なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

Back To The Normal Life... (明日からまたいつもの日常へ...)

2014年05月06日 | Music & Life 

Gasoline Alley
クリエーター情報なし
Island / Mercury



今朝は Rod Stewart の『 Gasoline Alley 』からスタート


このアルバムは文句の付けようがないくらいロッドがかっこいい。ジャケットも最高にかっこいいですよね( ※ CD等一部ジャケットの違う物があります ) 。次作の 『 Every Picture Tells Are Story 』 で一気にトップ・スターの仲間入りを果たすロッド

でも佳曲揃いの本作を好むファンも多い。バック・アップミュージシャンは例によって Ron Wood (ロン・ウッド)を始めとするフェイセズのメンバーが中心。ZUYAさんのお勧めは1曲目から2曲目にかけての流れかな(←なんてマニアックな)

フォーキーに攻めておきながら次にロックンロールを持ってくる辺りはもうゾクゾクしますよね(それがそのままフェイセズの魅力にもなるのですが)。ちなみに 『 It's All Over Now 』 のベースはロン・ウッドですね。Ronnie Lane (ロニーレイン)も何曲か弾いていますがロンのプレイはジェフ・ベック・グループ時代そのものですよね~


さて4連休も最終日。明日からはまたくだらない日常に戻るわけです。でもねぇこの“くだらない日常”を創り出しているのは他ならぬ自分であると改めて悟ることのできたGWでした


特に2日目の 『 写経 』 の時にそれを感じたわけです。その日のブログにも書きましたが、物音一つ立たない部屋で写経が行われるとと思いきや、意外に周りの声や音が聞こえる場所でした。寺側があえてそうしているのか、場所が他にないのかは知りませんが(実際、スタッフの声や片づける音もかなりうるさかったので...)、それすらも気にせず没頭し自身が行うべきことに意識を集中させると言うことが大事なのかもしれません

とかく近年のZUYAさんはすぐに“周囲がうるさいから~”と何でも自分の取り巻く環境のせいにしがちですからね。40歳にしてまた一つ発見・成長することができましたね。この調子で厄年を乗り切りたいものです


さて、体重の方は 『 空重量(つまり空腹時) 』 で“83キロ台”と言う久々に長く見なかった数字を見ることが出来ました~(驚)。明日からは食生活に一層気を付けて今月中に第一関門の 『 70キロ台 』 へと持って行きたいと思います



4日間、たっぷり Maruha ちゃんを可愛がりました~



          



さて、今夜はこのブログを書きながら B.B.King 『 Mr.Blues / Confessin' the Blues 』 の2in1のCDを聴いております


Mr Blues / Confessin' The Blues
クリエーター情報なし
Beat Goes On



6年ほど前に購入した時以来久しく聴いていなかったのですが、最新の竹田和夫氏のブログの中でこのアルバムの名が出てきて、久々にラックから手に取りました。これは師匠に勧められて購入したのですが、当時まだ若造だったZUYAさんには理解できなかったのでお蔵入りになりかけておりました

今夜はじっくり聴いてみようと思います。どれくらい成長したかを確認するためにも~



懐かしき保科館...

2014年05月06日 | Life


旧館の自室から~



保科館のことを書きましょう


当ブログに“保科館”を検索キーワードにして辿り着く方は結構いらっしゃいます。ZUYAさんは毎年GWと年末年始などの繁忙期に働いていた言わば、“季節従業員”でしたから、その時期になると思い出さずにいられないわけです

常連のお客さんであったり青春の思い出であったり、はたまた元従業員がこちらに来て頂き、ともに懐かしんでいただけることは実に嬉しい限りです


初めて保科館の募集広告を見たのは今ではその存在も薄くなりつつある 『 アルバイト情報誌 』 でしたね( 『 an 』 ではなくもう一つ定番誌でしたが、その名はもう思い出せないですね... )  

