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詩歌の森へ(17) 名取里美20句鑑賞

2018-11-29 20:09:09 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(17) 名取里美20句鑑賞

2018.11.29


 

★「一日一書」で「名取里美20句」を書かせていただきましたが、その句の「鑑賞」をフェイスブックのコメント欄に書いてきました。読者の方の鑑賞の投稿もあり、それへの返事として書いた部分もあるので、文体が不統一ですが、一部修正してこちらに一括して掲載します。

 

ゆく水の石に蛍の光かな

 透明で、シャープなイメージの句。「ゆく水」の「動」と、「石」の「静」。そのはざまにあって、明滅する蛍の光。水、石、光の見事な調和が美しいですね。それと同時に「ゆく水」は、論語の中の「逝く者はかくの如きか、昼夜をおかず」や、方丈記の「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」をどうしても連想させます。人間にはどうにもならない「時間の流れ」の中に、美しく点滅する蛍の光は、人間の生命のようです。



蛍狩り胸元すこし汚れけり

 「蛍狩り」と「胸元すこしよごれけり」の間の、深い断絶に惹かれます。おそらく着物を着ているであろう女の胸元が、どうして「すこし汚れた」のか、なんのヒントもないだけに、「胸元」「汚れ」という言葉が、エロティックな妄想を生むように思うのです。この「蛍狩」は、田舎での「蛍狩」ではなくて、たとえば、椿山荘などで行われる、都会の「蛍狩」なのではなかろうか。暗闇の中に飛ぶ蛍のように、秘めた恋のような思いは、作者には、「汚れ」として感じられたのかもしれない。あるいは、それらはすべて作者の妄想の中での出来事かもしれない。あやしく光る蛍に、そして蒸し暑い空気の中に、ちょっと息苦しいような思いが重なる不思議な句、そんなふうに読みましたが、これもぼくの妄想でしょうか。



街中に病みて大きな冷奴

 病気は人を孤独にします。都会の雑踏を歩いていると、自分が病んでいても、友人が病んでいても、どうしようもない孤独を感じるものです。この句は、たとえば、重い病気で入院している友人を都会の病院にお見舞いにいった帰りの思い。辛い別れをしたあと街に出て、居酒屋でつまみに頼んだ冷奴を見て、ふと、病院で孤独に食事をしている友の顔を思い出す。そんな物語のようなシーンが浮かびました。


朝顔の蕾にふれて母帰る

 孫の顔を見にやってきた作者の母が、じゃあ、またねと言って帰っていく。玄関まで送ると、母は、朝顔の蕾をいとしそうにそっと触れて、にっこりわらって路地を曲がって行った……、そんな光景が目に浮かびました。そう読むと、「朝顔の蕾」は、「孫」の比喩にも見えてきます。
 この句の「母帰る」をどうとるかで解釈は大きく違ってきますが、ぼくはどうしても、「作者の母が自宅に帰っていく」ととってしまいます。「母が帰ってくる」とはとれない。菊池寛の『父帰る』は、「父が帰ってくる」ということでしょうが、この句は、「母が帰っていく」なのだと勝手に思っています。
 いろいろな俳句があるわけですが、基本的には俳句は「一人称」で書かれていると思うのです。芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」にしても、「水の音」を聞いているのは作者たる芭蕉であって、芭蕉はそこにいると考えられます。ですから、その静寂に耳を傾けている芭蕉の心情を味わうことができるわけです。
 とすれば、この句においても、「帰る母」を見ている、あるいは見送る作者がいるはずです。この「母」が作者自身であるということは考えにくいですから、当然「母」は、作者の母ということになる。別に孫の顔を見に来たわけじゃないかもしれませんが、名取さんの句は、我が子を詠んだものが多いからか、自然に、ああ、孫の顔を見に来た母、なんだなと思ったわけです。そのとき、「朝顔の蕾」も、生き生きとした比喩として立ち上がってきたのです。

  

瀧しぶき椅子に横たふ女かな

 太い線で描かれたクロッキーのような「椅子に横たふ女」のイメージが浮かびます。そのシンプルな線の背景には、繊細なタッチで描かれた「瀧しぶき」。その対照が魅力的。この瀧はどこの瀧なのかなあ。ぼくが見た大きな瀧といえば、那智の瀧だけど、あそこはもう神聖な場所で、横たわる椅子はなかったような気がするし。後は、奥入瀬にたくさんある瀧も印象的だったけど、長い渓流で、横たわって見るようなところでもなかった。どこか、避暑地の、割合小さな瀧なのかもしれない。その涼しいしぶきを浴びながら、気持ちよさそうに横たわっている女性は、小うるさい世間のことなど忘れて、しみじみとした「時間」を味わっているんだろうなあ、って思います。「横たふ」という言葉は、どうしてもぼくには、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」を想起させるので、その影響なのか、とても「ゆったりした時間」が流れているように感じます。「女かな」という表現も、この「女」が、作者であるとか、友人であるとかいった個別の人間を越えて「女」という普遍的存在(人間の根源性をも含めて)を暗示してるんじゃないかとおもったりもします。これがもし「男かな」だと、ぜんぜん違った印象になってしまって、台無しになっちゃうもんね。

