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日本近代文学の森へ (113) 志賀直哉『暗夜行路』 1 下品な祖父  「前篇 序詞(主人公の追憶)」その1

2019-05-28 10:38:21 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (113) 志賀直哉『暗夜行路』 1 下品な祖父  「前篇 序詞(主人公の追憶)」その1

2019.5.28


 

 私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月(ふたつき)ほど経って、不意に祖父が私の前に現われて来た、その時であった。私の六歳(むっつ)の時であった。
 或る夕方、私は一人、門の前で遊んでいると、見知らぬ老人が其処へ来て立った。眼の落ち窪んだ、猫背の何となく見すぼらしい老人だった。私は何という事なくそれに反感を持った。


 志賀直哉『暗夜行路』の「序詞(主人公の追憶)」の冒頭である。

 実にそっけない出だしだが、長編小説というものは、こうした何気ない始まりをするもので、たとえば小説ではないけれど、『源氏物語』の出だしは、「いつの御代だったかしら、女御とか更衣とかいった方々がたくさんいらっしゃる中で、特別に寵愛を受けていらっしゃる方がおりました。」というようなもので、これもある意味そっけない。そっけないけれど、そこには物語の進行上必要な事項がしっかり書かれている。源氏でいえば、こうした特別に帝に愛されたというそのことがそのお方の悲しい運命を導くわけだし、その女の子供として生まれた源氏自身の運命にもかかわることだったわけだ。

 この『暗夜行路』でも、いきなり登場してくる「祖父」が、これからの物語の焦点となる。そっけないようでいて、大事なことをきちんと書いているのである。

 この祖父に対する「私」の感情の動きが、六歳の子供にしてはありえないほど精密で、「私はなんという事なくそれに反感を持った。」とあるその後には、こんなふうな文章が続く。


 老人は笑顔を作って何か私に話しかけようとした。しかし私は一種の悪意から、それをはぐらかして下を向いてしまった。釣上がった口もと、それを囲んだ深い皺、変に下品な印象を受けた。「早く行け」私は腹でそう思いながら、なお意固地に下を向いていた。



 志賀直哉の文学というのは、「快・不快」の文学だとよく言われているのだが、この短い冒頭部分にすでにその特徴が現れている。まずは何となく感じた「反感」。その後に、「一種の悪意」、そして「下品な印象」、「意固地に下を向く」。すべてが、「私」にとっての「不快」の表現である。

 この小説は私小説ではなくてあくまでフィクションだから、「私」が祖父に不快な印象あるいは敵意を持つ理由は、あらかじめの設定にあるわけで、六歳の子供がほんとうにこのように感るものかどうかを詮索してもしかたがない。

 しかし、とにかく、冒頭からただ事ではない空気が流れるこの小説が、主人公のこれからの人生の暗闇を描くものであることは、この「暗夜行路」という題名とともに、まずは深く印象づけられるわけである。

 それにしても、志賀直哉は、題のつけ方がうまい。特にこの「暗夜行路」という題名は秀逸だ。四字熟語にあるのかと思えるぐらいビシッと決まっている。オシャレだ。だから作詞家の吉岡治が、これをパクって『暗夜航路』なんて歌を作ったりする。キム・ヨンジャが歌ってそこそこヒットしたこの歌も、この題名だけでずいぶん得をしている。

 さて、その老人はお前は謙作か? と尋ね、頷いた「私」に近づいて頭に手をやり「大きくなった」と言う。


 この老人が何者であるか、私には解らなかった。しかし或る不思議な本能で、それが近い肉親である事を既に感じていた。私は息苦しくなって来た。


 子供がこんな「不思議な本能」を持つものかどうか怪しいものだが、とにかく、「近い肉親」であることが「息苦しさ」を感じさせるとはどういうことか。それが本当の祖父なら、息苦しさではなくて、親しさとか安らぎとかであってもよいはずだ。それが「息苦しさ」を感じるというのは、その「肉親」が、普通の「祖父」ではないからなのだろう。ここではまだその「祖父」がどのように普通じゃないかは明かされていないのだが。

 この辺の書き方が、どうもリアルでない、という感じがする。そこまで「私」の感情を書き込まずに、むしろ老人の戸惑いを書くことで、その老人が何者なのかを暗示するほうがよいと思うのだが、志賀はそうしない。むしろ性急に私の感情を書くのである。

 やがて、「私」は、この突然現れた祖父のもとに引き取られることになる。家は「根岸のお行の松に近いある横町の奥の小さい古家」だった。この「お行の松」というのは、実在するもので、ぼくはとんと知らなかったが、台東区根岸の西蔵院の不動堂にあるそうで、「江戸名所図会」にあるほど有名な松らしい。ちなみに、wikiによれば、現在は2018年に植樹された4代目があるらしい。

 この地名を出したというのは、別に志賀直哉がそこに住んでいたということではなくフィクションだ。実際には志賀直哉は、2歳の時に、生地石巻から父母とともに上京し、父方の祖父の家に入った。家は麹町区(現千代田区)内幸町である。



