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日本近代文学の森へ 272 志賀直哉『暗夜行路』 157  「外」へ!  「後篇第四 十一」 その2

2024-11-10 14:22:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 272 志賀直哉『暗夜行路』 157  自分の「外」へ!  「後篇第四 十一」 その2

 

2024.11.10


 

 直子、お栄、お仙、それに赤ん坊の4人を残して、謙作は旅立った。

 直子との関係修復、もっといえば、これからの直子のとの生活を立て直すための旅なのだから、深刻な気分が謙作の心を閉ざしているかと思いきや、なんだか、やっと家庭から解放されたといったのびのびとした気分の謙作だったようだ。

 志賀直哉の得意な自然描写が、存分に生かされている。

 

 嵐山(らんざん)から亀岡までの保津川の景色は美しかった。が、それよりも彼は青々とした淵を見ると、それに浸(つか)って見たかった。川からきりたった山々の上に愛宕(あたご)が僅(わず)かにその頂を見せていた。彼はいつも東から見る山をもう西から見ていた。そして彼の頭には瞬間衣笠の家が遠く小さく浮かんだ。
 綾部、福知山。それから和田山へ来て、漸く夏の日が暮れた。
 彼はその晩、城崎(きのさき)へ泊る事にして、豊岡を出ると、車窓から名高い玄武洞を見たいと思っていたが、暗い夜で、広い川の彼方に五つ六つ燈火を見ただけだった。


 謙作が乗った列車は、山陰本線を走った。歴史を見てみると、様々な紆余曲折を経て、京都駅〜出雲今市駅が全線開通したのは、明治45年だという。今さらだけど、明治という時代は、猛烈な勢いで、国の形を変えていったわけだ。

 以前、岩野泡鳴のいわゆる「四部作」を読んでいたときも、北海道の鉄道がすでに縦横に敷かれていた様子が描かれていてびっくりしたものだが、昨今の廃線につぐ廃線の状況をみるにつけ、時代というものが、なにやらわけのわからないものとして頭の中に渦を巻くような印象がある。

 この冒頭の一節も、美しい。保津川沿いの車窓を、ぼくも一度見たはずなのに、その記憶がない。「青々とした淵を見ると、それに浸(つか)って見たかった。」という謙作の気持ちもよくわかる。「愛宕」というのは、落語「愛宕山」に出てくるあの山であろう。京都では愛宕山に登るという遊びがあったのだ。落語では、幇間が旦那や芸者と一緒に登る様子が生き生きと描かれている。その愛宕山が見える、ということについては、謙作の頭の中にそうした芸者たちとの遊びの思い出も含まれているのかもしれない。

 「彼はいつも東から見る山をもう西から見ていた。」と簡潔な表現で、列車の移動を語り、「そして彼の頭には瞬間衣笠の家が遠く小さく浮かんだ。」と、我が家との思いがけない心理的な距離を示唆する。「衣笠の家」は、すでに、謙作の心から「遠く小さ」いものとなっているのだ。

 


 城崎では彼は三木屋というのに宿った。俥で見て来た町の如何にも温泉場らしい情緒が彼を楽(たのし)ませた。高瀬川のような浅い流れが町の真中を貫いている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、眺めはむしろ曲輪(くるわ)の趣きに近かった。また温泉場としては珍らしく清潔な感じも彼を喜ばした。一の湯というあたりから細い路を入って行くと、桑木細工、麦藁(むぎわら)細工、出石焼(いずしやき)、そういう店々が続いた。殊(こと)に麦藁を開いて貼った細工物が明るい電燈の下に美しく見えた。

 


 城の崎といえば、当然小説「城の崎にて」が思い浮かぶわけだが、実際に志賀直哉が城崎温泉で事故(山の手線に跳ねられた)後の療養にあたったのは、大正2年のことだから、志賀は10年以上も前の記憶を辿って書いていることになる。志賀の記憶力はものすごかったらしい。

 特に、「麦藁を開いて貼った細工物が明るい電燈の下に美しく見えた。」というような細密な描写は、まるで今見ているように描かれている。これを、実際に見たことがないのに想像力だけで書くということはできることではない。「一の湯というあたりから細い路を入って行くと、桑木細工、麦藁(むぎわら)細工、出石焼(いずしやき)、そういう店々が続いた。」という部分だって、10年以上も前のことを、写真を撮ったり、メモしたりということなしに、ちゃんと覚えているというのは驚異的だ。
しかも、こうしたリアルな描写は、この小説の展開上、ほぼ意味がない。なくても、ちっとも困らないのだ。というか、あることにかえって違和感さえある。これでは、まるで、のんきな紀行文ではないか。直子のことはどうしたのか? 心配じゃないのか? って思う人もいるだろう。

 けれども、城の崎に来た以上、そこがどんな町で、どんな産物があって、どんな雰囲気だったのかというようなことを、きちんと正確に、しかもくどくなく、描くという姿勢を、志賀直哉は決して崩さない。

 小説のストーリーだけを追いかけて読むなら、こんな部分は余分なところで、むしろわずらわしいだけだ。しかし、「暗夜行路」のストーリーは、すでに分かっている。(いちど読んでいるからだけど。)けれども、ストーリーからはずれる横道みたいなところが、案外おもしろいのが「暗夜行路」である。

 


 宿へ着くと彼は飯よりも先ず湯だった。直ぐ前の御所(ごしょ)の湯というのに行く。大理石で囲った湯槽(ゆぶね)の中は立って彼の乳まであった。強い湯の香に、彼は気分の和ぐのを覚えた。
 出て、彼は直ぐ浴衣が着られなかった。拭いても拭いても汗が身体を伝って流れた。彼は扇風機の前で暫く吹かれていた。傍(そば)のテーブルに山陰案内という小さな本があったので、彼はそれを見ながら汗の退(ひ)くのを待った。大乗寺(だいじょうじ)、俗に応挙寺(おうきょでら)というのがあった。それは城崎から三つ先の香住(かすみ)という所にある。彼は翌日其所(そこ)へ寄って見ようと思った。子供から応挙の名は聞いていたが、その後、狗子(くし)や鶏や竹などの絵を見て彼は少しも感服しなかった。第一円山派(まるやまは)というものにほとんど興味を持たなかったが、再びこの辺へ来るかどうか分らぬ気がしたので、寄って見る気になった。
 此所が暑いのか、その晩が暑いのか、何しろ蒸暑くて彼は寝つかれなかった。この湯は春秋、あるいは冬来てかえっていい所かも知れぬと思った。
 翌朝起きたのは六時頃だった。彼は寝不足のぼんやりした頭で芝生の庭へ出て見た。直ぐ眼の前に山が聳え、その山腹の松の枯枝で三、四羽の鳶が交々(かわるがわる)啼いていた。庭に、流れをひき込んだ池があり、其所には青鷺が五、六羽首をすくめて立っていた。彼はまだ夢から覚めないような気持だった。

