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一日一書 1718 寂然法門百首 66

2022-05-30 08:48:18 | 一日一書

 

不自惜身命

 


かりそめの色のゆかりの恋にだにあふには身をも惜しみやはせし
 

 

半紙

 

小篆

 

【題出典】『法華経』寿量品


【題意】 不自惜身命

自ら身命を惜しまざれば


 
【歌の通釈】
はかなさと縁のある恋でさえ、逢うことに身は惜しんだだろうか。ましてや仏に逢うためならば惜しむことなどないはずだ。


【考】

はかない恋のために身を捧げることができるのなら、永遠の仏に会うために身を惜しまず修行することなどたやすいことだろうという趣向。恋心を昇華して仏道を求める心に仕向けようとする。勝命法師の「かりそめのうき世ばかりの恋にだにあふに命を惜しみやはする」(玉葉集・釈教・二六六六)、また法然の「かりそめの色のゆかりの恋にだにあふには身をもおしみやはする」(空華和歌集)と、酷似する歌が見られる。この歌が唱導的な内容であることから、他の高僧のものとして伝わっていったのだろう。また、定家は『殷富門院大輔百首』「寄法文恋五首」の中の「我不愛身命」題で「あぢきなやかみなき道ををしむかは命をすてん恋の山辺に」(拾遺愚草・二九七)と詠んでいて、これも影響歌であろう。そもそもこの「寄法文恋」というような題自体が、『法門百首』恋部の試みに剌激されてのものである。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


---------------------

▼恋の想いを神への想いに昇華するということは、すでに旧約聖書に見られます。つまり「雅歌」と呼ばれるのがそれです。人間の考えることというのは、実は、みな「同じ」なのかもしれません。結局は「一つの種」なのですから。

 


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日本近代文学の森へ (218) 志賀直哉『暗夜行路』 105 仙という女 「後篇第三  十」その1

2022-05-29 13:21:52 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (218) 志賀直哉『暗夜行路』 105 仙という女 「後篇第三  十」その1

2022.5.29


 

 謙作はいよいよ新しい寓居(すまい)に引移る事にした。秋としてはいやに薄ら寒い風の吹く曇り日であったが、仙が後の荷も着いたからと、それをいいに来たので、彼は早速移る事にした。彼は自分で自分の部屋の始末をしたり、菰包(こもづつ)みの藁縄を解いたり、差し当り要らないような道具を屋根裏の物入れにかつぎ上げたりすると、頭からは埃を被ぶり、手や顔はざらざらに荒れ、それに寒さから来る頭痛や、埃から来る鼻のむずむずする事などで、すっかり気分を悪くした。
 婆ァやの仙はよく豆々しく働いていたが、何彼(なにか)につけ話し掛けるので、彼は気分が悪いだけに少し苛々して来た。
 「これ、何どすえ?」こんな風に話しかけて来る。
 「どれ?」
 「お炬燵(こた)と違いますか?」仙は両手で重そうに鉄の足煖炉(あしだんろ)を持っている。
 「足煖炉だ。何所(どこ)かへしまっといてくれ」
 「足煖炉。へえ。これお使いしまへんのか」
 「使うかも知れないが、今要らないからしまっといてくれ」
 「……どうぞ私に貸しておくりゃはんか。夜(よ)さり腰が冷えて、かなわんのどっせ」いじけた賤しい笑いをしながら仙はちょっと頭を下げた。謙作は不快な顔をしながら、いやに図々しい「目刺し」だと考えた。しかしそういわれて、いけないとはいいにくかった。で、彼は仕方なく、「よろしい」というのだが、一度「目剌し」が寝床へ入れた物はもう使えないと思い、勿体ない気もするのだ。しかしわざわざ東京から重い物を持って来て、直ぐ「目刺し」に取上げられてしまう、そういう主人公を滑稽にも感じた。

 


 謙作の京都での生活が始まる。仙という婆やがお手伝いとして住み込む。はじめのうちは、謙作は、仙が気に入らないが、だんだんと仲もよくなっていく。その過程が丁寧に描かれている。こういうところを決してゆるがせにしないところが、志賀直哉の素晴らしいところだ。

