今日(5月8日)は、台湾出身の演歌歌手・テレサ・テン(麗君)の1995年の忌日
テレサ・テン(麗君)、本名: 麗筠は、1953(昭和28)年1月29日台湾に生まれた外省人。父親は中国大陸河北省、母親は山東省出身の共に外省人で、父親は元国民党軍(国府軍)の職業軍人だったそうだ。台湾において外省人とは、おもに中国大陸から台湾に移住してきた人とその子孫を指している。
英語名のテレサ(Teresa)はカトリック信徒だった彼女の洗礼名の転用で、テンは本名の姓『』の中国語音を英語表記し、ローマ字読みしたもの。
14歳の時に母国台湾でデビュー。台湾・香港をはじめ東南アジア各国で活躍しているとき、1973(昭和48)年に“日本の父”と呼ばれる香港で舟木稔(のちトーラスレコード社長)との出会いがきっかけで日本での活動を開始する。テレサが日本でデビューする少し前から、同じ台湾出身の歐陽菲菲(オーヤン・フィフィ)が1971(昭和46)年に『雨の御堂筋』で日本デビューし、同年日本レコード大賞新人賞を受賞していた。又、香港出身のアグネス・チャンも1973(昭和48)年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞するなどすでに活躍しており、テレサは中国・台湾系シンガーとして彼女たちに続く存在であった。その翌・1974(昭和49)年に彼女は、ユニバーサルミュージック(当時は「日本ポリドール」)と契約し、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」で日本での初デビューを飾るが不発。演歌路線に変えての2作目となる「空港」が大ヒット。日本レコード大賞新人賞を獲得し、テレサも彼女等に次いで華々しくデビュー。以後演歌路線を歩むようになった。
YouTube - テレサ・テン ( 麗君) - 空港 (日本での最初の曲)
http://www.youtube.com/watch?v=_8cZ9u6xniM
その後彼女は、その優しい柔らかな歌声で、日本での地盤を築き、着実に支持層を拡大していくが、彼女は、若くしてすでにアジアの大スターだったため、日本だけでの活躍は許されなかった。活動の範囲が世界各地に及んでいた当時のテレサは、国交を多く持たない台湾のパスポートでは不便なことが多いため、台湾のものではないインドネシアの偽造パスポートも所持していた。しかし、1979(昭和54)年入国の際に偽造パスポートの使用が発覚し、身柄を拘束されることとなった。事件はたちまちマスコミにかぎ付けられ、世間に報道された。
この事件に関して、彼女に特別な悪意があるわけではない。ただ、当時、台湾・香港から日本でデビューした歌手達は、母国ではあまり活躍しておらず、日本に移住していたが、彼女は、国際的に活躍してていた。しかし、当時、台湾が国際的に孤立していたため、国交を多く持たない台湾のパスポートでは入出国に煩雑な手間を要するためその手間を省くために、もうひとつ別にそんなパスポートを使っていただけのようなのだが、法律に反することであることには違いなく国外退去処分となった。その後米国で暮らし、再来日を果たすまでは、香港を活動の拠点に、アメリカ、カナダ、香港、東南アジアなどでコンサート活動を行ない世界の華僑のシンボル的存在となる。この間、彼女が歌う何日君再来」が、1980年代初頭に中国大陸で爆発的にブームとなった。この歌の内容に対する解釈には、当時の中・台間の微妙な関係の中で双方に相反する捉え方があり、また、歌っていたテレサ・テン自身の思惑などもあったようで、相当物議を醸し出した。最も、1987(昭和62)年に両政府の関係改善がおこなわれたことから以降は問題もなくなったようだが・・・。詳しくは何日君再来を参照。また、そのようなことを念頭にこの歌を聴いてみるのも良いのではないか。
YouTube - 麗君~~何日君再來(清唱)
http://www.youtube.com/watch?v=TRyXd-tiDFs
1984(昭和59)年再来日。レコード会社をトーラスレコードに移籍、日本でリリースした「つぐない」、「愛人」がそれぞれ150万枚、「時の流れに身をまかせ」が200万枚を売る大ヒットとななった。
YouTube - 麗君~~つぐない/ 偿还(日)
http://www.youtube.com/watch?v=LxbDwPq4XDs
YouTube - 麗君~~愛人(日)
http://www.youtube.com/watch?v=bheMy7-Kvsw
YouTube - 時の流れに身をまかせ(bj天 蓝)-邓丽君
http://www.youtube.com/watch?v=6tttrvUzAn4&feature=related
1984(昭和59)年から1986(昭和61)年にかけ、日本有線大賞及び全日本有線放送大賞の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。1985(昭和60)年12月には、彼女のソロコンサートとしては最後となる、最大規模の演出をこらしたNHKホールコンサートが開催されている。
テレサ・テン 1985 NHKコンサート-麗君-2 - AOL Video
http://video.aol.com/video-detail/-1985-nhk--2/3654266762
1987(昭和62)年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動を殆ど休止するようになり、1990(平成 2)年以降はパリに居住。中華人民共和国の北京における天安門事件に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持っていたようだ。その後のことは良くわからないが1995(平成 7)年5月8日タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため42歳の若さで死亡した。彼女の歌を多く作っている作曲家・三木たかしがテレサの日本でもう一度歌いたいという願いに答えて作られた新曲「泣かないで」は、ついに歌われることがなかったが、テレサが亡くなった翌年に新人歌手が歌い追悼。その後多くの人によって歌われている。
