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日本近代文学の森へ (140) 志賀直哉『暗夜行路』 27  透明な時間 「前篇第一  七」 その1

2019-12-23 11:22:26 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (140) 志賀直哉『暗夜行路』 27  透明な時間 「前篇第一  七」 その1

2019.12.23


 

 謙作が眼を覚ましたのはもう午頃(ひるごろ)だった。ニタ(ふた)晩家(うち)を空けたという事で何となく彼はお栄と顔を合わすのが具合悪かった。戸外(そと)では百舌(もず)のけたたましい啼声がしていた。彼は暫くそのまま横になっていたが、思い切って飛起きた。そして雨戸を一枚繰ると、隣の梧桐(あおぎり)の天辺(てっぺん)から百舌が啼きながら逃げて行った。
 実にいい日だ。風もなく、秋らしい軟かな日差しが濡れた地面に今百舌の飛立った梧桐の影を斜に映していた。風呂の烟突(えんとつ)からかすかな烟(けむり)が立登っている。彼はその朝未明に門を開けさせた女中に湯を沸かすよういいつけておいた事を憶い出した。
 「やっと起きたね」下から信行の声がした。お栄が段々を登って来た。
 「もう一時間も待っていらしたのよ」
 彼は急いで降りて行った。信行は茶の間の長火鉢の側で烟草をすっていた。
 彼は二タ言三言立ったまま話して、そして、
 「信さん、風呂は如何(どう)かな?」といった。
 「俺は沢山だ」
 「それじゃあ、ちょっと失敬するよ」こういって謙作は風呂場へ行った。
 彼は久しぶりで風呂へ入ったような気がした。気持のいい日光が硝子窓を透して箱風呂の底まで差込んでいた。湯気が日光の中で小さな無数の粒になってモヤモヤと動いている。彼は兄が待っているのでなければ、長閑な気持で、ゆっくりと浸かっていたかった。

 

 なんという魅力的なシーンだろう。これはやっぱり小津映画だ。いやそれ以上だ。ここには映画では描ききれない風情がある。

 今では、都会の真ん中では、モズの声など聞くことはまずできない。横浜でも、ちかくの大きな公園に出かけても、モズの声を聞くことはなかなかできなくなっている。あの、澄んだ空気を引き裂くような鋭い声は、他の鳥にはないもので、その鳥が、雨戸一枚開けると梧桐のてっぺんで啼いているなんて、今のぼくには天国的に思える。

 朝のさわやかな戸外の様子を簡潔にしかも十分に描写しておいて、段落をかえ、「実にいい日だ。」とくる。その間合いに、しびれる。

 謙作が「実にいい日だ。」と感じただけでなく、読者もほんとに「いい日」だなあと納得してしまう。これを読んでいる「今」がとても「いい日」に思えてくる。

 その後に描かれる庭の情景と、煙突の煙。極上の映像である。

 煙突って、隣は風呂屋か、なんてトンチンカンなことを思っていると、これが自宅の風呂場の煙突だったことが判明する。そういえば、ぼくの家にもあったなあ。風呂場の煙突。でも、朝から煙がのぼっていたことはない。

 朝風呂。しかも、それが女中に言いつけておいた結果の煙だ。なんという贅沢。当たり前だが、こんな煙は人生で一度もみたことはない。

 階下で兄が待っている。お栄が呼びに階段を上がってくる。兄は、「茶の間の長火鉢の側で烟草をすって」いる。この「茶の間の長火鉢」というものほど、憧れるものはない。これがあるだけで、茶の間に「居場所」ができる。ぽつねんと座るにも、形がいい。タバコも必須だけどね。

 その兄を更に待たせて謙作は風呂に入る。時間がここではゆったり流れている。まさに小津的時間の流れ。小津は志賀直哉からほんとうに多くを学んだのだろう。

 そして風呂場の光景。「気持のいい日光が硝子窓を透して箱風呂の底まで差込んでいた。」かあ。つくづく羨ましい。温泉へ行って、朝風呂に入ると、ときどきこんな光景を目にすることはあるが、家風呂じゃねえ。子どもの頃の風呂場は、ジイサン手作りのバラックだったけれど、それでも風呂桶は杉材だったし、窓から外の光も差し込んだ。だから、気をつけて見れば、「日光が箱風呂の底まで差込んで」いたのかもしれない。しかし、今は、ユニットバス。朝日の差し込む余地もない。

