今日(2月3日)は「節分」
一般的に「節分」といえば 立春の前日をいっているが、節分は、本来二十四節気の季節が移り変わる日をさし、「季節を分ける」ことをも意味している。そのため、立春だけでなく、立夏、立秋、立冬の前日をも含むが、中でも、立春の前日の節分は、年が変わる重要な日として位置づけられている。今年・2008年の立春は、2月4日(時刻:20:00 太陽黄経:315度)なので、その前日と言うことで、今日・2月3日が節分ということになる。この各年の二十四節気の日付は、以下参考に記載のこよみのページの「二十四節気計算」で計算することができる。
昔は方角によって吉凶判断をよく行った。どちらかといえば、「凶」の方に注意が向き、外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いと一旦別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。これを、方違え(かたたがえ、かたちがえ)また、方忌み(かたいみ)とも言った。
方位は吉神のいる方角を吉方位といい、凶神のいる方角を凶方位という。方違えの対象となる方位神は、天一神(てんいちじん)、 太白(たいはく)、 大将軍(だいしょうぐん)、 金神(こんじん)、王相( こよみの読み方王相参照)の5つである。同一方角に長期間在する神(大将軍・金神・王相)については、遊行の最初の日に1回方違えしただけでは有効とは言えないとして、その期間中、特定の規則で何度も方違えをする必要があった。そのため、同じ方角に1年間以上在する長期間在する神(大将軍・金神・王相)がいる場合には、その年の立春に一旦方違えになる方角に移動して一晩明かし、翌日自宅に戻れば当分は方違えしなくても良いとした。旧暦(太陰太陽暦)の節切りにおいては、立春に年初がおかれ、 四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春を以て年が変わるとしているものが多い。 節分の豆撒きは、立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。節分には豆を撒いて鬼を追う行事が行われているが、もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われている「追儺」(ついな)から生まれたものである。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。
この節分のことは以前にこのブログでも書いたのでそこで見てください。(2月3日 節分 )、また、追儀の儀式のことなども触れたたことがあるのでそこで見てください。(3月30日、「薬師寺花会式」〔修二会〕)。
関西から広まった節分には、豆まきに加えて、この日の夜に恵方(えほう)を向いて太巻(恵方巻)を丸噛りすると、その年1年に幸福が訪れるとの言い伝えがある。「恵方」は古くは正月の神の来臨する方向を指していたものが、九星術が流行してから現在のような意味になったようで、その方位は「明けの方(あきのかた)」ともいい、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方向をいう。今年の恵方は南南東つまり丙(巳午の間)方角と言うことになるらしい。(こよみのページの「恵方ってどっち?」参照)
節分のことは前にも書いているので、同じことを書いていても仕方がないので、今回は節分と縁の深い「鬼」のことを書いてみよう。鬼ごっこ、鬼面、鬼火 、鬼瓦、鬼門、鬼ヶ島、鬼気迫る・・など 日本には実に鬼の付く言葉が多く有る。鬼という漢字の伝来は6世紀頃とされるが、奈良時代に「鬼」は「モノ」と読まれる例が多かったようだ。「モノノケ(物の化)」「ツキモノ(憑き物)」などというときの「モノ」である。現代の日本人が、「鬼」と言われて一般的に連想する、鬼はだいたい身の丈8尺以上、肌色は赤・青・黒・黄色などで筋骨隆々、一つ目、二つ目、頭に角と巻き毛の頭髪を具え、口に牙を有し、指に鋭い爪が生え、虎の毛皮の褌を腰に纏って、手には鉄の金棒などといったいでたちである。これに付加すれば、”鬼足”(一歩ごとに足を上げて歩く)という独特の歩行法があると想像されている。