「育児の日」は、 社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと、神戸新聞社が制定したもので、日付は育(いく)で1、児(じ)で2をあらわすことから毎月12日としている。 以下参考の※1に記載のように、神戸新聞では当該日(毎月12日)の朝刊1面の題字下欄に「毎月12日は『育児の日』 みんなで考え みんなが支える みんなの子育て」というキャッチフレーズを掲載している。
ここで、”「育児の日」は、冒頭にも書いているように” 社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと制定された。”と書かれているが、子育てとは、子を育てることであるが、「子育て」が様々な年齢の子供の養育全般を指すのに対して、「育児」という場合、出生直後から幼児期まで(乳幼児)の養育を指す[広辞苑」)。
同じ、子育てでも、出生直後から幼児期までの「乳幼児」を育てるのと、それ以降の年代の子を育てるのとでは、子育てに関する問題も相当違ってくるだろう。
ちょっと話が横道にはずれるが、平安京時代の五条通りは現在の松原通に相当し、牛若丸と弁慶の戦いの場に出てくる「五条の橋」は今の橋よりも北、現在の松原橋付近にあった。そして、平安京は現在の寺町通が東京極京通(東の極み。東の端を意味する)で、当時そこから東は京ではなかった。言い換えれば、寺町通から清水寺までの道・松原通は平安京の外の道(他界)とされていたことは、昨年の暮12月20日にこのブログ「果ての二十日(Ⅰ・Ⅱ)」」でも書いたことだが、そんな五条通りを清水寺に向かって進み大和大路通りを渡って、轆轤町(ろくろちょう)の手前にある西福寺に来ると寺の向かい側つまり・左側(松原通大和大路東入2丁目轆轤町。Googleマップ参照)に「京名物 幽霊 子育飴」と書かれた看板を掲げた小さな駄菓子屋(みなとや幽霊子育飴本舗)があり、琥珀色をした綺麗な飴を売っている。以前は六道珍皇寺の方から松原通に出て近くにあった木村茶舗と言う店で売っていたが、今はその店は閉ざされ、販売はこちらに移動したようだ(以下参考の※2参照。そこには、2003年11月に撮った木村茶舗の写真がある)。
飴の名に「子育飴」なら分かるが、冠に「幽霊」などとつけている由来は、昔、夜な夜なこの店に飴を買いに来る女がいて、不審に思った店主がその女の後をつけていくと、墓場であった。赤子の鳴き声のするその墓を掘り返してみると女の死体と一緒に生きている赤子がおり、その赤子を助けた後は、女が飴を買いに来ることはなくなったという。そして、助かった赤子は成長の後に、高名な僧になった。いつしか誰ともなく、この飴を「幽霊子育飴」と言い始めたと言うが、言い伝えでは、この子が六道珍皇寺の僧侶になったともいわれているが、日蓮宗京都八本山の一つ、立本寺の日審上人も死して墓に埋葬された母体から生まれたという逸話がある(以下参考の※3の同寺HPの◆立本寺縁起参照)そうだが、この類の話は京都には他にも色々見られるらしい(以下参考の※4参照)。この話は、どうも、日本で古くから伝わる民話「子育て幽霊」の話から来ているようだ。そして、この民謡からきていると思われる同様の話は、私の地元兵庫県にも見られる。
摂津・丹波・播磨を眺望できる三国山の南麓(三田市永沢寺210)にある青原山・永澤寺(ようたくじ)の門前の花しょうぶ園は関西花の寺第11番札所として有名であるが、同寺は、南北朝時代に通幻寂霊(俗姓は藤原氏)という曹洞宗の僧侶によって開山されたというが、この通幻禅師にも民話と同様に、お墓から生まれ育てられた赤ん坊の後身だとする伝承がある(以下参考の※5:同寺ホームページの民話のところを参照)。
そしてこの通幻の生誕地には諸説があるようだが、京都出身とする説が多いようで、京都の臨済宗建仁寺派の高台寺が曹洞宗であった時代の5代目住職に就いた直傳龍察和尚とも深い係わり合いがあるようだ(以下参考の※6を参照)。
上方の落語家桂文の助 (2代目)の落語「高台寺」は、この民話を基につくられたというが、落語では「母親の埋葬地は高台寺の墓地で、幽霊になっても子どもを育てていた。それは場所が「コオダイジ=子大事→高台寺」だからという落ちにもなっているらしい(以下参考の※7:「ぼちぼちいこか」の中の京都落語地図にある『幽霊飴』を参照)。