 

 湯船が深くて「立って彼の乳まであった」というところは、一度だけ行ったことのある道後温泉の本館の湯を思い出す。あんな深い湯に入ったのは初めてだったので驚いたけど、西の方の温泉では普通のことなのだろうか。

 しかし、やっぱり観光気分だね。直子との関係が崩壊寸前だから、なんとか気持ちを切り替えるために、直子としばらく離れるという決心をした謙作にしては、その「切実感」がない。「衣笠の家」なんて、とっくに謙作の心の中から消えてしまっているかのようだ。

 しかしまたこうも考えられる。謙作にとって、「切実」な問題は、「自分」をどう変えていくかということなのだが、それは、「自分自身」のみを見つめていても解決のできない問題でもある。「自分」を「自分」が見る、考察するということ自体、どだい無理な話なのだ。どこまでいっても堂々巡りでしかない。そんな経験を、ぼくも、若い頃したような気がする。

 「自分」の問題の解決は、「自分」の「外」からやってくる。関心を「自分」ではなくて、「外」に向けることの大事さを、大昔、加藤周一が言っていたような記憶がかすかにあるが、定かではない。誰が言っていようが、おそらく、それは正しいのだ。

 謙作の「観光気分」は、謙作が旺盛な好奇心を持っていて、「外」のものからの刺激を敏感に受けるところから醸し出されているのかもしれない。それならば、一見「意味のない」自然描写にも、深い「意味」があることになるだろう。そして、この後に続く「応挙寺」の美術品に対する鑑賞・批評も、ストーリーからははずれているが、謙作の審美眼、趣味といったものを詳しく語ることで、遠回りながら謙作の「自分」変革に一役買っていくのかもしれない。

 


 十時頃の汽車で応挙寺へ向う。香住駅から俥で行った。
 応挙の書生時代、和尚が応挙に銀十五貫を与えた。応挙はそれを持って江戸に勉強に出た。その報恩として、後年この寺が出来た時に一門を引き連れ、寺全体の唐紙へ揮豪したものだという。
 応挙が一番多く描いていた。その子の応瑞(おうずい)、弟子では呉春(ごしゅん)、蘆雪(ろせつ)もあり、それぞれ面白かった。
 応挙は書院と次の間と仏壇の前の唐紙を描いていた。書院の墨絵の山水が殊によく思われた。如何にも律気な絵だった。次の間は郭子儀(かくしぎ)、これには濃い彩色があり、もう一つは松に孔雀の絵だった。
 呉春の四季耕作図は温厚な感じで気持よく、蘆雪の群猿図は奔放で如何にも蘆雪らしく、八枚の右の二枚は構図からも描法からも、為事(しごと)を投出してしまったような露骨な破綻を見せていた。酒に酔った蘆雪が眼に浮び、呉春との対照が面白かった。
 応挙の模写という禅月大師(ぜんげつだいし)の十六羅漢が未完成のまま庫裏の二階に陳列してあった。
 沈南蘋(なんちんびん)の双鷲図(そうしゅうず)、浪の間に頭を出している岩の上に雌鷲が足を縮め、両翼を開き、脊(せ)を低く首をめぐらし、雄鷲を見上げながら立っている。上の岩に真直ぐに立って雄鷲が強い眼差でそれを見下している。雌鷲の子を生むための本能が如何にも露骨に描き出され、そしてそれを上から強く見下している雄鷲の態度も謙作には興味があった。
 「もう他には……?」謙作は背後に立っている小坊主を顧みた。
 「まあ、絵はこんなものですが、この他に左甚五郎が彫った竜というのが屋根にあります」
 二人は庫裏から下駄を穿いて、戸外へ出た。戸外は何時(いつ)の間にか曇っていた。二人は本堂を左へ廻った。石段から一間ほど登った所にちょっとした平地がある。其所から、入母屋破風(いりもやはふ)に置かれた大きな丸彫の竜を望んだ。竜の写実だと思い、彼は軽いおかしみを覚えた。
 「これは実物大ですね」そういって笑ったが、小坊主には通じなかった。
 「おお、降って来た」
 仰ぎ見た謙作の顔に大粒な雨があたった。
 「この竜が雨を呼んだのだ」彼はこんな笑談(じょうだん)をいいながらまた庫裏の方へ還って来た。

 


 これで、「十一」は終わるのだが、こうしてえんえんと書かれている美術鑑賞は、読者には、冗長とも思え、あるいは難解とも思えるだろう。あるいは、当時の読者は、こうした一種のディレッタンティズムをも喜んだのだろうか。あるいは、これを読んで、なるほどなあと思えるほど、美術的な教養があったのだろうか。

 それは知るよしもないが、今この部分を読んで、ある程度の図柄を頭にイメージできる人はそう多くはないだろう。けれども、現実からはもっとも遠い美術の世界に、これだけの興味関心をもって入り込んでいけるというのは、謙作にとっては大きな救いでもあるのだ。自分の「外」に出て行けるからだ。そのところを心にとめておきたい。

 

 


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日本近代文学の森へ 271 志賀直哉『暗夜行路』 156  妙な「出発」  「後篇第四 十一」 その1

2024-10-23 14:01:24 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 271 志賀直哉『暗夜行路』 156  妙な「出発」  「後篇第四 十一」 その1

2024.10.23


 

 謙作は、いよいよ「出発」することになった。伯耆大山に行くことは決まっているが、それ以上の細かい計画があるわけでもない。きままな「旅」だ。

 しかし、「普通の旅とは心構えが異(ちが)う」旅なので、出発前のやりとりが「何となく妙」だった。そのやりとりはこんな風に始まる。


 謙作はいよいよ旅へ出る事にしたが、普通の旅とは心構えが異うだけに出発際が何となく妙だった。
 「何時(なんじ)でもいいんだ。どうせ一日で山までは行けないんだから……」彼は出来るだけ暢気らしい風をしてこんな事をいっていた。彼は旅行案内を見ながら、
 「三時三十六分鳥取行か。もしそれに遅れたら五時三十二分の城崎行でもいい」
 「缶詰や何かお手紙下されば、直ぐ明治屋から送らせますから……」
 「まあ、なるべく、そういうものを取寄せずに、むこうの物で間に合わそうよ。なまじ、都の風が吹いて来て、里心がついては面白くない。そういう意味で、なるべく用事以外、お互に手紙のやり取りはよそうじゃないか」
 「ええ。……それでももし貴方に書く気がおでになったら下さればいいわね。もしそういう気におなりになった時には」
 「そうだ。それはそれでいい訳だが、そんな事をいってしまうと、お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になるね」
 「それなら、どうでもいいわ」


 「何となく妙」なんてものじゃない。すごく妙だ。

 そもそも、初めて謙作が「大山」に行くと言い出してから、この出発の日まで、何日経ったのか、その間に、直子とどんなやりとりがあったのかについては、まったく説明がない。いきなり章を「十一」と変えて、「謙作はいよいよ旅へ出る事にしたが」と始める。