 其処には祖父の他にお栄という二十三、四の女がいた。
 私の周囲の空気は全く今までとは変っていた。総てが貧乏臭く下品だった。
 他(ほか)の同胞(きょうだい)が皆自家(うち)に残っているのに、自分だけがこの下品な祖父に引きとられた事は、子供ながらに面白くなかった。しかし不公平には幼児から慣らされていた。今に始まった事でないだけ、何故かを他人(ひと)に訊く気も私には起こらなかった。しかしこういう風にして、こんな事が、これからの生涯にもたびたび起こるだろうという漢然とした予感が、私の気持ちを淋しくした。それにつけても私は二か月前に死んだ母を憶い、悲しい気持ちになった。



 ここに登場するお栄も重要な人物だ。いったい祖父とどういう関係にあるのかと興味をひく。

 初めて会ったとき祖父に感じた「下品」さは、周囲の空気までも「下品」なものにしている。始まってまだ2ページなのに、「下品」という言葉が三回も出てくる。異常である。

 自分だけが「不公平」な目にあっているという不快感は、しかし、「幼児から慣らされていた」として増大することはなく、むしろこれからの人生への漠然とした嫌な予感が「私」の気持ちを「淋しく」し、母を思って「悲しく」なった。どこまでいっても色濃い感情に塗りつぶされている。

 こうした感情過多とも言っていい文章は、徳田秋声の乾いた文章に親しんできた身には、一種異様なものとして映る。田山花袋の文章も感情過多だったが、たとえば『田舎教師』では、それは甘い感傷が主で、このような「不快」「おもしろくない」「息苦しい」「貧乏臭い」「下品だ」といった激しいものではなかった。

 志賀直哉の文章というと、「写実の名手」とか「鋭く正確に捉えた対象を簡潔な言葉で表現している」とか「無駄を省いた文章」とかいった評価がよくされるが、ここに引用した文章はその対極にあるといっていいほど主観的だ。自分の感情抜きでは何一つ書けないといった風である。

 それは、この部分が「主人公の回想」として書かれているからだろか。それとも、この文体は、この小説全篇を通じて貫かれているのか、興味深いところである。

 

 何はともあれ、これからしばらく『暗夜行路』を読んでいくことなる。別に研究論文じゃないので、勝手気ままに読んで勝手な感想を書き付けるだけのことだが、ただ、引用は、なるべく短くしたい。それは、志賀直哉は徳田秋声と違って、まだ著作権が切れていないからだ。それどころか、あのTPPの発効によって、著作権が70年に延長された結果、志賀直哉の作品の著作権が切れるまで、まだ20年近くあることになってしまった。したがって、「青空文庫」に収納もされていない。秋声の『新所帯』は結局全文引用してしまったが、今回はそうもいかないので、本を手元に置いていただければ幸いです。ぼくが読んでいくのは、岩波文庫版『暗夜行路 前篇・後篇』で、引用もこれによります。

 

 

 


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日本近代文学の森へ (112) 徳田秋声『新所帯』  32 ぼくらの上には空がある

2019-05-26 09:24:11 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (112) 徳田秋声『新所帯』  32  ぼくらの上には空がある

2019.5.26


 

 とうとう最終回。小説としては終わるが、中の人物たちの人生は少しも終わらない。新吉もお作もお国も、みずからの中に形成されたシコリをこじらせたまま、それを抱え、あるいはそれを増殖させて、これから生きていかねばならないのだ。いったい何という人生だろうか。



  しばらくすると、食卓(ちゃぶだい)がランプの下に立てられた。新吉はしきりに興奮したような調子で、「酒をつけろ酒をつけろ。」とお作に呶鳴った。
「それじゃお別れに一つ頂きましょう。」お国も素直に言って、そこへ来て坐った。髪を撫でつけて、キチンとした風をしていた。お作はこの場の心持が、よく呑み込めなかった。お国がどこへ何しに行くかもよく解らなかった。新吉に叱られて、無意識に酒の酌などして、傍に畏(かしこ)まっていた。
 お国は嶮しい目を光らせながら、グイグイ酒を飲んだ。飲めば飲むほど、顔が蒼くなった。外眦(めじり)が少し釣り上って、蟀谷(こめかみ)のところに脈が打っていた。唇が美しい潤いをもって、頬が削(こ)けていた。
 新吉は赤い顔をして、うつむきがちであった。お国が千葉のお茶屋へ行って、今夜のように酒など引っ被って、棄て鉢を言っている様子が、ありあり目に浮んで来た。頭脳(あたま)がガンガン鳴って、心臓の鼓動も激しかった。が、胸の底には、冷たいある物が流れていた。



