村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

明日は父の日

2012年06月16日 19時52分15秒 | 日記

明日は全国的に父の日ですよね。

俺へのプレゼントは孫たちに会いに行くプレゼントだそうです。運転は俺がやるのに何がプレゼントなんだろーね?でも一か月以上会ってないので楽しみですね。

山形へ避難してから1年2か月が経過してしまいましたのですっかり山形になじんでしまいました。孫たちも山形の学校に慣れてしまったので帰ってきたいとは言いません。山形の方が楽しそうだから仕方ないですね。

しばらくはこちらから山形へ遊びに行って山形の観光を楽しみたいと思います。今の時期だとさくらんぼ狩りかな?始まっているのか不安ですが、孫たちとさくらんぼをいっぱい食べてきます。

日曜日の午後からいつもディスクゴルフを楽しんでいたのですが、先週は悪天候で中止で明日もO井さんと佐幸さんがダメですので用具の準備ができません。せっかく楽しみにしている方には申し訳ありませんが明日も無理ですね。来週も俺とO井さんがだめですので誰か準備してくれる方がいてくれると助かるんですが?誰かお願いしますよ!!


BE-PAL

2012年06月15日 10時23分44秒 | 日記

コンビニで買うはずの雑誌を探していてなかったので思わずアウトドアマガジンの「BE-PAL」を買ってしまった。

よく見ると創刊31周年を迎えたようだ。

おまけにCHUMSとコラボしたカラビナ型ワインオープナーが付いていた。今度は山の中でワインが飲めそうだ。

思えば10代からアウトドアに目覚め、あの懐かしい黄色い三角テントを持ってあちこちキャンプをしまくっていたっけ。料理らしい料理もしないで食料はいつもインスタントラーメンと自宅の野菜でつくる野菜炒め、それとビール(ビールは高いから少な目)とウィスキー(サントリーレットのジャンボボトル)。それでもみんなでワイワイ過ごす時間は楽しかったですね。

20代になりテントもちょっと立派な家型テントを購入した。その時に巡り合ったのがアウトドアマガジン「BE-PAL」だった。たぶん創刊したときだったと思う。それからキャンプも充実してきましたね。装備や料理のメニューもこの本から情報を得てきました。毎号欠かさず買っていたと思う。

20代~30代は家族を中心としたキャンプだった。子供たちを連れて海へ山へ時間があると日帰りで出かけて行き一日楽しんでいましたね。自然の中でのゆったりした時間と食事は最高ですよね。

30代後半からは山に目覚めてひたすら山に登るようになった。当初はパーティーを組んで登っていたがなぜか煩わしさを感じるようになった。自分が心臓に欠陥があるせいかみんなのペースに合わせられなくなったのがあるかもしれない。40代から現在までは登山はいつも単独になった。山もがつがつ登るんではなくのんびり景色を眺めながら登るようになった。やっと山の楽しさを感じるようになったと思う。山の中でのんびりコーヒーを飲みながら読書をしていると「いいですね~!!」とよく言われる。「せっかく登ったんだからのんびりしましょうよ」と言い返しますね。

子供も大きくなってからはキャンプも単独になった。時間があると海や山で一日のんびり読書をして過ごすことがある。いろいろなものからたまに逃避してのんびり過ごすのはリフレッシュできるような気がする。何も考えないで読書して眠くなれば昼寝して、人工物の無い自然のなかにいるとなんか救われるような気がします。

でも、津波に奪われてしまった海と放射能が降り注いでしまった山のこの地ではもうかなわぬことです。身近で大自然と触れ合うる場所を全て奪われてしまいました。

この地の人たちはのんびり過ごすと言うことを忘れてしまったかもしれませんね。だからストレスを溜めすぎて、気持ちにゆとりがなく、いろいろな問題が起こってくるんでしょう。冷静に考える事も出来なくなっているかもしれない。

もう少し地元から離れてのんびり過ごして遠くから南相馬を見てみるのもいいかもしれませんよ。

「BE-PAL」を見ていて自然を感じるところでのんびりしたいな~と思わされました。

山の麓まで行って山に登る決心がつかなかったけど、今度こそ山に登り大自然を感じながら一日のんびり過ごしてきたいと思います。


飯舘は危険?