当時のアルバイト先であった印刷工場が大型連休が年に2回あり、その間の収入確保と当時の女性関係のトラブルからしばらく東京から離れたいと言う条件が一致し 「 リゾート・バイト 」 のページをめくっていて見つけた

数多くある信州のホテル・旅館のバイトの中から選んだのは確か 『 秘湯の宿・一日3食・交通費支給・温泉入りたい放題 』 みたいな広告だったような気がするが...何せもう10年ほど前の話ですからねぇ


初めての“リゾート・バイト”と言うこともありどんなことになるのだろうと期待に胸を膨らませ降り立ったのは中央本線・茅野駅。八ヶ岳登山や蓼科への入り口となる駅だ。東京ではGWの時期になると既に夏のような暑さになることがありますが、信州は涼しいどころか寒く感じる時もありました。実際山には多くの雪が残っていますからね

でも。ホームに降り立ち信州の“匂い”を感じると素敵な気分でしたね(逆に東京に帰って来て新宿駅で列車のドアが開くと怖ろしい“臭い”を感じる...)


ここから1日4往復ほどしか走っていない通称“メルヘン・バス”に乗り旅館へ向かうわけです。何度乗ってもガラガラのバスでしたね。まぁ(バイト)後期は若女将に駅まで送ってもらうことが多くなりましたが

市街地を抜けるとグングンと高度を上げて行き素晴らしい景観が観られる。確か夏と冬ではバスが行けるところが違うんですよね。夏は麦草峠まで行くのだが、あれ、冬はどこだったっけ?(笑)。とにかく大雪で進めないんですよねぇ~

とにかく駅からの道のりはかなり大変なわけですがある時、女子大生2人組のバイトが来て“想像と違った”らしく(何を思い描いて来たのだろうか...)夜中のうちに荷物をまとめて逃げ出したことがあったのだが、どうやって真夜中に駅まで行ったのだろうか


ZUYAさんが働きだした当時(10年ほど前)で、もう見るからにピークは過ぎたような感じで玄関を入ってすぐのロビー・喫茶コーナーともに閉鎖。ZUYAさんは保科館で働くまで温泉と言うものに興味がなかったので、温泉宿と言うのはみんなこういう雰囲気なんだろうと思ったわけです(後年それは“寂れている”とわかるのですが...)


短期間のバイトなんて相部屋になるものだと思ってたら、意外にも一人一部屋ずつ与えてくれましてね。もっとも昔は本当に相部屋だったそうですが。

ZUYAさんは山歩きが好きでしたから休憩時間とかもしっかり歩いたりしていましたが、他のみんなは何をしていたのでしょうね。コンビニどころか商店も何もないですからね。ZUYAさんは2回目以降は毎回ギターとウィスキー持参でしたから



これは最後の写真かな



ちなみに保科館での一日はこんな感じ


起床すると旧館に寝床のある我々は共同洗面台に向かう。ZUYAさんはだいたい洗面台の前の部屋でしたね。そう従業員の寝泊りするのは旧館で、部屋の中は恐ろしく寒く枕元に干してある洗濯物が凍るほどでした

エプロンを身につけて厨房に向かう。宿泊客の朝食には温泉を使った湯豆腐とお粥が付く。この温泉は夜お風呂に入るときに交代で誰かが汲んでくるんですよね。

お客が食べてる間に2名から4名(宿泊客数による)で各部屋の布団を上げに行きます。これがなかなかの重労働で朝ご飯が進むわけです(笑)。我々従業員の朝食には味噌汁と納豆におかみさんが作った佃煮類、卵焼きの端なんてのもありました


朝食後には洗い物、食堂の掃除、夕食のためのセッティングなど行う。そうそう曜日を決めて温泉の掃除なんてものもあった。各部屋にお出迎えのお茶のセットも置きに行くわけです。すっかり顔見知りになったリネン業者のおばちゃん達。まだ元気なのかなぁ