「アジアの歌姫」とも呼ばれる彼女は、北京語に加えて台湾語、広東語、日本語、英語と外国語に堪能で、山東語、マレー語、フランス語などの言葉も話せたと言われる。彼女の日本滞在期間はそう長いものではないが、日本でリリースされた曲は約260曲ほどあり、中国語でリリースした曲は1,000曲を越すという。
私など、彼女の歌を聴いていると、彼女の綺麗なそして、丁寧な日本語での歌い方には日本人の女性がなくしてしまったような女性らしさが感じられ非常に好感が持てた。又、日本の歌謡曲の良さを改めて知らされた感じがした。
今の日本の若い人達は日本の伝統的な演歌には見向きもしなくなり、若い歌手がどれだけ英語通なのかは知らないが英語交じりの歌をつくり、変な巻き舌や裏声を使って語尾もはっきりしない日本語としてはおかしな歌い方をしている。兎に角、私達の年代の者が聴くと、歌と言うより単なるリズムに合わせて腰を振っているだけで、何を語っているのかは文字で書いてもらわないと聞いているだけでは判らないものが多い。そんな中、最近、アフリカ系アメリカ人の父親と、アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフの母親のもとに生まれたジェロの「海雪」が、史上初の黒人演歌歌手として話題をさらっている。母方の祖母は日本人で、その影響から幼少の頃より演歌に親しんできたという。POP調の純粋な演歌とは言えないかもしれないが、その歌は、日本人より日本人らしい外人の演歌と言われている。
なかなかいい曲であり、今のように、日本の若者が自分の国の文化に興味を示さず、外国の真似事ばかりしてる以上、日本の演歌など日本の歌謡文化の維持も外国人に依存しなければならないのだとうか???
YouTube - ジェロ - 海雪
http://www.youtube.com/watch?v=CwTFJ-Vwbgs
参考:
テレサ・テン- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3
テレサ・テン メモリアルページ/トップページ
http://www.ne.jp/asahi/lily/teresa/teresa/
テレビ朝日|テレサ・テン物語
http://www.tv-asahi.co.jp/teresa/
テレサ・テンは永遠に
http://teresa-teng.info/
李慶慶(リィ・ヘンヘン)「泣かないで」歌詞
http://www.evesta.jp/lyric/lyrics/lyric29683.html
ジェロ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD
テレサ・テン(麗君)、本名: 麗筠は、1953(昭和28)年1月29日台湾に生まれた外省人。父親は中国大陸河北省、母親は山東省出身の共に外省人で、父親は元国民党軍(国府軍)の職業軍人だったそうだ。台湾において外省人とは、おもに中国大陸から台湾に移住してきた人とその子孫を指している。
英語名のテレサ(Teresa)はカトリック信徒だった彼女の洗礼名の転用で、テンは本名の姓『』の中国語音を英語表記し、ローマ字読みしたもの。
14歳の時に母国台湾でデビュー。台湾・香港をはじめ東南アジア各国で活躍しているとき、1973(昭和48)年に“日本の父”と呼ばれる香港で舟木稔(のちトーラスレコード社長)との出会いがきっかけで日本での活動を開始する。テレサが日本でデビューする少し前から、同じ台湾出身の歐陽菲菲(オーヤン・フィフィ)が1971(昭和46)年に『雨の御堂筋』で日本デビューし、同年日本レコード大賞新人賞を受賞していた。又、香港出身のアグネス・チャンも1973(昭和48)年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞するなどすでに活躍しており、テレサは中国・台湾系シンガーとして彼女たちに続く存在であった。その翌・1974(昭和49)年に彼女は、ユニバーサルミュージック(当時は「日本ポリドール」)と契約し、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」で日本での初デビューを飾るが不発。演歌路線に変えての2作目となる「空港」が大ヒット。日本レコード大賞新人賞を獲得し、テレサも彼女等に次いで華々しくデビュー。以後演歌路線を歩むようになった。
YouTube - テレサ・テン ( 麗君) - 空港 (日本での最初の曲)
http://www.youtube.com/watch?v=_8cZ9u6xniM
その後彼女は、その優しい柔らかな歌声で、日本での地盤を築き、着実に支持層を拡大していくが、彼女は、若くしてすでにアジアの大スターだったため、日本だけでの活躍は許されなかった。活動の範囲が世界各地に及んでいた当時のテレサは、国交を多く持たない台湾のパスポートでは不便なことが多いため、台湾のものではないインドネシアの偽造パスポートも所持していた。しかし、1979(昭和54)年入国の際に偽造パスポートの使用が発覚し、身柄を拘束されることとなった。事件はたちまちマスコミにかぎ付けられ、世間に報道された。
