Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

日本近代文学の森へ (188) 志賀直哉『暗夜行路』 75  終焉へ   「前篇第二  十三」 その2

2021-03-31 09:48:49 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (188) 志賀直哉『暗夜行路』 75  終焉へ   「前篇第二  十三」 その2

2021.3.31


 

 鎌倉へ来いという兄信行の誘いも、禅の言葉の持つ「一種の芸術味」が心を動かしはするが、「悟り済ましたような高慢な顔をした今の禅坊主」につくのはごめんだといった理由で、禅には入っていかず、むしろ高野山とか叡山に行きたいと思ったりする。その理由は書かれていないから分からないが、まんとなく思いつきの範囲を出ないようだ。

 女中の由(よし)を博覧会へ連れて行くかどうかという話がこの後突然出てきたり、鎌倉から来る信行を迎えに行ったので、博覧会の話はなくなったり、話の展開も、どこか行き当たりばったりの感がする。

 その信行を停車場で待つ間、懐から本を出して読む。


 大森の停車場へ来たが新橋行まではなお三十分ほどあった。彼は品川行の電車の方ヘ廻った。間もなく電車は来た。彼は懐(ふところ)から西鶴の小さい本を出して『本朝二十不孝』のしまいの一節から読み出した。彼は二、三日前お栄から日本の小説家では何という人が偉いんですか、と訊かれた時、西鶴という人ですと答えた。そういったのは、丁度その前読んだ『二十不孝』の最初の二つに彼は悉く感服していたからであった。それは余りにというほど徹底していた。病的という方が本統かも知れない。彼はもし自分が書くとすれば、ああ無反省に惨酷な気持を押通して行く事は如何に作り物としても出来ないと考えた。親不孝の条件になる事を並べ立てて書く事は出来るとしても、それをあの強いリズムで一貫さす事はなかか出来る事ではないと思った。──弱々しい反省や無益な困惑に絶えず苦しめられている今の彼がそう思うのは無理なかった。で、実際西鶴には変な図太さがある、それが、今の彼には羨しかった。自身そういう気持になれたら、如何にこの世が楽になる事かと思われるのであった。
 彼はしまいから見て行くと、どれも最初の二つとは較べ物にならなかった。品川で市の電車に乗換えると、もう読むのも少し面倒臭くなった。彼はただぼんやりと車中の人々の顔を見ていたが、その内ふと前にかけている人の顔が、写楽の描いた誰かに似ているように思われ出すと、どれもこれもが、写楽の眼に映ったような一種のグロテスクな面白味を持って、彼の眼に映って来た。


 ここでいきなり西鶴が出てくるのには驚いた。志賀直哉と西鶴、って考えたこともなかった。本朝二十不孝は読んだことないが、ほんとうに志賀は感動したのだろうか。

 スタンダールの「パルムの僧院」を読んで、ファブリスのことを「なんだ、ただのヤクザじゃないか。」と言ったという話を三島由紀夫が書いていたが、どうにも、志賀直哉という人は分からないことが多い。
 

 薩摩原(さつまばら)の乗換へ来ると、本郷の家へ行って見ようかしらという気がちょっと起った。暫く会わない咲子や妙子に会いたい気が急にしたのである。しかし父がいるかも知れないし、それに咲子とでも気持がしっくり行きそうもない気が直ぐして来ると、彼はやはりそのまま乗越してしまった。宮本か枡本かの家へ行ってもいいと思うが、妙にいそうもなく、仮りにいても今の気分で行けば、きっと気まずい事をするか、いうかしそうで彼は気が進まなくなる。気まずい事を避けようと気持を緊張さすだけを考えてもつらくなるのであった。打克てない惨めな気持を隠しながら人と会っている苦み、そしてへとへとに疲れて逃れ出て来る憐れな自分、それを思うと、何処へも行く処はないような気がするのであった。結局ただ一つ、彼が家を出る時から漠然頭にあった、悪い場所だけが気軽に彼のために戸を開いている、そう思われるのだ。彼の足は自然其方に向うのである。
 そして彼は同じ電車の誰よりも自身を惨めな人間に思わないではいられなかった。とにかく、彼らの血は循環し、眼にも光を持っている。が、自分はどうだろう。自分の血は今ははっきり脈を打って流れている血とは思えなかった。生温く、ただだらだらと流れ廻る。そして眼は死んだ魚のよう、何の光もなく、白くうじゃじゃけている、そんな感じが自分ながらした。


 志賀直哉らしくない、「うじゃじゃけている」文章である。

 この「暗夜行路」第一部の最終盤に来て、文章は弛緩し、話の筋は場当たり的になり、惨めな自分の感情や感覚だけがダラダラと続くことになった。おそらく、志賀はもうここでこの先を書き切れない思いでいたのだろう。この第一部が、あと一章を残して急速に終焉を迎えるのも、もうこれ以上どうしていいのか分からない、といった志賀の思いからではなかろうか。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一書 1690 寂然法門百首 42

2021-03-29 17:31:42 | 一日一書

 

欝々黄花無不般若

 

 
あだし野の花ともいはじ女郎花(をみなへし)三世(みよ)の仏の母とこそきけ

 


半紙

 

 

【題出典】『真言宗教時義』41番歌に同じ。

 

【題意】  欝欝たる黄花は般若に非ざることなし


咲き誇る菊の花は般若(真理を見抜く知恵)でないものはない。
 

【歌の通釈】

  あだし野の花ともいうまい。女郎花は、三世の仏の母だという。

【寂然の左注・通釈】

これも前歌の題文の一連のものである。どの花の香りにも違いがあるはずがないが、般若は仏の母であるから、女郎花に縁がある。法の花ということでなければ、女郎花は徒なる花として嫌われるだろうが、龍女が南方無垢世界に成仏して月が澄むのは、一香も一色も一切が中道であるという真理の香り(女郎花などの法の花の香り)がすべてに広がっているからだ。
 

【考】

「三世」という恒久性をいう表現で、「祝」と関わっている。題「黄花」から、黄色い花をつける女郎花をイメージし、また題の「般若」からも仏母という女性のイメージで女郎花と巧みに結び付けた。不実な女郎花は、実は永遠の仏母の花であrという。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


 


花というものは「仏」につながっている、ということですね。

ただキレイといって愛でるのではなくて、その背後にある「自然のちから」を感じてもいいし、更にその奥に「仏」や「知恵」を感じてもいい。

古来、花は、そのように受け止められてきたのでしょう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ (187) 志賀直哉『暗夜行路』 74  弱った心   「前篇第二  十三」 その1

2021-03-08 16:34:05 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (187) 志賀直哉『暗夜行路』 74  弱った心   「前篇第二  十三」 その1

2021.3.8


 

 謙作はまた段々と参り出した。気候も悪かった。湿気の強い南風の烈しく吹くような日には生理的に彼は半病人になっていた。そして生活もまた乱れて来た。彼は栄花の事を書こうとすると、勢い女の罪という事を考えなければならなかった。男ではそれほど追って来ない罪の報が女では何故何時までも執拗につきまとって来るか。ある時、元、栄花のいた辺を歩き、その本屋の前を通って、彼よりも若いその男が、何時か赤坊の父となっているのを見てちょっと変な気がした事があった。赤坊を膝に乗せ、ぼんやり店から往来を眺めているその様子は過去にそういう出来事のあった男とは思えぬほど、気楽に落ちついて見えた。それはそういう男でもある時、過去の記憶で心を曇らす事はあるだろう。殺された自身の初児、こんな事を憶い出す事もあるだろう。が、それにしろ、それらはみなその男にとって今は純然たる過去の出来事で、その苦しかった記憶も今は段々薄らぎ遠退きつつあるに違いない。ところが、栄花の場合、それは同じく過去の出来事ではあるが、それは現在の生活とまだ少しも切り離されていないのは、どうした事か。今の生活はむしろその出来事からの続きである。── こういう事は必ずしも女にかぎった事ではないかも知れない。一つの罪から惰性的に自暴自棄な生活を続けている男はいくらもあるだろう。が、女の場合は男の場合に較べて更にそれが絶望的になる傾きがある。元々女は運命に対し、盲目的で、それに惹きずられ易い。それ故周囲は女に対し一層寛大であっていいはずだ。子供の事だからというように、女だからといって赦そうとしてもいいはずだ。ところが周囲は女に対して何故か特に厳格である。厳格なのはまだいいとして、周囲は女が罪の報から逃れる事を喜ばない。罪の報として自滅するを見て当然な事と考える。何故女の場合特にそうであるか、彼は不思議な気がした。


 女は過去の「罪」に縛られ、いつまでたっても許されないのに、男は過去は「純然たる過去の出来事」であり、苦しかった思い出も薄れていってしまうのは何故だろうと謙作は思うのだが、そういう対比的思考は、ほとんど無意味ではなかろうか。

 女の「罪」を許さないのは、世間であり社会である。謙作も「周囲は女に対して何故か特に厳格である。厳格なのはまだいいとして、周囲は女が罪の報から逃れる事を喜ばない。罪の報として自滅するを見て当然な事と考える。」と分析している。そこまで分析しながら、それを「彼は不思議な気がした。」で締めくくってしまうのが、むしろ不思議というものだ。

 「不思議な気がした」などと言っていないで、そういう社会の在り方へと目を向け、批判的に検討するべきであろう。女に対しては「寛大であっていいはずだ」とは言うけれど、その理由が「元々女は運命に対し、盲目的で、それに惹きずられ易い。」という一方的な決めつけである以上、なんら説得性を持たない。

 周囲が女に対して「何故か特に厳格である。」としながら、「厳格なのはまだいいとして」と言ってしまう。厳格なのを否定しないかぎり、この問題は解決しない。

 こうした思考の杜撰さは、驚くほどで、志賀直哉という人は、男は、女は、人生は、とかいった大上段に振りかぶった議論にはつくづく向かないんだなあと思う。これ以前にもそういうところがあった。

 謙作は、栄花のことを小説に書き出すのだが、なかなかはかどらない。

 


 彼はこれまで女の心持になって、書いた事はなかった。その手慣れない事も一つの困難だったが、北海道へ行くあたりから先が、如何にも作り物らしく、書いて行く内に段々自分でも気に入らなくなって来た。
 そして、彼は何という事なし気持の上からも、肉体の上からも弱って来た。心が妙に淋しくなって行った。彼が尾の道で自分の出生に就いて信行から手紙を貰った、その時の驚き、そして参り方はかなりに烈しかったが、それだけにそれをはね退けよう、起き上ろうとする心の緊張は一層強く感じられた。しかしその緊張の去った今になって、丁度朽ち腐れた土台の木に地面の湿気が自然に浸み込んで行くように、変な淋しさが今ジメジメと彼の心へ浸み込んで来るのをどうする事も出来なかった。理窟ではどうする事も出来ない淋しさだった。彼は自分のこれからやらねばならぬ仕事──人類全体の幸福に繋りのある仕事──人類の進むべき路へ目標を置いて行く仕事──それが芸術家の仕事であると思っている。──そんな事に殊更頭を向けたが、弾力を失った彼の心はそれで少しも引き立とうとはしなかった。ただ下へ下へ引き込まれて行く。「心の貧しき者は福(さいわい)なり」貧しきという意味が今の自分のような気持をいうなら余りに惨酷な言葉だと彼は思った。今の心の状態が自身これでいいのだ、これが福になるのだとはどうして思えようと彼は考えた。もし今一人の牧師が自分の前へ来て「心の貧しき者は福なり」といったら自分はいきなりその頬を撲りつけるだろうと考えた。心の貧しい事ほど、惨めな状態があろうかと思った。実際彼の場合は淋しいとか苦しいとか、悲しいとかいうのでは足りなかった。心がただ無闇と貧しくなった──心の貧乏人、心で貧乏する──これほど惨めな事があろうかと彼は考えた。
 

