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一日一書 1723 寂然法門百首 71

2022-08-22 14:17:30 | 一日一書

 

不染世間法

 

世の中の濁りになにかけがるべき御法(みのり)の水にすすぐ心は

 

半紙

 

【題出典】『法華経』16番歌題に同じ。


【題意】 不染世間法

世間の法に染まらざること


【歌の通釈】
世の中の濁りにどうして汚されるだろうか。御法の水に漱(そそ)がれた心は。

【参考】
いさぎよき人の道にも入りぬればむつの塵にもけがれざりけり(発心和歌集・……不染世間法……・三九)


【考】
地湧菩薩のように、自らも世間に染まらず流されず、菩薩の道を歩もうと決意した歌。【参考】に挙げたように同題で詠まれた『発心和歌集』び一首があり、また俊成はこの場面を、「池水の底より出づる蓬葉のいかで濁りにしまずなりけん」(長秋詠藻・湧出品、従地面湧出・四一七)と詠んでいる。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

★「寂然法門百首」の、71〜80までは、「述懐部」となっています。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 225 志賀直哉『暗夜行路』 112  籠の中の鳥  「後篇第三  十二」 その3

2022-08-21 14:01:44 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 225 志賀直哉『暗夜行路』 112  籠の中の鳥  「後篇第三  十二」 その3

2022.8.21


 

 直子が予想に反して「美人じゃない」と感じられたのは、彼女の体調がすぐれないせいでもあった。そして謙作は、どうだったのだろうか。

 

 そして気を沈ませていたのは彼女ばかりではなかった。謙作も変に神経を疲らせていた。一体彼は初めて会う人と長く一緒にいると神経を疲らす方だった。
 殊にそれが無関心でいられない対手である場合一層疲れた。兄という人も感じは悪くなかったが、共通な話題のない所から、とかく不用意に文学の話をされるには彼は時々返事に困った。話のための話で、一々責任を持った返事をする必要はないと思っても、彼にはその程度に淡白(あっさり)とはそれが口に出て来なかった。ただその人が時々如何にも人懐そうな眼差しで真正面に此方の眼を見ながら「不束者(ふつつかもの)ですが、どうぞ」とか「母も段々年を取るものですから……」とか、こんな事をいう時には如何にも善良な感じがし、そして親しい感情を人に起こさせた。会ってまだ僅かな時間であるのに、謙作には既に赤の他人でない感情がその人に起こっていた。

 

 直子の兄は、謙作と「共通の話題」がない。少しでも付き合いのある人なら、日常的な「共通の話題」もあるだろうが、初対面である。兄は、文学には詳しくないけれど、謙作が文学者だと知っているから、無理して「文学の話」ををする。それが「話のための話」である。

 それがどんな話であったかは、おおよその見当がつく。「小説っていうのは、あれは、ほんとうのことを書くもんなんですか。それとも、まったくの作り物なんでしょうか。」なんて質問が出たかもしれない。あるいは、多少でも、文学についての知識があったとすれば、「昨今の自然主義ですか、あれなんかは、あなたはどう評価なさるんですか?」なんて質問をしたのかもしれない。

 謙作は、そうした「話のための話」に、「一々責任を持った返事をする必要はない」と思うのだが、そういうふうに思うところに謙作の誠実さがあらわれている。「責任を持った返事」をする必要はないにしても、「彼にはその程度に淡白(あっさり)とはそれが口に出て来なかった。」という。「その程度に」とはどういうことか? なんて試験問題に出せそうなところだけど(どうもすぐにそう思ってしまうというところが未だに教師根性が抜けてない証拠で、困ったものだ。)、これを答えるのは案外難しい。つまりは、「責任をもった答えではないにしても、相手に合わせた簡単な答を口にすることができなかった。」といったところになるのだろうか。

 例えばだ。「あなたの小説は、ぜんぶほんとうにあったことなんですか?」という質問に対して、「責任を持った返事」となると、「ほんとうにあったこともあります。けれども、『ほんとうにあった』ということは一体どういうことでしょうか。主人公が考えたことと同じことを私がその時考えたとしても、それは、私の中に『あった』ことではありますが、それを『ほんとうにあったこと』と捕らえていいものでしょうか。」などという話をえんえんとしなければならない。かといって、「まあ、そうですね。ほんとうにあったこともあれば、そうでないものもある、といった所でしょうかね。」といってあとは笑うといったところが「淡泊な答」となるだろう。