 新吉はお作に「酒をつけろ」と怒鳴る。お作は、何がなんだか分からず相変わらずドギマギしながら「無意識に」酌をする。お国は顔を蒼くして酒をグイグイ飲んでいる。

 新吉はこの目の前で酒をあおるお国の行く末に、頭が痛くなり心臓もバクバクする思いを味わうが、「胸の底には、冷たいある物が流れていた。」という。

 新吉という男の心の底に流れるこの「冷たいある物」の正体はいったい何だろう。お国が千葉にいって苦界に身を沈めようとしているのに、表面上ではそれを押しとどめようとはしても、心の底では舌を出して「ざまあみろ」とでもいいかねない冷たさ。それはいったいどこから来るのだろう。

 新吉のこの「冷たさ」は、この小説を読んでいる間中ずっと頭から離れなかった。それについて書くまえに、まずは、この小説の終幕を見ておこう。



「新さん、じゃ私これでおつもりよ。」とお国は猪口を干して渡した。
 お作が黙ってお酌をした。
「お作さんにも、大変お世話になりましたね。」とお国は言い出した。
「いいえ。」とお作はオドついたような調子で言う。
「あちらへ行ったら、ちっとお遊びにいらして下さい……と言いたいんですけれどね、実は私は姿を見られるのもきまりが悪いくらいのところへ行くんですの。これッきり、もうどなたにもお目にかからないつもりですからね。」
 お作はその顔を見あげた。
 酔漢はもう出たと見えて、店が森(しん)としていた。生温いような風が吹く晩で、じっとしていると、澄みきった耳の底へ、遠くで打っている警鐘の音が聞えるような気がする。かと思うと、それが裏長屋の話し声で消されてしまう。
「ア、酔った!」とお国は燃えている腹の底から出るような息を吐いて、「じゃ新さん、これで綺麗にお別れにしましょう。酔った勢いでもって……。」と帯の折れていたところを、キュと仕扱(しご)いてポンと敲(たた)いた。
「じゃ、今夜立つかね。」新吉は女の目を瞶(みつ)めて、「私(あっし)送ってもいいんだが……。」
「いいえ。そうして頂いちゃかえって……。」お国はもう一度猪口を取りあげて無意識に飲んだ。
 お国は腕車で発った。
 新吉はランプの下に大の字になって、しばらく寝ていた。お国がまだいるのやらいないのやら、解らなかった。持って行きどころのない体が曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした。
 大分経ってから、掻巻きを被(き)せてくれるお作の顔を、ジロリと見た。
 新吉は引き寄せて、その頬にキッスしようとした。お作の頬は氷のように冷たかった。

                       *     *     *

「開業三周年を祝して……」と新吉の店に菰冠(こもかぶ)りが積み上げられた、その秋の末、お作はまた身重(みおも)になった。



 この別れは、お作でなくともよく分からない。喧嘩別れでもないようだ。お互いにどこか未練を残しつつ、それでもこのままじゃどうしようもない、といった諦めが生んだ別れのようだ。「帯の折れていたところを、キュと仕扱(しご)いてポンと敲(たた)いた」お国は、蓮っ葉だけど、その気っぷの良さは魅力的だ。新吉の未練たらしさもよく分かる。しかし、ひとりその場から取り残されたようなお作には、明るい人生は待っていない。

 「お作の頬は氷のように冷たかった。」というのは、お作の死を暗示する。「* * *」として省略された月日の果てに、お作はまた妊娠するのだが、それがお作の命取りになるだろう。

 そんなことは書いてないが、しかし、この小説のモデルとなった夫婦は、妻が産後の肥立ちが悪くて死んでしまうのだ。しかし、秋声はそこまで書かずに、こういう形で小説を終えた。

 それは、お作の死を書くことよりも残忍な気もする。どんな形であれ、死はひとつの浄化だ。敢えていえば救いだ。しかし、「身重になった」ということで、その先に死が予感されるとなると、どこにも救いがない。読者は、お作の生涯を見届けることなく、お作の不幸をずっと抱え込まなければならない。それが残忍だということの意味である。

 お国が出て行ったあと、新吉は「持って行きどころのない体が曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした。」とある。

 新吉が宿痾のように心の中に抱え込んでいた「冷たさ」。それと、ランプの下で新吉が味わったこの「曠野の真中に横たわっているような気分」は一続きだ。そして、それは実は、新吉だけではなく、お国もお作も抱えていた宿痾なのだと今は思える。

 その宿痾を「神なき人間の悲惨」と言ってみる。

 ここでいう「神」とは、別に特定の宗教における神では必ずしもない。何やら「人間を超える存在」といった曖昧なものでいい。あるいは「存在」ですらない、「美」とか「善」とか、あるいは「無常観」というような観念でもいい。とにかく、人間の幸福感というものは、そのような「人間を超えるもの」とのつながりから生まれてくるのではないかということだ。そうした「人間を超えるもの」とのつながりがまったくない人間は、幸福感を抱くことはできない。それがぼくの直感だ。

 人間というものは、どんなに幸福を望んでも、それが成就することはない。それは人間がいつかは必ず死ぬ存在だからだ。どんなに激しい恋をしても、その恋は永続することはない。死によってそれが終わるということもあるが、それよりも、様々な人間的な軋轢は、恋をいつかはさましてしまう。ぼくらが人間関係の中に、幸福をみつけることができたとしても、それは結局いつかは醒める夢にすぎないだろう。

