日本近代文学の森へ (216) 志賀直哉『暗夜行路』 103 苦しい夜 「後篇第三 九」
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2022.5.8
京都へ帰ってくると、石本が来ていた。結婚話は、いい具合に進んでいるらしい。
石本からの報告を聞いて、謙作は、素直に石本に礼を言えた。そういう自分の変化に少し戸惑っているような謙作である。
謙作は京都で住む家をみつけていたが、そこに荷物も届いた。
先発の荷が着いたので、謙作は人を頼み、入る家を掃除させ、其所で荷造りをほごさせた。
福吉町(ふくよしちょう)以来の女中は暇を取る事になったので、彼は代りを宿に頼んでおいた。そして間もなくそれが見つかり、その日も謙作から知らせたわけではなかったが、手伝いに来ていた。瘠せた婆さんで、引込んだ眼や、こけた頬や、それが謙作に目刺しを想わせた。仙という名だった。そしてその晩から仙だけ其所へ泊る事になった。
「福吉町以来」とあるが、「福吉町」なんてここで初めて登場する。調べてみたがどこだか分からない。
新しい女中の紹介が、「瘠せた婆さんで、引込んだ眼や、こけた頬や、それが謙作に目刺しを想わせた。」とあって、簡潔だが、面白い。「目刺しのような婆さん」かあ。聞いたことのない比喩だ。名前も「仙」となると、なぜか小骨っぽい感じがする。
それから三日ほどして、朝、お栄が着いた。お栄は家の方をすっかり片附けて行きたがった。
「沢山です」と謙作はいった。「後の荷も着かないし、僕の世話より、ゆっくり見物をなさい。その方が此方(こっち)も嬉しいんです。いく日位いられるのですか?」
「四、五日したら岐阜から来るはず」
「そんならなお、引越しなんか、どうでもいい。まあ、僕に任せて下さい」そういって宿へ落ちつくと、直ぐ彼はお栄を見物に連出した。
その前、お栄は旅鞄から奉書の紙に包んだキャビネの写真を彼の前へ出して、
「一昨日(おととい)届いたの」といった。
「うむ、これです。余り鳥毛立(とりげだち)でもないな」と謙作はいった。
お栄は愛子と比較してちょっと何かいった。それには古い不愉快に対する女らしい反感が響いていた。それを愛子でいったのが謙作には不愉快だったが、しかしやはりあの頃の色々いやな事が憶い浮んで来ると、ちょっと腹立たしい気持にもなり、彼は黙っていた。
お栄は、相変わらず、謙作の周辺にいて、なにかと世話をやいている。といって、謙作に未練があるようでもない。むしろ謙作のほうが、まだ未練を捨てきれない。
お栄のところに、結婚相手の写真を送ったらしい。その写真について、お栄が何を言ったのかちゃんと書かれていないが、どこかで感情がきしむ。そのところがどういうことかよく分からない。
「愛子と比較してちょっと何かいった」とは、何を言ったのか。「古い不愉快に対する女らしい反感」とは何なのか。これではなんのことやら分からない。けれども、「あの頃の色々いやな事が憶い浮んで来ると、ちょっと腹立たしい気持にもなり」となると、そこは分かる。愛子へ求婚したのに、「出生の秘密」を自分は知らないままに拒絶されたこと。それはやはり、いつまでたっても消えない傷なのだ。
とすれば、それを百も承知のお栄が、なんでまたここで、「愛子」を持ち出して「比較」するのか。そんな余計なことをどうしてするのか。それは、何らかの「嫉妬の感情」しか考えられない。
まあ、それを詮索するすべもないが、謙作がお栄に対する妙な未練だけは、依然として続いている。謙作はお栄を京都見物に連れ出し、見るもの見るものに説明するのだった。
謙作はお栄がうるさく思うだろうと自分でも思えるほど、見る物、見る物に説明したくなって弱った。子供らしい気持だと思いながら止められなかった。殊に対手がお栄だと、自然臆面なく自分の子供らしさが出るのであった。
こういうところを読むと、謙作のお栄に対する愛情は、やはり母への愛情に重なるのだろう。母に甘えた経験のない謙作は、どうしてもお栄に甘えてしまうのだ。しかし、それだけでもない。お栄に対する性愛の衝動はやはりまだ根深く存在しているのが次のようなところを読むとよく分かる。
暗くなって二人は宿へ帰って来た。其所には狭い座敷に掛蒲団の端しを重ね合わして二つの寝床がとられてあった。出掛けに、それを訊かれ、謙作は何気なく、「いえ、この部屋でかまいません」と答えたのだが、今それを見ると彼は永年一緒に暮して来て、(極く子供の頃は別として)お栄と二人こう一つ部屋に寝た場合を一度も憶い出せなかった。
「少し窮屈だな」彼はちょっと顔をしかめ、独言のようにいった。お栄はまたそれとはまるで別な心持で、枕元の僅かな空地に、疲れた身体を据えるように坐り、
「おかげで、思いがけない見物をしました」と、もう見物が皆、済んだような事をいった。
「これで、かまいませんか?」
「ええ、結構」
「もう、直ぐ寝るんでしょう?」
「謙さんは?」
「僕は少し町を散歩して来ます」
「そう、それじゃあね、私、昨晩汽車でよく眠むれなかったから、お先へ失礼します」
「ええ、そんなら直ぐお休みなさい」
謙作は町へ出れば大概寺町を真直ぐに下がるのが癖のようになっていた。そして今もその道を歩きながら、やはり、彼は無心ではなかった。
晩くなって帰って来た。お栄は明かるい電燈の下でよく眠入っていた。最初彼が帰って来た事も知らぬ風だったが、少時(しばらく)して、まぶしそうに薄眼を開くと、ちょっと醜い顔して、「今、お帰り?」といい、直ぐ寝返りを打ってうしろを向いてしまった。
お栄が何を思っているのか分からないが、謙作の気持ちの動きはよく分かる。長年お栄とは同じ家に暮らしてきたのだが、同じ部屋に蒲団を並べて寝たことは一度もない。そのことに、謙作は心が動くのだが、お栄は、さっさと寝てしまう。散歩に出かけた謙作は「無心ではなかった。」ということになる。
これから新婚生活を送ることになるであろう家で、謙作は、並べた蒲団に「無心」で寝られないのだ。しかし、そんな謙作の気持ちを知らないはずのないお栄(彼女は謙作から求婚されたことがあるのだ)は、どうしてまた、謙作の新居にやってくるのだろう。
家に帰った謙作は、眠れないままに、シェイクスピアの喜劇などを読むが、やっぱり寝られない。
半分ほど読んだ。そして彼は電燈を消し、案外早く眠りに沈んで行った。が、どれだけか経って、彼は不意と、丁度人に揺り起されたかのように、暗い中ではっきりと眼を覚ましてしまった。そしてもう眠れなかった。眠ろうといくら努めても眠れなかった。直ぐ側にお栄の安らかな呼吸が聞こえている。
それでも頭が疲れて来、ぼんやりと、熱を持ったようになると、実際部屋の空気も濁り、暑苦しくもなっていたが、彼はやはり苦しさから、自分の腕をドサリとお栄の方ヘ投げ出したりした。
「苦しい夜」である。
翌朝、ここはやっぱり狭いということで、別に部屋を借りようかという話になる。
「この座敷は二人じゃあ、やはり狭いのね」
「今日変えましょう」
「もし謙さんにお仕事でもあるなら、別に借りてもいい、今どうなの?」
「何にもしてません」謙作はお栄のこういう言葉をどう解していいか分らなかった。
単にいってるだけの意味のものか、もっと考えていっているのか見当がつかなかった。しかし何れにしろ、彼は別に困らなかった。前夜の彼の苦しみを知っていていってるとしても、お栄に対し、彼はほとんど恥かしいという気は起こらなかった。それは恥知らずの気持ではなかった。総てを赦していてくれるだろうというむしろ安心からであった。もしそれがお栄に知られたとしても、そのため、お栄は怒りもせず、また自分を軽蔑しもしないだろうという気がはっきりしていたからであった。