 「湯気が日光の中で小さな無数の粒になってモヤモヤと動いている。」という描写も正確だ。こんな「湯気」を温泉で、確かに見たことがある。

 吉原でのダレた、どこか汚れた時間の後に、こんなにも透明で引き締まった時間が流れるなんて驚きだ。

 

 


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一日一書 1572 づぶ濡れの大名を見る炬燵かな・一茶

2019-12-22 21:24:37 | 一日一書

 

一茶

 

づぶ濡れの大名を見る炬燵かな

 

半紙

 

 

ずぶ濡れになって進んでいく大名行列を

炬燵に入って眺めている一茶。

 

一茶の「反骨精神」は、それほど徹底したものではなかったようですが

権力を持つ大名の「悲惨」と、

ぬくぬくと炬燵に入って行列を眺める庶民の「悦楽」の対比は面白い。

庶民の「ずるさ」も感じられるところもまた面白いね。

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (139) 志賀直哉『暗夜行路』 26  目薬のこと 「前篇第一  六」(補遺)

2019-12-18 11:55:50 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (139) 志賀直哉『暗夜行路』 26  目薬のこと 「前篇第一  六」(補遺)

2019.12.18


 

 前回紹介しなかったのだが、緒方の馴染みの「清賓亭」で、そこの女たちと緒方はイチャついたのだが、その中に「目薬」のことがでてくる。馬鹿馬鹿しいことだが、なんか興味深いので、ちょっと紹介しておきたい。

 謙作は、夜明かしとタバコの飲み過ぎで、目が充血して気持ち悪いといって、買ってきた目薬をさしてから、テーブルに両肘をついてじっとしていたのだが、緒方は女たちと、やれ濃いウイスキーを飲めだの、やれ半分ずつ飲もうだのとか言って、デレデレしてイチャついている。


 謙作は仰向いて、また眼薬をさした。
 「僕にもくれないか」と緒方が手を出した。謙作は眼を瞑ったまま、それを手渡した。
 「Oさん、私が注(さ)して上げてよ」
 「大丈夫かネ?」
 「大丈夫よ」お加代はそれを受取って、緒方の背後へ廻った。
 「もっと仰向いて」
 「こうか?」
 「もっと」
 その間に、お鈴は手早く椅子を四つ並べて、
 「Oさん、これがいいわ」といった。
 お加代はその一つに腰かけて、
 「膝枕をさして上げるわ」といった。
 お鈴がナップキンを取って渡した。
 「おやおや水臭い膝枕だネ」そういいながらお加代はそれを膝の上に拡げた。
 緒方は並べた椅子の上に仰向けに寝た。
 「私の指で開けても、よくって?」
 「自分で開けよう」緒方は両臂(ひじ)を張って眼ぶたを拡げた。
 お加代は注(さ)し損じた。薬は耳の方へ流れ落ちた。お加代は笑いながら、
 「もう一遍」とまた眼ぶたを拡げさした。
 「暗かないの?」お鈴が覗込むようにしていった。
 「明るくてよ、この通り」とお加代はお鈴を見上げていった。そしてまた注意を集めて注そうとしたが、細い硝子管(ガラスくだ)の薬が少なくなっているので、なかなか落ちなかった。緒方は白眼をして待っていたが落ちないので、眼ぶたを拡げたまま、見ようとした。
 お加代は発作的な叫びをあげて立上った。椅子が後ろヘガタンと倒れた。緒方も驚いて起上った。
 「まあ、どうしたの?」とお鈴も驚いていった。
 お加代は眼薬の瓶を持ったまま、黙って立っていた。そして少し嗄(しゃが)れ声で、
 「白眼だと思っていると、急にギョロリと黒眼が出て来たのよ。それが私を見たじゃ、ないの……」といった。
 「何をいうの、この人は……」お鈴はちょっと不愉快そうな顔をした。
 お加代は少し青い顔をして黙って立っていた。

 


 まあ、どうでもいいことなのだが、たかが「目薬をさす」ことが、どうしてこれほどの大事となるのだろうかと、可笑しくなる。ぼくなら3秒で終わる。もちろん、自分で注す。人になんか注させない。というか誰も注してくれない。

 しかし、人それぞれだから、「自分で注すのが苦手で人に注してもらう」ということがあり得ないことではないと思うわけだが、ここでは、目薬を注すという口実で、緒方に「いい思い」をさしてやろうという女の魂胆なのであって、だから、目薬なんて自分で注せとかそういう野暮なことじゃない。

 不思議なのは、「緒方は白眼をして待っていたが落ちないので、眼ぶたを拡げたまま、見ようとした。」というところ。なんで目薬を注すときに、「白眼」をするのだろうか。ちなみに、ぼくはしない。黒眼のままなので、目薬のしずくが落ちてくるのがだいたい分かるので、ほとんど失敗しない。

 そればかりか、つい最近まで、ぼくは指で目を開かないで、ただ目を開けて、目薬を注していた。だから時々まばたきしてしまったりして、失敗することもあったのだ。それがつい最近、かかりつけの眼科の待合室で、「目薬の注し方」というポスターをみたら、片手でマブタの下を「あっかんべー」するみたいに引っ張ると注しやすいですよと書いてあって、そうか、そうすればいいのかと思ってさっそく実行したら、確かに、失敗しないでちゃんと注せることが分かったのだ。

 ぼくは、昔から眼圧が高いので、もう何十年も毎晩欠かさず目薬を注しているのだが、そのやり方をずっとしらなかったのだ。

 まあ、そういう次第なので、わざわざ苦労して白眼にして、目薬を注すってことが不思議でならないわけなのだ。

 しかも、マブタを開けたまま、白眼で待って、待ちきれないから、マブタを開けたまま黒眼になった、というのは、そんなに簡単にできることじゃないんじゃないのかなあと思うのだ。人によるのかもしれないけどね。

 この「人による」ということで、今でも可笑しくてならないのは、家内の父である。

 家内の父は、眼科の開業医だった。晩年に、ほとんど寝たきりになって家内は数年家で介護したのだが、その父が、目薬を注されるのを非常に怖がったというのだ。自分では患者さんに何万回、何十万回と注してきたのに、自分が注されるを怖がるとはいったいどういうことなんだと思ったが、死ぬまで怖がり、嫌がったらしい。人間というものはそういうもんなのだろう。

 やっぱり、家内の父も、白眼になっていたのだろうか。(現場を見てないから知らないけど。)黒眼のままだと、落ちてくる目薬が見えてしまうから、怖かったはずだ。いちど聞いておけばよかったと悔やまれる。






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日本近代文学の森へ (138) 志賀直哉『暗夜行路』 25  放蕩と自然 「前篇第一  六」

2019-12-15 17:35:23 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (138) 志賀直哉『暗夜行路』 25  放蕩と自然 「前篇第一  六」

2019.12.15



 「前篇第一の六」は、「謙作が二度目に登喜子と会ってから二、三日しての事」として、夜遊びの様が描かれる。これが、時間と場所を明示しながら、実に簡潔に、しかもリアルに書かれていて、読んでいて気持ちがいい。

 結局二晩家を空けることになるのだが、その三日間の「足取り」をまとめてみたい。

 「その日」は、一四、五年前に死んだ親しい友の命日で、謙作はそのころ親しかった友人たちと染井に墓参に出かけた。

 墓参を済ませて、巣鴨の停車場へ来たのは日暮れどきだった。この巣鴨の停車場というのは、今でいう山手線の停車場だろう。


 墓参を済まして巣鴨の停車場へ帰って来たのはもう日暮れだった。彼らはそれから賑かな処へ出て、一緒に食事をするはずだったが、この電車で上野の方へ廻るか、市内電車で直ぐ銀座の方へ出てしまうかで、説が二つに分れた。謙作は何という事なしに、上野の方へ出たい気がしていた。上野から登喜子のいる方へ行くというほどの気はなかったが、ただ何となく、その方へ心が惹かれるのだ。


 登喜子のいるのは吉原だから、上野から近いわけだ。この当時は、巣鴨から「山手線」で上野に行くか、「市内電車」つまりは都電で、銀座へ出るかの選択肢があったわけだ。今だとバスか地下鉄だろうか。

 結局、銀座に出ることになったのだが、「近頃フラン人が開いた西洋料理屋」に行くか、「うまい肉屋」に行くかで意見が分かれ、お互いにワガママ言って譲り合わなかった。金持ちの坊ちゃんたちのワガママなのである。

 西洋料理屋は分かるが、「肉屋」って何だろう。すき焼き専門店だろうか。

 で、結局別々に行くことになって、食事の後のお茶だけを、肉屋に行った連中が西洋料理屋に来て一緒にすることになった。どうも、悠長な話である。時間も金も余裕があるということかしら。今なら絶対にどこかで妥協するし、妥協しなかったら、お茶だけ後で一緒になんてこともしないだろう。

 その西洋料理屋を出たのが、午後の九時頃。謙作は、一緒に西洋料理屋に行った緒方という男を誘って登喜子の所に行こうとするが、緒方は、今夜は兄や姉が来ているので家を空けるのはまずいと言う。しかし、どうしても登喜子に会いに行きたい謙作は、例によって一人では行けなくて、緒方を誘う。緒方は酒の誘惑にまけて、謙作についてくる。

 途中の「カッフェ」から電話をすると、登喜子はまだ帰っていないという。その辺のやりとり。


 とにかく、電話をかける事にして、二人は或るカッフェに入った。
 電話に出たのはお蔦だった。
 「登喜ちゃんは今日は市村座で、小稲さんは昨日から遠出で、まだ帰って来ないんです」と気の毒そうにいった。
 「しかし《はね》たら帰って来るだろう」
 「さあ、帰るだろうとは思いますが、今訊いて見ましょう。そちらは何番ですか? 伺っておいて、直ぐ御返事致します」
 そして暫く待っていると電話が掛って来た。
 「芝居を見残して、お客様と蔵多屋へ行ってるんですって。今御飯を頂いているから、もう直きお暇が出そうだというんですけど……」
 「それなら行こう」そう謙作はいった。


 芸者をつれて、芝居を見て、それから食事をする男が、当時もゴロゴロいたわけで、なんだか羨ましい。

 行くと決まったらもっと飲むと緒方は言って、そのカッフェで酒をがぶがぶ飲む。

 それから一時間ほどして、二人は「西緑」(登喜子のいる待合)に行った。しばらくして登喜子も来たけれど、登喜子も疲れているとみえて、「その夜も子供らしい遊びでとうとう夜明しになった」。このまま泊めてくれというのもどうなんだろうなんて思っているうちに、二人はうとうとしてしまい、結局目が覚めたのは翌朝十時ごろ。

 

 戸外(そと)には秋らしい静かな雨が降っていた。その音を聴きながら二人がうとうとしている間に女たちは帰って行った。
 十時頃眼を覚まして、二人は湯に入ると、いくらか気分がはっきりした。また前夜の二人をいったが、小稲だけ来て、登喜子は同じ家の表二階の客の方へ行く事になっていた。
 緒方は少し醒めかけると飲んだ。もう遊び事も話もなかった。小稲はそのだらけて行く座をもち兼ねて、ただぼんやりと淋しい眼つきをして、其処に仰向けに、長くなっている緒方の顔を凝っと眺めていた。



 やっぱりこの連中は、金も時間も持て余すほどあるんだよなあ。こんなにダラダラした時間の使い方、しかも金のかかる使い方は、そうそうできるもんじゃない。

 この後、緒方は「何か面白い話はないか」と小稲にいい、小稲も「下谷の芸者衆が白狐に自動車の後押をされた」とかいう嘘かほんとか分からない話をしたりするが、どうにも盛り上がらないで時間が過ぎていく。そのうち、緒方はイビキをかいて寝てしまう。謙作は所在なさに、小稲と五目並べなんかしていると、むこう座敷から登喜子の声が聞こえてくる。



 時々彼方(むこう)の座敷から登喜子の声が聴こえて来た。謙作は今はもう登喜子との関係に何のイリュージョンも作ってはいなかった。しかしそれでも此処に登喜子がいない事、そして彼方の部屋で誰れかと話しているという事は変に淋しく感ぜられた。いないならばまだいい。彼方にいるという事、それはどうしても彼の意識を離れなかった。で、実際にも登喜子は謙作らの座敷の前を通る時には必ず何か声をかけた。中へ入って来る事もあった。すると謙作の気分は、自分でも不思議な位に生々した。



 登喜子の客はなかなか帰らず、謙作と緒方は、吉原をあとにして、またまた西洋料理屋に入って緒方はウイスキーを飲む。謙作はもう飲めない。二人は三の輪まで歩いて、其処から人形町行の電車に乗った。

 その電車の中で、赤ん坊を連れた女に出会う。この描写がとても生き生きとしていて見事だ。長いが引いておこう。


 車坂の乗換に来た。乗る人も降りる人も多かった。眉毛を落した若い美しい女の人が、当歳位の赤児を抱いて入って来た。その後ろから十六、七のおとなしそうな女中が風呂敷包を抱えてついて来た。二人は謙作の前の丁度空いた処へ腰かけた。
よく肥った元気な赤児だった。綺麗な友禅の着物にやはり美しいチャンチャン児(こ)を着ていた。しかし身体が小さいので着物がよく着(つ)かぬかして、だらしなくそれがぬき衣紋になって、其処から丸々と盛り上った柔らかそうな背中の肉が白く見えていた。赤児は頭(かぶり)を振り、手足を頻(しき)りに動かして、一人元気に騒いでいた。女の人は二十二、三だったかも知れない。しかし細君になった人を見ると誰でも自分より年上のような気のする謙作には《はっきり》した見当はつかなかった。その人は友達と話すような気軽さと親しさで女中と何か話していた。


 すると、女中の向こうに、女におぶさった四歳ぐらいの女の子が、赤ん坊をじっと見ている。赤ん坊はその女の子の方に手を伸ばして、からだをもがいている。


 余り赤児が《もがく》ので、話に気を奪られていた女の人も、漸く気がついた。そして至極軽快な首の動作で、女の児の方を振向いた。それは生々とした視線だった。
 「おや、この人はお嬢さんのとこへ行って話し込みたいんだネ」といって女の人は笑った。女の児は平気で《むっつり》としていた。おぶっている女中が何か鈍い調子でお愛想をいった。
 女の人は連れの女中との話をそのまま、打切って、今度は急に──むしろ発作的に赤児の頬だの、首筋だのへ、ぶぶぶと口でお灸(とも少し異うが)日本流の接吻を無闇にした。赤児はくすぐったそうに身もだえをして笑った。女の人は美しい襟足を見せ、丸髷を傾けて、なおしつっこく咽(のど)の辺りにもそれをした。見ていた謙作は甘ったるいような変な気がして、今は真正面(まとも)にそれを見ていられなくなった。彼は何気なく首を廻らして窓外を眺めた。そしてこの女の人はまだ甘ったれ方を知らぬ赤児よりも遥かに上手に甘ったれていると思った。
 若い父と、母との甘ったるい関係が、無意識に赤児対手に再現されているのだと思うと、謙作は妙に羞かしくもなり、同時に余りいい気持もしなかった。しかし、精神にも筋肉にも《たるみ》のない、そして、何となく軽快な感じのするこの女の人を謙作は美しく感じた。彼は恐る恐る自分の細君としてこういう人の来る場合を想像して見た。それは非常な幸福に違いなかった。一時は他(た)に何物も欲求しないほどの幸福を感じそうな気さえした。
 「さあ、今度おんりするのよ。君やにおんぶしてエッチャエッチャって行くのよ」美しい細君は赤児を女中におぶせながらこんな事をいった。そして電車の停るのを待って降りて行った。
 謙作は何という事なし、幸福を感じていた。この幸福感はその人の印象と共に後まで、彼の心で尾をひいていた。
 二人は小伝馬町で降りると、人道を日本橋の方へ歩いて行った。雨に濡れた往来が街の灯りを美しく照りかえしていた。日本橋の仮橋を渡って暫くいった横丁の或る小綺麗な料理屋へ二人は行った。


 放蕩の合間に、まるで晴れ間のように描かれるこの「幸福」の何としみじみと身にしみてくることか。

 芸者たちのもつ「けだるさ」とは対照的に、この母親は、「生き生きとした視線」、「筋肉にも精神にもたるみのない軽快さ」で、印象的だ。

 この後、二人は、電車を小伝馬町で降りて、日本橋の「小綺麗な料理屋」で9時ごろまで酒を飲み、銀座をぶらつき、緒方の馴染みの「清賓亭」へ行って、そこの女たちを相手にまたさんざん酒を飲み、夜中の十二時ごろに「西緑」に行く。



 その夜十二時近くなって、二人はまた西緑へ行った。惰性的になかなか別れられなかった。夜が更けるとかえって一時の疲れた気分もはっきりして来たが、それも長もちはしなかった。三時頃いよいよ参ると、謙作はもう自分の寝床が無闇と恋しくなった。それで思う様の眠りに落ち込みたかった。彼は緒方に翌日帰途に必ず来てもらう約束をして、一人褞袍(どてら)を借りて俥で帰って来た。
 途中で夜が明けて来た。雨後の美しい曙光が東から段々に湧き上がって来るのを見ると、十年ほど前の秋、一人旅で日本海を船で通った時、もう薄く雪の降りている剣山の後ろから非常な美しい曙光の昇るのを見た、その時の事を彼は憶い出した。



 この最後の段落の自然描写も美しい。放蕩の果ての自然の美。それがなんども繰り返されている。

 電車の中の女の美しさも、また自然の美なのではなかろうか。





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日本近代文学の森へ (137) 志賀直哉『暗夜行路』 24 「愛子とのこと」⑷──俗悪な人生観 「前篇第一  五」その4

2019-12-09 14:11:54 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (137) 志賀直哉『暗夜行路』 24 「愛子とのこと」⑷──俗悪な人生観 「前篇第一  五」その4

2019.12.9


 

 慶太郎はやはり来なかったが、速達郵便と、そしてその後に長い手紙が来た。

 それによれば、実は愛子には先約があった。慶太郎の勤める会社の永田という課長からの話で、やはり会社の人。君の話を聞いて母も驚き、ぼくも驚いて、先方へ事情を話して解約しようとしたが、どうしても本人が承知しない。自分はもう親類だの友人だのに話してしまっているので、今更解約されたら顔が立たないというのだ。こうなっては、やはり君のお話を断って先約を守るしかない。どうか理解してもらいたい。といったような内容だった。


 謙作は読みながら、「嘘つけ! 嘘つけ!」と何度となく呟いた。よくも空々しくこんな事が平気で書けるものだと思った。
しかし愛子はそれから一月ほどして実際大阪へかたづいて行った。それは、或る金持の次男であったが、慶太郎のいる会社の男ではなかった。
 謙作の心に受けた傷は案外に深かった。それは失恋よりも、人生に対する或る失望を強いられる点でこたえた。元々愛子は仕方なかった。それに腹を立てる事は出来なかった。それから慶太郎も仕方ない。今度のやり方でも腹は立つが如何にも慶太郎のやりそうな事と思われる点で、段々それほどには思わなくなった。ただ一番こたえたのは愛子の母の気持であった。日頃その好意を信じ切っていただけに、この結果になると、その好意とは全体如何(どう)いうものだったかが彼には全く解らなくなった。断られるまでも何か好意らしいものを見せられたら彼はまだ満足出来た。ところが、それらしいものもまるで見せられずに彼は突き放された。彼は不思議な気がした。
 しかし、「世の中はこんなものだ」こう簡単に諦める事も出来なかった。もしそう簡単に片附けられたら、彼はまだしも楽だった。が、これが出来ないだけに彼は一層暗い気持になった。



 この手紙のわずか一月後に、愛子は、慶太郎が言っていた会社の男ではなくて、別の金持ちの男のもとへ嫁いでいった、というのも妙な話だ。慶太郎の言っていたことが嘘だったのか、それとも急に話が変わったのか判然としない。これでは謙作の気持ちもおさまらないのもよく分かるのだが、しかし、謙作がいちばんこたえたのは、愛子の母の冷たい態度だったということが、注目に値する。謙作は愛子の母に、自分の母の面影をみていたのだ。もういちど引いておきたい。


 誰からも本統に愛されているという信念を持てない謙作は、僅(わずか)な記憶をたどって、やはり亡き母を慕っていた。その母も実は彼にそう優しい母ではなかったが、それでも彼はその愛情を疑う事は出来なかった。彼の愛されるという経験では勿論お栄からのそれもなくはない。また兄の信行の兄らしい愛情もなくはない。しかしそれらとは全く度合の異った、本統の愛情は何といっても母より他では経験しなかった。実際母が今でもなお生きていたら、それほど彼にとって有難い母であるかどうか分らなかった。しかしそれが今は亡き人であるだけに彼には益々偶像化されて行くのであった。
 そして彼は何となく亡き母の面影を愛子の母に見ていた。

 

 亡き母が、「彼にそう優しい母ではなかった」し、実際に生きていたら「それほど彼にとって有難い母であるかどうか分らなかった」と謙作は思うのだが、それでも亡き母こそが「本統の愛情」を注いでくれたのだと信じてやまない。その亡き母の面影を愛子の母に見ていたのだから、愛子の母は、「生きた偶像」であったわけで、この人が自分に少しでも冷たい態度をとったということが理解できないわけなのだ。

 「断られるまでも何か好意らしいものを見せられたら彼はまだ満足出来た。ところが、それらしいものもまるで見せられずに彼は突き放された。彼は不思議な気がした。」ということからも、彼が愛子の母をいかに偶像化していたかが分かるというものである。特に「不思議な気がした」というあたりに謙作の失望の深さが感じられる。


 人の心は信じられないものだという、俗悪な不愉快な考が知らず知らず、自分の心に根を下ろして行くのを感ずると、彼はいやな気持になった。それには近頃段々面白くなくなって来た阪口との関係もあずかって力をなしていた。
しかしこう傾いて行く考に総て人生の観方(みかた)をゆだねる気は彼になかった。これは一時の心の病気だ、彼はそう考えようとした。が、それにしろ、新たに同じような失望を重ねそうな事にはいつか、用心深くなっていた。むしろ臆病になっていた。


 「人の心は信じられないものだ」という考え方を謙作は「俗悪な不愉快な考」だという。ここはこの小説にとって、とても重要なところだろう。

 「俗悪」というのは、「下品」だということだ。どうして「人間不信」が「下品」なのか、詳しい説明はない。説明する必要もないくらい謙作にとっては、あるいは志賀直哉にとっては当然のことだったのだろう。

 嘘、裏切り、嫉妬など、人の心のあり方を考えれば醜い心がいくつでも思い浮かぶ。そういう心が人間の心の本質だと捉えれば、すぐにでも「人の心は信じられないものだ」という結論が得られるだろう。そしてそれこそが人生の真実だと言いたくもなるだろう。けれども、謙作は、それを「俗悪で不愉快」だというのだ。

 生きていれば、人間は、様々な嫌な目に合う。騙され、裏切られ、告げ口され、冷笑されることなしに、人生を終えることなんて不可能だ。そうした「誰でも」する経験をもとに、「人の心は信じられないものだ」という人生観に落ち着くのは安易なことだ。それがもし人間の真実だとしたら、人生とは何と楽なことだろう。何も戦わずして人生の真実を摑めることになるのだから。

 だからこそ、謙作は、それを「俗悪」として嫌うのだ。人の心は信じられるのか、信じられないのか、そんなことは分からない。分からないけれど、謙作はあくまで人の心を信じたいのだ。醜い心と戦って、「人は信じられるのだ」という人生観を勝ち得たい。それこそが謙作にとっては「愉快」なのであって、できればその愉快な気分で生きていきたいと思っているのだ。ここに謙作の、そして志賀直哉の「理想主義」があるのかもしれない。

 けれども、謙作の周囲には次から次へと人を信じることができなくなりそうな出来事が起こってくる。阪口の件もここで引き合いに出される。

 謙作は、もうこれ以上、人が信じられなくなるような出来事に遭遇したくない。だから、芸者の登喜子との関係にも一歩を踏み出せないのだ。


 そして登喜子との事が既にそれであった。彼は自分に盛上がって来た感情を殺す事を恐れながら、さて近づこうとして、それが最初の気持にはまるで徹しない或る落着きヘどうそこ来ると、それでもなお、突き進もうという気には如何(どう)してもなれなかった。其処で彼の感情も一緒に或る程度に萎(しな)びてしまう。


 登喜子との深い関係に踏み込めない理由を語る「五」は、こう締めくくられる。

 

 

 

 

 

 


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