 そんな「あしらい」もできない謙作は、結局のところ、「はあ」とか「そうですね、なかなか難しいところです。」とかいった言葉でお茶を濁し、その兄の顔を観察することなる。その兄の善良そうな言葉に、謙作は、「既に赤の他人でない感情がその人に起こっていた。」というのである。

 気難しい謙作が、こんなに素直に初対面の人に「赤の他人でない感情」を持つというのは、やっぱりもうすぐ「親戚」になっるということによるだろう。血縁の「親戚」には、苦い感情ばかり抱いてきた(異父姉妹は別だが)謙作だが、この新しい「親戚」に、こうした「親しい感情」をすぐに持てたというところに、謙作の心の世界がある種の「解放」を迎えたということが読み取れると思う。

 謙作の視線は、舞台に戻る。

 


 舞台では「紙屋治兵衛」河庄(かわしょう)うちの場を演じていた。謙作は何度もこの狂言を見ていたし、それにこの役者の演じ方が毎時(いつも)、余りに予定の如くただ上手に演ずる事が、うまいと思いながらも面白くなかった。そして彼は何となく中途半端な心持で、少しも現在の自身──許婚(いいなずけ)の娘とこうしている、楽しかるべき自身を楽しむ事が出来なかった。彼はむしろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、それが同一人である事が不思議にさえ思われた。
 直子は淋しい如何にも元気のない顔つきをしながら、舞台に惹き込まれている。ぼんやりした様子が謙作にはいじらしかった。が、同時に彼自身、どうにも統御出来ない自身の惨めな気分を持て余していた。
 彼は努めて何気なくしていた。しかし段々に今は一秒でもいい、一秒でも早くこの場を逃れ出たいという気分に被われて来た。こういう事は彼に珍らしい事ではなかったが、場合が場合だけに彼は一層苦しい一人角力(ひとりずもう)を取っていた。お栄との結婚の予想が彼を一時的に放蕩者にしたように、此度もまた、多少病的にそうなった事が、彼を疲らし、彼の神経を弱らし切っていたのだ。
 芝居のはねたのはもう晩かった。戸外には満月に近い月が高くかかっていた。彼は直ぐ皆と別れ、籠を出た小鳥のような自由さで一人八坂神社の横から知恩院の方へ歩いて行った。とにかく一人になればいいのであった。知恩院の大きな山門は近よるに従って、その後ろに月が隠れ、大きな山門は真黒に一層大きく眺められた。

 


 結婚式はまだ先で、今は「見合」中なので、直子は「許嫁」ということになるわけだが、この「見合」中に、芝居見物をするというのは、前回も書いたと思うが、どうにも違和感がある。時代の風習ということなのだろう。

 しかし、それにしても、なぜ、その芝居が「心中天網島」なのだろうか。紙屋治兵衛と二人の女のドロドロした情念の芝居は、どうにもふさわしくない。女房がいるのに、遊女に惚れた男が、結局女房を捨てて遊女と心中するという話は、いくら歌舞伎にしたって、見合の最中に観るべき芝居じゃなかろう、ってぼくは思うけど。

 謙作は、その芝居を見ながら、役者への不満を感じつつ、余計な情動に心を煩わされる。ある意味では人間が、激しい性欲の衝動の犠牲になっていく近松のこの芝居は、謙作の中の性欲をも刺激したということだろうか。

 「彼はむしろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、それが同一人である事が不思議にさえ思われた。」という一節は、読解力不足のぼくには、どういうことなのか、よく分からないのだが、役者への不満で芝居に集中できない謙作は、自然直子を意識することとなり、二ヶ月前に一目惚れした直子が、今こうして自分の目の前にいることに「不思議」を感じると同時に、自分の中に「どうにも統御出来ない自身の惨めな気分」が沸き起こるのを意識したということだろうか。

 「どうにも統御出来ない自身の惨めな気分」というのは、もちろん「性欲」である。それは、「お栄との結婚の予想が彼を一時的に放蕩者にしたように、此度もまた、多少病的にそうなった事が、彼を疲らし、彼の神経を弱らし切っていたのだ。」という部分で明らかだ。

 しかし、それにしても、この「見合」の最中に、そうした自分の性欲が「統御不能」になるほどに高まってしまうというのは、やはり「病的」としかいいようがあるまい。そうした病的な自分の欲望をもてあまし、とにかく、一人になりたかった。そうすることで、その欲望の対象から離れたかったのだ。

 「結婚」と「性欲」の問題は、常に文学の源泉だった。紙屋治兵衛にしても、結婚生活のなかに性欲の充足を感じていれば、遊女に走ることもなかったわけだ。性欲が結婚から逸脱してしまうので、さまざまな問題が起きる。それが文学のテーマともなる。石田純一じゃないけど、「不倫は文化」だというのは、文学の立場からすれば、あながち間違っているともいえないのだ。