う〜ん、どうなってるんだ、この二人は。謙作も謙作なら、お栄もお栄だ。などとじれったく思って読んでいると、今度は一緒に嵐山にいったりして、金閣寺にも寄ろうとするが、お栄はもうたくさんだというので、家に帰った。その翌日、岐阜に行っていたお才からの電報がきて、その次の日、謙作はお栄と一緒に停車場に行く。
その翌日二人は時間を早めに停車場へ行った。
「多分三等だろうと思うの」こういってお栄は下関までの汽車賃を謙作に渡した。
「あの人だけですか?」
「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」
「子供があるんですか?」
「本統の子供の事じゃ、ないの……」お栄は仕方なしに苦笑した。「──京都からも一緒になるのがあるかも知れない」
年のよく分らない脊の低い、眼瞼(まぶた)のたるんだ一人の女が華美(はで)ななりをし、大きな男の人形を抱いて、先刻(さっき)から、その辺をうろついていた。それに二人の連(つれ)だか見送りだかの女がついていた。謙作は何という事なし、それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。
皆がプラットフォームに出ている所に下りの汽車がついた。三等客車の、一つからお才と他の二人の若い女が顔を出していた。そして、眼瞼のたるんだ女は五十余りの女に手を惹かれながらその方へ急いでいた。お栄がこういう連中の一人になる事は謙作にはちょっと堪らない気がした。彼は見知らぬ二人の見送人と一緒に三等客車の窓の前に一足退がって変に空虚な心持で立っていた。
見送りの若い方の女が一人で、しきりにはしゃいでいた。先年は泣かない約束で来て、泣いてしまったが、今こう自分がはしゃげるのは今度こそ成功なさる前兆だろう、などといった。こんな話を聴くにつけ謙作はお栄のために危なっかしい気がした。
「そんな附景気ばかりいってないで、ちっと、お前さんの資本を此方(こっち)へお廻しなさい」お才はその若い女に椰楡(からか)った。「お前さんの六百円の電話を売って、それだけでもいいからお廻しなさい」
つけつけいわれて若い女は不安そうな顔をした。お栄はお才の後ろで、黙って穏やかに微笑していた。そして、それが見かけは大変よかったが、同じような心持でお才から勧められ、それにうまうま乗せられ、これから冬に向かって天津くんだりまで金を失いに出掛けて行くのだと思うと、謙作はその若い女よりも「馬鹿だな」と頭ごなしにいってやりたいような気持になった。
(注)「附(付)景気」=「実際はそうでないのに、景気がいいように見せかけること。から景気。」
《 》部は傍点を意味する。
ここはどうにも分からないことだらけなのだが、「下関までの汽車賃」をどうしてお栄は謙作に渡すのだろうか。このことの説明が前にあったのだろうか。(ぼくが忘れてるのか?)「眼瞼のたるんだ女」が抱いている「大きな男の人形」って何だろう? 「本統の子供の事じゃ、ない」という《こども》って何を意味しているのだろう?(分からない)「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」とお栄が言ってるのに、「それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。」というのは、書き間違いなのか?
と、まあ、珍しく文章が乱れているとしか思えないのだが、とにかく、なんだか怪しい連中と一緒に「天津くんだり」まで出かけていくお栄に、「『馬鹿だな』と頭ごなしにいってやりたいような気持になった。」というなら、どうして実際にそうしないのか。これまでのいきさつもあるけれど、やっぱり、このまま見送るっていうのは、いかにも薄情に思えるのだが。