2012年06月14日 18時01分07秒 | 震災・放射能

分析機器の点検を大手メーカーに依頼したら、福島の営業所から南相馬市へ来るのに2時間以上かかると言う?

普通に南相馬市から福島へ行くのに、飯舘村~川俣町を通り福島へ行くが制限速度を守って走っても1時間30分程度の所要時間だと思うがなんでだろうと思っていた。

今日、メーカーが来社したので確認してみた。

メーカーでは本社から飯舘村を通らないことと指示されているそうだ。「計画的避難区域」や「警戒区域」に立ち入るには本社の許可が必要なんだそうです。原発事故から1年3ヶ月経過し放射能にも理解できてきていると思っていたが、大手の企業ではいまだにリスク回避のために対策をとっているようです。メーカーによっては関東方面から来社するのに仙台経由で南相馬に来る会社もありました。地元にいる我々からするとちっと異常反応過ぎると思うのですがね。でも福島で生活している営業所の社員は本社に黙って飯舘を通るそうです。

1年3ヶ月過ぎたいまでも事故当時と変わらない考えをしている会社があると言うことに違和感を感じますね。

低線量被曝なんて人体への影響はないから大丈夫ですよ。と言われているが本当だろうか?

本当だったらそう言ってた人たちはなぜ防護服着てマスクして俺たちのところへ来ていたのだろうか?その人たちがテレビで「ただちに影響はありませんから安心してください」と言っても信用はできるんでしょうかね。

ただちには影響は出ないかもしれないが将来どうなるかわからないリスクがあるとしたら回避しなければならない。大手の会社はそう考えているのかもしれませんね。


悲しい別れ

2012年06月13日 18時00分52秒 | 日記

先日交通事故で亡くなった方の葬儀、告別式に出席してきました。享年72歳でした。

10年前まで一緒に仕事をしていた方です。会社でも親分肌でいつもみんなの先頭に立って積極的に仕事をする方でした。明るい性格はみんなに親しまれていましたね。退職後も地域の先頭に立って地域のために働いているのをよく聞いていました。

眼科医院の依頼でじいちゃんばあちゃんの送り迎えをするようになってから介護の資格も取得し、その後は専属で送迎をしていたようです。明るく話好きな性格は多くのじいちゃんばあちゃんから好かれ、週1回の通院が楽しみだと言っていたそうです。

3.11震災後の原発事故により避難を余儀なくされ地元をはなれてしまいましたが、その後に自宅が「警戒区域」となり自宅へも帰れなくなってしまいました。そのような状況下でも眼科医院が再開するから協力してと言われたら黙っていられない性格ですので、借上げ住宅のアパートを確保してすぐに戻り送迎を再開したそうです。

震災前は遠くても片道20km程度の送迎でしたが、双葉地方の方が避難してからは片道100kmを超えるところもあるようです。70歳を超えた方にとってはちょっと過酷になりませんかね。

避難されている方にとっては1年以上慣れない生活を送り、いろんな面で精神的な疲労が蓄積しています。そんな中での事故でした。センターラインを越えて大型トレーラーと正面衝突してしまいました。センターラインを越えた理由はわかりません。これからもわからないでしょう。

警察や県はすぐに問題になっている道路の検証に入りました。「警戒区域」のう回路として使用されている危険な国道と言われてきましたが、国や県は何も対策をとらないできました。今回の事故で少しでも改善されれば個人も報われると思います。

故人は、故郷を離れる決心をして市内に家を新築中でした。もうすぐ完成します。子供も離れていますので奥さんと二人でのんびり生活する予定でした。残された奥さんがかわいそうです。

事故を起こしてしまった当事者ですが、送迎のバスに乗っていた亡くなられた方の家族も事情を理解しているので責めるようなことをいう人はいないそうです。やはり故人の事を理解していただいているんでしょうね。

