トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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西鉄313形 リバイバル塗装決定!

2014-04-09 21:56:00 | 私鉄
大手私鉄の最古参であるとともに、西鉄313形最後の生き残りである315-365が旧塗装に復元されるとともに、2015年1月24日(土)限りで運行を終了することが発表された(公式)。

313形の概要については既にさまざまなサイトで公開されているので省略するとして、鉄道ピクトリアルNo.668の167Pによると、「1952年6月1日 300形(313形)18m級大型車2連4本新造」とある。製造は1952年3月とあるから、6月1日から運行を開始したのだろうか。当初の塗装はマルーン1色、その後今回復元ざれるツートンとなり、宮地岳線転属で黄色に赤帯となったが、1989年ごろまでは帯が現在より狭く、前部の赤帯も左右に分かれて繋がっていなかった。

今回の塗装復元で個人的に一番注目しているポイントは、「湾鉄書体」である。「湾鉄書体」に関しては西鉄電車の歴史関係のブログでは1・2を争うと思われるワシさんのブログに詳しいのだが、(「湾鉄書体」で検索すると出てきます)、前面の車号をそのまま残して塗装するのか、大牟田線時代のように右下部に白抜きで表記するのか、である。


製造から62年。前照灯は白熱1灯からシールドビーム2灯に変わり、標識灯は丸から四角に、正面窓の四隅は丸くなり、方向幕も付いた。側面は2扉から3扉に、台車、制御器も変わり、カルダン駆動に。冷房も付いた。しかしながら特徴ある前面2枚窓だけは残ったせいか、不思議と原型の面影は崩れ去っていない。ただ、非貫通故に製造後25年で大牟田線を追われる要因となったのだが。製造時に~312までと同様の貫通式を採用していれば、1985年ごろまでは大牟田線で運行され、小型の20系が一足先に宮地岳線へ転籍したと思われる。また、その場合は100形も宮地岳線に転属していたかもしれない。


これが「湾鉄書体」。調べてみると、北九州線の連接車と福岡市内線に採用されていたようだ。同じ西鉄でも連接車を除く北九州線と大牟田線では採用されていない。


レトロな丸スピーカー。


車内。かつての1000形も同じようなシートだった。


シンプルな運転台。


「車掌弁」の表記が残る。車掌が乗らなくなって既に34年。


運転席後ろは広いスペースが取られている。