西鉄甘木線の学校前駅。
起点の宮の陣を出て2つ目の駅で、初めての交換可能駅となるが、日中の列車交換は無い。信号機はどちらの線も両側に設置されており、方向幕設定こそないもののどちらの線路からも折返し運転が可能であることが分かる。
駅舎自体は1968年改築で、さほど古くはない。駅舎内には窓口と待合室があるだけである。
周辺は住宅地が広がるが、1日の乗降人員は近年300人弱。1993年は529人であったからここ20年ほどでほぼ半減している。西鉄の有人駅としてはもっとも乗降客が少ない。
現在では絶対に採用されないであろう「学校前駅」の由来となったのは宮の陣小学校。当初は「宮ノ陣学校前」停留場であったそうだが、1939年に現在の駅名に改称。しかしながら同線には金島駅というこれまた小学校の横にある駅もあり、改称には不可解な点もある。
ご覧の通りすぐ後ろに学校がある。横の門は閉じられているが、正門は写真のすぐ手前にある。
ホームは極めて狭い。左側の狭い道路は1990年頃まで国道322号線であった。
進入してくる甘木行き列車。右側のJAは1990頃に市内各所に「市民センター」が設置されるまでは市役所の出張所だったように記憶している。古くは、村役場だったのかもしれない。
この辺りが元々の宮ノ陣の中心地のようである。
起点の宮の陣を出て2つ目の駅で、初めての交換可能駅となるが、日中の列車交換は無い。信号機はどちらの線も両側に設置されており、方向幕設定こそないもののどちらの線路からも折返し運転が可能であることが分かる。
駅舎自体は1968年改築で、さほど古くはない。駅舎内には窓口と待合室があるだけである。
周辺は住宅地が広がるが、1日の乗降人員は近年300人弱。1993年は529人であったからここ20年ほどでほぼ半減している。西鉄の有人駅としてはもっとも乗降客が少ない。
現在では絶対に採用されないであろう「学校前駅」の由来となったのは宮の陣小学校。当初は「宮ノ陣学校前」停留場であったそうだが、1939年に現在の駅名に改称。しかしながら同線には金島駅というこれまた小学校の横にある駅もあり、改称には不可解な点もある。
ご覧の通りすぐ後ろに学校がある。横の門は閉じられているが、正門は写真のすぐ手前にある。
ホームは極めて狭い。左側の狭い道路は1990年頃まで国道322号線であった。
進入してくる甘木行き列車。右側のJAは1990頃に市内各所に「市民センター」が設置されるまでは市役所の出張所だったように記憶している。古くは、村役場だったのかもしれない。
この辺りが元々の宮ノ陣の中心地のようである。
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