 ぼくらの幸福というものは、人間関係を「通して」得られるものが多いけれども、その人間関係を通して、その喜びを通して、「なにか分からないが人間を超えるもの」との接触を感じることで、その幸福は永遠に接続するものとなりうる。

 たとえば、恋人と肩を並べて見た星空。その時感じた「あるもの」。それは、その恋人と別れたあとも、消えずに残る。幸福は、「人間を超えるもの」とのつながりから生まれるというのは、そういうことだ。

 この『新所帯』という小説に出て来る人間は、一人としてこうした「人間を超えるもの」とのつながりを持っていないようにみえる。たとえていえば、「二次元」の世界の住人である。二次元の世界の住人が「迷路」で迷うと、なかなか脱出できない。垂直の次元がないから、上に動いて「壁を越える」ことができないのだ。

 新吉もお作もお国も、みな二次元の迷路のなかで迷っている。そして出口が見つからない。彼らは永久に幸福にはなれないだろう。

 「曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした」新吉の真上には、実は巨大な空が広がっている。その空とつながることで、新吉は自分の存在の意味を知ることができるかもしれない。お作も、その「空」とつながることで、新吉とお国しかいない狭い世界から脱出できるかもしれない。お国も、その「空」とつながることで、「千葉で身を落とす」以外の生き方を知ることができるかもしれないのだ。

 けれども、秋声はそうした道筋を彼らに与えようとしない。「人間関係」のもつれの中で出口のない生き方しかできない人間の姿をじっと見つめているのだ。

 ぼくらはそうした「悲惨な人間」の姿を知れば知るほど、人間をとりまく「別の次元」に気づかされる。人間は、人間だけで生きているわけではないこと。人間は自然の中で生きているということ。人間はひょっとしたら「人間ではないもの」「人間を超えるもの」に愛されているのかもしれないということ。つまりは、ぼくらの上には空があるということ。それが分かれば、迷路は抜け出せるはずだということ。そういうことに気づかされるのである。


 何の気なしに読み始めた『新所帯』だが、思いがけず長丁場になってしまった。

 今から20年以上も前にこの小説を初めて読んだのだが、その時は、あまりの救いのなさに驚き呆れ、なんというひどい小説だろうとしか思わなかった。明治の女性がどんなにひどい扱いをされたかは、この小説を読めば分かるとさえ思った。

 今回改めてゆっくりと読んでみて、徳田秋声の文章の見事さに感嘆した。と同時に、悲惨なのはお作だけではなく、新吉もお国もみな悲惨だと思った。この悲惨さはどこから来るのかを考えた。いちおうの結論めいたことは書いてみたけれど、これが最終結論であるということではなく、あくまで、今の時点でこう思ったということに過ぎない。

 秋声の小説が読むに値することは、はっきり分かったので、この後も続けて読んでいきたい。しかし、このシリーズでは、趣向を変えて、次回からは、志賀直哉の代表作『暗夜行路』を読むことにしたい。この傑作とも失敗作とも言われる巨大な小説に、どういう形で取り組んでいくかは、目下思案中である。きっと暗闇の中に行き惑うことになるだろうが。





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日本近代文学の森へ (111) 徳田秋声『新所帯』  31 女と男

2019-05-24 12:13:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (111) 徳田秋声『新所帯』  31 女と男

2019.5.24


 

 懐かしい元の奉公先の家の前で、胸がいっぱいになったお作だったが、その家もお作を暖かく迎えてくれたわけではなかった。お作が奉公していたころと比べると、「どこか豊かそうに見えた」その家は、豊かになった分だけ、お作への同情心が薄れたとでもいうかのようだ。