そうこうしているうちにお昼になる。パスタや蕎麦とか麺類が多かったような。そうだ、ZUYAさんが焼き飯を作った時もあった。さっと済ませて夕方まで休憩だ。これが泊り客が多いとわずか数時間後に再集合となるわけだ


この間の時間の潰し方は人それぞれ。おかみさんたちは日帰り入浴の客が来るのでそうそう休んでいる間もなかったはず。車を持っている従業員は買い出しに行ったり。都会からのアルバイトはひとっぷろ浴びてお昼寝タイムって感じだったかな。


夕方からは茶碗蒸しを作ったり、メインの料理の鍋の準備をする。茶碗蒸しは意外と器用そうなアルバイトにも作ってもらってましたね。ZUYAさんは究極で“鍋作り”、“刺身”まで到達しましたが(笑)。しかし揚げ物、焼き物はベテランのおじさんやおかみさんが自ら調理


お客さんが入り始めるとさぁたいへん(笑)。食堂に来る時間はバラバラ。中には予約だけしてあって到着していない家族もある(なぜか保科館はキャンセル料を取らなかったのでドタキャンが本当に多かった気がする)。天麩羅などは出来たてを提供するのでタイミングを見計らう。でもこの間に朝とは逆に布団を敷きに行くわけだ。しかも交換用のお茶セットを持って

予約がいっぱいの時はもう毎晩“てんてこ舞い”でしたね(笑)。新館と旧新館(部屋が足りない時には旧館も使用)を走り回るわけだ。そして戻ってきたら洗い物の山...


それらを片づけて朝の準備が終わると夕食。早くて8時ごろ遅い時は10時を過ぎるのもざらでしたね。それでも乗り切った時の気分は爽快でこれまたご飯が進むわけです(笑)。

当時のZUYAさんはもちろんまだ60キロ台でしたが食いまくってましたね。そうそうZUYAさんはおかみさん特製の 『 ふき味噌 』 が大好きでね。これさえあればご飯が何倍でも食えたわけ。その内“東京に持って帰りな”と多めに作ってくれて瓶詰してくれたりしました

夜は“賄”とは思えないぐらい豪華で、魚も肉も何でも出た上に忙しかった夜には飲み物(飲める人はアルコール)までおかみさんはつけてくれたね

そうそうカラオケ・セットを広間から持って来てみんなで厨房でカラオケもやったなぁ




保科館トレーナー



出会った従業員について書きたいのですが、いろいろ問題があるので差しさわりのない程度に。


とにかくそれはそれは個性的な人々の集まりでしたね(笑)。いかにも事情のありそうな人間もいれば、いかにも少しズれてるヤツもいた。おかみさんの話によれば長い年月、完全にイってしまっているやつもたくさんいたとか。

そんな中でもZUYAさんが忘れられないお世話になった人は当時の板さんのN村さん、配膳の段取りを教えてくれたH間さん。この二人がもうこの世にいないというのは信じられない。まぁZUYAさんなりに後から入ったアルバイト達にこの2人の教えをしっかり伝えたつもりですが。

あとは昨年久々に再会した勤続の長かった老夫婦。近くなので誰よりもよく手伝いに来ていたと思います。いったい何度この夫婦と新しい年を迎えたことか。この夫婦は本当に素敵な夫婦ですね。

後年、O形さんと言う人懐っこいおじさんも現れたが、最終的にごたごたしたようだ(笑)


色々な人がいましたが今となっては全て良い思い出です。写真も探せばまだまだ一杯あるはずなのですが見つからないですねぇ。もう保科館の再開はありえないでしょうが、ずっと心に留めておきたい思い出ですね



小さくて見えない...



<この場を借りて(その1)>

女将さん、社長、若女将お元気ですか? 私はこの通りですよ~


<この場を借りて(その2)>

Facebook ぺージ 『 嗚呼、我らが保科館 』

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