 

念佛の光の中へ瀧となる

 瀧に打たれる行をしている人がいるのでしょうか。「念佛の」の「の」の働きが非常に複雑。「念佛の光」ともとれるし、「の」を主格ととって、「念佛が光の中へ入っていって瀧となる」という意味に取ることもできるけれど、どちらとも決めかねる。決めかねるところに、この句の魅力が生まれているのかもしれません。「念佛」というのは、「光」でもある。今、念仏を唱えて滝に打たれている人がいて、その瀧のしぶきが体に跳ね返って光っている。念佛そのものが光になっているかのようで、また瀧に打たれている人も瀧と一体化している。あたり一面に、神々しい雰囲気に満たされている、そんな句ではないでしょうか。ふたつの「の」、「へ」「と」という助詞が、それぞれに不思議な働きをしながら句の世界を立ち上げています。



日の射してがざみの動く紙袋

 がざみは、魚屋から買ってきたのでしょうか。湘南の海岸でもよく捕れるみたいだから、鎌倉在住の作者ゆえ、子どもと一緒に海岸に行って捕まえたのかしれません。紙袋に入れて持ち帰ったけど、ダイニングのテーブルの上にそのまま置き忘れていたのだろうか。窓からさっと光が差し込んで、紙袋がガサガサと音をたてた。あ、忘れてた! っていう、一瞬のように思いました。「がざみ」という蟹の名前の語感と、紙袋の中でガサガサと立てる音の調和がおもしろい。名取さんは「光」を句に詠むことがとても巧みな方。前の「念佛の」の句もそうでしたね。



冷し酒夫の一日知らざりき

 会社から帰って、夫は、冷酒をうまそうに飲んでいる。その姿を見ながら、妻は、ああ、この人は一日どんな思いで働いてきたのだろうと思うが、そうだ、私は何も知らないんだとふと気づく。どこにでもある夫婦の日常の一コマが、しみじみとした感慨を生む佳句ですね。「知らざりき」に、妻の「ため息」が感じられます。それは悲しみの「ため息」ではなくて、おおげさに言えば、人間と人間との間の「距離」ゆえの「ため息」です。お互いに分かっているようで、実は分かっていないこともたくさんあるなあ。そうした感慨です。「冷やし酒」がしみますね。

 

大雷雨鏡にうつる女かな

 激しい雷雨に外出もできず、所在なさにふと鏡を見るとそこに女がうつっている。もちろん、それは自分の姿だけれど、なぜか他人のようにも見える。見知らぬ女をうつした鏡の背景には、雨が降り、稲妻が光る庭が見える。モダンな絵をみるような、どこか抽象的で幻想的な印象もただよう句ですね。
 「大雷雨鏡」とつづく漢字のあとに「うつる」という平仮名、そして「女」の一文字。その文字の調和も美しいです。いわゆる「漢字仮名交じり文」を書にするときは、漢字と仮名の調和がむずかしいのですが、それがまた面白みでもあります。こうやって書いてみると、「大」「雷」「雨」「鏡」「女」がそれぞれに呼応しあって、新しい言葉を生み出す予感も生まれてきます。「大鏡」とか「雨女」とか。

 


夏山河素足浸せば抱かるゝ

 この句の収録されている句集『あかり』を名取さんからいただいたのは、もう10年以上も前だったでしょうか。そのとき、全部を熟読したわけではないのですが、この句は妙に印象に残りました。「抱かるゝ」に、ドキッとしたからでしょうかね。そのときは、てっきり、「男に後ろから抱きつかれた」と解釈したようです。そうなると、なかなか意味深長になってくる。夫がそんなことするわけない。したって別にいいけわけですけど、普通はしない。じゃあ、不倫か、てな方向へ行ってしまったのかもしれません。
 しかし、今改めて読んでみれば、「抱いた」のは、「我が子」なのだとしか思えない。

