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日本近代文学の森へ (129) 志賀直哉『暗夜行路』 16 キリスト教の戒律 「前篇第一  四」その1

2019-09-30 13:47:49 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (129) 志賀直哉『暗夜行路』 16 キリスト教の戒律 「前篇第一  四」その1

2019.9.30


 

 謙作は、不愉快な夜だったのに、登喜子のことが忘れられない。


 謙作はやはり登喜子の事が忘れられなかった。彼はあの不愉快だった二、三日前の夜を憶い、軍師拳で登喜子と並んでいた時の事などを想うと、不思議な悩ましさが胸に上って来た。彼は自分で自分の指を握って見て、握る時の感覚と、その握られた感覚とを計って見たりした。それも両方が自分では明瞭(はっきり)しなかった。しかし、彼は登喜子に深入して行かずにはいられないほどの気持になっているとは我れながら思えなかった。ただこのままで自分のこの気持を凋ましてしまうのは何となく惜しい気がした。


 バカなことをするものである。自分で自分の手を握ってみたところで、登喜子の手の感触が蘇るわけはない。けれども、ウブなころというものは、誰でもこんなことをするものだろう。はっきりとした記憶はないが、なんとなくぼくも似たようなことをしたような気がする。こうした「バカなこと」を、真面目に文章化する志賀直哉という人も不思議な作家である。
登喜子への思いがそれほど深いとも思えないけれども、今の「不思議な悩ましさ」を抱える自分の気持ちを「凋ましてしまうのは何となく惜しい気がした」というのも面白い。

 自分を実験動物のように見ているのだろうか。このままこの気持ちを凋ませないで、先へ進めていったらどうなるのかしら、といった興味。その興味がやがてそれでのっぴきならない所に追い詰められたらどうなるのか。そこから果たして引き返せるのか。謙作の、そして志賀直哉の放蕩の始まりである。


 それにしろ、そんな下心を自ら意識しつつ出掛けて行く事は、相手がそういう職業の女にしろ、如何にも図々しく、気がひけた。
 とにかく、何かしら表面的にも行くだけの理由がなければ彼には出掛けられなかった。それにはやはり石本を誘うより仕方がないと思った。
 彼は早速石本に端書を書いた。しかし何枚書いても書き損いをした。石本を利用するという意識が邪魔になった。結局端書をよして、電話を掛けに行った。

 

 前から直接続いている部分だが、「そんな下心」というのは、「不思議な悩ましさ」を先へ進めたい、つまりは自分の性欲を満足させたい、という「下心」だ。登喜子は「そういう職業の女」なのだから、むしろそういう「下心」は正当な理由になるわけだが、「そういう下心」があることを自分自身が「意識しながら」出かけていくことは「如何にも図々しく、気がひけた」という。今風に言えば、メンドクサイ奴、あるいは偽善者ということになるのかもしれないが、ここは志賀直哉にとってはとても正直な思いなのだ。

 その背景にはキリスト教の問題がある。

 志賀直哉は、明治33(1900)年、18歳のときに、「初めて内村鑑三を訪ね、以後七年間その門に出入りした。」(中村光夫著『志賀直哉論』年譜)25歳のときに、「夏、自家の女中と結婚しようとして、父と争う。この年内村鑑三から離れた。」(同書)

 明治の文学者にとって内村鑑三の存在は非常に大きい。特に志賀直哉の場合は、7年間もその門に出入りしていて、内村の思想に深く傾倒していたのだ。しかし、結局はそこから離れてしまう。その大きな理由は「性欲」の問題にある。内村門下ではないが、岩野泡鳴にしても、島崎藤村にしても、キリスト教の洗礼まで受けながら、やはり離れてしまう。それぞれに共通するのは、やはり「性欲」の問題のようだ。

 本多秋五の『志賀直哉』は、志賀直哉における「性欲」の問題を重視していて、その第一章は「性欲と戒律」と題されている。ここで詳しくは紹介できないが、要するに聖書で禁じられている「姦淫」とはどういうことを指すのか、ということが問題になっている。

 確かに「十戒」の中にも、「姦淫するなかれ」と言われているとおり、「姦淫」は大罪であろうが、そもそも「姦淫」とはどういうことを指すのか、それがはっきりしない。「姦淫罪は殺人罪と同程度に重い」と教えられた主人公が自慰行為をも「姦淫罪」と考えて「お前は人殺しの罪人だぞ」と言われたように感じるという志賀の小説『関子と真造』が紹介されているが、いくらなんでもそれは拡大解釈だろうと本多は言っている。

 この本の中では「姦淫」の定義がいろいろ紹介されているが、結局のところ、言葉は古いが「婚外交渉」は「姦淫」だという点では共通している。従って、罪を犯さずに、女性と性的な交渉をしたければ、まずは結婚することが必須となるわけで、25歳の志賀直哉が、「自家の女中と結婚しよう」としたのも、ここに理由があると考えられる。内村から離れかかっていても、あるいは離れても、そういう一種の「戒律」が志賀の中に消しようもなく残っていたわけである。

 このことを念頭におけば、芸者の元に「下心」を持って出かけることに気がひけるという志賀の気持ちがよく分かる。「罪の意識」から自由になっているわけではないのだ。それと同時に「如何にも図々しい」と志賀が感じるところに、「罪の意識」を超えた志賀の人間への基本的態度のようなものが見える気がする。

 自分の欲望をあからさまにして、そういう女に向かうことへのためらい。たとえ自分の性欲を満たすための行為だとしても、それがどこか男女の自然の付き合いから生まれたかのように装いたいという気持ち。あるいは人間への敬意。

 このある意味潔癖な倫理感は、「石本を利用するという意識が邪魔になった。」という正直な告白にも表れている。後ろめたさがあると、まともに文章も書けないという潔癖さ。文章というものは、むしろ偽りの自分を表現しやすいものなのに、志賀はあくまで自己に忠実であろうとするあまり、嘘が書けないのだ。




 


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一日一書 1566 目出度さもちう位也おらが春・小林一茶

2019-09-28 20:42:35 | 一日一書

 

小林一茶

 

目出度さもちう位也おらが春

 

半紙

 


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木洩れ日抄 60 深い「つながり」を求めて──劇団キンダースペース『Dipped in Love』を観て

2019-09-26 11:37:43 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 60 深い「つながり」を求めて──劇団キンダースペース『Dipped in Love』を観て

2019.9.26


 

 アメリカとインドと日本という異なった文化を背負った3人の女性が、それぞれの人生を語る。それぞれの文化のあまりの違いは容易に共感を生まないが、それでも、女たちは深いところでつながっていく。それは、幸せの共有ではなくて、生きづらさの共有とでもいうべきものだろうか。

 舞台を見ながら、改めて女性の生きづらさに思いをはせ、とても複雑な気持ちになった。

 複雑だ、というのは、生きづらいのは、何も女性に限ったことではないからだ。男性もまた生きづらい。ぼく自身にしても、生まれてこのかた、生きづらくなかった時期などどこにもない。男子校での生きづらさ。大学紛争時の大学での生きづらさ。教師になってからの生きづらさ。どこをとっても、「社会」の中で、これでいいんだ、オレは幸せだなんて思える場所はなかったといっていい。でも、それは男性特有の生きづらさではなかったような気がする。

 インドの上流カーストにおける結婚という制度、日本における「妻の役割」などは、男性中心の原理が生み出す理不尽な制度、慣習だ。それが強いる「あるべき女性の生き方」を考えれば、男性の生きづらさなんてとたんに影が薄くなる。

 複雑な気持ちになったもう一つの理由は、女性のつながり方が、根本的に男性とは違うんじゃないかと思ったことだ。極端なことを言うと、結局のところ男性というのは、「つながれない」ものなんじゃないかと思ったのだ。よく「一匹狼」というけれど、そこでイメージされるのはあくまで雄の狼だろう。雌の「一匹狼」というのは考えにくい。(もちろん、生物学的にいえば、狼は群れで暮らすらしいから関係ないけど。)

 そんなこと言うと、「一匹狼」的に生きる女だっているわよ、と叱られそうだが、そんな「一匹狼的女」がもしいたとしても、その女性には必ず深いところでつながっている女性の友達がいるような気がするのだ。

 ぼくが感じた複雑な気持ちは、まとめてしまえば、「苦労するのは女だけじゃないけど、でも女って大変だよねえ、でも、どんなに大変でもつながれるからいいなあ。男はそうはなかなかいかないよなあ。」というため息のようなことになる。

 どうして男がつながれないのか、それを説明することは難しい。ぼくがただそう感じているというだけのことだ。それも、昨日今日感じ始めたということではなくて、高校生以来、ずっと感じ続けてきたことなのだ。それでもうまく説明できない。

 客席がぐるりと周囲を囲む舞台には、三つの椅子があって、女たちはそこに入れ替わり立ち替わり座って語る。そして時に演じ、時に語りあう。ただ次々に語るのと違い、場面によってはリアルな芝居にもなる。この辺の演出の妙は、原田一樹の独壇場で、モノドラマのエッセンスが惜しげもなくつぎ込まれている。

 原作は女性3人の芝居だったのを、原田一樹は原作者の了解を得て、それぞれの女性の夫を登場させた。夫は出番は少ないが、それによって女性の語りが奥行きを増し、よりリアルになった。しかし、そのリアルは、あくまで3人の女性のリアルであって、夫のリアルではない。夫はあくまでそれぞれの「女性の中の夫」であって、それ以上のものとしては描かれない。だから、夫の「リアルな気持ち」はまったく描かれないのだ。つまり、夫の側の事情の説明や、言い訳は一切なく、それゆえ、「夫にだって言い分はあるんじゃないの?」という気持ちを観客は持つかもしれない。けれども、ドラマはそっちにはないのだ。

 ドラマの核心は、この互いに理解を絶する境遇にある女たちが、どのようにしてつながっていくのかということだ。そこがこの芝居のもっともスリリングなところである。

 震災以来、「絆」という言葉をかけ声として、人と人のつながりの大切さが全国の至るところで語られてきた。けれども、その声が大きければ大きいほど、ほんとうのつながりは生まれにくい。「絆」という言葉が使われれば使われるほど、つながりが希薄になる。そんな気がしてならないのだ。

 ほんとうに人と人がつながるためには、原田一樹もパンフで言っているとおり、「そこにごまかしや嘘がないか、他者と自身に対して誠実に向き合い言葉を選び、発話し、その後でそれらの言葉がどう届くのか、届いたのかを考え、また思索する。」ことがどうしても必要なのだ。それ以外に人間が真につながれる希望はないだろう。この芝居はそのことを実感させてくれた。

 最初に書いた、男の「つながりにくさ」の原因は、原田一樹の言うような「語り方」「聴き方」が男にはなかなかできないことにあるのではないかとも思う。なんの証拠もないことだけれど。

 キャストは、もうこれ以上は望めない布陣。この芝居は、キンダースペースでなければできない芝居だと言っても過言ではないが、そのキンダースペースの3人の女優、深町麻子、榊原奈緒子、小林もと果が、これほどまでに個性的な女優だったということに、今更ながら気づかされ、感動してしまった。その個性というのは、もちろん生まれながらの資質ということもあるだろうが、それ以上に、与えられた台本をただ演ずるといった安易さを遠く離れ、常に、真摯にその役の最深部を見極めて演じてきたことから形成されてきたものだろう。

 そして、3人の夫やウエイターを演じたキンダーの若手男優、林修司、関戸滉生、宮西徹昌の好演は、この舞台のよきスパイスとなった。キンダースペースの男優陣の昨今の充実ぶりも嬉しいことである。




「トーキング・スティックを求めて」 原田一樹(パンフより)


 ワークショップとはいわば「参加型の発見・研修の場」のことだが、その一つにアメリカインディアンの伝統を取り入れた会話の形があると以前読んだ。話し合うメンバーは車座に座り、中央にトーキング・スティックと呼ばれる木の棒が置いてある。発言者はこの棒を取り、話す。発言は棒を持つ者のみ。他のメンバーは口を挟まない。棒を取り棒を置くその行為と時間が「聴く」「話す」ということの意味を再認識させる。この方法はアルコールや薬物中毒治療後のリハビリや再発防止のプロセスにも取り入れられている。心理療法のカウンセリングなどがただ「聴く」ことによって進められていくのも、基本にこの考え方があるからだろう。一方で現代に生きる私たちは、いかに言葉の深さに向かわず、瞬時に表層の意味を判断し、口をはさみ、頭の回転の速さで優劣を競っていることか……
 ”Dipped in Love”の稽古をしながらこのワークショップのことを何度か思い返していた。この芝居は、生まれも育ちも幸福感も違う三人の女性たちの独白と、いくつかの交流のエピソードによって構成されている。同時にこれは彼女たちの人生のカウンセリングでもある。もちろんここにはカウンセラーはいない。彼女たち三人がお互いのカウンセラーとなり、そのことがまた彼女たちの交流を深いものにしていく。
 作者は、この作品を実際のインタビューによって組み立てた。ある意味では、事実の積み上げである。しかし事実はそのまま「演劇」とはならない。これは「トーキング・スティック」のワークショップの場合でも同じだろうが、棒を持ったからといってすぐに自分の人生を流暢に語れる訳ではない。そこにごまかしや嘘がないか、他者と自身に対して誠実に向き合い言葉を選び、発話し、その後でそれらの言葉がどう届くのか、届いたのかを考え、また思索する。「話す」ことにおけるこの内省の深さは「聴く」ことにおいても試される。「事実」が「演劇」となる可能性は、ここにしかない。少しでも演劇に携わった人間にはわかることだが、私たちの失敗は多くの場合、台本に頼り、台本の科白を真実と思いこみ、それを発しさえすれば演劇が成立すると考えていることによる。私たちはいかに多くの、書いてあることの結論だけを見せつけられるひどい代物を作り出しているか。
 “Dipped in Love”は、いわば、演劇人のための「トーキング・スティック」でもあるのだと考えることから、この稽古は始まった。  



Program notes:

This play is about surprising and unexpected friendships between women from three different cultures.  While the experiences and discoveries of the three women depicted in this play are inspired by actual experiences and memories, the play is not a docudrama but a poetic and emotional re-imagining and artistic interpretation, to create a fictional theater narrative. Given that women’s stories and viewpoints have often been neglected in theater, the focus and viewpoints of these stories are entirely from the women’s perspectives, and the intention is not to criticize all husbands or to advocate divorce, but rather to focus on female experience, friendship and empowerment in the specific case of these three characters. My deepest gratitude to Kazuki Harada, Hiromi Seta, KinderSpace, Full Circle Theater, translator Momoko Tanno, and Yoshi Yoshihara for producing Dipped in Love.

Martha・B・Johnson

 

この作品は3つの異なる文化を持つ女性たちの予期せぬ、驚くべき友情についての物語です。ここに描かれている経験や発見は、実際の女性たちの経験や思い出に触発されていますが、ドキュメンタリードラマではなく、詩的で内面的な芸術的解釈による新たな想像であり、演劇的な創作による語りかけのドラマです。

女性の物語や女性からの視点は演劇ではしばしばなおざりにされてきました。この物語では、すべてが女性を起点に書かれています、が、決して世の中の夫を批判したり、離婚を提唱したりするものではありません。あくまでも描かれている三人の女性たちの経験、友情と、それによって生きていく力を得ていく過程に焦点を当てようとするものです。

「ディップド・イン・ラブ」を上演してくれた、原田一樹、瀬田ひろ美、キンダースペース、 
フルサークルシアター、翻訳者・淡野桃子、吉原豊司 各氏に心からの感謝を。

マーサ・B・ジョンソン

             

 







 

 

 

 

 


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一日一書 1565 寂然法門百首 11

2019-09-23 16:33:07 | 一日一書


着於如来衣

 

今更に花の袂(たもと)をぬぎかへてひとへに忍ぶ衣とぞなる

 

【題出典】『法華経』

如来の衣を着る。

 

【歌の通釈】

今あらたに、春の衣(迷いの衣)を脱ぎ替えて、ひたすら耐え忍ぶ一重の夏の衣(柔和忍辱の如来の衣)の姿となるよ。

(迷い、執着の衣は身に慣れ親しんで久しい。柔軟、穏やかで忍耐強い如来の衣は今日初めて着るので、まだ経験が「浅い」ことを、「薄い」と掛けて夏の衣になぞらえたのだろう。)

 

【考】

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


 

クーラーもなかった昔は、夏の暑さはただ「一重の衣」で耐えるしかなかったわけで、その比喩が「柔和忍辱(にゆうわにんにく)の衣」ということになるのでしょう。こんな衣があったら、涼しそうです。

「柔和忍辱」とは、「仏の教えを心として柔順温和で、外からの恥辱や危害によくたえ忍ぶこと。心優しく、怒らないこと。」(仏教語大辞典)とのこと。

キリスト教の教えが「穏やかじゃない」というわけではないけれど、仏教の教えは、どこか穏やかで美的なところが魅力だなあと思います。

 

 

 

 



 


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日本近代文学の森へ (128) 志賀直哉『暗夜行路』 15  和蠟燭の愛 「前篇第一  三 」その3

2019-09-21 21:18:32 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (128) 志賀直哉『暗夜行路』 15  和蠟燭の愛 「前篇第一  三 」その3

2019.9.21


 

 登喜子のことで頭がいっぱいのはずの謙作なのだが、石本と別れると、ふと恋愛の永続性について考えを巡らすのだった。


 石本と別れて、彼は自家(うち)まで歩いて帰った。途々(みちみち)石本が誰かの言葉としていった「若い二人の恋愛が何時までも続くと考えるのは一本の蠟燭が生涯点(とぼ)っていると考えるようなものだ」というのをふと憶い出した。「しかし実際そうかしら?」と彼はまた思った。この言葉は懐疑的になっている現在の彼には何となく悪くない響きもあったが、そう彼が思ったのは、彼の実母の両親の関係が彼に想い浮んだからであった。二人は愛し合って結婚した。そして終生愛し合った。「なるほど最初の蠟燭は或る時に燃え尽されるかも知れない。しかしその前に二人の間には第二の蠟燭が準備される。第三、第四、第五、前のが尽きる前に後々(あとあと)と次(つ)がれて行くのだ。愛し方は変化して行っても互に愛し合う気持は変らない。蠟燭は変っても、その火は常燈明のように続いて行く」この考は彼に気に入った。そして、母方の祖父母は実際それだったに違いないと考えた。彼は先刻(さっき)石本にそれをいってやれなかった事を残念に思った。すると、不意に、
 「しかし西洋蠟燭は次げないネ」と石本がいったような気がした。ところが、同じ想像の自分が、
 「その二人は純粋に日本蠟燭なんだよ」と答えた。
 彼は歩きながらこんな事を考えて独(ひとり)でおかしくなった。
 そして彼には死んだ祖父母の姿が懐しく憶い浮んだ。

 


 若い頃の恋愛は、はかないもので決して長続きなんかしないという例として、「一本の蠟燭が生涯点(とぼ)っている」はずがないという石本の言葉は、謙作には「悪くない響き」を持っていたが、一方でそうでない例も謙作は知っていた。生母の両親、つまりは祖父母のことだ。

 ここで比喩として持ち出されるのが、蠟燭が「後々と次がれていく」ということだ。ところが、不意に石本が「しかし西洋蠟燭は次げないネ」と「いったような気がした」謙作は、想像の中で「その二人は純粋に日本蠟燭なんだよ」と答える。

 日本蠟燭、つまり和蠟燭は「次げる」けれど、西洋蝋燭は「次げない」というわけだが、それはどういうことかが分からない。西洋蠟燭だって、次から次へと継いでいけるではないかと思った。いったいどこが違うのか。

 それでネットで調べた。「和蠟燭」「継ぐ」で検索をかけたのだ。すると、見事にヒットした。「和蠟燭を継ぐ」という動画があったのだ。その動画の字幕を引用すると、


和ろうそくは洋ろうそくと違い灯芯が筒状の為、短くなった蠟燭の穴に新しい蠟燭を突き刺すことで、ロケット鉛筆の様に継ぎ足すことができます。古い蠟燭の芯と新しい蠟燭の芯が結合することで、新しい蠟燭の芯に火が引き継がれ灯り続けます。


 というわけだ。動画を見ると、なるほどその通りで、これは西洋蠟燭にはできない芸当である。(下の動画をご覧ください)

 和蠟燭を使っているお寺さんなどでは常識なのかもしれないが、これにはほんとにびっくりした。調べてみるものである。

 このことを知って、改めてここを読んでみると、「蠟燭は変っても、その火は常燈明のように続いて行く」ということが、何かしみじみとした実感を伴って理解される。西洋蠟燭だって、一本が消える前に新しい一本にその火を継げば、火は続いていくわけだし、オリンピックの聖火にしても、まさにそのようにしてリレーされていくのだが、和蠟燭の継がれ方は、芯が結合するところがまったく違っていて、その継続性がどこか神秘的ですらある。そして、それが「愛の持続」の見事な比喩となっている。

 若い頃の恋愛が、生涯続くということは稀なことなのだろうが、少なくともぼくの場合は、妻とは高校三年以来の付き合いで、その間に「離れていた期間」すらないので、別にそれほど珍しいという意識はないのだが、果たしてそれが、和蠟燭のような持続だったのかというと甚だ心許ない。ただとてもつもなく長い西洋蠟燭が、細々と灯り続けてきただけのような気もする。

 それはそれとして、謙作は、一方で芸者の登喜子に惹かれながら、生涯持続する愛の形に憧れていたことは確かなようだ。その愛が登喜子との間に育まれるものだという意識はたぶんなかっただろうけれど。




YouTube

和蠟燭を継ぐ


YouTube「和蠟燭を継ぐ」より


 


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