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日本近代文学の森へ 271 志賀直哉『暗夜行路』 156  妙な「出発」  「後篇第四 十一」 その1

2024-10-23 14:01:24 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 271 志賀直哉『暗夜行路』 156  妙な「出発」  「後篇第四 十一」 その1

2024.10.23


 

 謙作は、いよいよ「出発」することになった。伯耆大山に行くことは決まっているが、それ以上の細かい計画があるわけでもない。きままな「旅」だ。

 しかし、「普通の旅とは心構えが異(ちが)う」旅なので、出発前のやりとりが「何となく妙」だった。そのやりとりはこんな風に始まる。


 謙作はいよいよ旅へ出る事にしたが、普通の旅とは心構えが異うだけに出発際が何となく妙だった。
 「何時(なんじ)でもいいんだ。どうせ一日で山までは行けないんだから……」彼は出来るだけ暢気らしい風をしてこんな事をいっていた。彼は旅行案内を見ながら、
 「三時三十六分鳥取行か。もしそれに遅れたら五時三十二分の城崎行でもいい」
 「缶詰や何かお手紙下されば、直ぐ明治屋から送らせますから……」
 「まあ、なるべく、そういうものを取寄せずに、むこうの物で間に合わそうよ。なまじ、都の風が吹いて来て、里心がついては面白くない。そういう意味で、なるべく用事以外、お互に手紙のやり取りはよそうじゃないか」
 「ええ。……それでももし貴方に書く気がおでになったら下さればいいわね。もしそういう気におなりになった時には」
 「そうだ。それはそれでいい訳だが、そんな事をいってしまうと、お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になるね」
 「それなら、どうでもいいわ」


 「何となく妙」なんてものじゃない。すごく妙だ。

 そもそも、初めて謙作が「大山」に行くと言い出してから、この出発の日まで、何日経ったのか、その間に、直子とどんなやりとりがあったのかについては、まったく説明がない。いきなり章を「十一」と変えて、「謙作はいよいよ旅へ出る事にしたが」と始める。

 直子は、この謙作の「大山行き」について、どう考え、どんなことを言い、どう「納得」したのか、まるで分からない。とにかく、謙作は行っちゃうのだ。乱暴だよね。謙作がというより、作者が。

 何時の列車でもいいということを、「出来るだけ暢気らしい風をして」いう謙作は、内心は決して「暢気」ではない。相当の覚悟があるらしいのだ。それが徐々にあかされるわけだが。

 「明治屋」は、1885年(明治18年)に横浜で創業された老舗だが、このころには、京都にも支店があったのだろう。「缶詰」も、贅沢品だったころの話だ。

 そういう直子の思いやりも、謙作は断る。なんでも自分でやるから、気にするなというのだ。しかも、手紙のやりとりすらよそうと言う。「もし貴方に書く気がおでになったら」を繰り返す直子があわれである。そのすがるような直子の申し出に、謙作は、「そうだ。それはそれでいい訳だが、そんな事をいってしまうと、お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になるね」と言う。謙作は、どこまでも縛られたくない、自由でいたいのだ。

 「お前がそれを待っていそうでやはり窮屈になる」というのは、気持ちとしてはよく分かるのだが、家でいつ帰ってくるのかわからない直子の不安と、謙作の「窮屈」を比べたら、だれが考えたって、直子の不安のほうが重大に決まっている。それでも、謙作は、自分の「窮屈」を排除したい。自由気ままでいたいのだ。

 「それなら、どうでもいいわ」という直子の投げやりな言葉に、直子のため息が聞こえる。この人には何を言ってもダメなんだ。家で待つ私のことなんか、これっぽっちも考えてはくれないんだ……。

 で、いったい何のための「自由」なのかといえば、自己改造のためだということになる。


 「お前は俺の事なんか何にも考えなくていいよ。お前は赤ちゃんの事だけ考えていればいいんだ。俺も赤坊が丈夫でいると思えば、非常に気が楽だよ。迷わず成仏出来るというものだ」
 「亡者(もうじゃ)ね、まるで」と直子は笑い出した。
 「実際亡者には違いないよ。その亡者が、仏様になって帰って来るんだ」
 「たち際に縁起の悪い事を仰有(おっしゃ)るのね」
 「これほど縁起のいい事はないさ。即身成仏、といってこのまま仏様になるんだ。帰って来ると俺の頭の上に後光がさしているから……。とにかく、俺の事は心配しなくていいよ。お前は自分の身体に気をつけるんだ。それから赤ちゃんを特に気をつけて」
 「つまりおんばさんになった気でね」
 「おんばさんでも母親でもいい。とにかく、暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい。未亡人になった気でもいい」
 「貴方はどうしてそういう縁起の悪い事をいうのがお好きなの?」
 「虫が知らすのかな」
 「まあ!」
 謙作は笑った。実際彼は今日の出立を「出家」位の気持でいたのだが、そういう気持をそのまま現して出るわけには行かなかった。丁度いい具合に話が笑談(じょうだん)になったのを幸い、そろそろ出かける事にした。花園駅から鳥取行に乗る事にした。