 まずは「夏山河」という大自然。(これだけで「不倫説」は吹っ飛ぶ。サスペンスなら別だけど。)そこで、作者は「素足を浸す」。家族でキャンプに来たのでしょう。久しぶりに冷たい川に、素足を浸して、わあ、気持ちいいと思った瞬間、「ママ!」といって、子どもが(たぶん幼稚園か、小学低学年)抱きついてきた。その瞬間のなんともいえない喜び。これ以外考えられません。

 なぜか、この句を読むと、佐藤春夫の『別離』という詩の「人と別れるる一瞬の/思ひつめたる風景は/松の梢のてっぺんに/海一寸に青みたり」という一節を思い出します。春夫のは失恋の詩ですが、人生の上での「忘れられない一瞬」という点では、共通しています。

 生活の中の一瞬を切り取ることが俳句の醍醐味でしょうが、名取さんは、とくにそこが巧みで、素晴らしい句をたくさん詠んでいます。この句は、その代表的な句だと思います。

 


人の子の膝にのりそむ青夕立

 自分の子どもがはじめて膝に乗った、その時の感慨を詠んだのだと、直感的に思いました。だから「乗り初む」。「乗る」であって、「抱く」ではないから、初めて我が子を「抱いた」のではなくて、初めて我が子が、ハイハイかなんかしてきて、座っている作者の膝に「乗った」、その時の深い思い。そのとき、ちょうど、外では夕立がざっと降り出して、あたりいちめんが、青っぽく見えた。そんな感じでしょうか。
「 青夕立」という語は、いろいろ調べてみたけど、どこにも見当たらないので、作者の造語かもしれません。「夕立」は「ゆうだち」とも「ゆだち」とも読むので、名取さんが作った新しい季語ではないでしょうか。ステキな季語です。

 「人の子」という言葉は、「聖書」を想起させます。新約聖書では、「人の子」の語は、イエスが自分自身を指して言う時に使われていています。ただ、この語には、旧約聖書以来の伝統的な用法(神に作られ、はかない命をいきる人間)の意味もあり、またユダヤ教では「超越的な人間」を意味するようにもなったようで、その背景のうえに、イエスは自分を「人の子」と言っているようです。

 「人の子」という言葉があることで、この句は、ぼくを「聖母子像」への連想へと誘います。「聖母子像」が昔から好まれ、愛されてきたのも、そこに母と子の愛が集約的に表現されているからで、この句は、そうした母と子の愛の普遍的な姿を、夏のすがすがしい夕立の光景の中に描き出しているように思います。


迎火の水に流れてゆくごとし

 「郡上八幡」とあることで、この句は一挙に具体性を帯びます。これは、郡上八幡のお盆ということになり、郡上おどりも思い浮かびます。もっとも、ぼくは行ったことがないので、ネットで検索したりしてイメージを知ったわけですが。うっかりすると、灯籠流し・精霊流しをイメージしてしまいがちですけど、そちらは「送火」ですし、「流れてゆくごとし」ですから、きっと川辺の家々の前に焚かれた迎火が、川面に映り、まるで灯籠が流れていくように見えるのでしょう。

 句全体にゆったりとした「流れ」が感じられて、しっとりとした情緒がしみじみと心にしみてきます。郡上おどり、見にいきたいなあ。

 


したたりの銀水引にあたるまで

 季語は「銀水引草」で秋。「したたり」も季語で夏。「最新俳句歳時記」山本健吉編(春・夏・秋・冬・新年の全5巻)では、「滴り(したたり)」の説明は、「山の岸壁や苔蘚類から滴り落ちる点滴で、その清冽な涼味が季をもつのである。また「夏山は滴るが如し」と比喩的にも言う。ただし、雨後の木々や軒端の滴りは季を持たぬ。」とあります。

 この句の場合、「銀水引草」(そのまま読めば「ぎんみずひきそう」だけど、「ぎんみずひき」と読みたい。「銀水引草というのは、白い花をつける「水引草」のこと。)を季語ととって季節を秋とするか、「したたり」を季語ととって夏とするかで迷いますが、たぶん、句集に載っている前の句が「郡上八幡」という「前書」がありましたので、「郡上おどり」の時の句のようにも思えます。「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬にかけて踊られるという超ロングラン盆踊りなので、「秋」がふさわしいかも。とすれば、やはり季語を「銀水引草」として、秋の句ととりたいですね。その線でいくと、この「したたり」も、「山の岸壁や苔蘚類から滴り落ちる点滴」というより「雨後の木々や軒端の滴り」のように思えますので、こちらは季語ととらなくてもいいように思います。

 「まで」で終わる句は、名取さんの句には結構あるような気がしています。時間・空間の余韻を残すこの表現は、とても魅力的。

 普通の水引草は、赤い花だけど、「銀水引草」となると、白い花で、「したたり」とぴったり合ってる。赤であれ、白であれ、水引草の持つ清楚な雰囲気は、そこに「ながれ」を感じさせますね。そして、その「銀水引草」に、木々から、あるいは軒端から落ちてくる水滴があたる。あたって、そして地面に吸い込まれていく。「まで」といって、時間・空間を区切っているように見えて、「その先」が感じられる。そんな句だと思います。



燈籠にとりかこまるゝ人のいろ

 この句も「郡上八幡」での句と思われます。この「燈籠」は、郡上八幡の「迎火」の燈籠でしょうか。たくさんの燈籠に火がともり、訪れた人々を囲っている。その燈籠の光に照らされた人々の顔は、さまざまな色に染まっている、という情景でしょう。

 この句の眼目は「とりかこまるゝ」という受身の表現。普通に考えれば、人が燈籠を取り囲んでいるわけですが、「燈籠にとりかこまれている」というと、燈籠が意志をもった、生きているもののような感じがしてきます。燈籠は、死者を迎える人々の気持ちそのものなのでしょう。お盆という特別な時間の中で、死者と生者がともに過ごしている。その哀してどうじに華やかな時間を見事にイメージ化しているように思えます。



早稲の香や目つむるほどに風強く

 「前書」に「長崎 六句」とあるので、これ以下六句は長崎での(あるいは長崎についての)句であることが分かります。この前の三句は「郡上八幡」の句として読みましたが、句集には、「郡上八幡」の「前書」があるのは、「迎火の」の句だけでした。でも、三句まとめて、「郡上八幡」の句として読んでみたわけです。

 この句は、「長崎 六句」の「前書」があることで、それ以外の読み方はできません。この「前書」がなければ、この句はまったく異なった読まれ方をすることになるでしょう。俳句は17文字という極端に短い詩形なので、句の中に長崎であることを示す余裕がない。けれども、どうしても長崎でなければならない感銘を詠みたいということになれば、「前書」を付けることになるのでしょう。読者もまた「長崎」がもつイメージと、意味とを前提に、あるいは背景にこの句を味わうことなるわけです。

 「早稲の香」が秋の季語です。歳時記には、芭蕉の「早稲の香や分入る右は有磯海」という句が載っています。「早稲の香」の持つイメージは、ぼくみたいな都会の人間にはよく分からないのですが、どこかツンと鼻を打ってくるような生命力あふれる香りのような気がします。なんていっても、米は日本の主食ですし、他の稲より早く収穫できる「早稲」は、生命そのものなのかもしれません。その香りが、「目をつむるほどの強い風」に乗って香ってくる。やはり香りそのものが持つ強さ故でしょう。「つむった目」の中に広がる光景は、何か。ぼくは、やはり「長崎」は「原爆」を離れてイメージできませんから、原爆によって破壊された荒涼たる長崎の街の風景が広がります。

 作者が長崎で感じたことが何なのかは書かれていなくても、この生と死のイメージが、生々しく伝えているように思えます。

 


しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地

 「長崎 六句」の二句目。この句でははっきりと長崎の「原爆」がテーマとして示されています。

 「しばらくは」が何と言っても効果的で、素晴らしい。爆心地にたてば、だれでも呆然として言葉が出ないでしょう。ここに原爆が落ちたんだという実感は、やはり「その場」に行ってみないと湧きません。「過去の事実」とはいったい何なのだろう。空間的には、落ちたのは「ここ」である。でも、「ここ」には、当時のほんの「片鱗」を残すのみだ。時間的には、それこそなにひとつ残っていない。すでに「失われた」時間だ。でも、「過去の事実」を消すことは誰にもできないのです。

 そんな感慨をぼくなら抱くかもしれませんが、いずれにしても、「言葉にならない」。呆然として、空を仰ぐばかりだ。その空に「秋蝶」が飛んでいる。その軽やかな蝶のうごき、そしていかにも平和な空の光景を眺めていると、「原爆が落ちた過去」のことなんか、ふと忘れそうだ。

 しかし、最後の「爆心地」によって、「現実」に引き戻される。漢字三文字の堅い響きは、まるで、原爆が落ちた時間にそこに居合わせたかのような錯覚させ覚えさせる。

 呆然とした長い時間、平和な空、そして「爆心地」へと移って行く言葉によって、爆心地に立つ作者の深い感慨が見事に形象化されている。忘れられない名句です。



赤蜻蛉みるみる人の離れゆく

 「長崎六句」の句。「人の」の「の」は主格でしょうから、「みるみる人が離れてゆく」ということになるけれど、「赤蜻蛉」はどういう関係にあるのでしょうか。「赤蜻蛉〈から〉人〈が〉みるみる離れてゆく」ということかしら。でも、それは、どうも変な感じがします。「みるみる」には「あっという間に」といったスピード感があるから、人がそんなスピードで「赤蜻蛉から」離れていくなんて普通はありえない。とすれば、「離れゆく」の主語は、やはり「赤蜻蛉」だと考えるのが妥当だと思われます。けれどもそうすると、「人の」がおかしい。と、考えてきて、そうか、これは「赤蜻蛉の視点」から描いた光景なのか、と思い当たりました。当たっているかどうかわかりませんが。

 赤蜻蛉が長崎の街のどこかにとまっている。もちろん「爆心地」であってもよいし、その方がむしろいいかもしれません。その赤蜻蛉が、ふっと飛び立つ。観光地として賑わっている「爆心地」、そこに集まっている人々が、あっというまに、遠ざかった行く。まるで、ドローンから撮った映像のように、赤蜻蛉はどんどん高度を増していく。赤蜻蛉は、人間の営みとはまるで無縁に生きて、飛んで、眺めているけれど、「地上」では、凄惨な戦争が起こり、多くの人が命を失い、悲しみに満ちている。
「赤蜻蛉の視点」によって、人間の愚かさ、悲しさを、澄んだ目で見つめている句なのではないでしょうか。

 横光利一に『蠅』という名短篇があり、今でもときどき高校の国語の教科書に載っています。さまざまな事情を抱えた人間を乗せた乗合馬車が崖から転落していくのですが、馬にとまっていた蠅は空に飛び立ち、転落していく馬車を眺めているという話。この句について考えているうちに、この小説のことをふと思い出しました。

 


石榴もぐ天草四郎馬寄せて

 長崎ならではの句。蕪村の句のような「物語性」のある句ですね。天草に行ったことがないので、ひょっとして馬に乗った天草四郎の銅像があるのかなと思って調べてみたら、銅像は立ち姿でした。とすれば、これはもう、完全に作者の描いたイメージですね。

 石榴は秋の季語。生命感みなぎるその実は、安産の象徴でもあり、一方でどこかまがまがしさを感じさせる実でもあります。若さあふれる天草四郎が馬をとめて、石榴の実をもいだ。「石榴」「天草四郎」「馬」の取り合わせがなんとも独特で、その濃密な色彩感が魅力的です。若々しさの中に秘めた悲哀をも感じさせるいい句ですね。



うつすらとをんなの髭や菊膾

 いやあ、この句はむずかしい。むずかしいけど、奥深い。作者が男か女かということは、やはり文芸の世界ではおおきな要素でしょう。この句の作者が男だったら、ずいぶんとおかしか句になってしまいそうです。女性が「をんなの髭」を描くから、そこに言葉にならない深みが感じられる、ということではないでしょうか。

 ところで、ぼくは、「菊膾」を食べたことはあるはずですけど、しみじみ「ああ、菊膾だあ」と思って食べたことはない。たぶん、旅行の宿に出たものを、しゃべりながら口に入れただけだと思うのです。

 「菊膾」は、もともとは東北の方では普通に食べられていた料理だそうですが、ぼくなんかには縁の遠い料理で、やはりどこかの高級料亭などで、箸休めに食するものというイメージが強い。

 問題は「うつすらとをんなの髭や」をどう解するかということ。この「をんな」は、作者自身なのか、それとも一緒に会食した女友達なのか、という疑問がわきます。けれども、自分の「髭」を見ることなんかできないから、(もちろん鏡を見ているなら見えるけど、今は食事中)、どう考えても、自分じゃない「をんな」ですね。しかも「女」でも「おんな」でもなくて、「をんな」と表記しているのはなぜなのか。きわめて感覚的に言えば「をんな」の方が、より「経験を重ねた女の深み」みたいな感じがします。その「をんな」の顔に「うっすらと」髭がはえている。障子からさし込む光を受けて、「菊膾」の香りの中に、「うっすらと」みえる「髭」。そこには、少女ならぬ「をんな」の、長年の苦しみ、喜び、悲しみが、ただよっている。その「をんなの年月」に寄り添い、共感しながら、「菊膾」のちょっと酸っぱい、そして透明な香りを味わい、かみしめている、そんな感じがするのです。

 わかりにくいだけに、いつまでも心の響き続ける句ですね。



秋の蚊の瞼にとまる湯浴みかな

 句全体にゆったりとした時間が流れています。「蚊」は夏の季語ですが、ここでは「秋の蚊」ということで、季節は秋。蚊ほど憎まれる虫もいませんが、それでも秋になってフラフラ出て来る蚊は、もう弱っていて、血を吸ったりしないのでしょう。血を吸うのはメスの蚊だけで、それは卵を産むためなので、夏の蚊でもオスなら刺さないわけですが、そもそも血を吸わないオスは人間にとまる必要もないわけです。

 で、この「秋の蚊」は、たとえメスだとしても、きっともう刺したりしない。刺さなければ、蚊だって、いとしい(とまではいかなくても、憎めない)虫です。瞼にとまっても、そっとしておいてあげたい。そこまで作者は、ストレスから解放されて、温泉に浸っているわけです。

 これが「夏の蚊」だったら、瞼なんか刺されたらとんでもないことになるので(ムヒもぬれない)、顔が腫れ上がっても、掌で叩くでしょうけどね。

 「湯浴み」という言葉にも、「ゆったり感」がありますね。

 それにしても、こうした心の解放感、ゆとり、流れる時間というものを17文字に閉じ込めることは至難の業です。それを可能にしたのは、「秋の蚊の瞼にとまる」という極小の光景を描いたことでしょう。うすい瞼の皮膚を通じて、かすかに感じられる昆虫の足の感触。そこから、人間の皮膚全体へ豊かに広がっていく「空間」と「湯」、そしてその人間を包み込む「時間」が無限に広がっていくようです。名句というのは、こういう句を指すのでしょうね。




 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (65) 田山花袋『蒲団』 12  「他者」の不在

2018-11-28 14:35:05 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (65) 田山花袋『蒲団』 12  「他者」の不在

2018.11.28


 

 芳子を連れ帰りに出かけた時雄は、市ヶ谷八幡の境内の「常夜燈」に、妻と出会ったころのことを思い出して涙する。あの時は、あんなに幸せだったのに、たった8年でこうも変わろうとは。あんなに可愛かった妻と暮らした楽しい日々がどうしてこんな荒涼たる生活に変わってしまったのだろう、と嘆く。



 時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。
「矛盾でもなんでも為方(しかた)がない、その矛盾、その無節操、これが事実だから為方がない、事実! 事実!」
 と時雄は胸の中に繰返した。


 時雄は「時の力の恐ろしさ」というが、「恐ろしい」のは「時の力」ではなくて、時雄の心ではなかろうか。誰だって新婚気分のまま8年を過ごすことはできない。結婚して1年もすれば(いや1ヶ月か)、相手が天使でもアイドルでもないことがわかる。衝突もすれば、愛想も尽かす。そうした小さないざこざやすれ違いを、そのままにしておけば、果てに待っているのは「荒涼たる生活」だろう。「時の力」のせいじゃない。みんな自分(あるいは相手も含めてもいい)のせいなのだ。それなのに、そういうことをまったく顧慮しようともしない時雄は、すべてを「時の力」という観念的で曖昧なもののせいにしてしまう。

 「時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。」という表現は、文学的な表現に見えるけれど、「感傷的なウソ」でしかない。何にも時雄には分かっていない。だからこそ、その後に、「けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。」という驚くべき心のあり方が出て来るのだ。

 悪いのは「時」だ。「時間」だ。結婚してすぎた8年という時間だ。だとすれば、「その胸にある現在の事実」つまりは、芳子への恋慕は、何の反省も伴わずに、ごく「自然」なこととして揺るがない。「不思議にも何等の動揺をも受けなかった。」とあるが、「不思議」でもなんでもない。当然の帰結である。その当然の帰結は、「矛盾でもなんでも為方がない、その矛盾、その無節操、これが事実だから為方がない、事実! 事実!」という叫びとなる。

 「矛盾」でも「無節操」でも、それが「事実」なんだから「しかたがない」というのなら、人生、なんだっていいことになってしまう。「しかたがない」なら、「煩悶」もなかろう。さっさと、芳子と寝ればいいのである。それだけのことじゃないか。

 「矛盾」というが、それは「道徳観」と「自分の行為」の間に齟齬があることを示す。「無節操」というのは、「節操」という観念が心にあって、それを無視する、あるいは踏みにじることだ。けれども、すべての自らの行為や状況を「時の力」のせいにしてしまえば、「矛盾」も「無節操」も消えてなくなり、自分自身の責任はまったくないことになるわけだから、「事実」だけを受け入れて、それを生きればいいということになってしまう。

 ここで言われる「事実」とはいったい何なのだろう。この場合に限っていえば、「自分は芳子が好きでたまらない。」ということだ。それだけが「事実」だというのだ。そのことが、妻子ある身にとって果たして許されることなのかどうかとか、師弟関係において適切なことなのかどうかとか、芳子には恋人がいるにもかかわらず、こともあろうに師としての責任を負っている自分がそんな思いに動かされていいものだろうかとか、そういった様々な、人間としての生き方における規範あるいは道徳といったものよりも、「事実」が優先するのだということになる。けれども「事実」は、次から次へと出現する。今、芳子の夢中になっているのが「事実」なら、あした道で会った別の女にもう夢中になったとしても、それは新しい「事実」だ。「事実だからしかたがない」という言い草は、「無節操」ですらない。

 ここで言われる「事実」でもっとも重要なのは、それが「時雄にとっての事実」でしかないということだ。「時雄が芳子を好きでたまらない。」ということは、芳子にとっては、はなはだ迷惑な「事実」であり、妻にとっては、困ってしまう「事実」である。彼女らにとっては「しかたがない」じゃすまないのだ。「事実! 事実!」という叫びが、いわゆる「無理想・無解決」の自然主義宣言のように聞こえるのだが、それなら、確かに、日本の自然主義の出発点に『蒲団』がなってしまったのは不幸なことだった、という誰だかの意見(吉田精一だったか、平野謙だったか、他の誰だったか、調べきれていないが)は、なるほどもっともだと思うのである。

 改めて、人間の生き方について思いをはせてしまう。いったい、人間というものは、どう生きればいいのだろうか。時雄のように、とことん自分の欲望だけを軸にして、それを「事実」と置き換えて、「事実! 事実!」と叫んで生きていけばいいわけじゃない。本人はそれで本望だろうが、まわりがいい迷惑だ。やはり人間、なんらかの自分なりの「生きる軸」を持たねば、生きる意味がない。その「軸」をどこにおくか。いくらぶれても、「軸」があるのとないのでは雲泥の差が生まれる。

 時雄の問題は、つまりは「事実」が自己の中だけで完結してしまっていて、それが「他者」との関係の中で捉えられていないということだ。大事なのは「自分」じゃない。まして「自分の欲望」じゃない。大事なのは、「他者との関係における自己」あるいは「自己との関係における他者」なのだ。

 ぼくの母校でもあり、また長く勤務した学校でもある栄光学園の「校訓」は、「man for others」だ。訳せば「他者のための人間」となり、俗っぽくいえば「人のためになれ」という教えともなる。しかしぼくはこの言葉は、「もともと人間は、他者のために生きるものなのである。」という人間の定義なのだと思っている。他者のために生きるということは、別に一生を奉仕活動に費やすということではない。人間というものが、その人間らしさを発揮できるのは、他者との関係においてのみだ、ということなのだ。

 そのいちばん端的な例は、「赤ん坊をあやす母親(別に母親じゃなくてもいい、大人一般でも構わない。)」に見ることができる。母親は、単純に赤ん坊に笑いかける、それは「自分の欲望」とは無関係だ。赤ん坊がにっこり笑うとき、母親は無条件に幸せになる。人間というものは、そういうふうにできているのだ。
ここに、時雄を置いてみれば、どれだけ時雄の心のあり方が、「人間的でない」かが分かるだろう。

 時雄の「事実」の中に、実は「他者」たる芳子は存在していないのである。




 


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木洩れ日抄 47 言葉と時間──『鈴の音』を観て

2018-11-26 16:15:38 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 47 言葉と時間──『鈴の音』を見て

2018.11.26


 

 人間というものは、さまざまな重荷を背負って生きているものだ。道行く人々は、何の屈託もなく笑い、楽しそうだけど、それは表面だけの話で、その心の中に一歩でも入ったら、想像を絶する世界が広がっているはずだ。だから、ひとりの人間は、ひとつの世界なのだと、前にも書いたことがある。同じ世界が、人によって異なって感じられるとか、人によって解釈の仕方が違うとかいうことではなくて、人の数だけ世界があるということだ。その「世界」を構成しているのは、その人間の体験の総体だ。だから同じものはひとつもない。

 終戦後の厳しい生活は、生活そのものの苦しさよりも、戦中の体験の重みの苦しみ故になおさら耐えがたいものであったろう。そうした「体験談」は、手記として、あるいは小説として、数え切れないほど多く残されている。けれども、それらが「読まれる」レベルにとどまっているかぎり、どうしても「今、ここ」の切実性に欠ける。読者は、どうしても「過去のこと」として読み、理解して、ああこういうこともあったんだという感慨に浸ることに終始してしまいがちなのだ。

