「ゲゲゲの鬼太郎」は、幽霊族の少年鬼太郎を主人公とする水木しげる(本名:武良 茂=むら しげる)の代表作ともいえる漫画『ゲゲゲの鬼太郎 』(旧題:『墓場の鬼太郎』)を原作とする妖怪アニメ作品である。
人間界の常識では解決できないような不思議な事件が起こった時、妖怪ポストに助けを求める手紙を入れると、謎の少年・鬼太郎が現れて全てを解決してくれる。事件の大半は妖怪たちが引き起こしたものだがその背景には、自分たちの利益のため、ひっそりと棲んでいた妖怪の世界へと踏み込んで、自然を荒らした人間たちの姿があった…。鬼太郎と妖怪の戦いを描きながらも、現代社会の抱える諸問題、世相を盛り込んだストーリーは、大人が読んで楽しめる漫画である。
1968(昭和43)年1月より東映動画がフジテレビ系で「ゲゲゲの鬼太郎 」アニメ第1シリーズの放送を開始したが、このシリーズはモノクロであった。好評を博し、全65話が放送された(1968年1月3日~1969年3月30日)。
そして、カラーアニメ作品として製作(第2シリーズ)され放送開始されたのが1971(昭和46)年の今日・10月7日からであった。この時より猫娘がレギュラーに加わっている。第1シリーズの続編として製作されたため、原作ストックは早々に底を突き、後半は水木の他作品を鬼太郎エピソードに脚色して使用することで乗り切ったという。
私は特別の漫画、特に水木ファンと言うほどでもないので、水木の漫画本やテレビなどもつまみ食い程度にしか見ていないので、詳しいことはよく知らないが、そのためか、このカラーアニメ作品は後半では児童向けらしからぬ非常に怖いストーリー展開や、社会性のある重厚なエピソードも誕生したようだ。尚、幼少時代の水木しげるは自分の名前(しげる)を正確に発声できず「げげる」と言っていたため、「ゲゲ」があだ名となったようで、そのあだ名が『ゲゲゲの鬼太郎』のタイトルとなったようである。
今日このブログで、「ゲゲゲの鬼太郎」のことについて書いてみようと思ったのは、水木の妖怪漫画は子供だけでなく大人が見ても面白いと思うし、大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階)で、2004(平成16)年8月(4日~16日)に「大(Oh!)水木しげる展」が開催されていたのを観に行き、会場で、東海道五十三次に因んだ「妖怪道五十三次」の絵はがきセットを販売していたので購入。私のコレクション絵はがきの中の1つとして大事に保管している。
又、水木しげるの妻・武良布枝(むら ぬのえ)が著した自伝『ゲゲゲの女房』(2008年)を原案として放送された同名の「NHK連続テレビ小説」が、3月29日(月)~9月25日(土)まで放送されていた。このドラマは人生の同伴者である妻の目からみた水木像が描かれている。テレビドラマで水木しげる(ドラマ上は村井茂)の妻布美枝役を演じていた松下奈緒は、私の地元・兵庫県の川西市出身で、ファッションモデル、ピアニスト、作曲家、歌手でもある。本職がファッションモデルと言うだけあって長身で身長は174 cmあるという。
テレビドラマ上の水木の妻は、顔の長い大女として描かれているので彼女はそのような役にはぴったりであるが、ドラマが終わった後、番組名は忘れたがどこかのテレビで水木夫婦をインタビューしていたのを見たが、実際の布枝さんはテレビドラマに描かれている時代の人としては少し大柄な方だったかも知らないが、そんなに大きな人とは感じなかった。少し面長ではあるが非常に品の良い理性的な女性であった。
このドラマは戦後15年ほど経った1960年代を中心とする昭和の時代。まだこれから先の世の中がどのように発展して行くか判らなかったが、それでも確実に成長していた時代、しかし、貸本マンガ業界はすでに斜陽であり、本が売れなくて喰うものも食えない貧乏ではあったが、それでも、諦めずに、明るく漫画一筋に生活をしてゆく水木やその妻、つまり、夫婦や家族の人情味あふれるやり取りを描いたものであった。
今の荒んだ時代から振り返ってみれば非常に懐かしい良き時代、いわゆる昭和レトロ、つまり昭和30年代のドラマであった。思い起こせば、この頃を境にして、日本の世の中がそれまでの古い時代から新しい日本、現代へと転換を始めた時期と言えるだろう。
金・金・金の今の世の中、3K(キツイ、汚い、危険)を嫌い、どれだけ仕事に熱中しているのかは知らないが不平不満ばかり言っている人が多い。このドラマでは、作品が売れない中、それでもただひたすらにマンガを描き続ける水木の姿、又、貧乏のどん底の生活の中でも嫁入りに持ってきた大切な着物なども質に入れながら何の不平不満も言わずに明るく振舞い、マンガに打ち込んでいる夫を支え、子供たちを育てている妻の姿は、実に微笑ましく、見ていてすがすがしかった。
しかし、かっての日本では、殆どの家庭の主婦がこのようであったのだが、現代の家庭の状況などを見ていると、時の経過と共にこんなにも家庭のあり方が違ってきたのだな~と感慨深かった。
この時代でもまだまだ日本人は誰もが、必死に働いて生きていた。しかし、同じ貧乏でも終戦直後の悲惨な状況ではなく、日本の経済が発展していた時期であり、じめじめとした暗さはなく明るい家庭を描いたのがこのドラマ成功の一因でもあるように思う。最近は、NHKの朝ドラも、余り芸のない今名前だけ知られているような若手のタレントを使ったものなどが多く、面白いと思ったものも少なくなり、観ることも少なくなったが、このドラマは、水木役の向井理(むかい おさむ)、妻役の松下奈緒が好演し、他の役者も味のある演技派が配され見ごたえがあり、きっちりと最後まで観た。
テレビの視聴率は、当初、余り良くなかったようだが、その後右肩上がりに推移し、最終回には番組最高の23.6%を記録したという(詳細はWikipediaの#各週のサブタイトル・#視聴率参照)。
鳥取県境港市生まれの水木は幼少のころより好奇心が旺盛で、近所に住む老婆(「のんのんばあ」と呼ばれていたらしい。)から不思議な話を多く聞き、妖怪や精霊に興味をもつようになったという(『のんのんばあとオレ参照)。
画家への道を夢見ていた青年時代、太平洋戦争に召集されラバウルでマラリアを発症、その上、爆撃で片腕を失うが、九死に一生を得て、1946(昭和21)年に復員後、片腕の本格的な治療を受けながら、故郷で養生した後、1948(昭和23)年武蔵野美術学校に入学。輪タク(以下参考の※1参照)業を営むが失敗し同大学は中退する羽目になったようだ。その後、1950(昭和25)年には、私の地元である神戸市兵庫区水木通りで「水木荘」というアパートの経営をしていたいう。
このアパートの住人に紙芝居作家がいたことから翌年には紙芝居画家となる。後のペンネームの「水木」は、このときのアパート「水木荘」に住んでいたことから「水木さん」と呼ばれていたことからつけられたそうだ。
この頃すでに、『墓場の鬼太郎』『河童の三平』を描いているそうだが、紙芝居は使い捨てで「後世に残す」という部類のものではなかったため、水木の紙芝居作品は現存していないようだ。
その後、昭和30年代になるとテレビの普及等で紙芝居が廃れたことからアパートを整理して上京し、貸本漫画家に転身。各地を転々としていたが、東京・調布市に家を買い、現在もその地に住んでいるようだ。先述のテレビの水木夫妻へのインタビューに訪問していたのはこの調布市に有る屋敷であった。
「ゲゲゲの女房」のテレビドラマは、昭和14年。飯田布美枝(水木の妻・布美枝の幼少時の役名。旧制の本名は、飯塚布枝)が7歳のころから始まり、第3週(第13回〜第18回)に入ると、昭和35年の秋。布美枝と、東京に住む貸本漫画家の村井茂(水木しげる)との見合い話が持ち上がったところから始まる。ここからの夫婦の東京での生活などはほぼ、2人の実生活に近いようなので、テレビを見られた方などはお分かりと思うので書くのを省略する。この11月20日より映画としても全国公開されるようなので、テレビドラマを観ていない人などは映画を見られると良いだろう。テレビでの向井、松下が良い味を出して演じていたが映画ではどうなのだろう。
水木と水木の漫画のことなど知りたければ、以下参考に記載の※2:「大川瀬萬画倶楽部─トキワ荘の漫画家の大好きな人集まれ ・水木しげる」が見て面白く詳しいよ。サブメニューの「現在・過去・未来」4~2(4から2へ順に見る)の「水木しげる~遠野物語~」にも水木と水木の漫画のことが詳しく書かれているので好きな人は見に行かれると良い。
私は前にホームページで、コレクションの水木の「妖怪道五十三次」の絵はがきセットを浮世絵の「東海道五十三次」との比較で、一時的な催事として紹介したことがあるのだが、枚数が多く、容量が大きくなり、催事終了後に全てホームページから消去してしまったが、今のホームページには容量に余裕が出来たので、再度、1枚づつ紹介していくことにしよう。
以下のYouTubeで「ゲゲゲの鬼太郎 」アニメ第1シリーズオープニングが見れる。そういえば、「ゲゲゲの鬼太郎 」の歌詞も水木の作詞だったんだね~。いずみたくの作曲によるものだがなかなか良い曲だよ。
YouTube-ゲゲゲの鬼太郎オープニング '60s
http://www.youtube.com/watch?v=At2FdwQd4rI
(画像は、大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階)で、2004(平成16)年8月(4日~16日)に開催された「大(Oh!)水木しげる展」のチラシ。)
参考:
※1:輪タク- Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BC%AA%E3%82%BF%E3%82%AF/
※2:大川瀬萬画倶楽部─トキワ荘の漫画家の大好きな人集まれ ・水木しげる
http://blogs.yahoo.co.jp/okawasemc/folder/616797.html?m=lc&p=1
水木しげるの妖怪ワールド
http://www.japro.com/mizuki/
ゲゲゲの女房 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」
http://www9.nhk.or.jp/gegege/index.html
劇場情報|映画『ゲゲゲの女房』公式サイト
http://www.gegege-eiga.com/theaters.html
NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』最終回視聴率は23.6%
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000005-oric-ent
ゲゲゲの鬼太郎 歌詞
http://www.fukuchan.ac/music/anime/gegegenokitarou.html
人間界の常識では解決できないような不思議な事件が起こった時、妖怪ポストに助けを求める手紙を入れると、謎の少年・鬼太郎が現れて全てを解決してくれる。事件の大半は妖怪たちが引き起こしたものだがその背景には、自分たちの利益のため、ひっそりと棲んでいた妖怪の世界へと踏み込んで、自然を荒らした人間たちの姿があった…。鬼太郎と妖怪の戦いを描きながらも、現代社会の抱える諸問題、世相を盛り込んだストーリーは、大人が読んで楽しめる漫画である。
1968(昭和43)年1月より東映動画がフジテレビ系で「ゲゲゲの鬼太郎 」アニメ第1シリーズの放送を開始したが、このシリーズはモノクロであった。好評を博し、全65話が放送された(1968年1月3日~1969年3月30日)。
そして、カラーアニメ作品として製作(第2シリーズ)され放送開始されたのが1971(昭和46)年の今日・10月7日からであった。この時より猫娘がレギュラーに加わっている。第1シリーズの続編として製作されたため、原作ストックは早々に底を突き、後半は水木の他作品を鬼太郎エピソードに脚色して使用することで乗り切ったという。
私は特別の漫画、特に水木ファンと言うほどでもないので、水木の漫画本やテレビなどもつまみ食い程度にしか見ていないので、詳しいことはよく知らないが、そのためか、このカラーアニメ作品は後半では児童向けらしからぬ非常に怖いストーリー展開や、社会性のある重厚なエピソードも誕生したようだ。尚、幼少時代の水木しげるは自分の名前(しげる)を正確に発声できず「げげる」と言っていたため、「ゲゲ」があだ名となったようで、そのあだ名が『ゲゲゲの鬼太郎』のタイトルとなったようである。
今日このブログで、「ゲゲゲの鬼太郎」のことについて書いてみようと思ったのは、水木の妖怪漫画は子供だけでなく大人が見ても面白いと思うし、大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階)で、2004(平成16)年8月(4日~16日)に「大(Oh!)水木しげる展」が開催されていたのを観に行き、会場で、東海道五十三次に因んだ「妖怪道五十三次」の絵はがきセットを販売していたので購入。私のコレクション絵はがきの中の1つとして大事に保管している。
又、水木しげるの妻・武良布枝(むら ぬのえ)が著した自伝『ゲゲゲの女房』(2008年)を原案として放送された同名の「NHK連続テレビ小説」が、3月29日(月)~9月25日(土)まで放送されていた。このドラマは人生の同伴者である妻の目からみた水木像が描かれている。テレビドラマで水木しげる(ドラマ上は村井茂)の妻布美枝役を演じていた松下奈緒は、私の地元・兵庫県の川西市出身で、ファッションモデル、ピアニスト、作曲家、歌手でもある。本職がファッションモデルと言うだけあって長身で身長は174 cmあるという。
テレビドラマ上の水木の妻は、顔の長い大女として描かれているので彼女はそのような役にはぴったりであるが、ドラマが終わった後、番組名は忘れたがどこかのテレビで水木夫婦をインタビューしていたのを見たが、実際の布枝さんはテレビドラマに描かれている時代の人としては少し大柄な方だったかも知らないが、そんなに大きな人とは感じなかった。少し面長ではあるが非常に品の良い理性的な女性であった。
このドラマは戦後15年ほど経った1960年代を中心とする昭和の時代。まだこれから先の世の中がどのように発展して行くか判らなかったが、それでも確実に成長していた時代、しかし、貸本マンガ業界はすでに斜陽であり、本が売れなくて喰うものも食えない貧乏ではあったが、それでも、諦めずに、明るく漫画一筋に生活をしてゆく水木やその妻、つまり、夫婦や家族の人情味あふれるやり取りを描いたものであった。
今の荒んだ時代から振り返ってみれば非常に懐かしい良き時代、いわゆる昭和レトロ、つまり昭和30年代のドラマであった。思い起こせば、この頃を境にして、日本の世の中がそれまでの古い時代から新しい日本、現代へと転換を始めた時期と言えるだろう。
金・金・金の今の世の中、3K(キツイ、汚い、危険)を嫌い、どれだけ仕事に熱中しているのかは知らないが不平不満ばかり言っている人が多い。このドラマでは、作品が売れない中、それでもただひたすらにマンガを描き続ける水木の姿、又、貧乏のどん底の生活の中でも嫁入りに持ってきた大切な着物なども質に入れながら何の不平不満も言わずに明るく振舞い、マンガに打ち込んでいる夫を支え、子供たちを育てている妻の姿は、実に微笑ましく、見ていてすがすがしかった。
しかし、かっての日本では、殆どの家庭の主婦がこのようであったのだが、現代の家庭の状況などを見ていると、時の経過と共にこんなにも家庭のあり方が違ってきたのだな~と感慨深かった。
この時代でもまだまだ日本人は誰もが、必死に働いて生きていた。しかし、同じ貧乏でも終戦直後の悲惨な状況ではなく、日本の経済が発展していた時期であり、じめじめとした暗さはなく明るい家庭を描いたのがこのドラマ成功の一因でもあるように思う。最近は、NHKの朝ドラも、余り芸のない今名前だけ知られているような若手のタレントを使ったものなどが多く、面白いと思ったものも少なくなり、観ることも少なくなったが、このドラマは、水木役の向井理(むかい おさむ)、妻役の松下奈緒が好演し、他の役者も味のある演技派が配され見ごたえがあり、きっちりと最後まで観た。
テレビの視聴率は、当初、余り良くなかったようだが、その後右肩上がりに推移し、最終回には番組最高の23.6%を記録したという(詳細はWikipediaの#各週のサブタイトル・#視聴率参照)。
鳥取県境港市生まれの水木は幼少のころより好奇心が旺盛で、近所に住む老婆(「のんのんばあ」と呼ばれていたらしい。)から不思議な話を多く聞き、妖怪や精霊に興味をもつようになったという(『のんのんばあとオレ参照)。
画家への道を夢見ていた青年時代、太平洋戦争に召集されラバウルでマラリアを発症、その上、爆撃で片腕を失うが、九死に一生を得て、1946(昭和21)年に復員後、片腕の本格的な治療を受けながら、故郷で養生した後、1948(昭和23)年武蔵野美術学校に入学。輪タク(以下参考の※1参照)業を営むが失敗し同大学は中退する羽目になったようだ。その後、1950(昭和25)年には、私の地元である神戸市兵庫区水木通りで「水木荘」というアパートの経営をしていたいう。
このアパートの住人に紙芝居作家がいたことから翌年には紙芝居画家となる。後のペンネームの「水木」は、このときのアパート「水木荘」に住んでいたことから「水木さん」と呼ばれていたことからつけられたそうだ。
この頃すでに、『墓場の鬼太郎』『河童の三平』を描いているそうだが、紙芝居は使い捨てで「後世に残す」という部類のものではなかったため、水木の紙芝居作品は現存していないようだ。
その後、昭和30年代になるとテレビの普及等で紙芝居が廃れたことからアパートを整理して上京し、貸本漫画家に転身。各地を転々としていたが、東京・調布市に家を買い、現在もその地に住んでいるようだ。先述のテレビの水木夫妻へのインタビューに訪問していたのはこの調布市に有る屋敷であった。
「ゲゲゲの女房」のテレビドラマは、昭和14年。飯田布美枝(水木の妻・布美枝の幼少時の役名。旧制の本名は、飯塚布枝)が7歳のころから始まり、第3週(第13回〜第18回)に入ると、昭和35年の秋。布美枝と、東京に住む貸本漫画家の村井茂(水木しげる)との見合い話が持ち上がったところから始まる。ここからの夫婦の東京での生活などはほぼ、2人の実生活に近いようなので、テレビを見られた方などはお分かりと思うので書くのを省略する。この11月20日より映画としても全国公開されるようなので、テレビドラマを観ていない人などは映画を見られると良いだろう。テレビでの向井、松下が良い味を出して演じていたが映画ではどうなのだろう。
水木と水木の漫画のことなど知りたければ、以下参考に記載の※2:「大川瀬萬画倶楽部─トキワ荘の漫画家の大好きな人集まれ ・水木しげる」が見て面白く詳しいよ。サブメニューの「現在・過去・未来」4~2(4から2へ順に見る)の「水木しげる~遠野物語~」にも水木と水木の漫画のことが詳しく書かれているので好きな人は見に行かれると良い。
私は前にホームページで、コレクションの水木の「妖怪道五十三次」の絵はがきセットを浮世絵の「東海道五十三次」との比較で、一時的な催事として紹介したことがあるのだが、枚数が多く、容量が大きくなり、催事終了後に全てホームページから消去してしまったが、今のホームページには容量に余裕が出来たので、再度、1枚づつ紹介していくことにしよう。
以下のYouTubeで「ゲゲゲの鬼太郎 」アニメ第1シリーズオープニングが見れる。そういえば、「ゲゲゲの鬼太郎 」の歌詞も水木の作詞だったんだね~。いずみたくの作曲によるものだがなかなか良い曲だよ。
YouTube-ゲゲゲの鬼太郎オープニング '60s
http://www.youtube.com/watch?v=At2FdwQd4rI
(画像は、大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階)で、2004(平成16)年8月(4日~16日)に開催された「大(Oh!)水木しげる展」のチラシ。)
参考:
※1:輪タク- Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BC%AA%E3%82%BF%E3%82%AF/
※2:大川瀬萬画倶楽部─トキワ荘の漫画家の大好きな人集まれ ・水木しげる
http://blogs.yahoo.co.jp/okawasemc/folder/616797.html?m=lc&p=1
水木しげるの妖怪ワールド
http://www.japro.com/mizuki/
ゲゲゲの女房 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」
http://www9.nhk.or.jp/gegege/index.html
劇場情報|映画『ゲゲゲの女房』公式サイト
http://www.gegege-eiga.com/theaters.html
NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』最終回視聴率は23.6%
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000005-oric-ent
ゲゲゲの鬼太郎 歌詞
http://www.fukuchan.ac/music/anime/gegegenokitarou.html