 


 自己改造どろこではない。「即身成仏」なんだという。

 もちろんこの辺りは冗談半分なのだろうが、いきなり「迷わず成仏出来るというものだ」というのは、いくらなんでも飛躍がすぎる。直子が、どうしてそんな縁起の悪いことばかり言うのかと言う気持ちもよく分かる。謙作の内部思考においては、いろいろあって至った結論なのかもしれないが、そんなことを言われた直子は戸惑うばかりだ。

 それでも、その「冗談」を直子は「亡者ね、まるで」と笑う。

 「亡者」とは、「金の亡者」などと使われるときの意味とは違い、仏教語の元の意味、「①常識的な考えにとどこおることを否定する人。とらわれを捨てた人。②死んだ人。死者。また、死んだ後に成仏しないで魂が冥土に迷っているもの。」(日本国語大辞典)の方の意味で使われている。特にここでは②の意味だ。

 謙作は、「亡者」としてこの世界に生きているのだが、なかなか「成仏」できない。でも、この「旅」で、「成仏」してくるというのだ。つまりは、「即身成仏、といってこのまま仏様になるんだ。帰って来ると俺の頭の上に後光がさしているから……。」ということになる。

 極端な話である。「頭の上に後光がさしている」謙作を、直子は想像することができるだろうか。しかも、謙作にとっては、まったくの冗談ではなくて、むしろ謙作は、「今日の出立を『出家』位の気持でいた」というのだから、その本気度は、かなりのものだといっていい。

 しかし、直子からすれば、自分の過ちを本当に心から赦して欲しいと願っているだけなのに、それができないからといって、「出家」するって、いったいどういうことなの? って思うはずだ。何日も家をほったらかして、何十日後だか、何ヶ月後だかしらないけど、帰ってきたら「後光がさしてる」男なんて、直子が望んでいる夫ではなかろう。

 なにもかも、謙作と直子は食い違っている。というか、謙作は、直子に根本的に「関心がない」のだ。

 謙作が、直子の過ちに深く衝撃を受けて傷ついていることは確かだ。しかし、直子も同じように傷ついて苦しんでいるのだ。その直子のことを謙作は真剣に考えようとしない。ただ、自分が変われば、「仏様」になれれば、直子も救われると思っているのだろう。しかし、それとても怪しい。謙作は、とにかく、自分が変わりたい、仏様になりたい、それだけなのかもしれない。

 直子のことを気に掛け心配していることは確かだろう。しかし、「お前は自分の身体に気をつけるんだ。」と言ったその直後に、「しかし、それから赤ちゃんを特に気をつけて」と、すぐに話が「赤ちゃん」に移って行く。その挙げ句には、「おんばさん(*乳母のこと)でも母親でもいい。とにかく、暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい。未亡人になった気でもいい」というのだ。

 「母親」でも「乳母」でもいいから、とにかく「赤ん坊」をしっかり育てろ、「細君(妻)」なんて廃業して「未亡人」になったつもりで、「赤ん坊」を育てろという。しかし、直子は、謙作の「妻」として、悩み苦しんでいるのだ。謙作との「関係」が問題なのだ。

 そのことが謙作にはまったく分からない。直子に「未亡人」になったつもりでいろというのは、突き詰めれば、離婚して子どもだけはちゃんと育てろといっているに等しい。離婚しないで、「別居」するのは、直子との夫婦関係を立て直すためだろう。そういう相手に、「暫く細君を廃業した気になっていてもらいたい」とは、なんという言い草なのだろう。バカヤロウとしかいいようがないよね、まったく。

 バカヤロウなんて言う前に、百歩ゆずって、謙作の思いに寄り添ってみれば、謙作は、とにかく、今までの自分のままではダメだと痛切に思っているのだ。何とかして、この癇癪持ちで、独善的で、エゴイズムの塊のような「自分」を根本的に改造したい。どのように改造するかは、分からないけれど、この「旅」でそのきっかけでもつかみたい。そういう思いでいっぱいなのだ。それが、言ってみればこの小説全体の大きなテーマでもある。