 「足煖炉」というのは、今でいうとろの「足温器」だろう。ぼくが子どものころは、湯たんぽとか、「あんか」と呼んでいたが、「豆炭」をいれた足温器があった。ここで出てくる「足煖炉」は、かなり重そうだから、もっと大がかりなものかもしれない。

 仙を最初に見たとき、その顔つきから、謙作は、「目刺し」を思ったとあるが、ここでは、もう仙を「目刺し」と言っている。

 体の「不快さ」は、そのまま気分の「不快さ」に連結して、謙作は、「目刺し」が不快でならない。しかし、「目刺し」が、「足煖炉」を貸してくれというと、図々しいヤツだと思いつつ、「いけない」とは言いにくくて、「よろしい」と言ってしまう。けれども、潔癖な謙作は、一度人のつかった「足煖炉」を使う気にはなれない。それほど潔癖なら、むしろ、「いけない」と言って断っても差し支えないのに、「よろしい」と言ってしまう。尊大なようでいて、根がやさしい謙作である。

 「そういう主人公を滑稽にも感じた。」という表現は、この小説の中では目新しい。「主人公」という言葉自体は、前編にも何度も出てくるが、それは、小説の説明をしている部分であって、謙作自身を「主人公」と表現しているのは、ここだけだ。

 ここだけなので、大きなことは言えないが、「暗夜行路」は、私小説的でありながら、どこか「主人公」たる謙作を、突き放して眺めている風情があると言えるだろう。謙作は限りなく志賀直哉に近いが、そういう謙作を、つまりは「自分」を、志賀直哉は、離れたところから眺める余裕があるということだ。あるいは、ここで「主人公」と思わず(あるいは意図的?)書いてしまうところに、あくまで志賀直哉が、「フィクション」としての「暗夜行路」を書いている(書こうとしている)ということが明らかになる、というべきか。

 もちろん、「暗夜行路」は純然たる私小説ではなく、「フィクション」である。しかし、そこに登場する「謙作」という「主人公」の、様々な場面での心の動きは、志賀が「考え出した」というよりは、志賀自身のものとしかいいようのないところが多いのだ。

 したがって、この小説を書いている志賀に即してみれば、全体を「フィクション」として構成しているにもかかわらず、時として、自分自身の心の動きを書いているという事態になるのだろう。そのとき、ふと、あ、そうだ、謙作はそのままオレじゃないんだという意識が動き、こうした「主人公」という表現が出てくるのではなかろうか、と、まあ、そんな風に考えるのだ。

 


 前に来ていた荷で、大きい金火鉢と入れこにして来た盥(たらい)の底が抜けかけているというので、
 「それは直しにやったか?」と彼は訊いてみた。
 「やりまへん」と仙は当然の事のように答えた。
 「何故やらない」
 「桶屋はんが廻って来やはらへんもの……」
 「来なければ持って行ったらどうだ」
 「阿呆らしい。あんな大きな盥、女御が持って歩けますかいな。何所(どこ)までや知らんけど……」
 「頭へ載っけて太鼓を叩いて行くんだ」
 「阿呆らしい」
 謙作は苛々するのを我慢しようとするとなお苛々した。しかし間もなく銭湯へ行きさっぱりした気持になって帰って来ると、苛々するのもいくらか直っていた。
 仙との関係が本統に落ちつくまでは少し時がかかりそうに思えた。仙は書生を一人世話するという割りに気軽な心持で来たらしく、そして謙作も書生には違いなかったが、そして雇うた人、雇われた人という以上に出来るだけ平等にしたい考もあるのだが、或る気持の上の《がざつ》さに対してはやはり我慢出来ない事があった。仙がそれを呑込むまでは時々不快な事もありそうだと彼は考えた。
 「俺が机に向かっている時は如何(どん)な用があっても決して口をきいちゃあ、いかんよ」こういい渡した。
 「何でどす?」仙は驚いたように細い眼を丸くして訊き返した。
 「何ででも、いけないといったらいけない」
 「へえ」
 そして仙はこれを割りによく守った。呆然(うっかり)何かいいながら入って来て、その時謙作が机に向かっていると、
 「はあ! 物がいわれんな」こんなにいって急いで口を手で被(おお)い、引き退がって行った。
 謙作は仙の過去に就いてほとんど知らなかった。ただ、もし生きていれば彼と同年の娘が一人あったという事、それに死別れ、兄の世話になっていたが、最近それにも死なれ、その後、甥夫婦にかかって見たが、何となく厄介者扱いにされるような気がされるので奉公に出る事にした、この位の事を謙作は聴いていた。
 仙は台所で仕事をしながらよく唄を唄った。下手ではなかったが、少し酒でも飲むと大きい声をするので、謙作は座敷から、
「やかましい」と怒鳴る事もあった。

 


 この謙作と仙との細やかで、ユーモラスなやりとりは、次第に二人の仲が、よい方向へ向かっていくことを予感させる。

 盥が重かったら頭にのっけて、太鼓をたたいて行け、なんて、馬鹿馬鹿しいけど、トゲがない。「頭に乗っけて」だけだと、現実味があるけど、「太鼓をたたいて行け」となると、コントになっちゃうので、仙も、「阿呆らしい」といって笑っただろう。その証拠に、この後、謙作は、銭湯にいってさっぱりした気持ちになって、イライラも「いくらか直って」いる。これは、銭湯の効果だけじゃなくて、そのまえの「阿呆らしい」やりとりの影響だろう。

 「雇うた人、雇われた人という以上に出来るだけ平等にしたい考」があった謙作は、明治のゴリゴリの権威主義者ではなかったということだろう。「雇った人」だから、「雇われた人」に対して何を命じてもいいとは思っていない。それどころか対等の人間関係を築こうとしている。けれども、謙作の潔癖とか、気難しさが、それを阻むわけだ。

 これを仙の側から見れば、仙自身は決して卑屈になってはいない。机に向かっているときは、話しかけるなと言われて、「なんでどす?」と率直に聞き、理由もなしにダメなものはダメといわれると、「割りによく守った」。そして、うっかり話しながら部屋に入ってくると、「『はあ! 物がいわれんな』こんなにいって急いで口を手で被(おお)い、引き退がって行った。」というあたりは、仙の屈託のない人柄が見事に描き出されている。

 こうした女中さんのような人物についても、生き生きと描き分けていく文章の手腕は、やっぱりすごい。

 だからこそ、次のような展開が、ごく自然に心に入ってくるのである。

 


 しかし日が経つに従って段々よくなった。謙作の方も仙のする事がそれほど気にならなくなったし、仙の方も年寄りにしてはよ<謙作の気持に順応して行くよう、自身を努めていた。そして京都人だけに暮らし向きを一任してしまうと、無駄なく、万事要領よくやって行った。酒も煙草も飲む方で、煙草は謙作の吸余しをほぐして煙管へつめていた。
 謙作は初め想ったより仙を少しずつよく想うようになった。

 


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日本近代文学の森へ (217) 志賀直哉『暗夜行路』 104 文学は楽しい 「後篇第三  九」その2

2022-05-14 14:30:06 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (217) 志賀直哉『暗夜行路』 104 文学は楽しい 「後篇第三  九」その2

2022.5.14


 

 その翌日二人は時間を早めに停車場へ行った。
 「多分三等だろうと思うの」こういってお栄は下関までの汽車賃を謙作に渡した。
 「あの人だけですか?」
 「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」
 「子供があるんですか?」
 「本統の子供の事じゃ、ないの……」お栄は仕方なしに苦笑した。「──京都からも一緒になるのがあるかも知れない」
 年のよく分らない脊の低い、眼瞼(まぶた)のたるんだ一人の女が華美(はで)ななりをし、大きな男の人形を抱いて、先刻(さっき)から、その辺をうろついていた。それに二人の連(つれ)だか見送りだかの女がついていた。謙作は何という事なし、それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。
 皆がプラットフォームに出ている所に下りの汽車がついた。三等客車の、一つからお才と他の二人の若い女が顔を出していた。そして、眼瞼のたるんだ女は五十余りの女に手を惹かれながらその方へ急いでいた。お栄がこういう連中の一人になる事は謙作にはちょっと堪らない気がした。彼は見知らぬ二人の見送人と一緒に三等客車の窓の前に一足退がって変に空虚な心持で立っていた。
 見送りの若い方の女が一人で、しきりにはしゃいでいた。先年は泣かない約束で来て、泣いてしまったが、今こう自分がはしゃげるのは今度こそ成功なさる前兆だろう、などといった。こんな話を聴くにつけ謙作はお栄のために危なっかしい気がした。
 「そんな附景気ばかりいってないで、ちっと、お前さんの資本を此方(こっち)へお廻しなさい」お才はその若い女に椰楡(からか)った。「お前さんの六百円の電話を売って、それだけでもいいからお廻しなさい」
 つけつけいわれて若い女は不安そうな顔をした。お栄はお才の後ろで、黙って穏やかに微笑していた。そして、それが見かけは大変よかったが、同じような心持でお才から勧められ、それにうまうま乗せられ、これから冬に向かって天津くんだりまで金を失いに出掛けて行くのだと思うと、謙作はその若い女よりも「馬鹿だな」と頭ごなしにいってやりたいような気持になった。
 「ちょいと、これは上へのせた方がいいよ」とお才にいわれると無智らしいその女は黙って、その手を離し、大きい男人形を上の網棚へのせ、そして直ぐまた、元のように坐って、年寄った女の手を取上げ、さも、離せないもののように、それへ頬を擦りつけていた。

《  》部は傍点を意味する。

 

 

 前回の最後の引用部分だが(最後の一段落は前回はカットしてしまっていたので、それも入れた。)、「分からない」の連発になってしまった。

 なにかと気ぜわしい状況で書いていたので、最後の方にきて、めんどくさくなってしまって、丁寧に読み込むことができなかったのだ、という言い訳もできるが、ぼくの読解力のなさの現れでもある。

 アップしてすぐに、旧友Aから、こんなメールが届いた。

 

《こども》っていうのは天津の置屋であずかって、春をひさがせる(これ、日本語としてあってるかな?)女の子なんじゃない? それから、お栄が「京都からも一緒になるのがあるかも知れない」って言ってるんだから謙作も想像ができてておかしくはないと思うけど。ただ「汽車賃」の件は、確かに疑問といえば疑問。素直に読めば謙作が切符を買いに行かされたんだろうけど、そんなパシリに使うとは思えないし。

 

 なるほど、言われてみれば、その通りだ。それなのに、ぼくは《こども》って何を意味しているのだろう? とか、「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」とお栄が言ってるのに、「それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。」というのは、書き間違いなのか? とか、トンチンカンなことを書いている。

 《こども》と傍点付きで書いてある意味が、ぼくにはパッと分からなかったのだ。このメールの後、電話で話したことだが、当時は、人身売買的なことが横行していて、貧しさ故の「身売り」など珍しくなかった。だから、売られてきた(買われてきた)少女が、天津まで連れて行かれるということも当然あったわけだ。だから、「子ども」ではあるけれど、売春をさせられる少女という意味で、隠語的に傍点を付けて《こども》と表現されているわけだ。

 お才は、岐阜から京都へやってくる。その時に、《こども》も連れてくるだろうと、お栄は謙作に言っているわけだ。その岐阜から連れてくるであろう《こども》とは別に、「京都からも一緒になるのがあるかも知れない」というのだ。つまり京都でも《こども》が合流するかもしれない、ということだ。別に、志賀直哉の「書き間違い」ではない。

 まったく、読解力がないこと甚だしい、と、嘆いていたその夜、別の旧友Bからもメールが来た。その全文を引用してみる。

 

 汽車賃を謙作に渡す理由は分からないんだけど、謙作がこれから切符を買うのかなあ。
 で、「こども」は例の店ではたらく娘だとおもうよ。だから、はっきり言わないと謙さんには分からないのね、こまったお坊ちゃんだこと、てな具合で「仕方なしに苦笑した」。「京都からも一緒になるのがあるかも」と言われて、さすがの謙作も気づいたということでありましょう。
 「眼瞼のたるんだ」「華美ななり」の、因果を含められたようにおっきな「男の人形」をかかえて、そこらを「うろついて」いる、ちょっと知恵遅れだかの女の子、って寺山修司の映画だったら、ありそうだなとおもった。寺山修司のばあいでは、すでに陳腐だけど、志賀直哉では、あざやかな描写かも、とおもいました。その白痴みたいな子が、見送りの50ばかりの女の手の甲に頬すりよせるから、この子でも先行きの不安、だからこその別れの嘆きは感じているのに、お栄にはそうした不安・嘆きと無縁らしい、としたら、読者は、謙作の怒りが、お栄に対する危うい感じ、から、さらに憐れみへと変わるだろう、ことを予測するんじゃないかなあ。バカだなと頭ごなしに怒鳴りつけたいけど、そんなことを思ってもみないなんて、お栄はなんてかわいそうな女なんだ、って謙作は考えてしまう。だろうと、読者はおもってしまうのでした。

 


 実に見事なものである。特に「仕方なしに苦笑した」の解釈。まだ頑是無い子どもに売春をさせるということへのはばかりから、わざわざ「こども」とほのめかしたのに、謙作にはちっとも分からない。(その点、ぼくと同じだ。)「はっきり言わないと謙さんには分からないのね、こまったお坊ちゃんだこと。」というお栄の内心の説明は、そうか、そういうことだよね、と納得させる。お栄からすれば、謙作は、「こまったおぼっちゃん」なのだ。でも、大事な息子のような、「おぼっちゃん」なのだ。「仕方なしに苦笑する」しかないではないか。それでも、「京都からも一緒になるのがあるかもしれない」と言われて、謙作は、ハッと気づくのだ。さっきから大きな男の人形を抱いてうろうろしていた女が、その「子ども」に違いないと。

 ここで、一挙に、謙作の前に事態は明らかになる。Bが言うように、一種異様な感じの女の子は、寺山修司の世界に出てくるようなたたずまいだが、そんな子どもも、売られていく。しかも、その子は、とても不安そうだ。そんな「連中」を見ている謙作は、どんな気持ちだったか。Bの解釈で、ほぼ言い尽くされている。

 こんな読解力を身につけたかったとしみじみ思う。

 Bは更に、「愛子」問題にも、きちんとした解答を与えてくれている。

 お栄が、謙作の結婚相手の写真を見て、愛子と比較して何か言ったのに対して、謙作が腹を立てる場面である。そこについて、ぼくは、よく分からないと書いているのだが、Bはこう書く。

 


お栄は「愛子さんなんかより、よっぽど、よさそうな人ですね」とでも、いったんじゃない? 愛子の周辺の人々に、あのときの悔しい思いをぶつけるつもりで、あのとき、ああなって、かえって、よかったかもしれないですね、とかお栄は言いたかったんじゃないでしょうか。愛子は、まったく判断にタッチしてないんだからそれに、愛子への思いは、けなされたくも、けがされたくもない謙作にしたら、愛子の名を出さなくてもいいのに出したのは、不愉快で、でも、それとは別に、やはりあのときの腹立たしさがよみがえって、「黙っていた。」

 


 そうか、そう考えればいいのか。完璧である。

 まあ、AにしろBにしろ、中高時代の友人だが、ぼくなんかよりずっと頭がクリアな人間だから、今更感心してもしょうがないのだが、それにしても、自分の頭の回転がどうも近ごろ鈍くなってきているのを実感するものだから、オレと同じように老いてもなお明晰な頭脳を持つ友人に恵まれていることをありがたいことだと思いつつも、忸怩たる思いもつのるというわけである。

 ただ、AもBも、そしてぼくも、同じように「切符問題」に関しては、ちゃんとした解答ができないのは、志賀直哉のせいだということになるだろう。謙作がお栄のために、下関までの切符を買いにいくのだというところに落ち着くのだろうが、謙作がお栄の「パシリ」に使われるわけないだろうし、というAの言葉も気になるところで、いや、謙作なら「パシリ」もやるかもよ、ってぼくは言ったけれど。

 

 文学は楽しい。こうやって、旧友と、60年近く付き合ってきた間も、なにかと話題を提供してくれる。文学に限らない、音楽でも、野球でも、なんでもいいのだ。興味の共通するものについて、ああでもない、こうでもないと、語り合うことができるということは、やはりなんといってもシアワセなことである。

 

 

 


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日本近代文学の森へ (216) 志賀直哉『暗夜行路』 103 苦しい夜 「後篇第三  九」 

2022-05-08 17:57:35 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (216) 志賀直哉『暗夜行路』 103 苦しい夜 「後篇第三  九」 

2022.5.8


 

 京都へ帰ってくると、石本が来ていた。結婚話は、いい具合に進んでいるらしい。

 石本からの報告を聞いて、謙作は、素直に石本に礼を言えた。そういう自分の変化に少し戸惑っているような謙作である。

 謙作は京都で住む家をみつけていたが、そこに荷物も届いた。

 


 先発の荷が着いたので、謙作は人を頼み、入る家を掃除させ、其所で荷造りをほごさせた。
 福吉町(ふくよしちょう)以来の女中は暇を取る事になったので、彼は代りを宿に頼んでおいた。そして間もなくそれが見つかり、その日も謙作から知らせたわけではなかったが、手伝いに来ていた。瘠せた婆さんで、引込んだ眼や、こけた頬や、それが謙作に目刺しを想わせた。仙という名だった。そしてその晩から仙だけ其所へ泊る事になった。

 

 「福吉町以来」とあるが、「福吉町」なんてここで初めて登場する。調べてみたがどこだか分からない。

 新しい女中の紹介が、「瘠せた婆さんで、引込んだ眼や、こけた頬や、それが謙作に目刺しを想わせた。」とあって、簡潔だが、面白い。「目刺しのような婆さん」かあ。聞いたことのない比喩だ。名前も「仙」となると、なぜか小骨っぽい感じがする。

 

 それから三日ほどして、朝、お栄が着いた。お栄は家の方をすっかり片附けて行きたがった。
 「沢山です」と謙作はいった。「後の荷も着かないし、僕の世話より、ゆっくり見物をなさい。その方が此方(こっち)も嬉しいんです。いく日位いられるのですか?」
 「四、五日したら岐阜から来るはず」
 「そんならなお、引越しなんか、どうでもいい。まあ、僕に任せて下さい」そういって宿へ落ちつくと、直ぐ彼はお栄を見物に連出した。
 その前、お栄は旅鞄から奉書の紙に包んだキャビネの写真を彼の前へ出して、
 「一昨日(おととい)届いたの」といった。
 「うむ、これです。余り鳥毛立(とりげだち)でもないな」と謙作はいった。
 お栄は愛子と比較してちょっと何かいった。それには古い不愉快に対する女らしい反感が響いていた。それを愛子でいったのが謙作には不愉快だったが、しかしやはりあの頃の色々いやな事が憶い浮んで来ると、ちょっと腹立たしい気持にもなり、彼は黙っていた。

 


 お栄は、相変わらず、謙作の周辺にいて、なにかと世話をやいている。といって、謙作に未練があるようでもない。むしろ謙作のほうが、まだ未練を捨てきれない。

 お栄のところに、結婚相手の写真を送ったらしい。その写真について、お栄が何を言ったのかちゃんと書かれていないが、どこかで感情がきしむ。そのところがどういうことかよく分からない。

 「愛子と比較してちょっと何かいった」とは、何を言ったのか。「古い不愉快に対する女らしい反感」とは何なのか。これではなんのことやら分からない。けれども、「あの頃の色々いやな事が憶い浮んで来ると、ちょっと腹立たしい気持にもなり」となると、そこは分かる。愛子へ求婚したのに、「出生の秘密」を自分は知らないままに拒絶されたこと。それはやはり、いつまでたっても消えない傷なのだ。

 とすれば、それを百も承知のお栄が、なんでまたここで、「愛子」を持ち出して「比較」するのか。そんな余計なことをどうしてするのか。それは、何らかの「嫉妬の感情」しか考えられない。

 まあ、それを詮索するすべもないが、謙作がお栄に対する妙な未練だけは、依然として続いている。謙作はお栄を京都見物に連れ出し、見るもの見るものに説明するのだった。


 謙作はお栄がうるさく思うだろうと自分でも思えるほど、見る物、見る物に説明したくなって弱った。子供らしい気持だと思いながら止められなかった。殊に対手がお栄だと、自然臆面なく自分の子供らしさが出るのであった。

 


 こういうところを読むと、謙作のお栄に対する愛情は、やはり母への愛情に重なるのだろう。母に甘えた経験のない謙作は、どうしてもお栄に甘えてしまうのだ。しかし、それだけでもない。お栄に対する性愛の衝動はやはりまだ根深く存在しているのが次のようなところを読むとよく分かる。


