今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

内視鏡の日

2010-07-14 | 記念日
日本記念日協会の今日・7月14日の記念日に「内視鏡の日」があった。
記念日の由来をみると、”内視鏡は1950(昭和25) 年に日本で、世界で初めて胃カメラによる胃内撮影に成功して以来、医学の各分野で高く評価され、診断、治療に役立てられてきた。その内視鏡医学のさらなる発展と普及を願い、財団法人「内視鏡医学研究振興財団」が制定したもので、日付は7と14で「内視(ないし)」と読む語呂合わせから。 ”・・だそうである。
私など現役時代勤めていた会社では、ある年代に達すると定期健康診断以外に人間ドックでの検診も受けることになっっていたが、人間ドックなどで一番嫌なものが胃の検査であった。
の検査の代表的検査と言えば、バリウム検査(正式には上部消化管X線検査。胃透視検査とも)と胃カメラ検査(正式には上部消化管内視鏡) である。バリウム検査では、レントゲン(X線撮影)の造影剤として飲まされるバリウムが非常に飲み辛いものであったが、これを飲む前に、発砲剤(炭酸ガスを発する顆粒剤)を飲んで胃を膨らんだ状態にさせられ、ゲップが出そうになるのを我慢しているのに、検査の時に、お腹をグングン機械で押さえつけられるので大変だった。そして、検査後は、便秘にならないよう下剤及び水分をどんどんとり、胃に良くないのは分かっていても冷えた牛乳まで飲んで、無理矢理に下痢常態にして、バリウムを排泄しておかないと胃の中でバリウムが固まってしまう。だから、胃の検査をした日は1日中お腹の調子が悪かった。
胃カメラ検査の場合は、のどにゼリー状の局所麻酔薬を塗って、内視鏡を口から胃の中に入れて、先端についている超小型のカメラで胃の中の様子を直接モニター画面に映し出して観察するものだが、私らが現役時代に検査してもらっていたときよりは、今のものはより小型になり楽にはなっているのだろうが、私の時代では結構大き目の胃カメラを長い間口から胃の中に入れていると、ゲップどころか嘔吐しそうになるのを我慢するのは苦痛であった。
X線検査には、胃全体の情報が得られることや、下手な内視鏡検査よりもしっかりしたX線検査の方が情報量が多い場合もあるなどの長所があるようだが、診断機器としてのX線検査に比べて内視鏡検査の優れている点としては、第1に色の観察ができ、比較的小さな変化まで診断することが可能。第2には、胃カメラはその場で組織をとって調べることが可能。第3に、被爆がないといった利点があるようだ(詳しくは、以下参考の※1:「読み物(島根県環境保険公社)」の◆上部消化管内視鏡検査参照)。
胃部の検査において、X線検査と内視鏡検査のどちらが良いかについては、レントゲン検査で異常が見つかった場合その後で、内視鏡検査をしなければならなくなるので、それなら、何も両方の検査をやらなくても最初から内視鏡検査をした方が手っ取り早いと考え、レントゲン検査を受けずに内視鏡検査だけをしておけばよいのと思っている人が多いのではないだろうか。確かに、内視鏡検査の特徴として、この検査では検査時に疑いのあるポリープなどが見つかった場合など即その組織をとって、調べることが出来る特徴があるが、レントゲン検査には内視鏡では発見できないものを発見できる特徴も備えているようなので、双方それぞれ一長一短があることから、本来は、両方の検査を受ける方が良いのだろう。しかし、一般の簡易な人間ドックの検査などでは費用などの面から、どちらか1つを選択して受ける場合が多いと思うが、その際は、交互に、受けるのが良いようだ。私も、レントゲン検査でポリープが発見され、再検査のため別の病院で内視鏡検査をしてもらい、ポリープの細胞をとって検査してもらった結果悪性でないことがわかったが、その時、医者からそのような話を聞き、その時以降1年おきに交互に受けることにしていた。
内視鏡の歴史は古く、身体の内部を直接観察して診療に役立てようという試みは、古代ギリシア・ローマ時代にさかのぼるといわれているそうだが、このような専門外の医療器具のことなど私は詳しくないので、以下参考の※2:「オリンパス :内視鏡の歴史」や※3:「胃カメラの開発 - 平成医新」など参考に書くと、紀元一世紀の火山の噴火により壊滅したポンペイの遺跡から内視鏡の原型とみられる医療器具が発掘されているという。そんな古い時代にどのようなものを使っていたのか興味のわくところだが、写真等がないのでよく判らない。