西福寺を通り過ぎて轆轤町の前を通り東大路通手前頃で、六道珍皇寺の門前に出る。通称六道さんと呼ばれるこの寺は、小野篁が冥界(死後の世界)に通ったと伝わる井戸で知られている。ここに「六道の辻」の石碑が建っている。松原通(旧五条通)が轆轤町にかかるこの付近が、「六道の辻」であり、平安時代以前からこの辺り一帯から山麓(清水寺の一帯、特に南西、阿弥陀ヶ峰〔鳥部山山頂〕辺り)にかけては、「(とりべの)」といわれる葬送の地・・・であったことは、このブログ「果ての二十日(Ⅰ・Ⅱ)」」でも書いた通りである。この地には当時、身ごもった赤子を生むことも出来ないままに亡くなってしまった哀れな女性も多くいたことだろう。
この民話の「子育て幽霊」は「飴買い幽霊」とも言うようだが、この「飴を買う女」の怪談は、南宋の洪邁が編纂した『夷堅志』に載せる怪談「餅を買う女」と内容がそっくりであり、もともとは中国の怪談の翻案であったと考えられており、子育て幽霊伝説とよく似た話として、「産女(うぶめ)」という妖怪の話がある。妊娠中に亡くなった女性が、赤子を抱いて幽霊として現れる・・というもので、『今昔物語集』にも源頼光の四天王の1人である平季武(卜部季武)が肝試しの最中に川中で産女から赤子を抱くように強要され、赤子を受け取って抱けば返せと追いかけてくる・・・というくだりがある(以下参考に記載の※8:国宝・今昔物語集〔京都大学附属図書館〕の巻第二十七「頼光郎等平季武産女値語第四三」参照)ので、古くから知られていた話であり、死んでもなお子供を守ろうとする母親の愛の深さが、幽霊の薄気味悪さとともに人々の心をつかんだのであろう。この伝説は、全国各地の曹洞宗系の寺院で布教のために語られていたそうだが、他の様々な宗派の僧によっても説教として語られ全国各地に広まっていったのだろう。
随分と遠回りしたが、幼い我が子を虐待する事件が頻発している殺伐とした現代において、幽霊になっても我が子を案じて、飴を買い求めるというこの話がとても感動的であり、以前に、「育児の日」のことは、このブログで1度取り上げたにもかかわらず、又、「育児の日Part Ⅱ」としてとりあげた次第だ。その時は、当時話題を呼んでいた赤ちゃんポスト(慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」)と乳児問題を中心に取り上げた(ここを参照)。
子育ての中でも、古来、出産(分娩)は妊婦にとって命がけの行為であった。医学の発達した今日では出産のリスクはかなり軽減され、周産期死亡率は日本国内においては先進諸外国と比しても著しく低下(2004年 4.4%。ちなみに米国10%、イギリス6%、ドイツ3,7%)しているようだが、それでも妊娠高血圧症候群、前置胎盤、癒着胎盤、へその緒の巻絡、大量出血、HELLP症候群などのリスクが決してなくなっているわけではないそうだ(Wikipedia)。
しかしそうした必然的なリスクに対してまで医療者の責任を求める訴訟が相次いでおり、産科の医師の労働条件の厳しさに加え、そんな訴訟リスクの高さに見合うほど報酬が他科に比べて特に高いというわけでもないことから産科医を志す人材が減少し、一層深刻な医師不足を招く要因ともなっている。
産科医の減少に伴い顕在化した、病院出産を希望しながらも希望する地域に適当な出産施設がない、あるいは施設はあっても分娩予約が一杯で受け付けてもらえないといった出産難民が増加しているというが、「子育て」「育児」の出発点でもある「出産が出来ない」、「生みたいのに生むところがない」といった状況は、少子高齢化の現代にあって最も深刻な問題である。以下は、そのような産科医の状況を取材したものであり、時間があれば見られると良い。
YouTube産婦人科医がいなくなる日1/3 (同ページへアクセスすると2/3、3/3も見られる)
一般に、子育ては大きな喜びであり、また、子育ての成果である子供の成長ぶりを見る充実感は何にもかえがたいと感じている人も多くいて、中には子育てこそが自分の最大の生きがい、この世に生まれてきた意味なのだとまで感じている人も多くいるであろうが、最近は、「出来ちゃった婚」だとか、「バツイチ」などという言葉が流行語にさえなるほど増えている。色々な理由でそうなっているのだろうから、真に子供を欲してかどうかは別にして、出来ちゃってから結婚しても、その後の結婚生活が上手くいっており、生まれた子供にも十分な愛情を注いで育てている。又、喩え、バツイチになっても、離婚後の生活になんら支障もなく、そして、子供がいる場合、何の罪もない可愛い子供に負い目を感じさせることもなく世間並みに普通に育ててやることが出来ているのなら、このような行為そのものを肯定するか否定するかといったことは、単なる道義論に過ぎないが、その結果が逆に上手くゆかなかった場合・・・、つまり、結婚するつもりがなかったが子供が出来ちゃったので結婚はしたものの、結婚後の生活が上手く行かず、片親1人では十分な収入が得られない、又、育児に手が足りず子供に愛情が注げないといった場合(これはバツイチも同じ)・・・・生まれた子供はどのような気持ちで育ち、どのような生き方をするようになるのだろうか。特に若い女性が1人で仕事をしながら子供を生み育てるのは並大抵なことではないだろうが・・・。
今、NHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」が放送されている。尾道で生まれた主人公の村上あかりは、造船所の下請け鉄工所を営む村上家の家族の一員として幸せに明るい性格の子として育つていたが、ある日、祖母・初音が尾道を訪ねてきたことから、自分が村上家の養子だったこと、生みの母親が既にこの世にいないこと、また、実際の父親が誰かも分からないままであることを知り悩む。そんなあかりが、祖母の住む大阪にやってきて、色々有る中、祖母初音と実のおばあさんと孫の関係を築き、育ての母から受け継いだ広島の味と初音から仕込まれた大阪の味を二枚看板に、お好み焼き屋「おのみっちゃん」を開業する。
そんなあかりの店に、あかりと同様に実父が不明で、母1人に育てられた気の強いOLののぞみが、結婚も破談となり、失望し、勤めていた建設会社を退職し、居場所を失ってやって来る。のぞみに帰る家もないことを知ったあかりは、祖母の反対するなか一緒に仕事をしながら暮らし始めるが、その際にのぞみの妊娠が発覚するのだが、“子どもを本当に産むべきか”・・・と、のぞみの心が揺れ動いていることをあかりは知る。自分もシングルマザーの子であるあかりは、「自分の母も、自分を産むときに、悩んだのだろうか」と不安に襲われる。一方「他人に甘えて生きたくない」と、心を開かないのぞみと、下宿人たちとの間にはいさかいが絶えない。そんな中、2月2日の放送(第18章)では、のぞみが自分が子供を生むことについて「子供に人生を奪われたくない」・・と言ったのに対して、初音は「子育てを損得なんかでできるものではない。」、「アンタには母親になる資格はない・・」と強い口調で叱る場面があった。その言葉にあかりも自分に言われたかのように傷がつく。心配や不安が重なったあかりは、高熱を出して倒れ、それを機会に、のぞみは初音の部屋に移ることになり、のぞみは初音から、あかりが村上家の養女であることを知る。親になる自信がまだ持てないのぞみは、他人の子を家族として育てた村上家の決断に、考えさせられる。そして、下宿屋の住人の皆から応援を受け子を生む決心をする。また、偶然なことから、あかりの誰かわからなかった父親が現れることになるのだが・・・・(以下参考の※9参照)。
戦後の日本は核家族化が原因で、しつけや家庭教育にも問題が生じていることがよく論議にあげられる。2世代、3世代が大家族で暮らしていたころは、育児のノウハウもごく自然に同じ屋根の下で引き継がれていたが、近年の核家族化により家族は分断され、子育てのスキルを容易に獲得できず不安になる親の姿が見られる。そのような子育てのストレス等から、親が子供を虐待してしまうケースも多くあると聞く。
又、戦後の高度成長期に経済優先の風潮とともに学歴社会化した中で、子供の教育も、全人格的な教育や子供本人の希望や生きる喜びという観点が脱落しがちになり、物質主義的な視点から、収入に直結したり大組織に採用されやすい学歴をつけさせることにばかり関心を持つ人が増えるという事態も起きているようだ。
「子育て」ということになると、反射的に「子育てにかけるコスト」「投資」「回収」などといったビジネスライクな言葉を結びつける人も増大しているようだが、確かに、今の時代子育てにはお金がかかる。しかし、そのようなことを自分の親から感じ取った子供達は、親にどのような感情を抱き、どのような大人へと成長をしてゆくのだろうか・・・。
人は、自分の子供を育てるようになって初めて自分の親の気持ちが理解できるようになるという。また、子育てをすることによって、親も、親である以前にひとりの人間だったというこということに気づき、自分自身の人間的な成長へとつながるともいう。
急速な少子高齢化が進行している日本では、2010年現在は、3人の現役世代で1人の高齢者を支える形になっているが、2055年には1人の現役世代で1人の高齢者を支える状況となることが見込まれている(ここ参照)。
しかし、子どもを産むか産まないかは個人の自由であり、子どもを持ちたくない人もいれば、産みたくても身体的な事情などで産めない人もいる。また子どもが欲しくても、いろいろな要因で希望するだけの子どもを持てない人も沢山いるが、日本の将来を担うのは子どもたちであることには違いないだろう。
子どもを産む意志がありながら、それができない最大の理由が経済的負担であるとすれば、子育てによって家計が圧迫され、経済的な事情で子育てを諦める人があってはいけない。そのようなことから民主党が2007年に政権政党マニフェストに取り上げた「民主党3つの約束」の中の1つが「安心して子育てできる社会」づくりであった(以下参考の※10参照)。
そして政権政党となった民主党が「次代の社会を担う子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する」こと及び「子育ての経済的負担を軽減し、安心して出産し、子どもが育てられる社会をつくる」ことを政策目的とし、15歳以下の子どもの保護者に対し手当(金銭)を支給することを主な内容とする法律「子ども手当法」(平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律」平成22年3月31日法律第19号)が、2010年度から施行されているが、この支給に対する財源が見つからず、来年度からの実行が危ぶまれているのはここのところ連日マスコミで報道されているので誰もが周知の通りである。
この法律の趣旨は良く理解できるし、良いことだとは思うが、日本の少子化問題は単に金銭的な問題だけではなく、多岐にわたっており、国の財政が破綻しようとしている状況も考え、財源として当てにしていた埋蔵金もなかったとなれば、子育てのためには何が最も必要か、国民の声を十分聞いた上、余り、マニフェストにこだわらず、最も効果的な方法で実施してはどうだろうかと思うのだが・・・。
(画像は、鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「姑獲鳥〔うぶめ〕」
参考:
※1:神戸新聞 「育児の日」運動 - すきっぷ21
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/kosodate/kosodateskip_ikujinohi.html
※2:ご朱印めぐり~京都 東山~
http://homepage3.nifty.com/osanpo-cafe/KIYOMIZU.HTM
※3:西龍華・具足山 本山 立本寺HP
http://honzan.ryuhonji.nichiren-shu.jp/
※4:京に癒され:幽霊子育て飴 by 五所光一郎
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5327
※5:永澤寺
http://www.youtakuji.net/temple/index_r.html
※6:PDFライブラリ <ひょうご伝説紀行 -妖怪・自然の世界->
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend3/html/pdf/pdf-list.html
※7:ぼちぼちいこか
http://shigeru.kommy.com/index.html
※8:国宝・今昔物語集〔京都大学附属図書館〕
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/konjaku/kj_top.html
※9:連続テレビ小説「てっぱん」 - NHKオンライン
http://www9.nhk.or.jp/teppan/
※10:民主党の政権政党マニフェスト
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2007/
平成10年版厚生白書の概要〔厚生労働省〕
http://www1.mhlw.go.jp/wp/wp98/wp98p1c2.html
関西花の寺25ケ所めぐり
http://www.youtakuji.net/hananotera/index.html
米朝ばなし 上方落語地図 桂米朝/[著]
http://www.kanshin.com/keyword/963343/comment
育児 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%B2%E5%85%90
今日のことあれこれと・・・「育児の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/632a3e7009108b375e70abd7b8b5df4d
ここで、”「育児の日」は、冒頭にも書いているように” 社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと制定された。”と書かれているが、子育てとは、子を育てることであるが、「子育て」が様々な年齢の子供の養育全般を指すのに対して、「育児」という場合、出生直後から幼児期まで(乳幼児)の養育を指す[広辞苑」)。
同じ、子育てでも、出生直後から幼児期までの「乳幼児」を育てるのと、それ以降の年代の子を育てるのとでは、子育てに関する問題も相当違ってくるだろう。
ちょっと話が横道にはずれるが、平安京時代の五条通りは現在の松原通に相当し、牛若丸と弁慶の戦いの場に出てくる「五条の橋」は今の橋よりも北、現在の松原橋付近にあった。そして、平安京は現在の寺町通が東京極京通(東の極み。東の端を意味する)で、当時そこから東は京ではなかった。言い換えれば、寺町通から清水寺までの道・松原通は平安京の外の道(他界)とされていたことは、昨年の暮12月20日にこのブログ「果ての二十日(Ⅰ・Ⅱ)」」でも書いたことだが、そんな五条通りを清水寺に向かって進み大和大路通りを渡って、轆轤町(ろくろちょう)の手前にある西福寺に来ると寺の向かい側つまり・左側(松原通大和大路東入2丁目轆轤町。Googleマップ参照)に「京名物 幽霊 子育飴」と書かれた看板を掲げた小さな駄菓子屋(みなとや幽霊子育飴本舗)があり、琥珀色をした綺麗な飴を売っている。以前は六道珍皇寺の方から松原通に出て近くにあった木村茶舗と言う店で売っていたが、今はその店は閉ざされ、販売はこちらに移動したようだ(以下参考の※2参照。そこには、2003年11月に撮った木村茶舗の写真がある)。
飴の名に「子育飴」なら分かるが、冠に「幽霊」などとつけている由来は、昔、夜な夜なこの店に飴を買いに来る女がいて、不審に思った店主がその女の後をつけていくと、墓場であった。赤子の鳴き声のするその墓を掘り返してみると女の死体と一緒に生きている赤子がおり、その赤子を助けた後は、女が飴を買いに来ることはなくなったという。そして、助かった赤子は成長の後に、高名な僧になった。いつしか誰ともなく、この飴を「幽霊子育飴」と言い始めたと言うが、言い伝えでは、この子が六道珍皇寺の僧侶になったともいわれているが、日蓮宗京都八本山の一つ、立本寺の日審上人も死して墓に埋葬された母体から生まれたという逸話がある(以下参考の※3の同寺HPの◆立本寺縁起参照)そうだが、この類の話は京都には他にも色々見られるらしい(以下参考の※4参照)。この話は、どうも、日本で古くから伝わる民話「子育て幽霊」の話から来ているようだ。そして、この民謡からきていると思われる同様の話は、私の地元兵庫県にも見られる。
摂津・丹波・播磨を眺望できる三国山の南麓(三田市永沢寺210)にある青原山・永澤寺(ようたくじ)の門前の花しょうぶ園は関西花の寺第11番札所として有名であるが、同寺は、南北朝時代に通幻寂霊(俗姓は藤原氏)という曹洞宗の僧侶によって開山されたというが、この通幻禅師にも民話と同様に、お墓から生まれ育てられた赤ん坊の後身だとする伝承がある(以下参考の※5:同寺ホームページの民話のところを参照)。
そしてこの通幻の生誕地には諸説があるようだが、京都出身とする説が多いようで、京都の臨済宗建仁寺派の高台寺が曹洞宗であった時代の5代目住職に就いた直傳龍察和尚とも深い係わり合いがあるようだ(以下参考の※6を参照)。
上方の落語家桂文の助 (2代目)の落語「高台寺」は、この民話を基につくられたというが、落語では「母親の埋葬地は高台寺の墓地で、幽霊になっても子どもを育てていた。それは場所が「コオダイジ=子大事→高台寺」だからという落ちにもなっているらしい(以下参考の※7:「ぼちぼちいこか」の中の京都落語地図にある『幽霊飴』を参照)。
西福寺を通り過ぎて轆轤町の前を通り東大路通手前頃で、六道珍皇寺の門前に出る。通称六道さんと呼ばれるこの寺は、小野篁が冥界(死後の世界)に通ったと伝わる井戸で知られている。ここに「六道の辻」の石碑が建っている。松原通(旧五条通)が轆轤町にかかるこの付近が、「六道の辻」であり、平安時代以前からこの辺り一帯から山麓(清水寺の一帯、特に南西、阿弥陀ヶ峰〔鳥部山山頂〕辺り)にかけては、「(とりべの)」といわれる葬送の地・・・であったことは、このブログ「果ての二十日(Ⅰ・Ⅱ)」」でも書いた通りである。この地には当時、身ごもった赤子を生むことも出来ないままに亡くなってしまった哀れな女性も多くいたことだろう。
この民話の「子育て幽霊」は「飴買い幽霊」とも言うようだが、この「飴を買う女」の怪談は、南宋の洪邁が編纂した『夷堅志』に載せる怪談「餅を買う女」と内容がそっくりであり、もともとは中国の怪談の翻案であったと考えられており、子育て幽霊伝説とよく似た話として、「産女(うぶめ)」という妖怪の話がある。妊娠中に亡くなった女性が、赤子を抱いて幽霊として現れる・・というもので、『今昔物語集』にも源頼光の四天王の1人である平季武(卜部季武)が肝試しの最中に川中で産女から赤子を抱くように強要され、赤子を受け取って抱けば返せと追いかけてくる・・・というくだりがある(以下参考に記載の※8:国宝・今昔物語集〔京都大学附属図書館〕の巻第二十七「頼光郎等平季武産女値語第四三」参照)ので、古くから知られていた話であり、死んでもなお子供を守ろうとする母親の愛の深さが、幽霊の薄気味悪さとともに人々の心をつかんだのであろう。この伝説は、全国各地の曹洞宗系の寺院で布教のために語られていたそうだが、他の様々な宗派の僧によっても説教として語られ全国各地に広まっていったのだろう。
随分と遠回りしたが、幼い我が子を虐待する事件が頻発している殺伐とした現代において、幽霊になっても我が子を案じて、飴を買い求めるというこの話がとても感動的であり、以前に、「育児の日」のことは、このブログで1度取り上げたにもかかわらず、又、「育児の日Part Ⅱ」としてとりあげた次第だ。その時は、当時話題を呼んでいた赤ちゃんポスト(慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」)と乳児問題を中心に取り上げた(ここを参照)。
子育ての中でも、古来、出産(分娩)は妊婦にとって命がけの行為であった。医学の発達した今日では出産のリスクはかなり軽減され、周産期死亡率は日本国内においては先進諸外国と比しても著しく低下(2004年 4.4%。ちなみに米国10%、イギリス6%、ドイツ3,7%)しているようだが、それでも妊娠高血圧症候群、前置胎盤、癒着胎盤、へその緒の巻絡、大量出血、HELLP症候群などのリスクが決してなくなっているわけではないそうだ(Wikipedia)。
しかしそうした必然的なリスクに対してまで医療者の責任を求める訴訟が相次いでおり、産科の医師の労働条件の厳しさに加え、そんな訴訟リスクの高さに見合うほど報酬が他科に比べて特に高いというわけでもないことから産科医を志す人材が減少し、一層深刻な医師不足を招く要因ともなっている。
産科医の減少に伴い顕在化した、病院出産を希望しながらも希望する地域に適当な出産施設がない、あるいは施設はあっても分娩予約が一杯で受け付けてもらえないといった出産難民が増加しているというが、「子育て」「育児」の出発点でもある「出産が出来ない」、「生みたいのに生むところがない」といった状況は、少子高齢化の現代にあって最も深刻な問題である。以下は、そのような産科医の状況を取材したものであり、時間があれば見られると良い。
YouTube産婦人科医がいなくなる日1/3 (同ページへアクセスすると2/3、3/3も見られる)
一般に、子育ては大きな喜びであり、また、子育ての成果である子供の成長ぶりを見る充実感は何にもかえがたいと感じている人も多くいて、中には子育てこそが自分の最大の生きがい、この世に生まれてきた意味なのだとまで感じている人も多くいるであろうが、最近は、「出来ちゃった婚」だとか、「バツイチ」などという言葉が流行語にさえなるほど増えている。色々な理由でそうなっているのだろうから、真に子供を欲してかどうかは別にして、出来ちゃってから結婚しても、その後の結婚生活が上手くいっており、生まれた子供にも十分な愛情を注いで育てている。又、喩え、バツイチになっても、離婚後の生活になんら支障もなく、そして、子供がいる場合、何の罪もない可愛い子供に負い目を感じさせることもなく世間並みに普通に育ててやることが出来ているのなら、このような行為そのものを肯定するか否定するかといったことは、単なる道義論に過ぎないが、その結果が逆に上手くゆかなかった場合・・・、つまり、結婚するつもりがなかったが子供が出来ちゃったので結婚はしたものの、結婚後の生活が上手く行かず、片親1人では十分な収入が得られない、又、育児に手が足りず子供に愛情が注げないといった場合(これはバツイチも同じ)・・・・生まれた子供はどのような気持ちで育ち、どのような生き方をするようになるのだろうか。特に若い女性が1人で仕事をしながら子供を生み育てるのは並大抵なことではないだろうが・・・。
今、NHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」が放送されている。尾道で生まれた主人公の村上あかりは、造船所の下請け鉄工所を営む村上家の家族の一員として幸せに明るい性格の子として育つていたが、ある日、祖母・初音が尾道を訪ねてきたことから、自分が村上家の養子だったこと、生みの母親が既にこの世にいないこと、また、実際の父親が誰かも分からないままであることを知り悩む。そんなあかりが、祖母の住む大阪にやってきて、色々有る中、祖母初音と実のおばあさんと孫の関係を築き、育ての母から受け継いだ広島の味と初音から仕込まれた大阪の味を二枚看板に、お好み焼き屋「おのみっちゃん」を開業する。
そんなあかりの店に、あかりと同様に実父が不明で、母1人に育てられた気の強いOLののぞみが、結婚も破談となり、失望し、勤めていた建設会社を退職し、居場所を失ってやって来る。のぞみに帰る家もないことを知ったあかりは、祖母の反対するなか一緒に仕事をしながら暮らし始めるが、その際にのぞみの妊娠が発覚するのだが、“子どもを本当に産むべきか”・・・と、のぞみの心が揺れ動いていることをあかりは知る。自分もシングルマザーの子であるあかりは、「自分の母も、自分を産むときに、悩んだのだろうか」と不安に襲われる。一方「他人に甘えて生きたくない」と、心を開かないのぞみと、下宿人たちとの間にはいさかいが絶えない。そんな中、2月2日の放送(第18章)では、のぞみが自分が子供を生むことについて「子供に人生を奪われたくない」・・と言ったのに対して、初音は「子育てを損得なんかでできるものではない。」、「アンタには母親になる資格はない・・」と強い口調で叱る場面があった。その言葉にあかりも自分に言われたかのように傷がつく。心配や不安が重なったあかりは、高熱を出して倒れ、それを機会に、のぞみは初音の部屋に移ることになり、のぞみは初音から、あかりが村上家の養女であることを知る。親になる自信がまだ持てないのぞみは、他人の子を家族として育てた村上家の決断に、考えさせられる。そして、下宿屋の住人の皆から応援を受け子を生む決心をする。また、偶然なことから、あかりの誰かわからなかった父親が現れることになるのだが・・・・(以下参考の※9参照)。
戦後の日本は核家族化が原因で、しつけや家庭教育にも問題が生じていることがよく論議にあげられる。2世代、3世代が大家族で暮らしていたころは、育児のノウハウもごく自然に同じ屋根の下で引き継がれていたが、近年の核家族化により家族は分断され、子育てのスキルを容易に獲得できず不安になる親の姿が見られる。そのような子育てのストレス等から、親が子供を虐待してしまうケースも多くあると聞く。
又、戦後の高度成長期に経済優先の風潮とともに学歴社会化した中で、子供の教育も、全人格的な教育や子供本人の希望や生きる喜びという観点が脱落しがちになり、物質主義的な視点から、収入に直結したり大組織に採用されやすい学歴をつけさせることにばかり関心を持つ人が増えるという事態も起きているようだ。
「子育て」ということになると、反射的に「子育てにかけるコスト」「投資」「回収」などといったビジネスライクな言葉を結びつける人も増大しているようだが、確かに、今の時代子育てにはお金がかかる。しかし、そのようなことを自分の親から感じ取った子供達は、親にどのような感情を抱き、どのような大人へと成長をしてゆくのだろうか・・・。
人は、自分の子供を育てるようになって初めて自分の親の気持ちが理解できるようになるという。また、子育てをすることによって、親も、親である以前にひとりの人間だったというこということに気づき、自分自身の人間的な成長へとつながるともいう。
急速な少子高齢化が進行している日本では、2010年現在は、3人の現役世代で1人の高齢者を支える形になっているが、2055年には1人の現役世代で1人の高齢者を支える状況となることが見込まれている(ここ参照)。
しかし、子どもを産むか産まないかは個人の自由であり、子どもを持ちたくない人もいれば、産みたくても身体的な事情などで産めない人もいる。また子どもが欲しくても、いろいろな要因で希望するだけの子どもを持てない人も沢山いるが、日本の将来を担うのは子どもたちであることには違いないだろう。