 

 ここに描かれているのは、謙作の心の弱りである。それは「妙に淋しくなって行った」「変な淋しさが今ジメジメと彼の心へ浸み込んで来る」「理窟ではどうする事も出来ない淋しさ」「ただ下へ下へ引き込まれて行く」というふうな表現で畳みかける。

 今で言えば一種の「うつ状態」ということだろう。その状態は、結局、出生の秘密を知った衝撃以来の心の傷がまだ癒えていないということだろう。尾道ではまだ緊張感があったから、なにくそ! といった立ち直りもできたのだが、緊張の去った今では、心が腐っていくようだ、というのである。それは十分に理解できるところだ。

 しかし、その後に書かれる、自分の「仕事」の目標が、あまりに壮大で、空虚だ。逆に、自分の仕事をそのような絵空事のような壮大さで捉えるからこそ、自分が書こうとしている栄花のみじめな生活の話が行き詰まってしまうのではなかろうか。

 文学史的にいえば、謙作が書こうとしている小説は多分に自然主義的なものなのに、その文学理念は白樺派風の理想主義だということになるのだろうか。なにかそうした混乱と矛盾がここに来て露呈しているように思えてならない。

 さらにここにイエスの言葉が登場してくるのだが、いかにも、とってつけた風である。「心の貧しき者は福なり」というイエスの言葉を引いてくる必然性がまったく感じられない。というより、イエスの言葉をぜんぜん理解していないというべきだろう。この謙作の「うつ状態」を「心の貧しさ」に置き換えることなどできるわけがないのだ。なぐられる牧師はたまったものではない。

 このイエスの言葉の関連だろうか、この後に、信行が出てきて、禅の話をする。謙作はその禅の言葉のいくつかに、泣き出してしまうのだが、どうして泣くほど感動するのかは、詳しく語られることはなく、「その話が彼の貧しい心に心の糧として響くからばかりでなく、一方それの持つ一種の芸術味が、烈しく彼の心を動かした。」というふうに抽象的に語られる。

 それで、信行は鎌倉へ来いというのだが、謙作は素直になれない。「師につくという事が、いやだった。禅学は悪くなかった。が、悟り済ましたような高慢な顔をした今の禅坊主につく事は閉口だった。」というのだ。どこまでいっても、ワガママな謙作である。

 キリスト教も禅も、謙作の感情の表面を通り過ぎるだけなのだ。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一書 1689 寂然法門百首 41

2021-03-07 10:36:53 | 一日一書

 

青々翠竹総是法身

 

 
色かへぬもとの悟りをたづぬれば竹のみどりも浅からぬかな

 


半紙

 

 

【題出典】『真言宗教時義』一

 

【題意】  青々たる翠竹は総じて是れ法身


青々とした竹はすべて法身(真理の身体)である。
 

【歌の通釈】

  色を変えることのない(常住の)本覚と見れば、竹の緑も深く見えることだよ。 

【寂然の左注・通釈】

一切の草木にいたるまで、すべて仏の本性を備えているという心である。その中でも竹の緑の色は、永遠不動の真理の色で、それが眼前に現れて、永遠の仏の本性が心の中に芽生える。この翠竹は、心中の仏の本性が現われるように導いてくれるものだ。(翠竹は、白楽天がいったように)本当に「私の友」というべきだ。「あさからず」と詠んだのはこの意味ではないか。「もとのさとり」というのは本覚の道理のことである。本覚とは真理の身体のことだ。

 

【考】

常緑の竹は、常住の真理そのものに他ならないという、いわゆる天台本覚思想を詠んだもの。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする