12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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光陽フェリー往路

2011年08月31日 10時02分39秒 | 

このツアーは、第一に行き先が珍しいこと(全羅南道)、第二に往復とも国際フェリー(光陽フェリー)に乗船すること、そして最後の第三に3泊4日で一部食費は自分持ちだが一人2.5万円と極安料金(お一人様割増八千円・・・これは高い)であったことだった。

この7月と8月に一本づつ発売された、とても珍しいものであった。参加者の多くが、値段に惹かれて参加したと言っていた。

 

国際フェリーに乗船するのは初めてである。なんにも判らない、とにかく添乗員さんの指示に忠実に従うのみであった。

「下関港国際ターミナル」の待合室通路に全員の手荷物を並べて置いて、船内での夕食と翌朝の朝食を、各自てんでに近くのデパ地下の食料品コーナに調達に出かけた。


四百人くらいは韓国人で、読売旅行の岡山・姫路・山口の3組、各35名くらい(総数は百名前後)のみが日本人のようだった。

レストランは、夕食時になると韓国人でごった返し、自前の弁当を食べる席を見つけるのに苦労したので、結局自分の部屋に帰り食した。レストランでは、8時半頃と9時半頃の2回半時間くらいづつ、フィリピンバンドの演奏があった。コレ目当ての沢山の観衆で賑わった。これは船旅特有の持ち味と言えるだろう。

 

日本の中古船なので基本的に表示は全て日本語、必要最小限の韓国語が補足的に書いてある状態で、日本人に違和感は全くなかった。飲み物の自動販売機は完全に日本語で使用可能通貨も日本円のみであった。これは我々には実に便利であった。

案内所・小さな免税店(タバコと酒しか置いていない)・コンビニまがい(食べ物飲み物程度)の小さな売店には若い韓国人女性がいて、日本語もOKであった。(買い物は、ウオンと円両方が使用できた。)

 

2等船客組は、14人部屋を7人でゆったり使うという雑魚寝スタイルで、珍しくもあり又かつての修学旅行や合宿の雰囲気となったのでそれなりに楽しんだ。当然雑魚部屋では、時間と共に次第に慣れてお互いの話がはずむようになった。風呂は大浴場があり、裸になると喋らない限り韓国人か日本人か識別不能であった。一部の同行者は、上級の部屋を段取りしたようで、船内では全く会うことがなかった。

船の旅で一番気になるのが船酔いであるが、幸いなことに往復とも小生にとって酔いにくいローリング周期だったので、なんの不安もなく過ごせたのが有難かった。(船酔いに苦しんだとは誰も言っては居なかった。)

下関から北西へ対馬の西を通過して光陽に向かうのだが、数時間(百数十km)以上に渡り、漁火が海上に延々と見えたのには驚いた。漁師たちの仕事のすさまじさを初めて見たのであった。

結構揺れて、夜中に何度も目が覚めた。うつらうつらしているうちに、多島海を抜けて光陽に着いた。

出発前の天気予報が外れ、全行程曇りながら雨に合わずに済んだのは大変ラッキーだった。