親の診療所を受け継ぎ、
神戸の神鋼病院では、月一回だけ昔からの患者さんだけ(?)を見ている状態なのも影響しているのかもしれない。

非常に僭越ながら、先生に、
オストミー協会東京支部会報1月号に掲載された、
去年11月の泌尿器系オストメイトの講習会における、泌尿科の先生の尿路変更手術に関する講演の記録の記事
を受け取っていただいた(私がテープ起こしして記録したということで)。

病院ロビー


午後に東京に帰る。

奈良を散歩。西ノ京と東大寺に。

2010-01-09 11:56:49 | 旅行
1月3日は奈良めぐり。最初に西ノ京に。
まず近鉄奈良駅から西大寺駅に。
駅の近くの西大寺は奈良時代に創建された古い寺院で今も広い敷地を持つが
奈良時代から残っているのは東塔の基壇のみのようだ。

近鉄で隣の尼ヶ辻駅に。近くの垂仁天皇陵に。巨大な前方後円墳で堀も広い。
但し冬期のためなのか水が無かった。

唐招提寺まで歩く。ここは奈良時代に中国の鑑真和上を招いて創建された有名なお寺。
金堂も講堂も奈良時代の建物が残っている。


校倉も奈良時代の建物。


鑑真和上の日本渡航の苦心談は有名で日中友好の象徴として取り上げられることが多いようだ。
最近では中国の胡錦濤主席が唐招提寺を訪問している(チベット問題で反発する人も多かったようだが)。

隣の薬師寺の門前で昼食をとった後、薬師寺の境内を廻る。
有名な東塔は修理中で残念。30年に復元された西塔は朱塗りが美しい。


大講堂ではお坊さんの説法に人が集まっていた。

少し離れた大唐西域壁画殿では平山郁夫が描いた壁画を祀っていた。


近鉄奈良駅まで戻って東大寺に。近くの春日大社と共に初詣客が多い。
参道には露店も。


今回は大仏殿は外から見るだけにして坂道を上がり二月堂に向かう。

ここからのなら市外の風景はすばらしい。
大仏殿の大屋根が良く見える。


隣の法華堂(三月堂)は奈良時代創建の建物。
日光・月光菩薩など15体もの奈良時代の仏像を見ることが出来た。


奈良市内に戻りお茶を飲んでから近鉄で京都に。
JR京都駅南の新都ホテルで宿泊。
京都駅のホームが良く見えた。


翌日東京に帰る。

三輪明神から箸墓まで山之辺の道を散歩

2010-01-08 19:25:40 | 旅行
1月2日は橿原ロイヤルホテルで朝食。
従業員は今日も着物姿。

近鉄橿原神宮駅に荷物を預けて近鉄で桜井駅に出て
臨時バスで三輪山のふもとにある三輪明神に。
ここは大和の国の一宮ということで初詣客が多い。



大和朝廷の創始時から存在する日本最古の神社とのことで三輪山そのものがご神体とのこと。
日本書紀などはここの祭神の大物主神と人間の娘との神婚伝説が書かれているようだ。

ここから山之辺の道を元伊勢神社まで歩く。
途中の狭井神社は三輪山への入口。三輪山は高さ467mで山頂まで登山は往復2時間程度だが、
カメラ持込禁止、飲食禁止など厳しい制限があるとのこと。正月は入山禁止のようだ。


元伊勢こと檜原神社は元伊勢神社があったところで崇神天皇の命で皇女の豊鋤入姫命が最初に宮廷から移したところとのことで、伊勢神宮はその後数十年を掛けて各地を転々として最終的に現在に位置に落ち着いたとのこと。
豊鋤入姫命が古代の邪馬台国女王の卑弥呼の後継者である壹與であるという説があるのが興味深い。

ここの鳥居が鳥居3つを1つに組み合わせた三ツ鳥居という形をしているのが珍しい。三ツ鳥居は三輪明神にもあるようだ。


この辺りは高台になっていて三輪山や箸墓が良く見える。
三輪山

箸墓

檜原神社から箸墓までは下り坂。
途中の駅の近くに上記の豊鍬入姫命の墓といわれるホケノ山古墳があり、石室が展示されていた。

箸墓は大規模な前方後円墳で孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命の墓として宮内庁で管理されているが、
邪馬台国女王の卑弥呼の墓という説もあるようだ。
倭迹迹日百襲姫命が崇神天皇に神意を伝える巫女の役割をしたとの伝承があるので結構真実に近いのかもしれない。
この辺りが邪馬台国の中心部であったとの説が有力になっているようだ。


