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100のエッセイ・第9期・100 900編

2014-09-20 14:13:18 | 100のエッセイ・第9期

100 900編

2014.9.20


 

 突風に吹き飛ばされる木の葉のように過ぎてゆく日々である。

 毎週土曜日か日曜日にアップしようと努力してきたエッセイだが、つい気を抜くと日曜日が過ぎ去ろうとしていたりして、油断も隙もあったものではないが、それでも、なんだかんだで気がつけば第9期も100となってしまった。

 第1期の最初のエッセイをアップしたのが、1998年3月のことで、その時はぼくも48歳だった。それから900編のエッセイを書いているうちにまもなく65歳になろうとしている。書き始めの頃は、まさかこのエッセイが900を超えるとは思いもしなかった。万一続いたとしても、1000編に達するまで生きていられるだろうかと本気で思った。その思いは、あながち当たっていなくもなくて、この前危うく死にかけたわけだけど、まあ、この調子でいったら1000編というのは冗談ではなく、ほんとになりそうな気配である。

 最近、「蔵出しエッセイ」などといって、毎日のように昔のエッセイを「蔵出し」しているのだが、ときどき、前の蔵出ししたのを忘れてしまってダブっていることもあることにこの前気づいた。ブログでは、いちいち訂正していられないのでそのままになっているが、読者の方は、また同じだあ、と笑っている方もおられることと思う。ボケに免じてどうかご容赦いただきたい。

 それにしても、行動範囲が人並みはずれて狭いぼくが、よく900編ものエッセイを書けたものだと思う。全部を読んだという人はいないと思うけれど、とにかく、海外旅行の話など一度も出てこない。行ったことがないのだからしょうがないのだが、それなら国内旅行の話が多いのかというと、そうでもない。特別な趣味があって、そのことをトコトン追究しているというのでもない。

 じゃ、何を書いてきたのかというと、どうも、厳密に調べたわけではないが、「自分のこと」が大半を占めているのではなかろうか。前回、「人間に興味がある」らしいなんて書いたけれど、もっと言えば、「自分に興味がある」ということなのかもしれない。いつか精神科医の知人がいみじくも指摘したとおり、ぼくは「自己愛人間」なのだろう。そうでなくては、昔の思い出なんかを、ああでもないこうでもないと延々と語り続けられるわけがない。

 もっとも「自己愛型人格障害」までは行っていないようで、いちおう円満な社会生活を送れているわけだから、それが大きな問題ではないけれど、やっぱり、我ながら呆れる、という面は否定できない。

 自分でも呆れ、人様にも呆れられ、それでも書きつづけることに何の意味があるのかは、知らない。意味なんてなくてもいいんだと居直っているわけでもないが、たったひとつだけ「意味」として言えることがあるとすれば、後で読んで自分が面白いからということだ。

 ああ、やっぱり「自己愛」だ。

 そうはいっても、やっぱり、ここまで書きつづけてこられたのは、少数だけれど、見捨てないで読んでくださっている方々のお陰です。改めて心から感謝致します。

 引き続き、第10期をよろしくお願い致します。


 



■本日の蔵出しエッセイ 

奇跡的な完結(1/100)

第7期も終了してしまった(7/100)

何のために?(8/100)

「完結」の感慨集です。


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100のエッセイ・第9期・99 豹変する人間

2014-09-15 09:44:38 | 100のエッセイ・第9期

99 豹変する人間

2014.9.15


 

 教師なんかを長いことしている人は、よく「私は結局人間が好きなんです。」なんてことを言うが、ぼくはそんなことは今まで一度も口にしたことがない。むしろ、人間とか、人間関係というのは、めんどくさくて出来れば避けたいと思ってきたし、「生徒が好きだ」なんて口走る若い教師には、呆れこそすれ感心したことはない。だから、「クラス経営」とか、「仲間作り」なんてことも絶対に言わなかったし、担任のクラスがスポーツ大会で優勝しても、ジュース一本自腹切って買ってやったこともない。

 こう書くとすごく冷たい人間のように見えるが、実際はそうでもないらしくて、ヤマモト先生はアタタカイと言われたこともある。でも、アタタカイのかツメタイのかは別として、メンドクサイのが大嫌いということは事実だった。中でもメンドクサイのは、人間関係であることは間違いのないことで、だからできるだけそういうメンドクサイ人間関係は少なくしようと思ってきたのである。

 高齢者になると孤立しがちだから、仲間を作るように努力しなければいけません、なんてことをテレビで言ったりしていると、テヤンデエ、仲間なんてくそ食らえだ、と心の中で思ってきたし、口に出して毒づいてたりもしてきた。

 元勤務校には、退職した職員の会がある。ぼくは、勤務校の卒業生だから、当然その会には、ぼくの中高時代の恩師がたくさんいる。60歳で定年になったとき、勤務はまだ再雇用で続いていたのだが、その会への入会を誘われた。しかし、当時は、再雇用の条件などをめぐって学校当局と盛んに闘っていた時期でもあり、その対応のあまりの失礼さにはらわたの煮えくりかえる思いをしていたときだったこともあって、そんな会には絶対に入らない。完全退職したら、もう二度と学校へも来ないし、退職職員なんかとも付き合わないとまで思い詰めていたので、その後の再三の勧誘にも、断固たる姿勢を崩さなかったのである。

 先日、ぼくが完全退職となったということもあって、再び入会の勧誘の電話があった。電話をしてきたのは、ぼくの恩師である。ぼくは、それまで頑なに応じてこなかったわけだが、その時は、まったく別の反応をした。なんと、快く入会をお願いしたのである。自分でも信じられないほどの豹変ぶりであった。

 その「豹変」は、ぼくの今回の病気に原因があったようだ。入院、手術、その後の自宅静養を経験するなかで、月並みだが、人の情けを心に染みて味わった。人間関係のありがたさを実感した。限りある人生であるならば、縁のあった人たちとは、たとえ苦手な人であっても、会っておきたい、というか、縁をつなげておきたい、そのことの大切さの前には、多少のメンドクササなど問題ではないじゃないか、と思うようになったらしいのだ。

 ぼくと似たような心境にあったのかどうかよく分からないが、ぼくと同時に退職した友人と、恩師からの電話のあった翌日飲んだとき、オレは入ることにしたけど、キミはどうする? って聞いたら、それまで絶対に入らないと言っていた彼が、何と、それならオレも入るよと言ったのだ。彼は、自分の豹変ぶりを棚にあげて、ぼくの顔を見て、シミジミとした口調で言った。「君も変わったねえ。」

 そりゃそうだよ、人間変わらなきゃ生きているとは言えないもんな、なんていいながら、酒を酌み交わしたのだったが、それから1週間もたたないつい先日、28年ぶりにちょっと歳下の昔の友人と二人で飲む機会があった。彼も長いこと小学校や幼稚園での教育に携わり、今は退職しているのだが、ヨウゾウ先生も、教職一筋42年なんてすごいですねえ、というから、一筋なんて格好いいもんじゃないよ、嫌々やってきただけだからなあと言うと、いや、やっぱり先生は人間が好きなんですよ、と言う。そんなことないよ、人間が好きだなんて思ったこともない、やっぱりオレは昆虫や植物相手の研究者の方が向いていたんだと言うと、いやいや、そうじゃないです、好きというより、人間に興味があるんです、じゃなきゃ、教師を42年も続けられるわけないですよ、と言った。

 興味かあ、それならあったかもしれないなあ、と、ふと思った。そうなのかもしれない。そしてその人間への興味は、今頃になって強まってきている気配もある。

 



 ■本日の蔵出しエッセイ クレクレ生徒とケチケチ教師(6/49) 

 


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100のエッセイ・第9期・98 さよならをつみかさね

2014-09-06 10:48:24 | 100のエッセイ・第9期

98 さよならをつみかさね

2014.9.6


 

 もうとっくに調べたよという方も多いだろうが、「さよなら三角 また来て四角」のあとは、「四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ……」って続き、「デブデブ百貫デブ 電車にひかれてペッチャンコ」のあとは、「ペッチャンコは煎餅、煎餅は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはウサギ……」(煎餅は白い、白いは砂糖、っていうのもあるらしいが、煎餅はあまくも白くもないと、ぼくは思うけど……)なんて続き、行きつくところは「光るはオヤジのハゲ頭」なんだそうである。じゃあ、「おまえのかあちゃんでべそ」はどこへ行ってしまったのだろうか。これもやけになってネットで調べると、驚くほどいろいろな解釈があり、中には、相当ヒドイ言葉だという解説をする人もいて、どれがほんとやら分からない。ただ、ぼくらが小学生の頃は、ごく普通に、悪態として意味不明のまま使っていたのだし、今ではそんなことを言っている小学生もいないだろうからこの問題はこれでおしまい。

 しかし、それにしても、蒸し返すようだが、「さよなら三角 また来て四角」の後に、「四角は豆腐」なんて言った覚えはない。そもそもぼくの場合は、「さよなら三角 また来て四角」という言葉を幼いときには使わなかった。横浜の下町の悪ガキに交じって遊んでいたわけだから、そんな詩的な別れ方はしなかった。「じゃあ。」とか「アバ!」とか、そんなふうな簡単な言葉だったように思う。それに、小学校の4年からは、受験勉強を始めたから、そんな甘ったるい幼少期は記憶に残らないまま過ぎてしまった。

 先日、「一日一書」で、工藤直子の「また あいたくて」を取り上げたときに書いたことだが、この詩の感銘深いところは、まずは「またあえるねと うたってた」にある。今回は、著作権のこともあるが、引用ということで、全文をひいておく。


  また あいたくて 

さよなら三角
まてきて四角
またあえるね と
うたってた

さよなら春 さよなら夏
さよなら秋 さよなら冬

さよならを くりかえし
さよならを つみかさね

また あいたくて なにかに
きょうも あるいていく


 ここでは、「四角は豆腐」へと続く言葉あそびではなくて、別れの言葉として「さよなら三角 また来て四角」が使われていたことを示しているように見える。「さよなら三角 また来て四角」と別れの言葉を言いながら、「またあえるね」と、声に出して歌ったというより、そういう気分で「さよなら三角 また来て四角」と歌ってたということだろうか。いずれにしても「うたってた」という過去形が泣かせる。

 あの頃は、幼い頃は、「またあえるね」と「うたって」、そして「またあえる」ことを信じていた、ということだ。ということは、大人はそれを信じることができないということである。大人、それも高齢者になればなるほど、「またあえる」とは限らない。まさに「明日をも知れぬ命」なのである。

 「さよならを くりかえし/さよならを つみかさね」に、その大人の経験のありようの痛切さが描かれている。「さよならだけが人生だ」というわけだ。

 最初の勤務校でずいぶんとお世話になったN先生という方がいた。ぼくよりは確か一回りほど上だったと思う。N先生は、ぼくが都立高校を辞めてからも、ときどき電話をくれた。それも突然、「今、横浜に来てるんだけど、どう?」って感じで誘ってくれた。たいていは、ヒマだったから、横浜駅あたりで落ち合って、お酒の飲めないN先生と、喫茶店でコーヒーを飲みながら、2時間とか3時間とかねばって、いろいろな話をしたものだった。そんなことが年に1回はあった。

 今から5年ほど前だっただろうか、そのN先生がまた例によって午後の2時ぐらいに横浜にいるんだけどと言って電話をしてきた。ぼくは、ちょっと忙しくて、無理すれば会いに行けたのに、断ってしまった。先生は、「そうかあ。」と残念そうな声で答えたけれど、「じゃ、またそのうち。」とあっさりと電話を切った。

 それから1年もたたないうちに、突然、N先生の死を、彼の娘さんから電話で知らされたのだった。衝撃だった。あ、あの時、どうして会っておかなかったんだろうと思った。会ったとしても、その時も、「じゃ、また。」と別れたろう。でも、最後の電話の、先生の「そうかあ。」という残念そうな声がいまだに耳の奥に残っている。

 まだ最初の学校に勤務していて、年中、N先生を囲んで、町田の喫茶店で数人でしゃべっていたころ、N先生は、「会えるうちに会っておかないとな。会わないでいると、死んじゃうからな。」とよく冗談で言っていた。そんなことも思い出す。

 昨日、また、「またあえる」と思っていた人の突然の訃報を聞いた。「さよならを くりかえし/さよならを つみかさね」て、生きていくしかないのがこの人生であることは分かっていても、いったいどれだけ「くりかえし」、どれだけ「つみかさね」ていかなばならないのだろうかと、思わずため息が出る。

 工藤直子は「また あいたくて なにかに/きょうも あるいていく」と締めくくるけれど、どこかその足どりは重い。重くても、「あるいていく」のだ。それが人生の「重み」というものなのかもしれない。




 ■本日の蔵出しエッセイ 決められない(8/14) 


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100のエッセイ・第9期・97 いろはにこんぺいとう

2014-08-31 09:12:49 | 100のエッセイ・第9期

97 いろはにこんぺいとう

2014.8.31


 

 「一日一書」なんていって連載を始めたのが、2013年2月14日のことだが、その時は、本当に中井精也さんの「一日一鉄」みたいに毎日1回必ず更新なんて思っていなかった。「たぶん一月もしないで終わってしまうでしょう。」なんて書いているくらいだから、それほど本気ではなかったわけだ。「カテゴリー」の欄を見ていただければ分かるとおり、途中で更新していない「企画」も多い。「ぼくの切抜帖」なんてたった1回だけで頓挫している。

 その「一日一書」が、予想に反して更新頻度が高く、400に近づいているのだから驚く。これは多分に、師匠の発案で始めた「コラ書」のお陰だろうと思う。「書」だけでは、とても続かなかったはずだ。その「コラ書」も、そうそういい写真が撮れるわけでもなく、それにしっくりと合う書がいつでも書けるわけでもないので、できるだけ「一日一書」をこころがけると、かなり辛いものがある。筆を持っても、さて何を書いたらいいのか、途方に暮れることも多いのだ。

 この前、そうした途方にくれながら、なんとなく「いろはにほへと」と書いた。最近、師匠から、ひらがなの練習をするように言われたこともあって、そんな気持ちになったのかもしれない。けれども、普通の筆で書いても、なんだかピンとこない。それで、それまでちょっと試していた草を筆代わりにして書いてみた。偶然できる線や形は、なんだか面白い。

 そんなことをして遊んでいるうちに、頭に「いろはにこんぺいとう」という言葉が浮かんだ。それで今度は筆で書いてみた。草でも書いた。「一日一書」にアップしようとして、はて、これはいったい何の意味だったかと考えた。あ、そうか、「いろはにこんぺいとう こんぺいとうはあまい」ってヤツだとすぐに思い出した。

 それで、「いろはにこんぺいとう、こんぺいとうはあまい、あまいはさとう さとうはしろい、しろいはうさぎ、うさぎははねる、はねるはのみ のみはかゆい、かゆいは……なんだっけ? 最後は、ひかるはおやじのはげあたま、となるんでしたね。」なんていいかげんなことを書いて、アップした。

 その後も、「かゆい」は何だ? ってずっと考えていた。「かゆい」のは、水虫とか、タムシとか、しもやけとか……と考えても、どうもしっくりこない。なんだっけなあ。

 アップしてから2日後だったか、家内が読んだらしく、「あなたの書いてた、いろはにこんぺいとう、だけど、あれ、はねるはかえる、なんじゃないの?」って言う。「はねるはかえる、かえるはあおい……たしか、そうだったと思うんだけど、あおいは何かしらねえ。う~ん、思い出せない。」とうなっている。最後は「ひかるはおやじのはげあたま」は確かだという。そこは一致しているし、最初のほうも一致している。同い年だから、同じような遊びをしていたわけだ。

 しかし、「あおい」は何だったのか、そもそも「はねるはのみ」じゃなかったのか。たしか「はねるは、の~み!」って歌ったような気がするんだけどなあと、ますます分からなくなってしまった。何だっけなあと思いつつ、テレビを見ていると、突然家内が「分かったわよ」とiPadを持ってきた。何とそこには、ちゃんと全部書いてあるではないか。「いろはにこんぺいとう」で検索をかけたらしい。そうか検索はぼくの十八番だったのに、これはやられた。

 それによると、やっぱり家内の方が正しくて、「はねるはかえる かえるはあおい」である。ぼくは、「のみ」に行ってしまったので、行き詰まってしまったのだった。ではその後は?