 直子は、この謙作の「大山行き」について、どう考え、どんなことを言い、どう「納得」したのか、まるで分からない。とにかく、謙作は行っちゃうのだ。乱暴だよね。謙作がというより、作者が。

 何時の列車でもいいということを、「出来るだけ暢気らしい風をして」いう謙作は、内心は決して「暢気」ではない。相当の覚悟があるらしいのだ。それが徐々にあかされるわけだが。

 「明治屋」は、1885年(明治18年)に横浜で創業された老舗だが、このころには、京都にも支店があったのだろう。「缶詰」も、贅沢品だったころの話だ。

 そういう直子の思いやりも、謙作は断る。なんでも自分でやるから、気にするなというのだ。しかも、手紙のやりとりすらよそうと言う。「もし貴方に書く気がおでになったら」を繰り返す直子があわれである。そのすがるような直子の申し出に、謙作は、「そうだ。それはそれでいい訳だが、そんな事をいってしまうと、お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になるね」と言う。謙作は、どこまでも縛られたくない、自由でいたいのだ。

 「お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になる」というのは、気持ちとしてはよく分かるのだが、家でいつ帰ってくるのかわからない直子の不安と、謙作の「窮屈」を比べたら、だれが考えたって、直子の不安のほうが重大に決まっている。それでも、謙作は、自分の「窮屈」を排除したい。自由気ままでいたいのだ。

 「それなら、どうでもいいわ」という直子の投げやりな言葉に、直子のため息が聞こえる。この人には何を言ってもダメなんだ。家で待つ私のことなんか、これっぽっちも考えてはくれないんだ……。

 で、いったい何のための「自由」なのかといえば、自己改造のためだということになる。


 「お前は俺の事なんか何にも考えなくていいよ。お前は赤ちゃんの事だけ考えていればいいんだ。俺も赤坊が丈夫でいると思えば、非常に気が楽だよ。迷わず成仏出来るというものだ」
 「亡者(もうじゃ)ね、まるで」と直子は笑い出した。
 「実際亡者には違いないよ。その亡者が、仏様になって帰って来るんだ」
 「たち際に縁起の悪い事を仰有(おっしゃ)るのね」
 「これほど縁起のいい事はないさ。即身成仏、といってこのまま仏様になるんだ。帰って来ると俺の頭の上に後光がさしているから……。とにかく、俺の事は心配しなくていいよ。お前は自分の身体に気をつけるんだ。それから赤ちゃんを特に気をつけて」
 「つまりおんばさんになった気でね」
 「おんばさんでも母親でもいい。とにかく、暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい。未亡人になった気でもいい」
 「貴方はどうしてそういう縁起の悪い事をいうのがお好きなの?」
 「虫が知らすのかな」
 「まあ!」
 謙作は笑った。実際彼は今日の出立を「出家」位の気持でいたのだが、そういう気持をそのまま現して出るわけには行かなかった。丁度いい具合に話が笑談(じょうだん)になったのを幸い、そろそろ出かける事にした。花園駅から鳥取行に乗る事にした。

 


 自己改造どろこではない。「即身成仏」なんだという。

 もちろんこの辺りは冗談半分なのだろうが、いきなり「迷わず成仏出来るというものだ」というのは、いくらなんでも飛躍がすぎる。直子が、どうしてそんな縁起の悪いことばかり言うのかと言う気持ちもよく分かる。謙作の内部思考においては、いろいろあって至った結論なのかもしれないが、そんなことを言われた直子は戸惑うばかりだ。

 それでも、その「冗談」を直子は「亡者ね、まるで」と笑う。

 「亡者」とは、「金の亡者」などと使われるときの意味とは違い、仏教語の元の意味、「①常識的な考えにとどこおることを否定する人。とらわれを捨てた人。②死んだ人。死者。また、死んだ後に成仏しないで魂が冥土に迷っているもの。」(日本国語大辞典)の方の意味で使われている。特にここでは②の意味だ。

 謙作は、「亡者」としてこの世界に生きているのだが、なかなか「成仏」できない。でも、この「旅」で、「成仏」してくるというのだ。つまりは、「即身成仏、といってこのまま仏様になるんだ。帰って来ると俺の頭の上に後光がさしているから……。」ということになる。

 極端な話である。「頭の上に後光がさしている」謙作を、直子は想像することができるだろうか。しかも、謙作にとっては、まったくの冗談ではなくて、むしろ謙作は、「今日の出立を『出家』位の気持でいた」というのだから、その本気度は、かなりのものだといっていい。

 しかし、直子からすれば、自分の過ちを本当に心から赦して欲しいと願っているだけなのに、それができないからといって、「出家」するって、いったいどういうことなの? って思うはずだ。何日も家をほったらかして、何十日後だか、何ヶ月後だかしらないけど、帰ってきたら「後光がさしてる」男なんて、直子が望んでいる夫ではなかろう。

 なにもかも、謙作と直子は食い違っている。というか、謙作は、直子に根本的に「関心がない」のだ。

 謙作が、直子の過ちに深く衝撃を受けて傷ついていることは確かだ。しかし、直子も同じように傷ついて苦しんでいるのだ。その直子のことを謙作は真剣に考えようとしない。ただ、自分が変われば、「仏様」になれれば、直子も救われると思っているのだろう。しかし、それとても怪しい。謙作は、とにかく、自分が変わりたい、仏様になりたい、それだけなのかもしれない。

 直子のことを気に掛け心配していることは確かだろう。しかし、「お前は自分の身体に気をつけるんだ。」と言ったその直後に、「しかし、それから赤ちゃんを特に気をつけて」と、すぐに話が「赤ちゃん」に移って行く。その挙げ句には、「おんばさん(*乳母のこと)でも母親でもいい。とにかく、暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい。未亡人になった気でもいい」というのだ。

 「母親」でも「乳母」でもいいから、とにかく「赤ん坊」をしっかり育てろ、「細君(妻)」なんて廃業して「未亡人」になったつもりで、「赤ん坊」を育てろという。しかし、直子は、謙作の「妻」として、悩み苦しんでいるのだ。謙作との「関係」が問題なのだ。

 そのことが謙作にはまったく分からない。直子に「未亡人」になったつもりでいろというのは、突き詰めれば、離婚して子どもだけはちゃんと育てろといっているに等しい。離婚しないで、「別居」するのは、直子との夫婦関係を立て直すためだろう。そういう相手に、「暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい」とは、なんという言い草なのだろう。バカヤロウとしかいいようがないよね、まったく。

 バカヤロウなんて言う前に、百歩ゆずって、謙作の思いに寄り添ってみれば、謙作は、とにかく、今までの自分のままではダメだと痛切に思っているのだ。何とかして、この癇癪持ちで、独善的で、エゴイズムの塊のような「自分」を根本的に改造したい。どのように改造するかは、分からないけれど、この「旅」でそのきっかけでもつかみたい。そういう思いでいっぱいなのだ。それが、言ってみればこの小説全体の大きなテーマでもある。

 しかし、問題なのは、謙作の「自己改造」という作業の中に、直子という存在がいっさいの関わりを拒否されているということだ。直子が軽はずみとはいえ、過ちを犯した以上、謙作に赦されようが赦されまいが、直子自身の「自己改造」もまた必要となるだろう。直子の場合は、謙作ほどの強烈な自我を持っていないから(持っていないと謙作はみなしているから、と言い換えてもいい)、「出家」なんて大げさなものにはならないにしても、直子なりに自分のあり方を探る必要があるだろう。それは、直子個人というよりは、「妻としての直子」の作業となるだろう。場合によっては、そこで直子は大いに変わっていく、あるいは成長していくかもしれないし、その可能性はおおいにある。けれども、謙作には(あるいは志賀直哉にはと言ってもいいかもしれない)、その視点がないのだ。少なくともここまででは。

 謙作によって、拒絶され、放り出された直子は、この後、どう変貌するのか、あるいはしないのか、注目に値するところである。


 「もう送らなくていいよ。なるべく簡単な気持で出かけたいから」
 お栄が茶道具を持って出て来た。
 「三時に家を出ます。──それからお前、仙に俥をいわしてくれ。三時」
 「もう少し早くして御一緒に妙心寺辺まで歩いちゃ、いけない?」
 「この暑いのに歩いたって仕方がないよ」
 「…………」直子はちょっと不服な顔をして、台所へ出て行った。
 「また、先(せん)みたように瘠(やせ)っこけて帰って来ちゃあ、いやですよ」お栄は玉露を叮嚀(ていねい)に淹れながらいった。
 「大丈夫。何も彼(か)も卒業して、人間が変って還って来ますよ」
 「時々お便りを忘れないようにね」
 「今もいった所だが、まあ便りはしないと思っていて下さい。便りがなければ丈夫だと思ってようござんす」
 「今度は三人だから淋しくはないが」
 「赤坊を入れて四人だ」
 「そうそう。赤ちゃん一人で二人前かも知れない」
 「鎌倉へは手紙を出しませんからね。あなたから、出来るだけ何気なく書いて出しといて下さい。余計な事を書かずに」
 お栄は点頭(うなず)いた。
 謙作は茶を味いながら、柱時計を見上げた。二時を少し廻っていた。
 直子が赤児を抱いて出て来た。まだ眠足りない風で、顔の真中を皺にしながら、眼をまぶしそうにしている。
 「お父様の御出発で、今日は感心に泣かないわね」
 「その顔はどうしたんだ」謙作は笑いながら指先で赤児の肥った頬を突いた。
 「もう少し、機嫌のいい顔をしてくれよ」
 赤児は無心に首をぐたりぐたりさしていた。
 「医者は如何なる場合にも病院のを頼めよ。近所の医者は直謙の時でこりごりした」
 「ええ、そりゃあ大丈夫。第一病気になんぞさせない事よ」
「今のうちはお乳だけだから、心配はないが、来年の夏あたりは何でも食べるようになるからよほど気をつけないとね」お栄は直子に茶をつぎながらいった。
 謙作は風呂場へ行って水をあび、着物を更えた。そして暫くすると、俥が来たので、大きなスーッケースを両足の間に立て、西へ廻った暑い陽を受けながら一人花園駅へ向った。

 


 こうしたくだりを読んでいると、だれにも屈託がないように思える。「出家」するような悲壮感はない。

 とくにお栄とのやりとりは、ごく自然で、今さらながら、謙作とお栄の親密さに驚かされる。「また、先みたように瘠っこけて帰って来ちゃあ、いやですよ」なんていうお栄のセリフは、まるで古女房のそれである。直子とお栄とはうまくいっているようだが、こんな会話をそばで聞いている直子の気持ちは、ほんとうのところどうなんだろうか。

 直子は、妙心寺あたりまで一緒に行ってもいいかと聞くのだが、謙作は、「この暑いのに歩いたって仕方がないよ」といって冷たく拒絶する。お栄に対する親密な言葉づかいとはまるで違う。(まあ、お栄は、謙作にとっては母親みたいな存在だから、ぞんざいな口のききかたはできないわけだが。それにしても……)

 「暑い」とか、「仕方がない」とかいうことではない。これから二人で物見遊山しようっていうわけじゃないのだ。直子は、少しでも一緒に歩いて、いい気持ちで送りだしたいのだ。けれども、謙作は、直子は邪魔で、一刻でもはやく一人になりたいといったふうだ。別に急ぐ「旅」でもないのに。

 直子は「不服な顔」をするが、それ以上の反応はない。やっぱり諦めているのだろう。

 お栄は「今度は三人だから淋しくはないが」と言っているが、家に残るのは、直子とお栄と──一瞬、もう一人は誰だ? って思ったけれど、「仙に俥をいわしてくれ」という言葉があった。そうだ、お仙もいたのだった。赤ん坊もいれて4人。これからどう暮らしていくのだろう。

 

 


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日本近代文学の森へ 270 志賀直哉『暗夜行路』 157  「別居」へ  「後篇第四 十」 その2

2024-10-09 11:39:51 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 270 志賀直哉『暗夜行路』 157  「別居」へ  「後篇第四 十」 その2

2024.10.9


 

 直子は、どうしたら謙作に「ほんとうに赦してもらえるのか」を考えているのだと言う。謙作が、口では「お前を憎んでいない。赦している。」と言いながら、ぜんぜん行動が伴わないばかりか、走り出した電車から突き落とすなどというとんでもないことをしたのだから、もっと謙作を非難してもいいはずなのに、そんなことを考えていると言うのだ。
その直子に対して、謙作は、意外なことを言い出す。


 「お前は実家(さと)に帰りたいとは思わないか」
 「そんな事。またどうして貴方はそんな事を仰有るの?」
 「いや。ただお前が先に希望がないような事をいうから訊(き)いて見ただけだが……とにかく、お前が今日位はっきり物をいってくれるのは非常にいい。お前が変に意固地な態度を示しているので、此方(こっち)から話し出す事が今まで出来なかった」
 「それはいいけれど、私の申上げる事、どう?」
 「お前のいう意味はよく分る。しかし俺はお前を憎んでいるとは自分でどうしても思えない。お前は憎んだ上に赦してくれというが、憎んでいないものを今更憎むわけには行かないじゃないか」
 「……貴方は何時(いつ)でもきっと、そう仰有る」
 直子は怨めしそうに謙作の眼を見詰めていた。


 いきなり「実家(さと)へ帰りたいとは思わないか」というのは、唐突すぎる。直子はどうしたら赦してもらえるのかと考えているところなのだ。話がみえない。だから直子もびっくりする。それに対して、謙作は、聞いてみただけだと言葉を濁してから、直子がはっきり物を言ってくれるのは「非常にいい」と、実に「上から目線」の言葉を発する。

 なにが「非常にいい」だ! その前に、まず謝れ! って今の、朝ドラの視聴者ならSNSに書き込むことだろう。ふざけるな謙作! 消えろ! とかね。

 しかし、こういう時代だったのだ。謙作がまずは素直に謝ることが肝要なのに、自分が謝れなかったことを、直子の「意固地な態度」のせいにする。くどいようだが、謙作は、あの事件について、一度も直子に謝ってないのだ。時代とはいえ、ひどい。

 そのうえ、謙作は、屁理屈を並べる。「憎んでいないものを今更憎むわけには行かない」なんて、ただの言葉遊びでしかない。「俺はお前を憎んでいるとは自分でどうしても思えない。」というのがその理屈の根拠になっているのだが、どうしてそこまで「自分」が信じられるのだろうか。

 おそらく謙作は、「自分」の心の闇を覗くのが怖いのだ。「自分」というものに疑いを持つことができないのだ。それは、「自分」はどこまでも、「立派な自分」でなければならない、あるいは、そういう自分でありたいと強く願って生きてきたのだ。だから、今回のような、直子の過ちが、自分にどんな衝撃を与えようとも、「そんなこと」で、妻を「憎む」というような浅はかな「自分」ではありたくない。そんな「自分」は、許せない。そういうことではなかろうか。

 直子の「貴方は何時でもきっと、そう仰有る」という言葉からも分かるように、謙作は、いつでもそうして「立派」であるべき「自分」を守ってきたのだ。

 直子に怒って、直子を殴り、悪罵を浴びせかけ、徹底的に糾弾するといった「自分」はありえない。「自分」はそんなありきたりの男じゃないんだという矜持。

 しかし、謙作も、考えてはいるのだ。しかし、その「考える」方向がなんか違う。

 

 謙作はそれは直子のいうように実際もう一度考えて見る必要があるかも知れないと思った。
 「それにしてもこの間の事をそういう風に解すのは迷惑だよ。とにかく、俺たちの生活がいけないよ。そしていけなくなった原因には前の事があるかも知れないが、生活がいけなくなってから起る事がらを一々前の事まで持って行って考えるのは、それはやはり本統とは思えない」


 「この間の事をそういう風に解すのは迷惑だよ」と謙作は言うのだが、「迷惑」とはどういうことなのか。オレはお前のことを憎んでいないし、赦している。電車から突き落としたのは、癇癪の発作にすぎないんだから、その原因がお前の過ちにあるとお前が解釈するのは、オレには「迷惑」なんだ、ということだろうが、なんていう勝手な言い草だろう。「迷惑」だろうがなんだろうが、直子にはそうとしか思えないんだし、端からみても(たとえばお栄から見ても)そうとしか考えられないんだから、直子のそういう解釈を「迷惑」だといって非難する筋合いではないのだ。

 だから直子はこう反論する。


 「私は直ぐ、そうなるの。僻み根性かも知れないけど。それともう一つは貴方はお忘れになったかも知れませんが、蝮(まむし)のお政(まさ)とかいう人を御覧になった話ね。あの時、貴方がいっていらした事が、今、大変気になって来たの」
 「どんな事」
 「懺悔という事は結局一遍こっきりのものだ、それで罪が消えた気になっている人間よりは懺悔せず一人苦んで、張(はり)のある気持でいる人間の方がどれだけ気持がいいか分らない、とそう仰有ったわ。その時、何とかいう女義太夫だか芸者だかの事をいっていらした」
 「栄花(えいはな)か」
 「その他(ほか)あの時、まだ色々いっていらした。それが今になって、大変私につらく憶い出されるの。貴方はお考えでは大変寛大なんですけど、本統はそうでないんですもの。あの時にも何だか貴方があんまり執拗(しつこ)いような気がして恐しくなりましたわ」

 


 直子は自分のことを「僻み根性かもしれない」というが、そんなことはない。ごく普通の感覚だ。そして、直子は、かつて謙作が言っていたことを心に深く刻んでいたのだ。

 懺悔して赦された気になってのうのうと生きて行くより、一生罪を背負って生きて行くほうがえらい、みたいな話を謙作がしたことが、トゲのように直子の心にひっかかり、それが、今傷として膨らんできたのだ。その謙作の考え方、感じ方を自分に当てはめたとき、直子は慄然として、自分はあの栄花みたいに、一生罪を背負って生きていかねばこの人は認めてくれないんだろうかという恐怖を感じたのだ。そして、そういう謙作の心根を「執拗(しつこ)い」と表現した。

 この「執拗い」という言葉は、時としてとても強烈に響く。ぼくもなんどかこの言葉を投げつけられたが、そうとう腹が立ったものだ。まして謙作だ。

 


 謙作は聞いているうちに腹が立って来た。
 「もういい。実際お前のいう事は或る程度には本統だろう。しかし俺からいうと総ては純粋に俺一人の問題なんだ。今、お前がいったように寛大な俺の考と、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになってくれさえすれば、何も彼も問題はないんだ。イゴイスティックな考え方だよ。同時に功利的な考え方かも知れない。そういう性質だから仕方がない。お前というものを認めていない事になるが、認めたって認めなくたって、俺自身結局其所へ落ちつくより仕方がないんだ。何時だって俺はそうなのだから……。それにつけても生活をもう少し変えなければ駄目だと思う。もしかしたら暫く別居してもいいんだ」
 直子は一つ所を見詰めたまま考え込んでいた。そして二人は暫く黙った。
 「……別居というと大袈裟に聞こえるが」謙作はい<らか和らいだ気持で続けた。「半年ほど俺だけ何所(どこ)か山へでも行って静かにしてて見たい。医者にいわせれば神経衰弱かも知れないが、仮りに神経衰弱としても医者にかかって、どうかするのは厭だからね。半年というがあるいは三月(みつき)でもいいかも知れない。ちょっとした旅行程度にお前の方は考えてていい事なのだ」
 「それは少しも僻(ひが)まなくていい事なのね」
 「勿論そうだ」
 「本統に僻まなくていい事ね」直子はもう一度確めてから、「そんならいいわ」といった。
 「それでお互に気持も身体(からだ)も健康になって、また新しい生活が始められればこの上ない事だ。俺はきっとそうして見せる」
 「ええ」
 「俺の気持分ってるね」
 「ええ」
 「暫く別れているという事は、決して消極的な意味のものじゃないからね。それ、分ってるね」
 「ええ。よく分ってます」

 


 やっぱり怒った。そして開きなおる。「俺からいうと総ては純粋に俺一人の問題なんだ。」と。ここはほんとうに一貫している。とにかく「オレ一人」の問題だ。お前は関係ない。スーパーウルトラエゴイストなのだ。

 「お前というものを認めていない事になるが、認めたって認めなくたって、俺自身結局其所(そこ)へ落ちつくより仕方がないんだ。」というのは、謙作の、本質なのだろう。しかし、「其所(そこ)へ落ちつくより仕方がない」という「そこ」とはどこなのだろう。「寛大な俺の考と、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになってくれさえすれば」が、「そこ」なのだろう。

 「考え」と「感情」の乖離。「考え」のほうは、きわめて近代的な「自分」の捉え方で、いわゆる「近代的自我」に関する「理想」である。しかし、「感情」のほうは、近代もなにも関係なく、「癇癪の発作」として暴走してしまう。そこをどう折り合いをつけて、調和させていくか、それが謙作の唯一の「問題」であり、そうである以上「オレ一人の問題」であるほかはない。

 そこにおいては、直子という「他者」を「認めない」ことになっても仕方がない。「他者」との「関係」において「自分」を形成していこうという発想は、謙作にはないのだ。

 なんの脈絡もなく発せられたかにみえて「実家(さと)に帰りたいとは思わないか」という謙作の言葉は、ここに至って、今はやりの言葉でいえば「回収」されたことになる。(「栄花」の話も、「回収」だね。)

 直子は「僻まなくていい事なのね」と何度も念を押す。つまりこの「別居」が、自分のせいであると考えなくてもいいのね、ということだ。謙作は、「勿論そうだ」と答えるが、直子もそこをもう疑うことができない。アホらしくて疑う気にもなれなかったのかもしれない。

 最後の「ええ。よく分かってます」にしても、謙作の思いへの心からの同意ではなくて、一種の諦めの言葉であろう。

 二人は別居することとなった。お栄は尾道でのことを持ち出して反対した。けれども、あのときは「仕事」で、今度は「精神修養」と「健康回復」が目的だからと説得した。

 

 「何処へ行く気なの?」
 「伯耆(ほうき)の大山(だいせん)へ行こうと思うんです。先年古市(ふるいち)の油屋で一緒になった鳥取の県会議員がしきりに自慢していた山だ。天台の霊場とかで、寺で泊めてくれるらしい。今の気持からいうとそういう寺なんかかえっていいかも知れない」

 

 お栄の問いにそう謙作は答えた。

 心に深く傷を負った直子をおいて、謙作は、「伯耆大山」に向かうというのである。勝手な話である。

 それなら、直子も、メンドクサイ謙作なんて捨てて、さっさと実家に戻ったほうがいいと思うのだが、直子はそうしない。謙作は、大山で、なんらかの心の解決を得て、直子は、この人についていこうと思うというのが、結末だったはずだが、ふたりの心の変化がどのように描かれるのか、心して読んでいきたい。ぼくは、謙作より、直子の心境の変化により興味を感じるのだが。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 269 志賀直哉『暗夜行路』 156  直子の思い  「後篇第四 十」 その1

2024-09-26 10:59:15 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 269 志賀直哉『暗夜行路』 156  直子の思い  「後篇第四 十」 その1

2024.9.26


 

 列車に乗り込もうとした直子を、ホームへ突き落とすという、およそ信じられない暴挙に出た謙作だったが、直子のケガはそれほど大したことはなかった。そうはいっても、「二、三日は起上る事が出来なかった。」というのだから、「大した事はなかった」と言ってすませられることでもない。


 直子の怪我は大した事はなかったが、腰を強く撲(う)っていて、二、三日は起上る事が出来なかった。謙作は一度直子とよく話し合いたいと思いながら、直子が変に意固地になり、心を展(ひら)いてくれないためにそれが出来なかった。
 直子の方は彼がまだ要(かなめ)との事を含んでいると思い込んでいるらしいのだが、謙作からいえば、苛々した上の発作で、要との事などその場合浮ぶだけの余裕は全くなかったのだ。
 「お前はいつまで、そんな意固地な態度を続けているつもりなんだ。お前が俺のした事に腹を立て、あんな事をする人間と一生一緒にいる事は危険だとでも思っているんなら、正直にいってくれ」

 

 直子は謙作に対して心を閉ざしてしまっていて、とりつく島もない。まあ、そりゃそうだろう。走りだした列車から突き落とされるなんて経験、そんなにめったに出来るものじゃない。口を利きたくないのも当然だ。

 謙作は話し合いたいと思うが、「直子が変に意固地になり、心を展(ひら)いてくれない」ためにできなかった、という。まるで「直子が悪い」とでもいいたげな書き方だ。

 さらに、謙作は「苛々した上の発作で、要との事などその場合浮ぶだけの余裕は全くなかったのだ。」と書かれる。「事実」としてはそうだろう。突き落とす瞬間に、「このやろう、要と寝たりしやがって!」なんて思ったわけじゃないだろう。苛立ちの発作で、あんなことをしたと思っている。それもそうだろう。けれども、なぜ謙作は苛立っていたかといえば、列車に乗り遅れそうになっている直子に対して苛立ったというのではなく、その日は、朝からずっと苛立っていたのだ。それはなぜかと言えば、結局「要のこと」に行き着く。けれども、そのことに気づいていない、というか、気づいていないと思っている。

 その上で、更にトンチンカンなことを言う。「あんな事をする人間と一生一緒にいる事は危険だとでも思っているんなら」なんて、まったく直子の心中を察していないことになる。そんな単純なことじゃないだろう。

 だから、謙作の言い草や態度に耐えられなくなった直子は、珍しく長々と反論するのだ。

 


 「私、そんな事ちょっとも思っていないことよ。ただ腑に落ちないのは貴方が私の悪かった事を赦していると仰有りながら実は少しも赦していらっしゃらないのが、つらいの。発作、発作って、私が気が利かないだけで、ああいう事をなさるとはどうしても私、信じられない。お栄さんにも前の事、うかがって見たけれど、貴方があれほど病的な事を遊ばした事はないらしいんですもの。お栄さんも、近頃はよほど変だといっていらっしたわ。前にはあんな人ではなかったともいっていらした。そんな事から考えて貴方は私を赦していると仰有って、実はどうしても赦せずにいらっしゃるんだろうと私思いますわ。貴方は貴方が御自分でよく仰有るように私を憎む事でなお不幸になるのは馬鹿馬鹿しいと考えて、赦していらっしゃるんだと思う。その方が得だというお心持で赦そうとしていらっしゃるんじゃないかと思われるの。それじゃあ、私、どうしてもつまらない。本統に赦して頂いた事には何時まで経ってもならないんですもの。それ位なら一度、充分に憎んだ上で赦せないものなら赦して頂けなくても仕方がないが、それでもし本統に心から赦して頂けたら、どんなに嬉しいか分らない。今までのように決してお前を憎もうとは思わない。拘泥もしない。憎んだり拘泥したりするのは何の益もない話だという風に仰有って頂くと、うかがった時は大変ありがたい気もしたんですけど、今度のような事があると、やはり、貴方は憎んでいらっしゃるんだ、直ぐそう私には思えて来るの。そしてもしそうとすればこれから先、何時本統に赦して頂ける事か、まるで望がないように思えるの」

 


 まことにもっともである。この中で直子は非常に鋭い指摘をしている。「貴方は貴方が御自分でよく仰有るように私を憎む事でなお不幸になるのは馬鹿馬鹿しいと考えて、赦していらっしゃるんだと思う。その方が得だというお心持で赦そうとしていらっしゃるんじゃないかと思われるの。」というところだ。「その方が得だ」というところ、謙作の心にうちを正確に把握しての言葉だ。

 謙作にとっては、「心の平安」が第一で、それを得ることこそが「得」だと思っている。だから、直子の過ちという重大事においても、そのことで自分の平安が乱されることを何よりも怖れたから、「許す」とか「拘泥しない」とか言ったわけだ。自分が心の底で本当に直子を許しているのかいないかは考えずに、とりあえず「許す」と言っておき、あとは、何とか「自分だけ」の力で、乗りきっていこうと考えたのだった。

 そこを見抜いていた直子は、「それじゃつまらない」という。この「つまらない」は、もちろん「おもしろい」の反対語ではない。「それじゃぜったいに嫌なの」ぐらいに強くとっておきたい。

 直子は、そんな自分だけの損得勘定でこの問題を解決する(あるいはしたつもりになっている)のではなく、いちどほんとに自分を「憎み」、憎んだうえで、許せるなら許してほしい。許せないならそれはそれで仕方がない、と言うのだ。少なくとも、「憎む」というステップがないと、「何時本統に赦して頂ける事か、まるで望がないように思える」というのだ。

 これはよく分かる。言葉の上だけで「許す」なんて言われても、それで「許された」なんて誰も思えない。言葉はどうとでもなるからだ。けれども、「行為」は瞬発的なだけに嘘がつけない。それを「発作」のせいにするのも、「言葉」によるまやかしだ。だから「許す」にしても、まずはほんとうに「憎んだ」うえでのことにしてほしい。そうじゃなきゃ、あなたの「言葉」は信じられないと、直子はいう。

 よく分かる。よく分かるのだが、それでは、「憎む」とはどうすることだろう。言葉で、「実はお前を憎んでいる」と謙作が言ったところでどうしようもない。それもまた「言葉」に過ぎない。では「ほんとうに憎む」ということは、「行為」としてどう現れるのか。暴力だろうか、あるいはすくなくとも「言葉の暴力」だろうか。

 直子の言い分は、十分に正当なものだとは思うが、実際のところ、「憎む」にしろ「許す」にしろ、それがいったいどういう内実を持つものなのかについては、やはり明確に把握できてはいないのだと思われる。そして、それは直子に限らず、誰にとっても、把握しきれないもの、心の闇のようなものなのだ。

 直子の言葉に、謙作は、「じゃあ、そうしよう」なんてとても言えない。言ったところでどうしたらいいか、謙作にも分からないだろう。だから、謙作はこんなふうに言う。


「それだから、どうしたいというんだ」
「どうしたいという事はないのよ。私、どうしたら貴方に本統に赦して頂けるか、それを考えてるの」


 さて、謙作は、これに対してどう答えるのだろうか。

 

 


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日本近代文学の森へ 268 志賀直哉『暗夜行路』 155  謝れない謙作  「後篇第四 九」 その2

2024-09-03 15:10:01 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 268 志賀直哉『暗夜行路』 155  謝れない謙作  「後篇第四 九」 その2

2024.9.3


 

 謙作とお栄は、次の駅で降りた。駅には、末松から電話がかかっていたので、それに出たところ、直子は軽い脳震盪を起こしたらしいが、ケガはないとのこと。謙作とお栄は、京都行きの電車に乗って、引き返した。


 謙作はどうしてそんな事をしたか自分でも分らなかった。発作というより説明のしようがなかった。怪我がなく済んだのはせめてもの幸だったが、直子と気持の上が、どうなるか、それを想うと重苦しい不快(いや)な気持がした。


 謙作はなぜ直子を突き落としたのか自分でも分からないという。それを説明するには「発作」としかいえないと思う。癇癪の発作だ。癇癪は、突発的で理不尽なものだから、その発作なら、いちおう説明がつく。しかし、その説明は、自分自身を納得させるには有効かもしれないが、他者を説得するにはどうだろう。

 お栄は、謙作の「発作」の原因が、自分にあるのではないかと気をまわす。


 「謙さん、何か直子さんの事で気にいらない事でもあるの? 貴方は前と大変人が変ったように思うけど……」
 謙作は返事をしなかった。
 「それは元から苛立つ性(たち)じゃああったが、それが大変烈しくなったから」
 「それは私の生活が悪いからですよ。直子には何も関係のない事です。私がもっと《しっかり》しなければいけないんだ」
 「私が一緒にいるんで、何か気不味(きまず)い事でもあるんじゃないかと思った事もあるけど……」
 「そんな事はない。そんな事は決してありません」
 「そりゃあ私も実はそう思ってるの。直子さんとは大変いいし、そんな事はないとは思ってるんだけど、他人が入るために家(うち)が揉めるというのは世間にはよくある事ですからね」
 「その点は大丈夫だ。直子も貴女(あなた)を他人とは思っていないんだから」
 「そう。私は本統にそれをありがたいと思ってるのよ。だけど近頃のように謙さんが苛立つのを見ると、其所(そこ)に何かわけがあるんじゃないかと思って……」
 「気候のせいですよ。今頃は何時(いつ)だって私はこうなんだ」
 「それはそうかも知れないが、もう少し直子さんに優しくして上げないと可哀想よ。直子さんのためばかりじゃあ、ありませんよ。今日みたいな事をして、もしお乳でも止まったら、それこそ大変ですよ」
 赤児の事をいわれると謙作は一言もなかった。


 謙作は、自分の苛立ちは「私の生活」が悪いからで、直子には関係のないことだと言い張るわけだが、直子の過ちを知らないお栄には、そういうしかないということだろう。しかし、案外これが謙作の本音なのかもしれない。

 直子が過ちを犯したことは事実だが、それはあくまで「過ち」であり、それを謙作は「許している」と思っている。いや、「許すべき」だと思っている。その上で、自分の中に起きた不快感を、自分だけの力でなんとか克服しなければならないと思っている。その心の中の作業においては、直子は「関係ない」のだ。自分だけの問題なのだ。自分だけの問題として取り組み、乗り越えたいのだ。

 謙作の中には、「しっかりしなければならない」という強迫観念がある。自分の出生にどんな暗い秘密があろうとも、それに負けまいとして生きてきた。だから、自分の周囲にどんなことが起ころうとも、自分は「しっかりした自分」を保持して、生きていかねばならない。直子が何をしようと、それが「過ち」に過ぎないならば、それを「許し」、そこから生じる不快感をなんとか自分の力で払拭し、「しっかり」と生活しなければならない。決して、そこで、女遊びなどに走ってはいけない。

 直子の告白の直後に、当の直子に「お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる」と言い放った気持ちは、その後もずっと続いているのだ。この極端な「自己中心主義」。「自分さえよければそれでいい」という意味の「自己中心主義」ではなくて、何事も、「自分だけ」の問題として捉え、「自分だけ」の問題として解決しなければならないという、強迫めいた意識。これはいったいどこから来ているのだろう。

 これはあくまでもぼくの推測だが、やはりキリスト教道徳があるのではないだろうか。性欲の問題で、信仰を捨てた謙作だが、それでも、女遊びに明け暮れる日々から脱出しようとしてもがいた。信仰は捨てても、そこで植え付けられた厳しい道徳観念は、謙作の心に深く根をおろしていたのだろう。

 神の助けを借りなくても、自分のことは自分で始末する、そんな「しっかりした自分」を作り上げてやる、それが謙作のいわば「意地」だったのではなかろうか。

 直子は、駅長室に、末松と一緒にいた。

 

 駅長室では末松と直子と二人ぼんやりしていた。直子は脚の高い椅子に腰かけ、まるで訊問前の女犯人とでもいうような様子で凝(じ)っとしていた。
 「まだ医者が来ないんだ」末松は椅子を立って来た。
 直子はちょっと顔をあげたが、直ぐ眼を伏せてしまった。お栄が傍へ行くと、直子は泣き出した。そして赤児を受取り、泣きながら黙って乳を含ませた。
 「本統に吃驚(びっくり)した。大した事でなく、何よりでした。──《おつも》、如何(どう)? 水か何かで冷したの?」
 「…………」
 直子は返事をしなかった。直子は自分の身体(からだ)よりも心に受けた傷で口が利けないという風だった。
 「どうも、あれが実に困るんです。乗遅れるといって、四十分で直ぐ出る列車があるんですから、少しも狼狽(あわ)てる必要はないんですが、僅(わず)か四十分のために命がけの事をなさるんで……。しかしお怪我がないようで何よりでした」
 「大変御面倒をかけました」謙作は頭を下げた。
 「嘱託の医者が留守で、町医者を頼めばよかったのを、直ぐ帰るというので、そのままにしたのですが、どうしましょう。近所の医者を呼びましょうか?」
 「どうなんだ」謙作は顧みていった。
 「少しぼんやりしてられるようだが、かえって、直ぐ此方(こっち)から医者へ行った方がよくはないか」
 「それじゃあ、折角ですが、私の方で、連れて行きます。大変御厄介をかけ、申訳ありません」
 末松は俥(くるま)をいいに行った。
 謙作は直子の傍(わき)へよって行った。彼は何といおうか、いう言葉がなかった。何をいうにしても努力が要(い)った。直子の決して寄せつけないというような態度が、謙作の気持の自由を奪った。
 「歩けるか?」
 直子は下を向いたまま点頭(うなず)いた。
 「頭の具合はどうなんだ」
 今度は返事をしなかった。
 末松が帰って来た。
 「俥は直ぐ来る」
 謙作は直子の手から赤児を受取った。赤児は乳の呑みかけだったので急に烈しく泣き出した。謙作はかまわず泣き叫ぶまま抱いて、駅長と助役にもう一度礼をいい、一人先ヘ出口の方へ歩いて行った。

 


 毎度のことながら、巧い文章だとは思うのだが、ここでは、どうも「視点」が定まらない。この小説は第三人称の小説だから、謙作の「視点」一本で進むわけではないが、その都度、微妙に「視点」を移動させている。それが効果的な場面ももちろんあるが、ここでは、混乱のように感じてしまう。

 「ぼんやりしていた」直子のことを、志賀は、「まるで訊問前の女犯人とでもいうような様子で凝(じ)っとしていた。」と書くわけだが、ここは、明らかに「謙作の視点」をとっている。つまり「謙作にはこう見えた」という書き方だ。

 直子は「被害者」であり、「加害者」でもなければ、まして「女犯人」でもない。「訊問」されなければならないのは、わびなければならないのは、謙作のほうだ。それなのに、直子はぼんやりと、訊問を待っている、ように、謙作には見えるというのだ。

 それは、謙作が直子に対して、申し訳ないという感情に支配されているのではなく、むしろ難詰したい気持ちでいっぱいだったことの現れであろう。どうして、無理矢理乗ってこようとしたんだ、どうしてオレの言うとおりにしなかったんだ、と次から次へと出てくる非難の言葉を、ぐっと飲み込んでいるからこその「見え方」だ。

 それにしても、この「比喩」は、残酷な比喩で、志賀直哉という人の酷薄さを見せつけられる気がする。

 その一方で、お栄の言葉にも返事をしない直子を、「直子は自分の身体(からだ)よりも心に受けた傷で口が利けないという風だった。」と書く。ここは、「謙作の視点」とは微妙にずれる。むしろ、直子の気持ちを汲んでの「見え方」である。このずれかたが、どうも気持ち悪い。すっきりしない。

 謙作は直子の「傷」をもちろん感じ取っているのだ、悪いことをしたと思ってはいるのだ、ということかもしれないが、そこがこの後に生きてこない。それが「混乱」と感じる理由である。

 とにかく、謙作は「悪いことをした」と思っているのかもしれないが、それが態度に、言葉に出ない。素直に、「すまなかった。癇癪を起こしてしまって。どこか痛くはないか。大丈夫か。」と言えばいいのに、それが言えない。

 むしろ、駅員の言う、非難がましい言葉こそが、謙作の心に共感をもって受け入れられる。謙作も同じことを思っていたに違いない。直子が命を賭けたのは、「40分」のためではない。赤ん坊への「乳」のためだ。そのことの切実さを、謙作は理解しない。しようともしない。だから、謙作は直子から赤ん坊をむしりとるように受け取ると、乳を飲みかけだった赤ん坊を「かまわず泣き叫ぶまま抱いて」、「一人先へ」歩いていってしまうのだ。まるで、復讐をするかのように。乳なんかに拘るからお前はあんな目にあうんだ。赤ん坊なんて、これでいいんだ。そう、謙作の後ろ姿は叫んでいる。

 一言の詫びも言えないのは、「直子の決して寄せつけないというような態度が、謙作の気持の自由を奪った」からだというように書いてあるが、それでも、まず、直子をいたわる、心配する、わびる、言葉ぐらいは言えないわけではなかろう。そんなときに「気持ちの自由」なぞ、微塵も要らぬ。

 まあ、こんなふうに読んでくると、この謙作という男の今風に言えば「好感度」は、だだ下がりで、(今までだって、「好感度」は、低かったわけだが。)この男はいったいこの先どうしようというのだろうと心配になる。

 直子は、こんな男にどこまでついていけるのだろうか。それも心配になる。結論は、もう出ているのだが、それはそれとして、もうしばらく心配しながら、読んでいくこととしよう。

 

 

 

 

 


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