そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

起床

2013年03月25日 | か行

目覚まし時計が起床時間の五十分前を指している。ラジオをONにする。低音の声が地震速報を告げている。

またか・・・

最近は熟睡ができない。二時間くらいで目が醒めてしまう。八時間眠っていたのは遠い昔のことのようだ。

一旦目が醒めるとなかなか眠れない。仕方がないので寝床で本を読んだりラジオを聴いている。眠気が来るとすかさず照明を消して目を閉じる。

昨日がどんな日であったのか?楽しいことがあっただろうか。はっきりとした記憶は失敗したことばかり、いやな感じしか残っていない。

 

未だ夜があけない昨日と明日の間に、ぼんやりと一日のはじまりがはじまる。

 

夜が明ける。

ガスタンクに高圧の電線のシルエットだ。

西は満月が沈もうとしていた。

あるものは1日がおわり、あるものは1日のはじまりだ。


脳を肥大させた猿はおわりがはじまりで、はじまりがおわりとなった。


こんな本読んだ

2013年03月25日 | 本棚

ラブレス 桜木柴乃

父親の酒と暴力に支配される愛のない家――。北海道の開拓村から奉公に出された百合江(ゆりえ)は、旅の一座に飛び込む。「歌」が人生を変えてくれると信じて。押し寄せる波に翻弄されながら一切の打算なく子を守り生き抜いた女の、他人の価値観を寄せつけない「見事」な生が、息もつかせぬ圧倒的な筆力で描かれる。新感覚のストーリーテラー北に現る。

 

こんにゃくや漂流記 星野博美

人には必ず祖先がいる。それを辿(たど)ることは誰にでもできるはずだが、これがなかなか難しい。この本は先祖探しがおそろしくうまくいった例で、星野博美にとって過去は宝の山だった。
 彼女は東京は五反田の町工場生まれだが、もともとの家系は外房の漁師町。今もたくさん親戚がいて、みんな陽気で派手で賑(にぎ)やかな人たちである。年寄りたちに話を聞けばとんでもないエピソードがいくらでも出てくる。
 近代の日本では人はずいぶん移動した。紀州から房総へと大きな移住を敢行したこの一族で、五代前まで名前が判明したというのは例外的なほど運のいいことではなかったか。
 その背景には、自分たちの事績を子孫に伝えようとした代々の人たちの意図があった。語り伝えたり、文書にしたり、墓石に刻んだり、さまざまに記録は残され、後世はそれを辿ることができた。
 祖父から残された記録を入口にして遠い過去を探る。星野博美は与えられた機会をせいいっぱい活用した。その意欲と手法と熱意は賛嘆に値する。軽快で親しげな文体がそれを支えている。
 今、我々は土地に由来する個性を失い、いわば蒲鉾(かまぼこ)のように均一化されている。しかしつい一、二世代前、人々はかくも無茶苦茶かつ自分勝手で、よく言えば個性的だった。それぞれに土地と生業の刻印を帯びて豪放(ごうほう)磊落(らいらく)にふるまっていた。この明るさ、元気、笑いと賑わいがこの本の真価である。歴史学者が忘れていた普通の人たちの姿に拍手を送りたい。(池澤夏樹)

 

助左衛門四代記 有吉佐和子

巡礼の呪いなのか、代々の長男を不慮の事故で失いながらも、なお営々とその家名を守り、隆盛を極める紀州・木ノ本の旧家、垣内家。封建の世から近代に至る二百五十年にわたる家系をたどり、代々の当主の個性と、その蔭で“家のしがらみ”となって生きぬく女たちとを、六代目にあたる垣内二郎の手記の形で描く。名作「紀ノ川」をさらに一歩進めた、雄大で風格のある歴史小説である。


春分六日

2013年03月25日 | 定点観察

こんな夢をみた。なぜ同窓会をやったのかと訊かれる。みんなに会いたかったからと答えた。

4:40起床。のどの渇き。10℃。曇。

体調は、ややだる。気分は、ふつう。

とりあえずコーヒーを飲む。

洗濯をした。春雨が降ってきた。

朝食は、味噌ラーメン(玉子) ごはん 焼き鮭。

気温上がらず寒い。気分がさがってくる。

雨が上がる。花を植える。椿の花が落ちていた。公園の桜は盛りだろう。烏が小鳥を追っている。やもり?がいた。

昼食は、すけろく。

 そーしゃる・ねっとわーくをみる。入浴。

夕食は、缶チューハイ ごはん味噌汁 ひれかつ キャベツ。

22:00ダウン。