 ただ、例えば、白樺派の代表的な作家の武者小路実篤などの恋愛小説では、性欲の問題は真正面には出てこない。出てこないどころか、性欲など恋愛にも結婚にも関係ないといった風情も見られたような気がする。(「友情」とか「愛と死」とか。)有島武郎の「ある女」も、かなり前に読んだきりだが、あまり、性欲の問題は前景には出てこなかったような気がする。

 そうした中で、志賀直哉の場合、どこか謹厳実直に見えるその風貌からは予想もつかない欲望がなまなましく語られることは、注目すべきことではなかろうか。

 芝居がはねてから外に出て、一人になった謙作の心境は、透明感に満ちていて印象的である。

 「籠を出た小鳥のような自由さ」──それは「性欲という籠」に閉じ込められてその中で格闘していた自分が、そこから解放されたすがすがしい気分だ。その謙作を、「高くかかった月」「知恩院の大きな山門」が包みこむ。

 この「鳥」は、しかし、再び「籠」の中に閉じ込められていくのだろうか。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 224 志賀直哉『暗夜行路』 111  読解力が足りない  「後篇第三  十二」 その2

2022-08-09 11:42:39 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 224 志賀直哉『暗夜行路』 111  読解力が足りない  「後篇第三  十二」 その2

2022.8.9


 

 国語の教師を42年間も曲がりなりにも続けてきたというのに、どうも、昔からぼくには読解力がない。もちろんぜんぜんないわけではないけれども、どうにも「普通じゃない」ところがある。

 家内と一緒にサスペンスなんかを見ていたころに、ぼくには「え? どうして?」ってところが多々あって、その度に、家内は「どうしてこんな当たり前のことがわからないの?」と呆れたものである。最近では、2時間ドラマなど見る余裕がないが、それでも、生活の至るところで、家内の「どうして、そんなことが分からないの?」は、毎日のようにあって、ぼくの「読解力のなさ」あるいは「文脈の読めなさ」には、ますます磨きがかかっているのである。

 そんなぼくが、「暗夜行路」なんぞを、えんえんと「精読」しているのだから、そのトンチンカンぶりも、なかなか堂に入ったもので、前回も、その恰好の例が出た。その部分を再度引用しておく。

 

謙作は直子を再び見て、今まで頭で考えていたその人とは大分異う印象を受けた。それは何といったらいいか、とにかく彼は現在の自分に一番いい、現在の自分が一番要求している、そういう女として不知(いつか)心で彼女を築き上げていた。一卜言にいえば鳥毛立屏風の美人のように古雅な、そして優美な、それでなければ気持のいい喜劇に出て来る品のいい快活な娘、そんな風に彼は頭で作り上げていた。総ては彼が初めて彼女を見たその時のちょっとした印象が無限に都合よく誇張されて行った傾きがある。そして現在彼は同じ鶉(うずら)の枡(ます)に大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺(こじわ)の少しある、何となく気を沈ませている彼女を見た。髪はその頃でも少し流行らなくなった、旧式ないわゆる廂髪で、彼は初めて彼女を見た時どんな髪をしていたか、それを憶い出せなかったが、恐らくもっと無雑作な、少しも眼ざわりにならないものだったに違いないと思った。

 

 この中の「そして現在彼は同じ鶉の枡に大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺の少しある、何となく気を沈ませている彼女を見た。」について、「『鶉の枡』というのは着物の柄なんだろうけど、調べても分からなかった。知っている人がいたら教えてください。」と書いた。「知っている人がいたら教えてください。」なんて臆面もなく書いたけれど、調べることは調べたのである。しかし、どうにも分からなかった。

 というのも、ぼくのこの解釈には、決定的な誤りがあって、それは「鶉の枡」が「着物の柄」だと思い込んだことである。どうしてそう思い込んだのかというと、「鶉の枡に大柄な」とあるので、まず「大柄な」を「着物の柄」だと思ってしまっのだ。そのため、大柄な着物の柄に「鶉の枡」あるいは「鶉枡」という柄があって、そのことを言っているのだろうと考え、懸命に、着物の柄を調べたのである。検索の途中で、何度も、昔の劇場の桟敷席の図などが出てきて、それが「鶉枡」だという説明が出てきたのだが、そうか、それをどう着物の柄にしたのかなあと考えてしまったのだった。

 それで、行き詰まってしまい、「知っている人がいたら教えてください。」と書いた。それは、昔からの友人の何人かが(たぶん2人だが)、毎回きちんと読んでくれていて、そのうちの横浜に住んでいる一人は、毎回、「誤植」を指摘してくれているのだ。もう一人は、遠い都に住んでいるのだが、時折、的確な感想をメールで送ってきてくれる。

 なにしろ、「暗夜行路」だけで、すでに100回を超えるという「長大作」なので、そうそう読んでくれる人もいないわけだが、毎回熱心に読んでくれているのが嬉しくて、なんとか書き続けているのだ。

 で、二人のうちの西の都に住む友人が、すぐにメールをくれて、


鶉の枡は、知ってる人は知ってるので、
もうムダかなとおもいつつ、
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/kabuki2015/2015/11/post-48.html
をご覧ください。

 

というリンクを送ってくれた。そのリンクをみると、ぼくがさんざん検索で目にしてきた昔の劇場の観客席の絵である。それを見て、「だからさ、それは見たのよ。ぼくが探しているのは着物の柄なんだけどなあ。」と心の中で呟いたその瞬間、ぼくは自分の誤りにハタと気づいたのである。

 もう一度その部分を引こう。

 

そして現在彼は同じ鶉の枡に大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺の少しある、何となく気を沈ませている彼女を見た。

 

 問題は「鶉の枡に」の「に」だ。「鶉の枡に、大柄な」と続けて読んだために(しかし、普通はそうは読まない。)、「大柄」が着物の柄だと思ってしまった。しかし、「大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺の少しある、何となく気を沈ませている彼女」となっているのだから、「大柄な」は、彼女の体格を言っていることは明らかで、これを「着物の柄」だととるなんぞは、まさに「読解力不足」の真骨頂である。しかし、まあ、ここを「に」だけで済ませずに、「鶉の枡の中に」と書いてくれれば、そういうバカな読み方は防げるわけなのだが。

 ところで、この構文は、英語の言い方によく出てくるヤツだ。これを普通の日本語に直せば、「そして、大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺の少しある、何となく気を沈ませている彼女が、彼と同じ鶉の枡に座っているのだった。」といった感じになる。(これが「普通」かどうか分からないけど。)何もこんな言い直しをしなくても、普通の読解力を持っている人間なら、即座に分かるのだろうが、ぼくは、これが分からなかったのだ。分かってしまえば、もう読み違えようのないくらい明晰な文章なのだが。

 そんな、こんなで、つい先日、もう一人の横浜に住む友人から、翻訳サイトの「DeepL」というのがスゴイということを聞いていて、いろいろ試している最中なので、これを英語に翻訳させてみたら、以下のようになった。対訳式に、引用しておく。

 

謙作は直子を再び見て、今まで頭で考えていたその人とは大分異う印象を受けた。それは何といったらいいか、とにかく彼は現在の自分に一番いい、現在の自分が一番要求している、そういう女として不知(いつか)心で彼女を築き上げていた。一卜言にいえば鳥毛立屏風の美人のように古雅な、そして優美な、それでなければ気持のいい喜劇に出て来る品のいい快活な娘、そんな風に彼は頭で作り上げていた。総ては彼が初めて彼女を見たその時のちょっとした印象が無限に都合よく誇張されて行った傾きがある。そして現在彼は同じ鶉(うずら)の枡(ます)に大柄な、豊頬な、しかし眼尻に小皺(こじわ)の少しある、何となく気を沈ませている彼女を見た。髪はその頃でも少し流行らなくなった、旧式ないわゆる廂髪で、彼は初めて彼女を見た時どんな髪をしていたか、それを憶い出せなかったが、恐らくもっと無雑作な、少しも眼ざわりにならないものだったに違いないと思った。


When Kensaku looked at Naoko again, he had a very different impression of her from the one he had been thinking about in his mind. He had built her up in his mind as the kind of woman who was the best for him, the kind of woman he most desired. In a word, she was as elegant and graceful as a beautiful woman on a bird's-ear screen. All in all, it was a slight impression he had had of her when he first saw her, which he had conveniently exaggerated to an infinite degree. And now he saw her in the same quail's box, large and full-cheeked, but with a few wrinkles at the corners of her eyes and a somewhat somber appearance. Her hair was the old-fashioned, so-called "brim hairstyle," which had fallen out of fashion even then. He could not remember what kind of hair she had when he first saw her, but he thought it must have been something more unkempt and unappealing to the eye.