 門のうちに、綺麗な腕車(くるま)が一台供待(ともま)ちをしていた。
 お作はこんもりした杜松(ひば)の陰を脱けて、湯殿の横からコークス殻を敷いた水口へ出た。障子の蔭からそっと台所を窺(のぞ)くと、誰もいなかったが、台所の模様はいくらか変っていた。瓦斯など引いて、西洋料理の道具などもコテコテ並べてあった。自分のいたころから見ると、どこか豊かそうに見えた。
 奥から子供を愛(あや)している女中の声が洩れて来た。夫人が誰かと話している声も聞えた。客は女らしい、華やかな笑い声もするようである。
 しばらくすると、束髪に花簪を挿して、きちんとした姿(なり)をした十八、九の女が、ツカツカと出て来た。赤い盆を手に持っていたが、お作の姿を見ると、丸い目をクルクルさせて、「どなた?」と低声(こごえ)で訊いた。
「奥様いらっしゃいますか。」とお作は赤い顔をして言った。
「え、いらっしゃいますけれど……。」
「別に用はないんですけれど、前(ぜん)におりましたお作が伺ったと、そうおっしゃって……。」
「ハ、さよでございますか。」と女中はジロジロお作の様子を見たが、盆を拭いて、それに小さいコップを二つ載せて、奥へ引っ込んだ。
 しばらくすると、二歳(ふたつ)になる子が、片言交りに何やら言う声がする。咲(え)み割れるような、今の女中の笑い声が揺れて来る。その笑い声には、何の濁りも蟠(わだかま)りもなかった。お作はこの暖かい邸で過した、三年の静かな生活を憶い出した。
 奥様は急に出て来なかった。大分経ってから、女中が出て来て、「あの、こっちへお上んなさいな。」
 お作は女中部屋へ上った。女中部屋の窓の障子のところに、でこぼこの鏡が立てかけてあった。白い前垂や羽織が壁にかかっている。しばらくすると、夫人がちょっと顔を出した。痩せぎすな、顔の淋しい女で、このごろことに毛が抜け上ったように思う。お作は平たくなってお辞儀をした。
「このごろはどうですね。商売屋じゃ、なかなか気骨が折れるだろうね。それに、お前何だか顔色が悪いようじゃないか。病気でもおしかい。」と夫人は詞(ことば)をかけた。
「え……。」と言ってお作は早産のことなど話そうとしたが、夫人は気忙しそうに、「マアゆっくり遊んでおいで。」と言い棄てて奥へ入った。
 しばらく女中と二人で、子供をあっちへ取りこっちへ取りして、愛(あや)していた。子供は乳色の顔をして、よく肥っていた。先月中小田原の方へ行っていて、自分も伴をしていたことなぞ、お竹は気爽(きさく)に話し出した。話は罪のないことばかりで、小田原の海がどうだったとか、梅園がこうだとか、どこのお嬢さまが遊びに来て面白かったとか……お作は浮(うわ)の空で聞いていた。
 外へ出ると、そこらの庭の木立ちに、夕靄が被(かか)っていた。お作は新坂をトボトボと小石川の方へ降りて行った。



 かつてはお作を暖かく遇してくれた家だったが、夫人はゆっくりとお作の話を聞こうともしない。みんな自分のことで精一杯で、お作の心に寄り添う余裕もない。というか、いくら奉公人に優しいといったところで、どこまでも親身になるほどお作を愛していたわけではなかったのだ。お作の顔色の悪いことには気づいても、夫人はそれ以上深入りはしてこない。面倒を避けたいという気持ちがどこかで働くのだ。

 何のわだかまりもない笑い声は、お作を懐かしい気持ちにはさせても、お作を慰めるものではなかった。夕靄の中を、トボトボ家路を辿るお作の姿が哀れである。

 家に帰ると、なんだか酔っ払いが騒いでいる。お国と新吉の別れの場面となり、そして急速にこの小説は終幕へと向かうのだ。



 帰って見ると、店が何だか紛擾(ごたごた)していた。いつもよく来る、赭(あか)ちゃけた髪の毛の長く伸びた、目の小さい、鼻のひしゃげた汚い男が、跣足のまま突っ立って、コップ酒を呷(あお)りながら、何やら大声で怒鳴っていた。小僧たちの顔を見ると、一様に不安そうな目色をして、酔漢(よっぱらい)を見守っている。奥の方でも何だかごてついているらしい。上り口に蓮葉な脱ぎ方をしてある、籐表(とうおもて)の下駄は、お国のであった。
「お国さんが帰って?」と小僧に訊くと、小僧は「今帰りましたよ。」と胡散くさい目容(めつき)でお作を見た。
 そっと上って見ると、新吉は長火鉢のところに立て膝をして莨を吸っていた。お国は奥の押入れの前に、行李の蓋を取って、これも片膝を立てて、目に殺気を帯びていた。お作の影が差しても、二人は見て見ぬ振りをしている。



 お国が「蓮葉な脱ぎ方」をした下駄が、お国の心の荒れ具合を表している。お国と新吉は、なぜだか喧嘩腰でいがみあっている。お国は行李の蓋をとって、中の荷物を取り出しているのだろうか。二人とも「片膝を立てて」いるのが、事態のただならぬことを物語る。目に殺気を帯びているお国がおそろしい。

 これだけの描写をしておいて、会話に入るそのタイミングも絶妙で、最後までこの小説の「映画みたい」な魅力は失われていない。



 新吉はポンポンと煙管を敲(はた)いて、「小野さんに、それじゃ私(あっし)が済まねえがね……。」と溜息を吐(つ)いた。
「新さんの知ったことじゃないわ。」とお国は赤い胴着のような物を畳んでいた。髪が昨日よりも一層強(きつ)い紊(みだ)れ方で、立てた膝のあたりから、友禅の腰巻きなどが媚(なま)めかしく零れていた。
「私ゃ私の行きどころへ行くんですもの。誰が何と言うもんですか。」と凄じい鼻息であった。
 お作はぼんやり入口に突っ立っていた。
「それも、東京の内なら、私(あっし)も文句は言わねえが、何も千葉くんだりへ行かねえだって……。」と新吉も少し激したような調子で、「千葉は何だね。」
「何だか、私も知らないんですがね、私ゃとても、東京で堅気の奉公なんざ出来やしませんから……。」
「それじゃ千葉の方は、お茶屋ででもあるのかね。」
 お国は黙っている。新吉も黙って見ていた。
「私の体なんか、どこへどう流れてどうなるか解りゃしませんよ。一つ体を沈めてしまう気になれア、気楽なもんでさ。」とお国は投げ出すように言い出した。
「だけど、何も、それほどまでにせんでも……。」と新吉はオドついたような調子で、「そう棄て鉢になることもねえわけだがね。」と同じようなことを繰り返した。
「それア、私だって、何も自分で棄て鉢になりたかないんですわ。だけど、どういうもんだか、私アそうなるんですのさ。小野と一緒になる時なぞも、もうちゃんと締るつもりで……。」とお国は口の中で何やら言っていたが、急に溜息を吐いて、「真実(ほんとう)にうっちゃっておいて下さいよ。小野のところから訊いて来たら、どこへ行ったか解らない、とそう言ってやって下さい。この先はどうなるんだか、私にも解らないんですから。」
「じゃ、マア、行くんなら行くとして、今夜に限ったこともあるまい。」
 店がにわかにドヤドヤして来た。酔漢(よっぱらい)は、咽喉を絞るような声で唄い出した。



 どうやらお国は新吉の家にいられなくなって、千葉に行ってどうやら身を売ることになったようだ。新吉は慌てるが、お国の決意はかたい。どうしてこういうことになったのか、詳しい事情は分からないが、もつれにもつれた挙げ句の別れだろう。

 新吉との別れというよりも、お国はとうとうやけっぱちになって、この中途半端な生活に見切りをつけたといったところだろうか。いざとなれば身一つ、どうにでもなるというお国の思いは、新吉には捨て鉢にしか見えない。お国にしても、捨て鉢にはなりたくないけれど、自分はどこまで行ってもそんな生き方しかできないという諦めがあり、やはり哀れである。気が強いだけに哀れさもまたひとしおだ。

 新吉はこういうお国の「開き直り」に、まごついて、意味もなく引き留めにかかる。引き留めたところで、事態が改善するわけもないのに、「行くんなら行くとして、今夜に限ったこともあるまい」というようなことを言う新吉は、現実を目の当たりにしてそれに正面からぶつかっていく気概に欠ける情けない男の典型だろう。

 新吉のグズグズぶりに比べて、お国のある意味での潔さは、女というものの強さを感じさせる。それは、「女てものは重宝なもんだからね」という新吉の下卑たセリフとはどこか違ったところにある強さだ。男だってその気になればどんなことしたって生きていけるはずなのだが、どうにも男にはそういう強さがない。いつも、誰かに寄りかかっていないと生きていけない。そんな気がするのだ。

 お国が出て行くことは仕方ないとしても、「今夜」じゃなくてもいいだろう、という言い分には、現実の回避しかない。いつまでも決定を先延ばしにして、いわばモラトリアムの中でウダウダしていたいというどうにも軟弱な精神は、女のどこをどう叩いても出てこないような気がするのだ。

 もっとも、こういう感想は、男女関係のなんたるかもわきまえない、酸いも甘いもかみ分けられないぼくみたいな人間が言ったところで何の説得力もないのだが。





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日本近代文学の森へ (110) 徳田秋声『新所帯』  30 暖かい日差し

2019-05-21 09:06:23 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (110) 徳田秋声『新所帯』  30 暖かい日差し

2019.5.21


 

 まったく人間というものは、やっかいなものである。新吉、お作、お国の三人の奇妙な同居だが、三人の間の感情のもつれが、単純なようでいて、実に複雑で、どこをどうすればスッキリするのか皆目分からない。どこをどうしても、結局のところスッキリしないというのが人生なのだろうか。というか、もともと「スッキリした人生」というものが幻想にすぎず、ぼくらの人生は、こんなおかしな形をとらなくても、どこかスッキリしないものを抱えて行かねばならぬ運命にあるのではなかろうか。

 