 しかし、問題なのは、謙作の「自己改造」という作業の中に、直子という存在がいっさいの関わりを拒否されているということだ。直子が軽はずみとはいえ、過ちを犯した以上、謙作に赦されようが赦されまいが、直子自身の「自己改造」もまた必要となるだろう。直子の場合は、謙作ほどの強烈な自我を持っていないから(持っていないと謙作はみなしているから、と言い換えてもいい)、「出家」なんて大げさなものにはならないにしても、直子なりに自分のあり方を探る必要があるだろう。それは、直子個人というよりは、「妻としての直子」の作業となるだろう。場合によっては、そこで直子は大いに変わっていく、あるいは成長していくかもしれないし、その可能性はおおいにある。けれども、謙作には(あるいは志賀直哉にはと言ってもいいかもしれない)、その視点がないのだ。少なくともここまででは。

 謙作によって、拒絶され、放り出された直子は、この後、どう変貌するのか、あるいはしないのか、注目に値するところである。


 「もう送らなくていいよ。なるべく簡単な気持で出かけたいから」
 お栄が茶道具を持って出て来た。
 「三時に家を出ます。──それからお前、仙に俥をいわしてくれ。三時」
 「もう少し早くして御一緒に妙心寺辺まで歩いちゃ、いけない?」
 「この暑いのに歩いたって仕方がないよ」
 「…………」直子はちょっと不服な顔をして、台所へ出て行った。
 「また、先(せん)みたように瘠(やせ)っこけて帰って来ちゃあ、いやですよ」お栄は玉露を叮嚀(ていねい)に淹れながらいった。
 「大丈夫。何も彼(か)も卒業して、人間が変って還って来ますよ」
 「時々お便りを忘れないようにね」
 「今もいった所だが、まあ便りはしないと思っていて下さい。便りがなければ丈夫だと思ってようござんす」
 「今度は三人だから淋しくはないが」
 「赤坊を入れて四人だ」
 「そうそう。赤ちゃん一人で二人前かも知れない」
 「鎌倉へは手紙を出しませんからね。あなたから、出来るだけ何気なく書いて出しといて下さい。余計な事を書かずに」
 お栄は点頭(うなず)いた。
 謙作は茶を味いながら、柱時計を見上げた。二時を少し廻っていた。
 直子が赤児を抱いて出て来た。まだ眠足りない風で、顔の真中を皺にしながら、眼をまぶしそうにしている。
 「お父様の御出発で、今日は感心に泣かないわね」
 「その顔はどうしたんだ」謙作は笑いながら指先で赤児の肥った頬を突いた。
 「もう少し、機嫌のいい顔をしてくれよ」
 赤児は無心に首をぐたりぐたりさしていた。
 「医者は如何なる場合にも病院のを頼めよ。近所の医者は直謙の時でこりごりした」
 「ええ、そりゃあ大丈夫。第一病気になんぞさせない事よ」
「今のうちはお乳だけだから、心配はないが、来年の夏あたりは何でも食べるようになるからよほど気をつけないとね」お栄は直子に茶をつぎながらいった。
 謙作は風呂場へ行って水をあび、着物を更えた。そして暫くすると、俥が来たので、大きなスーッケースを両足の間に立て、西へ廻った暑い陽を受けながら一人花園駅へ向った。

 


 こうしたくだりを読んでいると、だれにも屈託がないように思える。「出家」するような悲壮感はない。

 とくにお栄とのやりとりは、ごく自然で、今さらながら、謙作とお栄の親密さに驚かされる。「また、先みたように瘠っこけて帰って来ちゃあ、いやですよ」なんていうお栄のセリフは、まるで古女房のそれである。直子とお栄とはうまくいっているようだが、こんな会話をそばで聞いている直子の気持ちは、ほんとうのところどうなんだろうか。

 直子は、妙心寺あたりまで一緒に行ってもいいかと聞くのだが、謙作は、「この暑いのに歩いたって仕方がないよ」といって冷たく拒絶する。お栄に対する親密な言葉づかいとはまるで違う。(まあ、お栄は、謙作にとっては母親みたいな存在だから、ぞんざいな口のききかたはできないわけだが。それにしても……)

 「暑い」とか、「仕方がない」とかいうことではない。これから二人で物見遊山しようっていうわけじゃないのだ。直子は、少しでも一緒に歩いて、いい気持ちで送りだしたいのだ。けれども、謙作は、直子は邪魔で、一刻でもはやく一人になりたいといったふうだ。別に急ぐ「旅」でもないのに。

 直子は「不服な顔」をするが、それ以上の反応はない。やっぱり諦めているのだろう。

 お栄は「今度は三人だから淋しくはないが」と言っているが、家に残るのは、直子とお栄と──一瞬、もう一人は誰だ? って思ったけれど、「仙に俥をいわしてくれ」という言葉があった。そうだ、お仙もいたのだった。赤ん坊もいれて4人。これからどう暮らしていくのだろう。

 

 

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