 暗くなって二人は宿へ帰って来た。其所には狭い座敷に掛蒲団の端しを重ね合わして二つの寝床がとられてあった。出掛けに、それを訊かれ、謙作は何気なく、「いえ、この部屋でかまいません」と答えたのだが、今それを見ると彼は永年一緒に暮して来て、(極く子供の頃は別として)お栄と二人こう一つ部屋に寝た場合を一度も憶い出せなかった。
 「少し窮屈だな」彼はちょっと顔をしかめ、独言のようにいった。お栄はまたそれとはまるで別な心持で、枕元の僅かな空地に、疲れた身体を据えるように坐り、
 「おかげで、思いがけない見物をしました」と、もう見物が皆、済んだような事をいった。
 「これで、かまいませんか?」
 「ええ、結構」
 「もう、直ぐ寝るんでしょう?」
 「謙さんは?」
 「僕は少し町を散歩して来ます」
 「そう、それじゃあね、私、昨晩汽車でよく眠むれなかったから、お先へ失礼します」
 「ええ、そんなら直ぐお休みなさい」
 謙作は町へ出れば大概寺町を真直ぐに下がるのが癖のようになっていた。そして今もその道を歩きながら、やはり、彼は無心ではなかった。
晩くなって帰って来た。お栄は明かるい電燈の下でよく眠入っていた。最初彼が帰って来た事も知らぬ風だったが、少時(しばらく)して、まぶしそうに薄眼を開くと、ちょっと醜い顔して、「今、お帰り?」といい、直ぐ寝返りを打ってうしろを向いてしまった。

 


 お栄が何を思っているのか分からないが、謙作の気持ちの動きはよく分かる。長年お栄とは同じ家に暮らしてきたのだが、同じ部屋に蒲団を並べて寝たことは一度もない。そのことに、謙作は心が動くのだが、お栄は、さっさと寝てしまう。散歩に出かけた謙作は「無心ではなかった。」ということになる。

 これから新婚生活を送ることになるであろう家で、謙作は、並べた蒲団に「無心」で寝られないのだ。しかし、そんな謙作の気持ちを知らないはずのないお栄(彼女は謙作から求婚されたことがあるのだ)は、どうしてまた、謙作の新居にやってくるのだろう。

 家に帰った謙作は、眠れないままに、シェイクスピアの喜劇などを読むが、やっぱり寝られない。

 


 半分ほど読んだ。そして彼は電燈を消し、案外早く眠りに沈んで行った。が、どれだけか経って、彼は不意と、丁度人に揺り起されたかのように、暗い中ではっきりと眼を覚ましてしまった。そしてもう眠れなかった。眠ろうといくら努めても眠れなかった。直ぐ側にお栄の安らかな呼吸が聞こえている。
 それでも頭が疲れて来、ぼんやりと、熱を持ったようになると、実際部屋の空気も濁り、暑苦しくもなっていたが、彼はやはり苦しさから、自分の腕をドサリとお栄の方ヘ投げ出したりした。

 

 「苦しい夜」である。

 翌朝、ここはやっぱり狭いということで、別に部屋を借りようかという話になる。


 「この座敷は二人じゃあ、やはり狭いのね」
 「今日変えましょう」
 「もし謙さんにお仕事でもあるなら、別に借りてもいい、今どうなの?」
 「何にもしてません」謙作はお栄のこういう言葉をどう解していいか分らなかった。
 単にいってるだけの意味のものか、もっと考えていっているのか見当がつかなかった。しかし何れにしろ、彼は別に困らなかった。前夜の彼の苦しみを知っていていってるとしても、お栄に対し、彼はほとんど恥かしいという気は起こらなかった。それは恥知らずの気持ではなかった。総てを赦していてくれるだろうというむしろ安心からであった。もしそれがお栄に知られたとしても、そのため、お栄は怒りもせず、また自分を軽蔑しもしないだろうという気がはっきりしていたからであった。

 


 う〜ん、どうなってるんだ、この二人は。謙作も謙作なら、お栄もお栄だ。などとじれったく思って読んでいると、今度は一緒に嵐山にいったりして、金閣寺にも寄ろうとするが、お栄はもうたくさんだというので、家に帰った。その翌日、岐阜に行っていたお才からの電報がきて、その次の日、謙作はお栄と一緒に停車場に行く。


 その翌日二人は時間を早めに停車場へ行った。
「多分三等だろうと思うの」こういってお栄は下関までの汽車賃を謙作に渡した。
「あの人だけですか?」
「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」
「子供があるんですか?」
「本統の子供の事じゃ、ないの……」お栄は仕方なしに苦笑した。「──京都からも一緒になるのがあるかも知れない」
年のよく分らない脊の低い、眼瞼(まぶた)のたるんだ一人の女が華美(はで)ななりをし、大きな男の人形を抱いて、先刻(さっき)から、その辺をうろついていた。それに二人の連(つれ)だか見送りだかの女がついていた。謙作は何という事なし、それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。
 皆がプラットフォームに出ている所に下りの汽車がついた。三等客車の、一つからお才と他の二人の若い女が顔を出していた。そして、眼瞼のたるんだ女は五十余りの女に手を惹かれながらその方へ急いでいた。お栄がこういう連中の一人になる事は謙作にはちょっと堪らない気がした。彼は見知らぬ二人の見送人と一緒に三等客車の窓の前に一足退がって変に空虚な心持で立っていた。
見送りの若い方の女が一人で、しきりにはしゃいでいた。先年は泣かない約束で来て、泣いてしまったが、今こう自分がはしゃげるのは今度こそ成功なさる前兆だろう、などといった。こんな話を聴くにつけ謙作はお栄のために危なっかしい気がした。
「そんな附景気ばかりいってないで、ちっと、お前さんの資本を此方(こっち)へお廻しなさい」お才はその若い女に椰楡(からか)った。「お前さんの六百円の電話を売って、それだけでもいいからお廻しなさい」
つけつけいわれて若い女は不安そうな顔をした。お栄はお才の後ろで、黙って穏やかに微笑していた。そして、それが見かけは大変よかったが、同じような心持でお才から勧められ、それにうまうま乗せられ、これから冬に向かって天津くんだりまで金を失いに出掛けて行くのだと思うと、謙作はその若い女よりも「馬鹿だな」と頭ごなしにいってやりたいような気持になった。

(注)「附(付)景気」=「実際はそうでないのに、景気がいいように見せかけること。から景気。」
《  》部は傍点を意味する。


 ここはどうにも分からないことだらけなのだが、「下関までの汽車賃」をどうしてお栄は謙作に渡すのだろうか。このことの説明が前にあったのだろうか。(ぼくが忘れてるのか?)「眼瞼のたるんだ女」が抱いている「大きな男の人形」って何だろう? 「本統の子供の事じゃ、ない」という《こども》って何を意味しているのだろう?(分からない)「岐阜から、《こども》を連れて来るでしょう」とお栄が言ってるのに、「それが京都からのいわゆる《こども》に違いないと思った。」というのは、書き間違いなのか?

 と、まあ、珍しく文章が乱れているとしか思えないのだが、とにかく、なんだか怪しい連中と一緒に「天津くんだり」まで出かけていくお栄に、「『馬鹿だな』と頭ごなしにいってやりたいような気持になった。」というなら、どうして実際にそうしないのか。これまでのいきさつもあるけれど、やっぱり、このまま見送るっていうのは、いかにも薄情に思えるのだが。

 

 

 


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一日一書 1717 寂然法門百首 65

2022-05-08 09:44:55 | 一日一書

 

聞名欲往生

 


音に聞く君がりいつか生(いき)の松待つらんものを心づくしに
 

 

半紙

 

【題出典】『無量寿経』下


【題意】 聞名欲往生

名を聞きて往生せんと欲えば


 
【歌の通釈】
噂に聞くあなたのところ(阿弥陀仏の浄土)にいつ行けるのだろうか。筑紫の生の松で(西方浄土)で私を待っているだろうに、心を尽くしながら。


【考】

遠く西の筑紫でも待ちかねている恋人に、遙か遠く西方浄土で袖を濡らして待ちわびている阿弥陀仏を重ねることにより、阿弥陀仏の慈悲が情趣ゆたかに表現されている。善光寺如来(阿弥陀如来)の御歌として『風雅集』に入る「待ちかねてなげくと告げよみな人にいつをいつとていそがざるらん」(釈教。二〇二四)は、まさに阿弥陀が衆生を待ちかねていると詠んでものであり、影響関係を考えたい。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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