 小野の刑期が、二年と決まった通知が来てから、お国の様子が、一層不穏になった。時とすると、小野のために、こんなにひどい目に逢わされたのがくやしいと言って、小野を呪うて見たり、こうなれば、私は腕一つでやり通すと言って、鼻息を荒くすることもあった。
 お国にのさばられるのが、新吉にとっては、もう不愉快でたまらくなって来た。どうかすると、お国の心持がよく解ったような気がして、シミジミ同情を表することもあったが、後からはじきに、お国のわがままが癪に触って、憎い女のように思われた。お作が愚痴を零し出すと、新吉はいつでも鼻で遇(あしら)って、相手にならなかったが、自分の胸には、お作以上の不平も鬱積していた。
 三人は、毎日不快(まず)い顔を突き合わして暮した。お作は、お国さえ除(の)けば、それで事は済むように思った。が、新吉はそうも思わなかった。
「どうするですね、やっぱり当分田舎へでも帰ったらどうかね。」と新吉はある日の午後お国に切り出した。
 お国はその時、少し風邪の心地で、蟀谷(こめかみ)のところに即効紙など貼って、取り散(みだ)した風をしていた。
「それでなけア、東京でどこか奉公にでも入るか……。」と新吉はいつにない冷やかな態度で、「私(あっし)のところにいるのは、いつまでいても、それは一向かまわないようなもんだがね。小野さんなんぞと違って、宅は商売屋だもんだで、何だかわけの解らない女がいるなんぞと思われても、あまり体裁がよくねえしね……。」
 新吉はいつからか、言おうと思っていることをさらけ出そうとした。
 ずっと離れて、薄暗いところで、針仕事をしていたお作は、折々目を挙げて、二人の顔を見た。
 お国は嶮相(けんそう)な蒼い顔をして、火鉢の側に坐っていたが、しばらくすると、「え、それは私だって考えているんです。」
 新吉は、まだ一つ二つ自分の方の都合をならべた。お国はじっと考え込んでいたが、大分経ってから、莨を喫し出すと一緒に、
「御心配入りません。私のことはどっちへ転んだって、体一つですから……。」と淋しく笑った。
「そうなんだ。……女てものは重宝なもんだからね。その代りどこへ行くということが決まれば、私もそれは出来るだけのことはするつもりだから。」
 お国は黙って、釵(かんざし)で、自棄(やけ)に頭を掻いていた。晩方飯が済むと、お国は急に押入れを開けて、行李の中を掻き廻していたが、帯を締め直して、羽織を着替えると、二人に、更まった挨拶をして、出て行こうとした。
 その様子が、ひどく落ち着き払っていたので、新吉も多少不安を感じ出した。
「どこへ行くね。」と訊いて見たが、お国は、「え、ちょいと。」と言ったきり、ふいと出て行った。
 新吉もお作も、後で口も利かなかった。



 新吉とお国は、体の関係を持ったからといって、親密な仲になったわけでもない。体のことはただなりゆきでそうなっただけのことで、それが二人の関係を決定的なものにするわけでもなかった。

 新吉は、もともとお国に惚れたわけではなかった。そればかりか、嫌悪も感じていたのだ。という言い方もおかしなもので、惚れた相手に嫌悪を感じることだって多々あること。好きになったり嫌いになったり、それが男女の関係というものだろう。

 ただ、お国に対する新吉の感情は、基本は嫌悪のようだ。容姿や肉体に惹かれるものの、お国の図々しさ、我が儘にはうんざりしてもいたのだ。それがここへ来て吹き出す。

 自分は商売人だから、家に変な女がいるって思われるのも体裁が悪い、というのが新吉の「言おうと思っていたこと」だという。新吉にとっては、商売が何よりの優先事項で、それには体裁が大事だというわけだ。しかし、「わけの解らない女がいる」なんてことは、とっくに町内の噂になっているだろう。ほんとに体裁が大事なら、とっくに追い出していなければおかしい。

 結局のところ、新吉はあくまで自分の家の君主でいたいだけで、その領地を荒らされるのが嫌なのだ。自分の言うことをハイハイと聞いて、テキパキと働いて家業を助ける女を求めているのだ。それにはお作はダメ、またお国もダメなのだ。

 お作は、お国にさえいなくなれば平穏な生活が戻ってくると思うのだが、それもまた幻想だった。新吉は、お国を憎みながらも、また惹かれていたからだ。

 それにしても、この辺のお国の描き方は実に水際立っている。コメカミに「即効紙(薬を塗った一種の紙。頭痛などの時、患部に貼って使うもの。)〈日本国語大辞典〉」を貼ったお国がツンツンしてタバコをすっているところなどは、やっぱり杉村春子にやらせたい。

 いざとなれば、どっちへ転んだって体一つだという潔さは女ならではのものだろうが、それを新吉は「女てものは重宝なもんだからね。」と揶揄する。お国は答えない。そして「ひどく落ち着き払った」態度で家を出ていく。そうなると新吉は不安になってくる。川に身でも投げるのではと思ったのだろうか。お国はそんなヤワな女じゃないだろうけど、男ってものは、そういう女のことが結局分からない。

 


 高ッ調子のお国がいなくなると、宅は水の退いたようにケソリとして来た。お作は場所塞(ばしょふさ)げの厄介物を攘(はら)った気でいたが、新吉は何となく寂しそうな顔をしていた。お作に対する物の言いぶりにも、妙に角が立って来た。お国の行き先について、多少の不安もあったので、帰って来るのを、心待ちに待ちもした。
 が、翌日も、お国は帰らなかった。新吉は帳場にばかり坐り込んで、往来に差す人の影に、鋭い目を配っていた。たまに奥へ入って来ても、不愉快そうに顔を顰めて、ろくろく坐りもしなかった。
 お作も急に張合いがなくなって来た。新吉の顔を見るのも切ないようで、出来るだけ側に寄らぬようにした。昼飯の時も、黙って給仕をして、黙って不味(まず)ッぽらしく箸を取った。新吉がふいと起ってしまうと、何ということなし、ただ涙が出て来た。二時ごろに、お作はちょくちょく着に着替えて、出にくそうに店へ出て来た。
「あの、ちょっと小石川へ行って来てもようございますか。」とおずおず言うと、新吉はジロリとその姿を見た。
「何か用かね。」
 お作ははっきり返辞も出来なかった。