この事件に関して、彼女に特別な悪意があるわけではない。ただ、当時、台湾・香港から日本でデビューした歌手達は、母国ではあまり活躍しておらず、日本に移住していたが、彼女は、国際的に活躍してていた。しかし、当時、台湾が国際的に孤立していたため、国交を多く持たない台湾のパスポートでは入出国に煩雑な手間を要するためその手間を省くために、もうひとつ別にそんなパスポートを使っていただけのようなのだが、法律に反することであることには違いなく国外退去処分となった。その後米国で暮らし、再来日を果たすまでは、香港を活動の拠点に、アメリカ、カナダ、香港、東南アジアなどでコンサート活動を行ない世界の華僑のシンボル的存在となる。この間、彼女が歌う何日君再来」が、1980年代初頭に中国大陸で爆発的にブームとなった。この歌の内容に対する解釈には、当時の中・台間の微妙な関係の中で双方に相反する捉え方があり、また、歌っていたテレサ・テン自身の思惑などもあったようで、相当物議を醸し出した。最も、1987(昭和62)年に両政府の関係改善がおこなわれたことから以降は問題もなくなったようだが・・・。詳しくは何日君再来を参照。また、そのようなことを念頭にこの歌を聴いてみるのも良いのではないか。
YouTube - 麗君~~何日君再來(清唱)
http://www.youtube.com/watch?v=TRyXd-tiDFs
1984(昭和59)年再来日。レコード会社をトーラスレコードに移籍、日本でリリースした「つぐない」、「愛人」がそれぞれ150万枚、「時の流れに身をまかせ」が200万枚を売る大ヒットとななった。
YouTube - 麗君~~つぐない/ 偿还(日)
http://www.youtube.com/watch?v=LxbDwPq4XDs
YouTube - 麗君~~愛人(日)
http://www.youtube.com/watch?v=bheMy7-Kvsw
YouTube - 時の流れに身をまかせ(bj天 蓝)-邓丽君
http://www.youtube.com/watch?v=6tttrvUzAn4&feature=related
1984(昭和59)年から1986(昭和61)年にかけ、日本有線大賞及び全日本有線放送大賞の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。1985(昭和60)年12月には、彼女のソロコンサートとしては最後となる、最大規模の演出をこらしたNHKホールコンサートが開催されている。
テレサ・テン 1985 NHKコンサート-麗君-2 - AOL Video
http://video.aol.com/video-detail/-1985-nhk--2/3654266762
1987(昭和62)年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動を殆ど休止するようになり、1990(平成 2)年以降はパリに居住。中華人民共和国の北京における天安門事件に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持っていたようだ。その後のことは良くわからないが1995(平成 7)年5月8日タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため42歳の若さで死亡した。彼女の歌を多く作っている作曲家・三木たかしがテレサの日本でもう一度歌いたいという願いに答えて作られた新曲「泣かないで」は、ついに歌われることがなかったが、テレサが亡くなった翌年に新人歌手が歌い追悼。その後多くの人によって歌われている。
「アジアの歌姫」とも呼ばれる彼女は、北京語に加えて台湾語、広東語、日本語、英語と外国語に堪能で、山東語、マレー語、フランス語などの言葉も話せたと言われる。彼女の日本滞在期間はそう長いものではないが、日本でリリースされた曲は約260曲ほどあり、中国語でリリースした曲は1,000曲を越すという。
私など、彼女の歌を聴いていると、彼女の綺麗なそして、丁寧な日本語での歌い方には日本人の女性がなくしてしまったような女性らしさが感じられ非常に好感が持てた。又、日本の歌謡曲の良さを改めて知らされた感じがした。
今の日本の若い人達は日本の伝統的な演歌には見向きもしなくなり、若い歌手がどれだけ英語通なのかは知らないが英語交じりの歌をつくり、変な巻き舌や裏声を使って語尾もはっきりしない日本語としてはおかしな歌い方をしている。兎に角、私達の年代の者が聴くと、歌と言うより単なるリズムに合わせて腰を振っているだけで、何を語っているのかは文字で書いてもらわないと聞いているだけでは判らないものが多い。そんな中、最近、アフリカ系アメリカ人の父親と、アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフの母親のもとに生まれたジェロの「海雪」が、史上初の黒人演歌歌手として話題をさらっている。母方の祖母は日本人で、その影響から幼少の頃より演歌に親しんできたという。POP調の純粋な演歌とは言えないかもしれないが、その歌は、日本人より日本人らしい外人の演歌と言われている。
なかなかいい曲であり、今のように、日本の若者が自分の国の文化に興味を示さず、外国の真似事ばかりしてる以上、日本の演歌など日本の歌謡文化の維持も外国人に依存しなければならないのだとうか???
YouTube - ジェロ - 海雪
http://www.youtube.com/watch?v=CwTFJ-Vwbgs
参考:
テレサ・テン- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3
テレサ・テン メモリアルページ/トップページ
http://www.ne.jp/asahi/lily/teresa/teresa/
テレビ朝日|テレサ・テン物語
http://www.tv-asahi.co.jp/teresa/
テレサ・テンは永遠に
http://teresa-teng.info/
李慶慶(リィ・ヘンヘン)「泣かないで」歌詞
http://www.evesta.jp/lyric/lyrics/lyric29683.html
ジェロ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD