今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ベトナム戦争で、アメリカ軍が非武争地帯の森林への枯れ葉剤空中撒布を本格的に開始した日

2008-02-06 | 歴史
1967(昭和42)年2月6日のこの日、アメリカ空軍機が南北ベトナム間に広がる非武争地帯の森林に大量の枯れ葉剤を本格的に撒き始めた。この枯れ葉作戦は1962(昭和37)年にも試みられたが、今回の薬剤は大量で、ゲリラを見つけやすくするため森林を丸裸にしようとするものであった。撒かれた薬剤は数十トンにも及び、2,4-Dや、2,4,5-Tと呼ばれる化合物。その後、ベトナムで奇形児やがんを大量発生させる。国際的な非難を受け、1969(昭和44)年に使用を中止した。(週刊朝日百科「週刊20世紀」)
ベトナム戦争(1959年 -~1975年)は、インドシナ戦争後に、ベトナムの南北統一をめぐって戦われた戦争。宣戦布告なき戦争であるためベトナム紛争とも呼ばれる。第一次インドシナ戦争(1946年~1954年)に比して、第二次インドシナ戦争ともいう。共産主義勢力の拡大を防ぐため、北ベトナムと対峙する南ベトナムへの支援をするアメリカが中心となり大規模な軍事介入を行ったが、目的を達せずに撤退した。
この戦いは、形式的には北ベトナムと南ベトナムの戦争であったが、南ベトナムが負ければ、東南アジア諸国から日本に至るまで次々と共産主義に支配されるというドミノ理論を擁してベトナムへの軍事介入をしたものであり、実質的に共産主義勢力(ソビエト連邦中華人民共和国)と資本主義勢力(アメリカ)が背後にあっての戦いであった。その為、「代理戦争」と呼ばれた。また冷戦の文脈とは別に、ベトナムの南北統一運動に対する抑圧的戦争であった面も指摘されている。
このベトナム戦争については、以前に、このブログででも書いたので、戦争の詳細はそちらで見てください(4月30日「30年にわたるベトナム戦争が終結 した日」)。
1961(昭和36)年から始まったが、1964年8月、アメリカはトン・キン湾事件(のちにでっち上げだったことが判明)を口実に報復爆撃を行った。そして、翌1965(昭和40)年2月から本格的な北爆を開始した。米軍は、ベトナム戦争の間に785万トンの爆弾を使用したといい、物量の規模でいえば、第2次世界大戦をしのぐ史上最大であり、米軍が北ベトナムに落とした爆砲弾は、病院や学校などの各施設を壊滅したが、なかでも長期にわたり人びとを苦しめているもののひとつに枯れ葉剤の投下がある。
ベトナム戦争で米軍を苦しめたのはベトコンによるゲリラ戦であった。ベトコン兵士と補給物資が深い森に隠れて移動するので、米軍は空からの攻撃を有効に行えない。そこで米軍は枯葉剤の戦争利用を企画。目的は2つあり、まずゲリラを見つけやすくするため解放戦線の隠れ家であるジャングルを丸裸にさせることもう1つは、解放区で作られる農作物を汚染し、食料源を断つこであったという。
1961(昭和36)年7月から1962(昭和37 )年4月にかけて、外国もふくむ各地で枯葉剤の野外テストが行われ、その結果、2,4-D2,4,5-Tが森林やマングローブ林の破壊に有効なことが見出され、2つの薬剤を混ぜたものが枯葉剤となった。研究は1966(昭和41)年まで続いた。戦争当時、赤十字総裁だったレ・カオ・ダイ医師の著書「ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ 歴史と影響」によると、1961(昭和36)年から10年の間に約7,200万リットルの枯れ葉剤を米軍は散布。その中に少なくとも170キロの催奇性や発がん性を持つ猛毒のダイオキシンが含まれていたという。又、現在も2世、3世への枯れ葉剤の影響が指摘され、ベトナム全土で8,000万人超の人口の中の100万人以上の人びとが枯れ葉剤による外形的障害、遺伝疾患やがんなどの後遺障害に苦しんでいるといわれているという。
このような被害に対して、戦後30年、アメリカからの補償はなかった、日本では、ライブドアのホリエモンこと、堀江貴文のプロ野球の新規参入騒動などにメディアの関心が集中してしまっている中、ついに被害者たちは、2004(平成16)年1月、ニューヨークの連邦地裁に枯れ葉剤製造会社を相手に集団訴訟を起こした。しかし、2005(平成17)年3月の第1審は訴訟は棄却された。ベトナムでの枯れ葉剤の使用が、 戦争終結直前の時点では国際法などに反しないと指摘。また、 原告側が奇形などの症状と枯れ葉剤の因果関係を証明できていない として、訴えを退けた。
製造元化学会社は、猛毒性を知りながら、ひたすら自社の利益のために口をつぐみ、虚偽を押し通している。被害はベトナム人のみならず、アメリカおよび同盟国の韓国の兵士などや、その家族にも現れていた。棄却判決について、ベトナム外務省報道官は11日、「国民は判決を極めて不服としている」と述べ、12日付の国営各紙も一斉に判決を批判。英字紙ベトナム・ニューズは、枯れ葉剤の後遺症を訴える米退役軍人が起こした集団訴訟で1984(昭和59)年、製薬会社側が1億8000万ドルを支払うことで和解したことを挙げ、不公平感を表明した。しかし、政府は1995(平成 7)年に米国と国交正常化した後、 基本的には米国と良好な関係を維持し、枯れ葉剤被害に ついても米政府に賠償を求めていないという。
そのようなアメリカの最悪の化学兵器オレンジ剤で知られる「枯葉剤の製造に日本の企業が加担していた疑惑が35年の時を経て再び浮かび上がってきた」・・・という衝撃的な指摘が、以下参考に記載の「ヤパーナ社会フォーラム・地球の環境を守るために」の中にある原田和明氏の「学兵器ダイオキシン 」に関する一連の講演レポートにある。
「枯葉剤の原料は日本で作られていた 」
http://japana.org/environment/kazuaki/chemical_weapon_dioxin_1.html
原田和明氏と言えば三和総合研究所(現UFJ総合研究所) 設立者として知られているが、以前にはテレビのNHK「<日曜討論」や「視点論点」などで当時の経済解説をしていたのをよく見たことがある。
私などには、その指摘が正しいのかどうかを判断できるだけの材料もなければ、判断能力もないので、皆さんも内容はの詳細は、同レポートをお読みいただき、それぞれに判断していただきたい。
ただ、「世界の環境ホットニュース[GEN] 659号・枯葉剤機密カルテル・第72回(最終回) 枯葉作戦と日米同盟(2008年01月21日)では、”枯葉剤国際カルテルでは、さらに枯葉剤製造企業が特定できないようにするために、中間原料製造と製品化の分業体制がとられた上、最終製品は第三国を経由してベトナムに送るという手の込んだ方法がとられていました。しかもベトナムの前線基地で、枯葉剤の2つの成分である 24Dと 245Tを等量づつ混合して使用することで、たとえ枯葉剤製造システムが従業員の内部告発などで露見しても、製造企業は「除草剤であって 枯葉剤(化学 兵器)そのものではない。」と言い逃れができるような工夫までされていました。楢崎弥之助(当時・社会党)が「枯葉剤 国産化 疑惑」を国会で追及したときに、三井東圧化学の副社長・平山威は 記者会見で、この幾重にも 張られた迷路を利用して逃げ切ったのです。”・・・とある。何時の時代でも大きな戦争になると国と企業が共謀してやっており、真実は知らないが、指摘されているぐらいのことは十分にやるだろうと思う。
昨年このブログ「1948年の今日(12月24日 )は、 GHQが、岸信介・児玉誉士夫らA級戦犯容疑者19人を釈放した日」でも書いたように、「戦争責任は東条英機らに負わせて、あとは、戦犯追及を打ち切り、古い体制の温存をはかって、日本を"極東の「共産主義に対する防波堤」”と位置づけ、日本を米国の世界戦略に組み込むことになった。」・・・ことを書いたが、それ以降、日本は日米安保条約の下、アメリカの前線基地化しており、日本経済にしても1950年代の朝鮮戦争における戦争特需(国連軍の中心を担っていたアメリカ軍が武器の修理や弾薬の補給・製造を日本に依頼)したことから、工業生産が急速に伸び好景気となり、戦後の経済的復興に弾みがついた。当然、、ベトナム戦争がある前から日本はPCBやダイオキシンを含んだものを農業用除草剤としてもちいられていたことは最近の環境問題調査で知られているところであり、当時の状況下で、アメリカの最前線基地化している日本に、アメリカから枯葉剤の製造依頼があっても、そのようなものが戦争用に使われることを知りながら製造していたしてもなんら不思議とも思えない気がする。又、日本のマスコミにしても、第二次世界大戦がそうであったように、いざ、戦争などがあると煽ることはあっても、政府から睨まれるようなことは頬被りする。今でも、アメリカと日本との関係は少しも変っていないように思うのだが・・・。
(画像は、米軍の枯葉作戦によって死滅したベトナム・マングローブの林。1976年。アサヒクロニクル「週刊祖世紀」より)
参考:
ベトナム戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
4月30日「30年にわたるベトナム戦争が終結 した日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/8ad321e704d6ba7ea7771f53d5206c20
枯葉剤 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E8%91%89%E5%89%A4
化学業界の話題: ベトナムの枯葉剤被害者による訴訟(2007年6月)
http://knak.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_39b5.html
越枯れ葉剤被害者 集団訴訟に望み託す(中)
http://aino-vietnam.blogspot.com/2006/07/blog-post_06.html
ヤパーナ社会フォーラム・地球の環境を守るために
http://japana.org/contents/environment.html
世界の環境ホットニュース[GEN] 659号
http://archive.mag2.com/0000083496/20080121050000000.html
愛媛大学 沿岸環境科学研究センター 生態環境計測分野
http://ccserv.adm.ehime-u.ac.jp/~cmes/tanabe//02_history/history.html
三菱UFJリサーチ&コンサルティング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1UFJ%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81&%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
日曜討論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%9C%E8%A8%8E%E8%AB%96
視点論点- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%83%BB%E8%AB%96%E7%82%B9
原田和明
http://www.enjyuku.com/pe1/a_028.html
ダイオキシン
http://www.naoru.com/daioki.htm
ライブドア- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A2
朝鮮戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89