子どもを産む意志がありながら、それができない最大の理由が経済的負担であるとすれば、子育てによって家計が圧迫され、経済的な事情で子育てを諦める人があってはいけない。そのようなことから民主党が2007年に政権政党マニフェストに取り上げた「民主党3つの約束」の中の1つが「安心して子育てできる社会」づくりであった(以下参考の※10参照)。
そして政権政党となった民主党が「次代の社会を担う子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する」こと及び「子育ての経済的負担を軽減し、安心して出産し、子どもが育てられる社会をつくる」ことを政策目的とし、15歳以下の子どもの保護者に対し手当(金銭)を支給することを主な内容とする法律「子ども手当法」(平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律」平成22年3月31日法律第19号)が、2010年度から施行されているが、この支給に対する財源が見つからず、来年度からの実行が危ぶまれているのはここのところ連日マスコミで報道されているので誰もが周知の通りである。
この法律の趣旨は良く理解できるし、良いことだとは思うが、日本の少子化問題は単に金銭的な問題だけではなく、多岐にわたっており、国の財政が破綻しようとしている状況も考え、財源として当てにしていた埋蔵金もなかったとなれば、子育てのためには何が最も必要か、国民の声を十分聞いた上、余り、マニフェストにこだわらず、最も効果的な方法で実施してはどうだろうかと思うのだが・・・。
(画像は、鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「姑獲鳥〔うぶめ〕」
参考:
※1:神戸新聞 「育児の日」運動 - すきっぷ21
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/kosodate/kosodateskip_ikujinohi.html
※2:ご朱印めぐり~京都 東山~
http://homepage3.nifty.com/osanpo-cafe/KIYOMIZU.HTM
※3:西龍華・具足山 本山 立本寺HP
http://honzan.ryuhonji.nichiren-shu.jp/
※4:京に癒され:幽霊子育て飴 by 五所光一郎
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5327
※5:永澤寺
http://www.youtakuji.net/temple/index_r.html
※6:PDFライブラリ <ひょうご伝説紀行 -妖怪・自然の世界->
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend3/html/pdf/pdf-list.html
※7:ぼちぼちいこか
http://shigeru.kommy.com/index.html
※8:国宝・今昔物語集〔京都大学附属図書館〕
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/konjaku/kj_top.html
※9:連続テレビ小説「てっぱん」 - NHKオンライン
http://www9.nhk.or.jp/teppan/
※10:民主党の政権政党マニフェスト
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2007/
平成10年版厚生白書の概要〔厚生労働省〕
http://www1.mhlw.go.jp/wp/wp98/wp98p1c2.html
関西花の寺25ケ所めぐり
http://www.youtakuji.net/hananotera/index.html
米朝ばなし 上方落語地図 桂米朝/[著]
http://www.kanshin.com/keyword/963343/comment
育児 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%B2%E5%85%90
今日のことあれこれと・・・「育児の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/632a3e7009108b375e70abd7b8b5df4d