 


 英語はよく分からないけど、これは相当分かりやすい訳ではなかろうか。特に、問題となっている部分を見ると、「And now he saw her in the same quail's box, large and full-cheeked, but with a few wrinkles at the corners of her eyes and a somewhat somber appearance. 」となっている。

 なんとわかりやいことよ! これなら誤読する気遣いはない。

 その昔、正宗白鳥だったかが、源氏物語は英訳のほうが分かりやすいって言ったことがあったらしいが、まったくムベなるかなである。「暗夜行路」もよく分からなくなったら、「DeepL」に翻訳してもらおうか。

 

 

 


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木洩れ日抄 89 井上ひさし「父と暮せば」を観て  劇団キンダースペース@キンダースペースアトリエ 2017.12.7

2022-08-08 17:26:29 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 89  井上ひさし「父と暮せば」を観て  

               劇団キンダースペース@キンダースペースアトリエ 2017.12.7

2022.8.8


★この「劇評」は、2017年12月8日に、フェイスブックに投稿したものですが、こちらに再掲します。

 

 演劇を愛する者として、恥ずかしいことだが、この芝居、初見だった。やはり名作だなあとの感を深くした。
いろいろと考えたことはあるが、まずは、演者の小林さんと深町さんと、こうして続々と名作を舞台に送りつづけるキンダースペースに感謝したい。

 被爆体験は、今でも、各地で語り継がれているのだろうが、そして、広島・長崎では、語り手が高齢化したとはいえ、今なお実体験者の方々が懸命に語り継いでいるだろう。だろう、としか言えないのは、ぼくがそれを聞いていないからだ。
この芝居の成立の事情を詳しく知っているわけではないが、井上ひさしが被爆者の体験手記などを丹念に読んで、その体験を、語りとして舞台に現出させていることがよく分かる。

 いつか、被爆体験者はこの世からいなくなる。その時、誰が、その体験を語るのか。その答のひとつがここにある。

 今回の舞台を見ながら、「被爆体験」が、西川口の小さな劇場空間の中に、くっきりとした輪郭をもって立ち現れるのを感動をもって「体験」した。それは、鍛え抜かれた深町さんの演技力によるものでもあるが、また同時に、言葉が本質的に持つ力にもよるのだ。

 「言語化」することは、なんと大事なことだろうと、見ていて何度も思った。その「言語」を、空間の中に解き放ち、他者の心へしっかりと届ける「役者」というものは、なんとスゴイものなのだろうと、それも何度も思った。

 深町さんの透明で芯のある声が、次々と悲惨な光景を観客の心のなかに描き、小林さんのあたたかく包みこむような声が、その悲惨さを「むごいことじゃのう」と受け止める。観客も、小林さんとともに、深くうなずく。共感とは、こういうことだろう。

 葛藤はすべて生きている者の中にあり、死者は、ひたすら許す者、応援する者として存在する。許し、応援するものとしての死者。しかも、その死者は、生きている者の夢と希望によって「成り立っている」。生者の希望が、死者を存在させる。だとしたら、生きる者にとって、希望は、むしろ義務である。

 見事な戯曲、そして見事な舞台だった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1722 寂然法門百首 70

2022-08-07 15:47:01 | 一日一書

 

心懐恋慕渇仰於仏

 

わかれにしその俤(おもかげ)の恋しきに夢にも見えよ山の端の月

 

半紙

 

【題出典】『法華経』64番歌題に同じ。


【題意】 心懐恋慕渇仰於仏

心に恋慕を懐き、仏を渇仰して


【歌の通釈】
別れてしまったあなたの(仏の)その面影が恋しくて、夢にだけでも現れてくれ、恋人よ山の端の月が昇るように(仏よ霊鷲山に)


【考】
恋人との死別。残された者は、せめて夢の中だけでもその姿に会いたいと願う。釈迦に先立たれた我々も同様の心になるではないか、と言った。『法華経』のこの場面を恋の情趣豊かに詠んだものとして、「思ひねの夢にもなどか見えざらんあかで入りにし山の端の月」(月詣集・釈教・心懐恋慕の心をよめる・一〇六三・殷富門院大輔)は影響歌。また、『発心集』第五・四「亡妻現身帰来夫家事」は、澄憲の語ったという、夫の強い心ゆえに亡妻が姿をあらわしたという話しを引き、「凡夫の愚かななるだにしかり。況や仏菩薩の類は、心をいたして見んと願はば、其の人の前にあらはれんと誓ひ給へり」と評する。これは、この左注の説き方と極めて類似している。長明や安居院の説法に、この『法門百首』が影響を与えている一端を窺うことができる。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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