このような恐ろしい姿形のモノがこの世に現れては人を襲い、食ってしまうのだから恐ろしい話である。このような牛の角と体、虎の牙と爪を持ち、虎の皮を身に付けた鬼の姿は平安時代に確立したものである。それは、鬼門が忌み嫌われたことに関係する。この鬼門は、中国の書物『山海経』にある物語が元となっており、北東の土朔という山(以下参考に記載の度朔山参照)に大きな桃の木があって、そこに万鬼が集まることから鬼門と呼ぶようになったもの。それが日本に伝わると、平安時代中期ごろから方位の吉凶を占ったり、邪気を祓ったりする陰陽道(おんようどう)によって、鬼門は、鬼が行き来するといわれる丑と寅の間の方角(うしとら=北東)の隅をを指し、又、八卦では大凶とされる「艮」(ごん)にあたたるとして方角禁忌の考えが加わった。そのため、不吉なことが起きるということで北東の方角を避けるようになり、鬼門にあたる北東の方角を表鬼門と呼び、反対の南西の方角を裏鬼門と呼んで、家などを建てるときにも、表鬼門・裏鬼門の方角に、玄関、便所、風呂場などを造ることを忌み嫌うようになった。そして、鬼門除けのために、鬼門に当たる方角に桃の木を植えたり、屋根には鬼瓦をつけたり、村では鬼門除けに鬼門堂を建てたりした。因みに、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。
また、都市計画においては、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、江戸では江戸城から表鬼門の方向に東叡山寛永寺が裏鬼門には芝増上寺が配置されていた。鬼は元々はこのような定まった姿は持っておらず、「オニ」の語は、姿が見えない意の「隠」の字音「おん」の転じたものであり、天つ神に対して地上の国つ神。荒ぶる神。人にたたりをする怪物。もののけ。幽鬼。醜悪な形相と恐るべき怪力をもち、人畜に害をもたらす、想像上の妖怪達。それに、仏教の影響で、夜叉(やしや)・羅刹(らせつ)・餓鬼や、地獄の獄卒牛頭(ごず)・馬頭(めず)などもさす。
また、『和名抄』には、「鬼物隠にして形顕すを欲せず。故に以て称す」」とあるので、もともと鬼自身が姿をあらわすことを望まないのだそうだ(以下参考に記載の「鬼」とは、何か?参照)。
中国では鬼という漢字は「魂が体を離れてさ迷う様」「死者の魂」を意味し、日本でもこの世に怨みを残しつつ死んだ場合に鬼になると考えていたようだ。
「さ夜更けて 鬼人衆(きにんし)こそ歩くなれ 南無や帰依仏 南無や帰依仏」(『梁塵秘抄』)
それが仏教や陰陽道の影響を受けて妖怪として恐れられ、百鬼夜行といった自由な発想から、やがて角や牙を持った人に災いをもたらす恐ろしい姿にイメージが統一されていったのだろう。
1990(平成2)年から始まったTBS系ドラマに「渡る世間は鬼ばかり」という人気ドラマがある。このタイトル、元々はことわざ「渡る世間に鬼は無い」をもじったもので、とかく人間関係では苦労させられるというぼやきの意味合いを込めたタイトルだそうで、実際のドラマの内容は、人にきつく当たるのは、その人が悲しく、弱いだけで、本当の鬼はいないとわかる。だが、たとえそれが自分の弱さからであれ、人を傷つけるようなことを言ったり行なったりする人間は、やはり鬼と呼ぶにふさわしいという制作者側の意図なのだろうという。
本来のことわざ「渡る世間に鬼は無い」は広辞苑によると「世間の未知の人はこわく見えるが、皆困った人を助けるようなやさしい心を持っている」・・・・と言うのだが、現代のテレビっ子はきっと「間違っているよ、”渡る世間は鬼ばかり”って言うんだよ」と教えてくれるだろうね~。だって今の世の中、知らない人が通りすがりに知らない人を平気で刃物で刺し殺したりする時代になってしまったのだからね。製作者の橋田寿賀子さんも、困惑しているだろうね~。
今の時代、節分に異界の鬼を祓うことよりも、どこかの神社にお参りでもして、自分の心に巣食う鬼を払った方がよい人が多くいるということか・・・・?。
さて、今年は、どんな歳に・・・。又、来年は・・・・。え!今年どうなるかわからないのに「来年の事を言うと鬼が笑う」よって?・・・ところで、「来年の事を言うと鬼が笑う」本当の意味は?
