平成28年2月3日(水)
節 分
大須観音の豆撒き(昨年)
今日3日は節分の日、全国各地の寺社では節分会、豆撒き等の
行事が行われて居ます。その年の年男ならず、芸能界の人気
タレントや、スポーツ選手、力士等が豆撒きをし、それを目当て
か、年々参拝者が(多くはタレント目当てか)?、、、、。
亦、近年(1996年頃から)では恵方巻き(太巻き寿司)が流行し、
これは大阪の或るスーパー(コンビニ)が太巻き寿司を全国販売
するにあたり、「節分に恵方を向いて太巻きを食べると縁起が良い
」と、、これが全国に広まりこれが年中行事の様に広まった、、、
元々、食い倒れの大阪では、江戸時代に商売繁盛、厄払いとして
節分に「幸運巻き寿司」をと商人の間で広まり、、、明治の頃に
船場の商人の間で商売祈願をとの諸説、、定かではありません。
カミサンが買ってきた「蟹の太巻き寿司」
節 分
節分の図、座敷の大黒と恵比寿
本来は二十四節気の気候の変り目の立春、立夏、立秋、立冬の
前日の総称。
それが次第に立春の前日の年越しの夜を指す様になったとの事
翌日が立春なので、待っていた春を迎える喜びに浮き立つ気分
柊の枝と鰯を、、(中日新聞朝刊より)
この夜、邪気を退散させるため、家々の戸口に焼いた鰯の頭を
柊の枝に挿し、、炒った大豆を撒き鬼打ちをした様です。
亦、自分の年の数だけ豆を食べる習慣が有ります、、、。
節分や肩すぼめ行く行脚僧 幸田 露伴
追 儺(ついな):鬼やらい
京都、吉田神社の節分会
元は中国の儀式で、年の変わり目に陽気が変り疫攦(えきれい)
が鬼となって人間に病をモタラシこれを退治するため皇帝が呪師
に朱の衣を、手に矛と盾を持たせ儺の声を出し、鬼を追い払った
と在る。 これが後に日本に伝わり宮中の儀式なった様です。
江戸時代には民間に広まり「炒り豆を撒いて鬼は外、福は内」
と唱える様に、、、。
東風俗福「福はうち」(楊洲周延)
明治維新の頃に一度廃れ、、、明治の末に復活し、その頃に
役者や力士を寺社等に迎え、年男として盛大に豆を撒いた、
尾上梅幸の豆撒きの図(豊国)
姿ある鬼あはれなり鬼やらひ 三橋 敏雄
豆撒き
節分の夜「福は内、鬼は外」と連呼し豆を撒く、宮中の追儺が
民間に広がり、現在にも伝わって居ます。
邪気を払い、無病息災を願う儀式(家庭では少なくなった)
うき人の閨(ねや)に豆打つ二つかみ 尾崎 紅葉
この地方では尾張四観音といい、笠寺、甚目寺、荒子、龍泉寺
を、名古屋城から見て鬼門に当たる寺院で、その年の恵方に
当たる寺院に参ると福があるとされて居ます。
節分のポスター(大須観音)
亦、大須観音では節分の日に寺の宝とされる鬼面をご本尊
御宝前に(節分の日のみ)祀り、祈祷をし、参拝者の厄払い、
七難即滅、七福即生を祈る様です、、、。
大須観音ではこの鬼面にちなみ「福は内」のみで{鬼は外」は
禁句となって居る様です、、、。
節 分
大須観音の豆撒き(昨年)
今日3日は節分の日、全国各地の寺社では節分会、豆撒き等の
行事が行われて居ます。その年の年男ならず、芸能界の人気
タレントや、スポーツ選手、力士等が豆撒きをし、それを目当て
か、年々参拝者が(多くはタレント目当てか)?、、、、。
亦、近年(1996年頃から)では恵方巻き(太巻き寿司)が流行し、
これは大阪の或るスーパー(コンビニ)が太巻き寿司を全国販売
するにあたり、「節分に恵方を向いて太巻きを食べると縁起が良い
」と、、これが全国に広まりこれが年中行事の様に広まった、、、
元々、食い倒れの大阪では、江戸時代に商売繁盛、厄払いとして
節分に「幸運巻き寿司」をと商人の間で広まり、、、明治の頃に
船場の商人の間で商売祈願をとの諸説、、定かではありません。
カミサンが買ってきた「蟹の太巻き寿司」
節 分
節分の図、座敷の大黒と恵比寿
本来は二十四節気の気候の変り目の立春、立夏、立秋、立冬の
前日の総称。
それが次第に立春の前日の年越しの夜を指す様になったとの事
翌日が立春なので、待っていた春を迎える喜びに浮き立つ気分
柊の枝と鰯を、、(中日新聞朝刊より)
この夜、邪気を退散させるため、家々の戸口に焼いた鰯の頭を
柊の枝に挿し、、炒った大豆を撒き鬼打ちをした様です。
亦、自分の年の数だけ豆を食べる習慣が有ります、、、。
節分や肩すぼめ行く行脚僧 幸田 露伴
追 儺(ついな):鬼やらい
京都、吉田神社の節分会
元は中国の儀式で、年の変わり目に陽気が変り疫攦(えきれい)
が鬼となって人間に病をモタラシこれを退治するため皇帝が呪師
に朱の衣を、手に矛と盾を持たせ儺の声を出し、鬼を追い払った
と在る。 これが後に日本に伝わり宮中の儀式なった様です。
江戸時代には民間に広まり「炒り豆を撒いて鬼は外、福は内」
と唱える様に、、、。
東風俗福「福はうち」(楊洲周延)
明治維新の頃に一度廃れ、、、明治の末に復活し、その頃に
役者や力士を寺社等に迎え、年男として盛大に豆を撒いた、
尾上梅幸の豆撒きの図(豊国)
姿ある鬼あはれなり鬼やらひ 三橋 敏雄
豆撒き
節分の夜「福は内、鬼は外」と連呼し豆を撒く、宮中の追儺が
民間に広がり、現在にも伝わって居ます。
邪気を払い、無病息災を願う儀式(家庭では少なくなった)
うき人の閨(ねや)に豆打つ二つかみ 尾崎 紅葉
この地方では尾張四観音といい、笠寺、甚目寺、荒子、龍泉寺
を、名古屋城から見て鬼門に当たる寺院で、その年の恵方に
当たる寺院に参ると福があるとされて居ます。
節分のポスター(大須観音)
亦、大須観音では節分の日に寺の宝とされる鬼面をご本尊
御宝前に(節分の日のみ)祀り、祈祷をし、参拝者の厄払い、
七難即滅、七福即生を祈る様です、、、。
大須観音ではこの鬼面にちなみ「福は内」のみで{鬼は外」は
禁句となって居る様です、、、。
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