現在の内視鏡の原型と言える「管を通して生体内を観察する」機能を有する最初の器具は、1805年に、ドイツ人医師・ボッチニー が製作した Lichtleiter (導光器)と言う器具で、尿道や直腸、咽頭の観察を行った。さらに、1853年に、フランスのデソルモが、尿道や膀胱を観察する特殊な器具(膀胱鏡)を製作し、この器具に初めて内視鏡(endoscope)という名称がつけられたそうだ。様々な試みを経て、初めて生きている人間の胃のなかを、長さ47cm、直径13mmの金属管を使用して、のぞき見たのはドイツの医師アドルフ・クスマウルだそうで、1868年、つまり、日本の明治元年のことであったという。とはいっても、その時代には現在の内視鏡のようなファイバー(fiber。繊維。糸状のもの)などはなく、まっすぐの硬性胃鏡を、中国の呑剣士(剣を呑みこむ大道芸人)にまっすぐ飲み込んでもらい観察したのだという。胃内は当然真っ暗で、現在なら内視鏡の先から照明で照らせばいいのだが、その時は、ろうそくの火でなんとか胃内を明るく見たという。その後、1879年、トーマス・エジソンによって電球が発明されその小型化が進むと、やがて電球が内視鏡に使用されるようになる。そして、1932(昭和7)年、ドイツの医師シンドラー(Schindler)は、直径11ミリ、長さ75センチの管で、先端に近い1/3の部分がある程度曲がり、管の内部に多数のレンズを配して、先端の豆電球の照明で、胃の内部を見ることが出来るようにした。これが、最初の検査時に曲がったままでも観察できるようにした軟性胃鏡といわれているようだ。
今や胃カメラは胃潰瘍胃癌(ガン)などの診断に欠くことのできない医療機器となっているが、胃カメラを発明したのが日本人であるということは、このブログを書く為いろいろで調べるまでは知らなかった。
1898(明治31)年、ドイツのランゲとメルチングにより初めて胃カメラの開発が試みられたが、実用化は不可能であった。その後、胃カメラの開発は、戦前・戦中を通して世界各国の研究者によって試みられたが、いずれも実用化には至っていなかった。
1949(昭和24)年、東大付属病院小石川分院(以下参考の※4参照)の若き医師・宇治達郎(当時29才)から、「患者の胃のなかを写して見るカメラをつくってほしい」という難題が高千穂光学工業(オリンパス光学工業⇒現:オリンパス)に持ち込まれた。これがその後の「胃カメラ」の開発の始まりで、極小レンズの製作、強い光源の検討、本体軟性管の材質探し、最適なフィルムの入手や水漏れ対策の追及などすべてが試行錯誤を繰り返した末、その翌・1950(昭和25)年、宇治達郎と、オリンパスの杉浦睦夫(32才)、深海正治(29歳)によって、完全国産の胃カメラ「ガストロカメラGT-I」を世界で初めて完成させた。それは、きわめて小さなカメラ本体及び光源(超小型電球)を軟性管の先端に取り付けたものであり、接眼レンズがないため、腹壁を通して見えるランプの光の位置を参考に胃内各部を撮影。フラッシュの方向、操作部の目盛りを指標とした半盲目的撮影であったため、フィルムを現像してはじめて胃の内部を読影できるというものであったらしい。同年に3人を発明者として「腹腔内臓器撮影用写真機(ガストロカメラ)」の名で特許が出願されている。
医学用語では英語で胃のことをガストロ(Gastro) と呼ぶそうで、語呂もよくわかりやすいという理由から「ガストロ・カメラ(Gastro-camera)」、通称「胃カメラ」と命名したそうだ。(以下参考の※2:又※5など参照)
彼らの胃カメラの発明は、胃ガンの早期発見に大きな貢献をもたらした。そして、1960年代に入るとファイバースコープが、その後は、先端に小さな超音波(エコー)が装着されている超音波内視鏡が、誕生し、医師は消化管の中を直接リアルタイムに見ながらより精密な検査ができるようになった。このように、今日の内視鏡診断の確立に極めて大きな役割を果たし、日本が内視鏡先進国となったのも、若い杉浦らの先進的な発想と努力によるものと言えるようだ。しかし、X線を発見し、X線写真診断などで科学技術の進展に貢献したドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンの存在が、広く知られているわりには、レントゲン撮影では不可能な胃潰瘍や胃ガンの早期発見を可能とし、医療診断に一大革命をもたらした胃カメラの発明者の彼らの名が余り知られていないのはちょっと気の毒な気がする。彼らの胃カメラ開発の経緯は、1981(昭和56)年に吉村昭が小説『光る壁画』として発表しており、1980(昭和55)年に読売新聞の朝刊に連載されたというが、正直私なども、読売新聞はとっていないし、吉村の小説も『戦艦武蔵』(文藝春秋)などは、好みの分野の小説なので読んでいるが、『光る壁画』のことは知らなかった。