 「かえるはあおい あおいはおばけ おばけはきえる きえるはでんき でんきはひかる ひかるはおやじのはげあたま」である。う~ん、そうだったのかあ。「はねるは」がネックだったんだ。

 それにしても、「あおいはおばけ」には無理があるなあ。まあ、無理といえばみんなむりだけどねえ。「きえるはでんき でんきはひかる」も、時代を感じさせるなあ、などといろいろな感慨があった。

 そんな感慨にひたりながら、自分でも「いろはにこんぺいとう」で検索をしてみた。確かに、「世界の民謡・童謡」というサイトでは、「『いろはに金平糖』は、日本に広く伝わる遊び歌・わらべうた。連想ゲームのように言葉をつなげて歌っていく。歌われる地域によって歌詞は様々で、歌い出し一つとっても、『いろはに金平糖』で始まるものから、『さよなら三角また来て四角』、『デブデブ百貫デブ』などで歌い始める替え歌・バリエーションも存在する。」とある。

 え、「デブデブ」も替え歌なのか? って思いながら、更に他のサイトをみていくと、初音ミクが歌っているYouTubeが出てきた。へえ~、と思って見てみて驚いた。出だしは「いろはにこんぺいとう」で、「うさぎははねる」まで同じ。ところがである。「はねるは、の~み」なのだ。やっぱりそうだったんだ。「のみ」はぼくの勝手な思いこみではなく、確かにそう歌っていたのだ。じゃ、その後は? それはこうだ。

 「のみはあかい あかいはほおずき ほおずきはなる なるはおなら おならはくさい くさいはうんち うんちはきいろい きいろいはばなな ばななはたかい たかいは十二階 十二階はこわい こわいはおばけ おばけはきえる きえるはでんき でんきはひかる ひかるはおやじのはげあたま」これでおしまい。

 う~ん、そうだったのか。「のみはあかい」だったのか。そうだったかなあ。もちろんのみの色は赤っぽいけどなあ。でも、「なるはおなら おならはくさい」なんて言っていたような記憶が確かにある。でも、「たかいは十二階」の記憶は全然ない。そもそも「十二階」って何だってことになるが、それはもちろん、「浅草十二階」(正式名称は凌雲閣)のことで、明治期の建物としては「たかい」の代表だったのだろうが、横浜の人間にはまったく馴染みがないし、第一「浅草十二階」は関東大震災で崩壊してしまったいて戦後には跡形もなかったわけだから、ぼくらが「たかいは十二階」なんて歌ったとは思えない。それに比べて、「おならはくさい くさいはうんち」は、歌ったような気がだんだんしてきて、それどころかそこでものすごく盛り上がったような気がしないでもない。

 まあ、バリエーションがいろいろあったというわけだから、その辺は別バージョンだったのだろう。少なくとも「はねるはのみ」と歌っていた地域があったことが分かっただけでも大収穫である。更に、矢野顕子が「いろはにこんぺいとう」というアルバムを出し、同名の歌も歌っていることも判明した。そのうち聞いてみることにしよう。

 しかし、今はそれよりも、「さよなら三角また来て四角」、「デブデブ百貫デブ」が「いろはにこんぺいとう」にどうつながるのかが気になってしかたがない。「デブデブ百貫デブ」はそのあと「電車にひかれてぺっちゃんこ おまえのかあちゃんでべそ」でおしまいだったような気がするんだけどなあ。


 



  ■本日の蔵出しエッセイ ぼくらの川にドザエモンは流れ(1/31)

こんな思いこみもあります。


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100のエッセイ・第9期・96 強迫神経症的

2014-08-28 10:39:24 | 100のエッセイ・第9期

96 強迫神経症的

2014.8.28


 