葬儀には「警戒区域」から遠方に避難している方も多く出席していました。震災依頼初めて会う方も多くいましたがみんな疲れた顔をしています。長い避難生活が活力や生きがいを奪ってしまうんでしょうね。話す言葉に明るい話は何もありません。故郷を捨てて遠方に移り住むような話ばかりです。目の前が海というところに住んでいた方に「海の見えないところはさびしくないか?」と聞いてみました。「何言ってんだ!!海なんかもうみだぐねー!!俺は山に行ぐんだ」と言われてしまいました。

故郷には住みたいけれど、住むところもないし、百姓もできないし、年とってここでは誰にも世話になれないし、なんにもやれねーしここにいてもしょうがねーべ。

さびしいですね。


松川浦復興チャレンジ丼

2012年06月11日 18時04分16秒 | 海鮮丼

相馬総合卸売市場の中にある市場食堂がおいしいと聞いていたので行ってみました。

松川浦復興チャレンジ丼にも「NO.2海鮮丼」で参加しているようです。

営業時間は11:00~14:00とわずか3時間の営業。

市場は日曜日で休みで誰もいない。初めて行ったので入口がわからなかったが入口に営業中の看板と東側入口の張り紙があったので安心。東側から入っていくと奥の方にありました。本当は西側から入った方がよかったんですね。西側に駐車場がありそこに車を止めて入ってくるようです。どおりで東側駐車場に車がないわけだ。

店の中はテーブルが4卓で少々狭いですが、明るく清潔感を感じる店内となっています。メニューも少ないですがやっぱりみんな海鮮丼を注文しているようですね。

俺も迷わず海鮮丼を注文しました。

見ただけでおいしさを感じますね。飾り付けにたまご焼きに人参で細工した蝶々が止まっていました。きゅうりのハートもいいですね。あまりのおいしさにいっき食いしてしまいました。海鮮もご飯もおいしすぎで食堂の海鮮丼ではありませんね。やっぱり割烹の海鮮丼です。これで980円は安いですよ。ここで営業しているのは、松川浦岩ノ子で「割烹の宿 文字島」を開いていた方ですのでおいしいはずですよね。津波の被害を受けたので仮店舗ということで市場食堂で営業しているそうです。

松川浦復興チャレンジ丼に参加しているのは11店舗。いずれの店舗も震災前からおいしい店ばかりですので全部完食できるようにチャレンジしたいですね。


事故で避難者5名死亡

2012年06月10日 18時00分53秒 | 震災・放射能

昨日、二本松市の国道349号でワゴン車と大型トレーラーが正面衝突し5名死亡と夕方のニュースで放送された。

三春町に向かっていた南相馬市原町区の眼科医院からの送迎ワゴン車が、カーブでセンターラインをオーバーし対向していた大型トレーラーと正面衝突し、ワゴン車に乗っていた6名の内運転手の男性と同乗していた女性4名が死亡したと言うことだった。

眼科医院の送迎ワゴンと聞いて嫌な予感がしたので関係方面に確認したら予感が的中してしまった。運転していた方は以前一緒に働いていた方でその子供とは今一緒に働いている。家は津波の被害を受けた地域にあるが、幸いにも津波の直撃を免れた。しかし、その後の原発事故で警戒区域となり避難を余儀なくされてしまった。今は市内の借り上げ住宅で生活しているが、自宅には戻ることをやめて市内に家を新築中だった。たぶんもうすぐ引っ越しするはずだったと思う。これから新築の家で奥さんと二人のんびり生活するはずだったのに残念でなりません。

同乗していて亡くなった方々は、葛尾村からの避難者で三春町の仮設住宅で生活していた。葛尾村に生活していた時から原町の眼科医に通院していたので、避難後も地元の眼科医ではなく原町の眼科医に通っていたようです。

亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

トレーラーの運転手は、飯舘村から南相馬市に避難して事業を継続している方です。軽傷で済んだのが不思議なくらいですね。

今回の事故に関係している方は結局全員が原発事故により避難を余儀なくされている方々でした。原発事故がなければこんな悲惨な事故は発生しなかったかもしれない。

事故が発生した国道は原発事故前は交通量の少ない国道でした。原発事故後に交通が遮断された地域を迂回するために交通量が4倍になったと言われています。私も南方面に向かう場合は必ず通る道路ですが、所々道路が狭くカーブが連続するところが多くあります。その道路を大型の車がスピードを出してガンガン走っています。いつ事故が起きても不思議でない状態でしたね。

いわき方面に向かうには今はなくてはならない道路ですが、県や国は何か対策を考えなければなりませんね。常磐自動車道の早期開通については来年あたりには開通すると思っていたが、今日の新聞では年内に本格除染に着手して来年度中に除染を終了し、その後に工事を再開すると言うことだった。昨年には開通する予定だったはずだから工事はかなり進んでいるはず。それが開通まであと2年もかかるなんてひどすぎる。早期開通を目指すなんてうそじゃないか。国の対応の遅さには怒りを感じますね。

今回の事故も国や県の対応の遅さから発生したと言われてもしょうがない。

これから先このような事故が起きないことを祈るしかありません。


のんびり

2012年06月09日 18時48分38秒 | 日記

昨日は久し振りに山にでも登ってやろうと意気込んで霊山の駐車場まで行ったら、なんか登るのが億劫になりやめてしまった。

イスを持って行ったので、山を眺めながらゆっくり読書をした。暑いくらいの最高の天気だったけどさわやかな風が吹いていたので日陰は快適でしたね。コーヒーを飲みながら読書を始めて思わず夢中になり2時間も過ごしてしまった。山の上で食べるはずだった弁当を食べちょっと昼寝。ちょっとリラックスしすぎだよな。

そして、いつものように霊山紅彩館へ。今日も貸切かと思ったら老人のグルーブが広間を占領していた。

風呂はやっぱり貸切状態でゆっくり、のんびり入ることができましたよ。

じいちゃんが一人途中で入って来たけど俺より先に上がっていった。俺が上がっていくと脱衣所でゆっくり着替えていた。着替えが終わって出て行くのかと思ったら、服を着たまま風呂の扉を開け中に入って行ってしまった????????。大丈夫かなと思っているうちに出てきたから安心。どうやら出口を間違えたらしい。ドアを開けただけではわからないのかな?。そんな姿を見ていたが、俺もアルコール性痴ほう症でそうなるのかなとちょっと不安になった。でもなんかほのぼのとした感じですよね。俺を見て笑って出て行ったからまだ大丈夫だな。

いつも思い立つと霊山に来てしまうがまだ登山まで至っていない。今度こそ登るぞ!!


植田ジャパン勝利

2012年06月07日 21時25分37秒 | 日記

バレーボールのロンドンオリンピック最終予選をテレビで応援してますが、今日のオーストラリア戦は本当に興奮しましたね~!!

昨日は、主将でセッターの宇佐美選手が練習で中国選手が打ったスパイクを顔面に受けてしまい負傷して欠場してしまったのが原因か、なんかスッキリしない負け方をしてしまったので、強敵のオーストラリアには勝てないだろうと思ってました。

たぶんダメだろうと思いながらいつものようにテレビを見ていましたがなんと1セットを先取してしまった。宇佐美選手が強硬出場した今日は、昨日とは全然違う意気込みが感じられましたね。あの壁のように立ちはだかるブロックをことごとくかわして気持ち良く決まるのを見るとスッキリしますよ。

圧巻は3セット目の連続ブロックポイントですね。身長差のある相手チームのスパイクを完全にブロックして戦意喪失させたことは凄いと思う。あれが昨日発揮できればオリンピック出場を確実にしたんだろうに残念ですね。

オーストラリアチームの監督があきらめた様子がうかがわれましたが、あれでは選手もやる気がなくなってしまいますね。あそこでプラス思考とマイナス思考のせめぎあいでマイナス思考が勝ってしまったんでしょうね。実力が上なのに対策できなかったのは指導者の責任は大でしょう。

でもあの身長差のあるオーストラリアチームにそれを感じさせないで撃破できたのには感動と勇気を与えていただきました。

あと2戦ですが、今日の調子でロンドン行を決めてほしいですね。

がんばれ ニッポン!!