日本人は欧米人に比べ胃癌の発生頻度の高いことで知られている。1950(昭和25)年頃までは、で死亡する約半数が胃癌による死亡であり、さらにこの当時、胃癌の死亡率は90%以上であったという。日本の国民的疾患であったこの胃癌による死亡は、1950(昭和25)年以降ゆるやかに減少し、1998(平成10)年には癌死亡の第1位(男性だけでは1993年に第1位)を肺癌にゆずるまでに減少した。しかし、胃癌による死亡者数が減少したのは、日本人の胃癌の発生が減少したからではなく、胃癌の早期発見が可能になり、早期治療が行われるようになったからである(以下参考の※6:「大阪がん予防検診センター「がん」について」参照)。
統計でみると日本人の胃癌死亡率は減少しているが、胃癌になる人の数(り患数)は、人口高齢化の影響で非常に増えているという。私も、現役を退いてからは、人間ドックでの検査はしていないが、一度した方がよいかな~。 最新のものは2000年に登場したカプセル型内視鏡で、内服薬のように口から飲み込む方法で、簡単に検査できるらしい。兎に角、癌は早期発見・早期治療をすれば治せるものらしいので、苦しんで死なないようドックでの検診を検討しなければいけないのだろうね~。
(冒頭の画像:ヤフーオークションに出品されていた、昭和56年5月、新潮社創刊の『光る壁画』初版物)
参考:
※1:読み物(島根県環境保険公社)
http://www.kanhokou.or.jp/yomimono/yomimono.htm
※2:オリンパス :内視鏡の歴史
http://www.onaka-kenko.com/endoscope-closeup/endoscope-history/
※3:胃カメラの開発 - 平成医新
http://blog.goo.ne.jp/cool-susan/e/14ac3a5007d4b0daf3b6094978ad3c1f
※4:東京大学病院分院(文京区目白台3-28)今年夏解体、再開発。
http://www.tansei.net/kindai/todai/main.htm
※5:日本人のオリジナリティ探訪:胃袋の闇に光を当てた光学技師 「胃カメラ」の発明 杉浦睦夫
http://sme.fujitsu.com/tips/japanesespirits/20081001/
※6:大阪がん予防検診センター「がん」について
http://www.gan-osaka.or.jp/gannituite/gantop.html
超音波内視鏡(EUS)
http://hattori-clinic.com/eus.htm
機械遺産:オリンパス「ガストロカメラGT-I」
http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_019.html
e-CLINICIAN
http://www.e-clinician.net/vol46/no484/pdf/endoscope_484.pdf
内視鏡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A6%96%E9%8F%A1
内視鏡医学研究振興財団
http://www.endo-jfe.or.jp/
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
胃 癌 の 現 況 [PDF](2005年3月号)
http://www.in-ava.com/Ishi44_1_1_5.pdf
OLIMPUS TECHNO ZONE
http://www.olympus.co.jp/jp/magazine/techzone/vol46/index.cfm