 お国がいなくなると、新吉はいっそう機嫌が悪くなる。お国の帰りを待ってばかりいる。そんな新吉を見るのも辛い。そしてまた、お作自身、「急に張合いがなくなって来た」というのだから人間って複雑だ。

 お国の存在は、お作にとっては悩みの種だったことは確かだが、それが日常になってしまうと、お国の存在は自分のアイデンティティにとって欠かせないものとなった、と言っては大げさだが、お国と自分なりに対抗することで、自分の心を確かめてきたという面があるのではなかろうか。

 お作はお国に面と向かって対抗してきたわけではないが、それでも、何かの折には、新吉が、お国よりやっぱりオマエだ、って言ってくれる日が来ることを楽しみにして辛い日常を耐えてきたのではなかろうか。

 その「張り合い」がなくなったとき、お作はどうするか。「過去」へ戻っていくのである。

 出にくそうに家を出るお作を「ジロリと見る」新吉の冷たさにお作ならずとも身も凍る思いがする。



 出ては見たが、何となく足が重かった。叔父に厭なことを聞かすのも、気が進まない。叔父にいろいろ訊かれるのも、厭であった。叔父のところへ行けないとすると、さしあたりどこへ行くという的(あて)もない。お作はただフラフラと歩いた。
 表町を離れると、そこは激しい往来であった。外は大分春らしい陽気になって、日の光も目眩(まぶ)しいくらいであった。お作の目には、坂を降りて行く、幾組かの女学生の姿が、いかにも快活そうに見えた。何を考えるともなく、歩(あし)が自然(ひとりで)に反対の方向に嚮(む)いていたことに気がつくと、急に四辻の角に立ち停って四下(あたり)を見廻した。
 何だか、もと奉公していた家がなつかしいような気がした。始終拭き掃除をしていた部屋部屋のちんまりした様子や、手がけた台所の模様が、目に浮んだ。どこかに中国訛りのある、優しい夫人の声や目が憶い出された。出る時、赤子であった男の子も、もう大きくなったろうと思うと、その成人ぶりも見たくなった。
 お作は柳町まで来て、最中(もなか)の折を一つ買った。そうしてそれを風呂敷に包んで一端(いっぱし)何か酬(むく)いられたような心持で、元気よく行(ある)き出した。
 西片町界隈は、古いお馴染みの町である。この区域の空気は一体に明るいような気がする。お作はかなめの垣根際を行(ある)いている幼稚園の生徒の姿にも、一種のなつかしさを覚えた。ここの桜の散るころの、やるせないような思いも、胸に湧いて来た。
 家は松木といって、通りを少し左へ入ったところである。門からじきに格子戸で、庭には低い立ち木の頂が、スクスクと新しい塀越しに見られる。お作は以前愛された旧主の門まで来て、ちょっと躊躇した。



 もと奉公していた家ではお作はずいぶん可愛がられた。かつて愛情を注いでくれた家の人々。それが、お作の心の支えなのだ。冷酷な感情の支配する場面が続いたあと、このシーンを読むと、とても気持ちが和らぐ。風景も明るく、風も暖かい。





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一日一書 1541 寂然法門百首 7

2019-05-18 18:57:23 | 一日一書

 

下仏種子於衆生田


年をへて荒れゆく小田を打返しけふぞ種蒔く室(むろ)のはやわせ

 

 

【題出典】

下仏種子於衆生田、生正覚芽。

仏の種を衆生の田に下し、正覚の芽を生ず。

 

【歌の通釈】

年を経て荒れていく田(煩悩で荒れた心)を鋤き返し、今日種を蒔くよ。室で育てた早稲を。(無漏の円教の発心の種を)。

 

【考】

煩悩に染まった衆生の心に、仏が円教の発心の種を蒔く。これを春の荒田を耕して種を蒔く「苗代」の歌の心によって詠んだもの。

(以上、『全釈』による)


人間の心は煩悩にそまって種を蒔いても育たない固い土と化しているので、仏はまず、その土を耕して柔らかくしたうえで、そこに最上の種を蒔いてくださる、という意味。

この話はどこか新約聖書の話に似ている。農夫が蒔いた種は、固い土の上では芽を出さないが、柔らかい土では芽を出すという話。そこでは、どういう土なのかが問題となり、イエスはみずから進んで土を耕そうとはしない。教えがどのような人にとって有効なのかを示すにとどまるのだ。

この教えは、そこから更に進んで、ほとけはまず土を耕してくださる、という。

どちらがいいという問題ではない。ただ、仏の慈愛の広大な暖かさを感じるのだ。

 

 


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