 「100のエッセイ」と題してエッセイの連載を始めたころは、目的は、文章の練習だった。1998年の3月に最初のエッセイを書いているから、かれこれ26年も前のことになる。1998年の3月ということは、満49歳だったことになる。え? 40代か? って自分でも驚く。何のために文章の練習をする気になったのかはしらないが、とにかく、1000字で(ごく初期は800字)どこまで書けるかを懸命に模索した。

 パソコンだから文字数は簡単に数えられるので、1字でも多かったりすると、とにかく削って1000字以内に収めた。内容も、あたりまえのこと、誰でも言っていることは書かないように心がけた。(そうなっていたかはまた別の話)自分の言っていることに自信が持てないことは書かないようにした。だから、政治的なことは書かなかった。(ぼくは政治音痴なのだ。)

 話題がちゃんとあって、それできっちりとまとまった文章になるようにした。文体も、できるだけ工夫した。文章修行なんだから当然といえば当然だが、当時のエッセイを読むと、我ながら「よく書けてる」と思えるものがいくつもある。結構やるじゃん、って感じである。

 ぼくは、小学生の頃から文章を書くのも、話すのも、本を読むのも、あんまり好きじゃなかった。どちらかというと苦手だった。高校生になるまで、生物学者か生物写真家になりたいと思っていたので、それでよかったのだ。ところが、数学嫌いがたたって、理系への道が閉ざされ、よりによって国語の教師になってしまったのだから、大変だった。

 高校生になってから友人と「同人誌」を作ったが、自分の書く文章の幼稚さばかりが目立って、コンプレックスに苛まれた。それなのに、文学部しか行くところがなかった。何しろ、記憶力が抜群に弱いから法学部はダメ、数字にはもうメチャクチャ弱いから経済学部もダメ、というわけで、消去法で文学部だったわけだ。大変なわけである。

 それでも、何十年も国語教師をやってきて、50にもなろうという歳で、文章修行を始めたというのだから、学生時代のコンプレックスから抜け出せていなかったのだろうか。だとすると、その歳になっても向上心があったということになるのかもしれないが、まあ、そのころ始めたばかりのホームページを何とか維持したかったというのが本音だったのだろう。

 100書いたらやめるつもりだった「100のエッセイ」の続編を書いているうち、第2期、第3期と、どんどん増えていき、そのうち大震災がやってきて、自分で自分を縛っていることがばからしくなってしまい、それまで一度も破ったことのない「週に1度」「1000字以内」という「掟」を破ってしまった。さらに、その後、ひょんなことから始めたブログが便利だったので、エッセイもブログに移行した。それでも第9期などという枠組みはそのままにして続けているうちに、気がつけば、エッセイも900編に近づこうとしている。

 900編近くも書いてくると、今まで何を書いてきたのかも忘れてしまっているので、「蔵出し」などを始めて、つらつら昔書いたエッセイと最近のエッセイとを読み比べてみると、昔のもののほうが断然いい。短くて、ちゃんと書くべきことが書けているものが少なからずある。最近のものは、どうもダラダラと長いばかりでしまりがない。

 そろそろ潮時かなとも思うのだが、少なくとも1000編という目標は達成したいからやめるわけにはいかない。ただ、今更文章修行でもないわけだから、もっと気楽に書いてもいいんじゃないかと思う。まだ、しまりがないわりには、どこかに、ちゃんとしたものを書こうという意識があるみたいだ。

 加齢から来る(?)しまりのなさは、どう考えても免れないわけだし、それならそれで、かっこつけずに書けばいいじゃないか。前回「ネタ切れの恐怖」なんてことを書いたけれど、それもちゃんとした文章じゃなきゃいけないという強迫観念があるからこその「恐怖」だ。多分に強迫神経症的なところのあるぼくだから、そこから抜け出すのは大変なのだが、なんとか「適当に書き流す、あるいは垂れ流す」ように「努力」したい。なんて書くこと自体、もう強迫神経症的であるのだが……。

 

 



 ■本日の蔵出しエッセイ はじまり(1/1)


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