箸墓からJR巻向駅に出て、JR桜井線で桜井駅に出て昼食。
車窓からは三輪明神の大鳥居が良く見える。日本で2番の高さということだ。


JR巻向駅は無人駅で桜井線は単線。ワンマン運転があるなど近鉄に比べてローカル線としか言いようはないが、
初詣の時期は臨時列車が増発されるなど結構賑わっている。

近鉄桜井駅からに荷物を預けた近鉄橿原神宮駅に戻り、ここから近鉄の橿原線で西大寺駅を経由して近鉄奈良に到着。
ホテルサンルート奈良に宿泊。

邪馬台国に興味を持つ私としては箸墓を見れたことで満足の一日。

元日に飛鳥を散策

2010-01-06 18:39:23 | 旅行
元日の朝を大阪・弁天町駅前のホテル大阪ベイタワーで迎え、朝食をとって飛鳥に向かう。
ホテル大阪ベイタワーは大阪のウォーターフロートにある地上200mのタワーホテル。

大阪港が一望に見渡せる。

正月なので従業員が着物姿を披露していた。

朝食をとってから、JRで天王寺駅に出て、隣の近鉄の大阪阿部野橋駅から臨時急行で橿原神宮駅に。
橿原神宮駅は橿原神宮への初詣客で混雑していたが、混雑を避けて
宿泊する橿原ロイヤルホテルに荷物を置いてからタクシーで飛鳥の甘樫丘に向かう。

橿原ロイヤルホテルも従業員が着物姿。

甘樫丘からは徒歩。甘樫丘は高さ148mで登るのは結構大変。丘全体が公園に整備している。丘の上には人一人いなかったが、大和三山などを一望することが出来る。

丘を降りて古代の水時計のあとの飛鳥水落遺跡をへて飛鳥寺に。


飛鳥寺では日本最古の飛鳥大仏や大化の改新のクーデターで暗殺された蘇我入鹿の首塚を見ることが出来た。

正月で開いている店は少なかったが飛鳥寺で辛うじておでんにありつく。

岡寺に向かう。途中の亀型石造物は最近発掘された古代の祭祀のこと。

岡寺は急な坂の上にあり初詣客で賑わっていた。

石舞台古墳はすぐ近く。この周辺も広大な公園を造成中。
石舞台は蘇我馬子の墓の石室が剥き出しになったものとのことだ。

結構歩いたので近鉄飛鳥駅に帰ろうとしたが結構遠い。
聖徳太子が創ったという橘寺に寄り亀石、天武・持統天皇陵、鬼の雪隠などを廻って飛鳥駅に着いた特は日が暮れていた。
食事を取れるところは近鉄飛鳥駅は皆無、橿原神宮駅も神宮への参詣路以外は殆ど無く、結局、橿原ロイヤルホテルに戻って夕食。

橘寺

天武・持統天皇陵

鬼の雪隠

京都の宇治へ。萬福寺と平等院を見学。

2010-01-05 21:57:16 | 散歩
12月31日、兵庫県西宮の親宅に行く途中、京都府の宇治にある萬福寺と平等院を見学した。

萬福寺は東京から京都駅まで新幹線。京都駅からJRの奈良線で黄檗駅下車して徒歩5分。
年末なので新幹線は満席。
JR奈良線も結構人が多い。昔はJRの奈良線は全くのローカル線だったが、最近は単線ながら15分間隔ぐらいに増発されているようだ。

萬福寺は禅宗の黄檗集の総本山だが江戸時代の始めに中国の隠元が開山したということで意外に新しい。境内は広く、創建当初の20以上の建物が燃えないでそのまま残っている。
建物が中国風なのが特徴。お経も中国風の発音とのことだ。
修行は厳しく、企業の特訓などに利用されているとのこと。

三門


天王堂


天主堂の中央には布袋像が置かれている。周りには四天王像。


大雄宝殿には十八羅漢像が安置されている。



羅漢の仕草は個性的。


この巨大な木魚は時刻を知らせるために朝4時と夜9時に打たれるそうだ。


JRで宇治の平等院に。
平等院の鳳凰堂は浄土式庭園の池の中にあり、
藤原道長の息子の頼通が作った
極楽浄土の宮殿をモデルにしたという建物とのこと。
外観しか見なかったが見事の一言に尽きる。
よくも度重なる戦乱を免れて現存してくれているかと思う。



JRで京都を経由して大阪に。阪急で兵庫県西宮の親宅で夕食を取ったあと、
大阪にもどり、弁天町のホテル大阪ベイタワーで大晦日の夜を宿泊。