ひとのあかし

2012年06月06日 19時03分30秒 | 農業

小さい頃から農業と離れることなく50数年生活してきた。

「食べる」という行為は人間にとって必ず必要な行為ですが、そこには作る人とそれを食べる人の関係が存在してきます。

我が家ではどうだったかな。

畑や田んぼがある限りそこを荒らさないように作物の作付を行ってきたような気がする。農業で儲けることを考えないで野菜やコメを作って来たから、販売する以外に多くの人が我が家の野菜やコメを食べてきました。いつも「おいしい」と笑顔で答えてくれるのがうれしくて経費を度外視して作ってきましたね。農薬を使っていない有機栽培の野菜は姿形は悪いけど、安心しておいしく食べられるんですよね。「食いきれねーからいっペーもってけー」がいつもだったよな。それがいろんな人との結びつきを深める絆だったんですよね。

数十年前は病気や害虫と戦うために農薬や化学肥料を大量に使った農業が主流だったが、それによりアレルギーやアトピー、化学物質過敏症などの障害が出始めた。要するに安心して食べられない見た目だけを重視した作物の生産方法だったわけです。そこから「安全・安心」を売り物にした生産方法に変わってきて、最近ではほとんど農薬を使用しない農業が主流となりました。

「良いものを大量に生産」から「安全なものを安心して食べられるように」に変貌してきたのである。それには農家の自然を相手に戦ってきたた技術と努力があったからであると思う。「自分も安心して食べられないものを売るわけにはいかない」それが今の農業者ですね。

それが一挙に崩れ去ったのが、3.11震災後に発生した福島第一原子力発電所の事故でした。

私たちがよりどころにしてきた「安全・安心」が降り注いだ放射性物質の影響でもろくも崩れ去ったのです。

日々自然と闘いながら苦労を重ねてきた農業者にとって新たな強敵が出現してしまったのです。この強敵は手ごわすぎます。農業そのものを破壊してしまうかもしれません。多くの農業者が戦いに負けて廃業していくことになるでしょう。農業が営まれることにより風景をつくり、自然環境を整えてきましたがそれも崩れてくるかもしれません。

農業が担っている本質的な行為は、食料を供給することを通じてよりよい環境を作り上げて行くことだったんだろうと思います。

農業とはひとのあかしですから、土を耕すことをやめてしまったらひとはどうなるんだろう。

南相馬市の詩人 若松丈太郎さんの詩からそんなことを思わされました。

ひとのあかし

ひとは作物を栽培することを覚えた

ひとは生きものを飼育することを覚えた

作物の栽培も

生きものの飼育も

ひとがひとであることのあかしだ

あるとき以降

耕作地があるのに耕作できない

家畜がいるのに飼育できない

魚がいるのに漁ができないということになったら

ひとはひとであるとは言えないのではないか

 


大津波

2012年06月05日 18時08分41秒 | 震災・放射能

今日の午前中に海水をサンプリングするために崖下に下りてみた。

会社の駐車場から約20m下は海になっているが、数年前にテトラポットで護岸するために整備され崖下に降りられるようになっている。現在は津波の影響でだいぶ荒れ果ててがれきが多く流れ着いているので、降りるのに注意しなければならない状態ですね。

3か月毎にサンプリングに来ているがいつ来てもなんか嫌な気持ちになりますね。

3.11の大津波はこの20mの高さをはるかに超えて行ったんですよね。恐るべき高さですよ。ビルの4階位は簡単に飲み込まれていくでしょうね。

あの時は頑丈な建屋の中にいて助かりましたが、もし外にいたらこの海に流されていったんでしょうね。そう思うとぞっとします。

3.11は幸運にも津波に呑みこまれることなく車の被害だけで済みましたが、多くの方々が命を落としてしまいました。助かった分亡くなったみんなの分まで長生きしないとだめですね。