暇つぶしに以下を読んでみては・・・。
来年の事を言うと鬼が笑う」のはなぜ?
http://harmonyatsugi.hp.infoseek.co.jp/kyusoku/onigawarau.html
(画像は「百鬼夜行絵巻」部分。大徳寺真珠庵蔵。週刊朝日百貨「日本の歴史」より)
参考は以下ををクリックするとこのページ下に表示されます。
クリック → 「節分」の鬼:参考
一般的に「節分」といえば 立春の前日をいっているが、節分は、本来二十四節気の季節が移り変わる日をさし、「季節を分ける」ことをも意味している。そのため、立春だけでなく、立夏、立秋、立冬の前日をも含むが、中でも、立春の前日の節分は、年が変わる重要な日として位置づけられている。今年・2008年の立春は、2月4日(時刻:20:00 太陽黄経:315度)なので、その前日と言うことで、今日・2月3日が節分ということになる。この各年の二十四節気の日付は、以下参考に記載のこよみのページの「二十四節気計算」で計算することができる。
昔は方角によって吉凶判断をよく行った。どちらかといえば、「凶」の方に注意が向き、外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いと一旦別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。これを、方違え(かたたがえ、かたちがえ)また、方忌み(かたいみ)とも言った。
方位は吉神のいる方角を吉方位といい、凶神のいる方角を凶方位という。方違えの対象となる方位神は、天一神(てんいちじん)、 太白(たいはく)、 大将軍(だいしょうぐん)、 金神(こんじん)、王相( こよみの読み方王相参照)の5つである。同一方角に長期間在する神(大将軍・金神・王相)については、遊行の最初の日に1回方違えしただけでは有効とは言えないとして、その期間中、特定の規則で何度も方違えをする必要があった。そのため、同じ方角に1年間以上在する長期間在する神(大将軍・金神・王相)がいる場合には、その年の立春に一旦方違えになる方角に移動して一晩明かし、翌日自宅に戻れば当分は方違えしなくても良いとした。旧暦(太陰太陽暦)の節切りにおいては、立春に年初がおかれ、 四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春を以て年が変わるとしているものが多い。 節分の豆撒きは、立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。節分には豆を撒いて鬼を追う行事が行われているが、もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われている「追儺」(ついな)から生まれたものである。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。
この節分のことは以前にこのブログでも書いたのでそこで見てください。(2月3日 節分 )、また、追儀の儀式のことなども触れたたことがあるのでそこで見てください。(3月30日、「薬師寺花会式」〔修二会〕)。
関西から広まった節分には、豆まきに加えて、この日の夜に恵方(えほう)を向いて太巻(恵方巻)を丸噛りすると、その年1年に幸福が訪れるとの言い伝えがある。「恵方」は古くは正月の神の来臨する方向を指していたものが、九星術が流行してから現在のような意味になったようで、その方位は「明けの方(あきのかた)」ともいい、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方向をいう。今年の恵方は南南東つまり丙(巳午の間)方角と言うことになるらしい。(こよみのページの「恵方ってどっち?」参照)
節分のことは前にも書いているので、同じことを書いていても仕方がないので、今回は節分と縁の深い「鬼」のことを書いてみよう。鬼ごっこ、鬼面、鬼火 、鬼瓦、鬼門、鬼ヶ島、鬼気迫る・・など 日本には実に鬼の付く言葉が多く有る。鬼という漢字の伝来は6世紀頃とされるが、奈良時代に「鬼」は「モノ」と読まれる例が多かったようだ。「モノノケ(物の化)」「ツキモノ(憑き物)」などというときの「モノ」である。現代の日本人が、「鬼」と言われて一般的に連想する、鬼はだいたい身の丈8尺以上、肌色は赤・青・黒・黄色などで筋骨隆々、一つ目、二つ目、頭に角と巻き毛の頭髪を具え、口に牙を有し、指に鋭い爪が生え、虎の毛皮の褌を腰に纏って、手には鉄の金棒などといったいでたちである。これに付加すれば、”鬼足”(一歩ごとに足を上げて歩く)という独特の歩行法があると想像されている。このような恐ろしい姿形のモノがこの世に現れては人を襲い、食ってしまうのだから恐ろしい話である。このような牛の角と体、虎の牙と爪を持ち、虎の皮を身に付けた鬼の姿は平安時代に確立したものである。それは、鬼門が忌み嫌われたことに関係する。この鬼門は、中国の書物『山海経』にある物語が元となっており、北東の土朔という山(以下参考に記載の度朔山参照)に大きな桃の木があって、そこに万鬼が集まることから鬼門と呼ぶようになったもの。それが日本に伝わると、平安時代中期ごろから方位の吉凶を占ったり、邪気を祓ったりする陰陽道(おんようどう)によって、鬼門は、鬼が行き来するといわれる丑と寅の間の方角(うしとら=北東)の隅をを指し、又、八卦では大凶とされる「艮」(ごん)にあたたるとして方角禁忌の考えが加わった。そのため、不吉なことが起きるということで北東の方角を避けるようになり、鬼門にあたる北東の方角を表鬼門と呼び、反対の南西の方角を裏鬼門と呼んで、家などを建てるときにも、表鬼門・裏鬼門の方角に、玄関、便所、風呂場などを造ることを忌み嫌うようになった。そして、鬼門除けのために、鬼門に当たる方角に桃の木を植えたり、屋根には鬼瓦をつけたり、村では鬼門除けに鬼門堂を建てたりした。因みに、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。
また、都市計画においては、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、江戸では江戸城から表鬼門の方向に東叡山寛永寺が裏鬼門には芝増上寺が配置されていた。鬼は元々はこのような定まった姿は持っておらず、「オニ」の語は、姿が見えない意の「隠」の字音「おん」の転じたものであり、天つ神に対して地上の国つ神。荒ぶる神。人にたたりをする怪物。もののけ。幽鬼。醜悪な形相と恐るべき怪力をもち、人畜に害をもたらす、想像上の妖怪達。それに、仏教の影響で、夜叉(やしや)・羅刹(らせつ)・餓鬼や、地獄の獄卒牛頭(ごず)・馬頭(めず)などもさす。
また、『和名抄』には、「鬼物隠にして形顕すを欲せず。故に以て称す」」とあるので、もともと鬼自身が姿をあらわすことを望まないのだそうだ(以下参考に記載の「鬼」とは、何か?参照)。
中国では鬼という漢字は「魂が体を離れてさ迷う様」「死者の魂」を意味し、日本でもこの世に怨みを残しつつ死んだ場合に鬼になると考えていたようだ。
「さ夜更けて 鬼人衆(きにんし)こそ歩くなれ 南無や帰依仏 南無や帰依仏」(『梁塵秘抄』)
それが仏教や陰陽道の影響を受けて妖怪として恐れられ、百鬼夜行といった自由な発想から、やがて角や牙を持った人に災いをもたらす恐ろしい姿にイメージが統一されていったのだろう。
1990(平成2)年から始まったTBS系ドラマに「渡る世間は鬼ばかり」という人気ドラマがある。このタイトル、元々はことわざ「渡る世間に鬼は無い」をもじったもので、とかく人間関係では苦労させられるというぼやきの意味合いを込めたタイトルだそうで、実際のドラマの内容は、人にきつく当たるのは、その人が悲しく、弱いだけで、本当の鬼はいないとわかる。だが、たとえそれが自分の弱さからであれ、人を傷つけるようなことを言ったり行なったりする人間は、やはり鬼と呼ぶにふさわしいという制作者側の意図なのだろうという。
本来のことわざ「渡る世間に鬼は無い」は広辞苑によると「世間の未知の人はこわく見えるが、皆困った人を助けるようなやさしい心を持っている」・・・・と言うのだが、現代のテレビっ子はきっと「間違っているよ、”渡る世間は鬼ばかり”って言うんだよ」と教えてくれるだろうね~。だって今の世の中、知らない人が通りすがりに知らない人を平気で刃物で刺し殺したりする時代になってしまったのだからね。製作者の橋田寿賀子さんも、困惑しているだろうね~。
今の時代、節分に異界の鬼を祓うことよりも、どこかの神社にお参りでもして、自分の心に巣食う鬼を払った方がよい人が多くいるということか・・・・?。
さて、今年は、どんな歳に・・・。又、来年は・・・・。え!今年どうなるかわからないのに「来年の事を言うと鬼が笑う」よって?・・・ところで、「来年の事を言うと鬼が笑う」本当の意味は?
暇つぶしに以下を読んでみては・・・。
来年の事を言うと鬼が笑う」のはなぜ?
http://harmonyatsugi.hp.infoseek.co.jp/kyusoku/onigawarau.html
(画像は「百鬼夜行絵巻」部分。大徳寺真珠庵蔵。週刊朝日百貨「日本の歴史」より)
参考は以下ををクリックするとこのページ下に表示されます。
クリック → 「節分」の鬼:参考