日本近代文学の森へ (113) 志賀直哉『暗夜行路』 1 下品な祖父 「前篇 序詞(主人公の追憶)」その1
2019.5.28
私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月(ふたつき)ほど経って、不意に祖父が私の前に現われて来た、その時であった。私の六歳(むっつ)の時であった。
或る夕方、私は一人、門の前で遊んでいると、見知らぬ老人が其処へ来て立った。眼の落ち窪んだ、猫背の何となく見すぼらしい老人だった。私は何という事なくそれに反感を持った。
志賀直哉『暗夜行路』の「序詞(主人公の追憶)」の冒頭である。
実にそっけない出だしだが、長編小説というものは、こうした何気ない始まりをするもので、たとえば小説ではないけれど、『源氏物語』の出だしは、「いつの御代だったかしら、女御とか更衣とかいった方々がたくさんいらっしゃる中で、特別に寵愛を受けていらっしゃる方がおりました。」というようなもので、これもある意味そっけない。そっけないけれど、そこには物語の進行上必要な事項がしっかり書かれている。源氏でいえば、こうした特別に帝に愛されたというそのことがそのお方の悲しい運命を導くわけだし、その女の子供として生まれた源氏自身の運命にもかかわることだったわけだ。
この『暗夜行路』でも、いきなり登場してくる「祖父」が、これからの物語の焦点となる。そっけないようでいて、大事なことをきちんと書いているのである。
この祖父に対する「私」の感情の動きが、六歳の子供にしてはありえないほど精密で、「私はなんという事なくそれに反感を持った。」とあるその後には、こんなふうな文章が続く。
老人は笑顔を作って何か私に話しかけようとした。しかし私は一種の悪意から、それをはぐらかして下を向いてしまった。釣上がった口もと、それを囲んだ深い皺、変に下品な印象を受けた。「早く行け」私は腹でそう思いながら、なお意固地に下を向いていた。
志賀直哉の文学というのは、「快・不快」の文学だとよく言われているのだが、この短い冒頭部分にすでにその特徴が現れている。まずは何となく感じた「反感」。その後に、「一種の悪意」、そして「下品な印象」、「意固地に下を向く」。すべてが、「私」にとっての「不快」の表現である。
この小説は私小説ではなくてあくまでフィクションだから、「私」が祖父に不快な印象あるいは敵意を持つ理由は、あらかじめの設定にあるわけで、六歳の子供がほんとうにこのように感るものかどうかを詮索してもしかたがない。
しかし、とにかく、冒頭からただ事ではない空気が流れるこの小説が、主人公のこれからの人生の暗闇を描くものであることは、この「暗夜行路」という題名とともに、まずは深く印象づけられるわけである。
それにしても、志賀直哉は、題のつけ方がうまい。特にこの「暗夜行路」という題名は秀逸だ。四字熟語にあるのかと思えるぐらいビシッと決まっている。オシャレだ。だから作詞家の吉岡治が、これをパクって『暗夜航路』なんて歌を作ったりする。キム・ヨンジャが歌ってそこそこヒットしたこの歌も、この題名だけでずいぶん得をしている。
さて、その老人はお前は謙作か? と尋ね、頷いた「私」に近づいて頭に手をやり「大きくなった」と言う。
この老人が何者であるか、私には解らなかった。しかし或る不思議な本能で、それが近い肉親である事を既に感じていた。私は息苦しくなって来た。
子供がこんな「不思議な本能」を持つものかどうか怪しいものだが、とにかく、「近い肉親」であることが「息苦しさ」を感じさせるとはどういうことか。それが本当の祖父なら、息苦しさではなくて、親しさとか安らぎとかであってもよいはずだ。それが「息苦しさ」を感じるというのは、その「肉親」が、普通の「祖父」ではないからなのだろう。ここではまだその「祖父」がどのように普通じゃないかは明かされていないのだが。
この辺の書き方が、どうもリアルでない、という感じがする。そこまで「私」の感情を書き込まずに、むしろ老人の戸惑いを書くことで、その老人が何者なのかを暗示するほうがよいと思うのだが、志賀はそうしない。むしろ性急に私の感情を書くのである。
やがて、「私」は、この突然現れた祖父のもとに引き取られることになる。家は「根岸のお行の松に近いある横町の奥の小さい古家」だった。この「お行の松」というのは、実在するもので、ぼくはとんと知らなかったが、台東区根岸の西蔵院の不動堂にあるそうで、「江戸名所図会」にあるほど有名な松らしい。ちなみに、wikiによれば、現在は2018年に植樹された4代目があるらしい。
この地名を出したというのは、別に志賀直哉がそこに住んでいたということではなくフィクションだ。実際には志賀直哉は、2歳の時に、生地石巻から父母とともに上京し、父方の祖父の家に入った。家は麹町区(現千代田区)内幸町である。
其処には祖父の他にお栄という二十三、四の女がいた。
私の周囲の空気は全く今までとは変っていた。総てが貧乏臭く下品だった。
他(ほか)の同胞(きょうだい)が皆自家(うち)に残っているのに、自分だけがこの下品な祖父に引きとられた事は、子供ながらに面白くなかった。しかし不公平には幼児から慣らされていた。今に始まった事でないだけ、何故かを他人(ひと)に訊く気も私には起こらなかった。しかしこういう風にして、こんな事が、これからの生涯にもたびたび起こるだろうという漢然とした予感が、私の気持ちを淋しくした。それにつけても私は二か月前に死んだ母を憶い、悲しい気持ちになった。
ここに登場するお栄も重要な人物だ。いったい祖父とどういう関係にあるのかと興味をひく。
初めて会ったとき祖父に感じた「下品」さは、周囲の空気までも「下品」なものにしている。始まってまだ2ページなのに、「下品」という言葉が三回も出てくる。異常である。
自分だけが「不公平」な目にあっているという不快感は、しかし、「幼児から慣らされていた」として増大することはなく、むしろこれからの人生への漠然とした嫌な予感が「私」の気持ちを「淋しく」し、母を思って「悲しく」なった。どこまでいっても色濃い感情に塗りつぶされている。
こうした感情過多とも言っていい文章は、徳田秋声の乾いた文章に親しんできた身には、一種異様なものとして映る。田山花袋の文章も感情過多だったが、たとえば『田舎教師』では、それは甘い感傷が主で、このような「不快」「おもしろくない」「息苦しい」「貧乏臭い」「下品だ」といった激しいものではなかった。
志賀直哉の文章というと、「写実の名手」とか「鋭く正確に捉えた対象を簡潔な言葉で表現している」とか「無駄を省いた文章」とかいった評価がよくされるが、ここに引用した文章はその対極にあるといっていいほど主観的だ。自分の感情抜きでは何一つ書けないといった風である。
それは、この部分が「主人公の回想」として書かれているからだろか。それとも、この文体は、この小説全篇を通じて貫かれているのか、興味深いところである。
何はともあれ、これからしばらく『暗夜行路』を読んでいくことなる。別に研究論文じゃないので、勝手気ままに読んで勝手な感想を書き付けるだけのことだが、ただ、引用は、なるべく短くしたい。それは、志賀直哉は徳田秋声と違って、まだ著作権が切れていないからだ。それどころか、あのTPPの発効によって、著作権が70年に延長された結果、志賀直哉の作品の著作権が切れるまで、まだ20年近くあることになってしまった。したがって、「青空文庫」に収納もされていない。秋声の『新所帯』は結局全文引用してしまったが、今回はそうもいかないので、本を手元に置いていただければ幸いです。ぼくが読んでいくのは、岩波文庫版『暗夜行路 前篇・後篇』で、引用もこれによります。