 終戦直後を生きた人間を、今、舞台で、生の人間が演ずるということの意味は、「過去の時間」を、「今、ここ」に現存させるということにある。平たくいえば、観客の前に、「あの当時」の人間を提示して、彼らが生きた時間の中に観客を巻き込む、ということだ。

 役者が当時の人間になりきる、というのとはちょっと違う。役者はあくまで現代人であり、昭和24年を生きる人間にはなれない。昭和24年というのは、ぼくが生まれた年だから例にあげたにすぎないが、その年に生まれたぼくでさえ、すでにその時代を生き生きと思い出すことができるわけではない。

 現代を生きる役者は、どうしたらその時代の「時間」を、生き生きと蘇らせることができるのか。それには、役者自身が今の時代、今の時間を、まさに生き生きと生きていなければならないだろう。その「生き方」が真摯でありさえすれば、自然と「その時代」の時間はその役者の中に蘇る。「時間」というものは、消え去るものではなく、人間の奥底にいつも流れているものだからだ。海のようだといってもいいし、滾々と湧き出る泉のようだといってもいい。その「流れ」に触れることができるのは、いつの時代でも、真剣に生きる者だけだ。

 「真摯に」とか「真剣に」とかいっても、別にむずかしいことじゃない。生きている限り、人間は、どうしたって真剣にならざるをえない。おちゃらけているように見えても、人生そのものをおちゃらけ通すことのできる人間なんているわけがないのだ。

 だから、ふつうの言葉でいえば、毎日をちゃんと生きることができていればいい。日々起きてくる避けられない出来事に、ちゃんと向き合っていればいい。自分のやるべきことを、なんとかやろうとするだけでいいのだ。

 役者がそういう人間なら、あるいはそういう人間になろうとしているなら、どんな役であれ、自分のこととして演ずることができるはずだ。どんなに自分と離れた環境での人生だろうと、どんなに年齢の離れた人物の人生だろうと、同じ人間のことだ。「通じている」ところは必ずある。「流れ」に必ず触れる。そこに触れたとき、舞台の役者は、「その人」になる。役の持つ時間がその役者によって、流れはじめる。

 監修の原田一樹さんは、パンフレットにこう書いている。


 先ず「戯曲」という形でかかれていることに立ち向かい、これを一つの作品として、観客に提示できるようなものにする、というのがワークユニットの「演劇」ですが、ここには、それだけでは言い表せないたくさんの学ぶべき要素が含まれています。
「戯曲」にあるのは「人」の生きる姿です。その人物が本当に舞台に生きているかどうかは、とりもなおさず、自分自身の生きる姿が問われているかどうか、ということです。「なぜ生きるのか」「どう生きるのか」を、考えることもなしに、登場人物の言葉を吐くことはできません。表現芸術というものは、ただ「技術」によるものではない、というのはこういうことです。俳優として自分自身を問う姿が唯一の説得力です。



 言葉というものは、ある意味で「時間」である。うまく言えないが、言葉は時間を運ぶ船のようなものなのかもしれない。あるいは、言葉は、時間の中に浮かんでいるということなのかもしれない。

 「戯曲」という形で書かれた言葉は、だから、時間を含み、時間に浮かび、時間そのものだ。そうした言葉を、今の時間を生きる役者が発するとき、「戯曲」は、人生そのものになる。そのようにして生まれた舞台こそ、真に優れた舞台なのだ。

 前書きが長くなったけれど、今回の『鈴の音』は、まさに、そのような意味で、真に優れた舞台だった。何度でも上演してほしい舞台になった。

 終戦直後の時間が、まざまざと小さな空間に流れ、さまざまな傷を負った人々の息づかいがすぐそこに聞こえた。「風呂屋のペンキ絵描きじゃ、たいしてもうからねえよ。」のセリフも、ぼくの祖父がまさにその「風呂屋のペンキ絵描き」だったから、ジイサンの言葉を直接聞く思いで、そうかあ、やっぱりあんまり儲かってなかったよなあという変な感慨にも浸ったりした。(秋元松代さんの知り合いに、きっと「風呂屋のペンキ絵描き」がいたに違いないと思うと、妙に親近感を覚える。)

 クッキリとした輪郭を保ちながら錯綜する3つのエピソードが、互いに深いところで混じり合い、共鳴しつつラストへと流れ込んでいく演出は、水際だっていた。瀬田ひろ美さんも、演出家として立派に自立したことの何よりの証左である。

 もともとはラジオドラマの脚本だったこれらの作品は、ラジオドラマならではの目まぐるしい場面転換が多かったが、それを、照明と役者の身体の動きで、違和感なくテキパキと切り替えていく演出も、キンダーが長年培った「モノドラマ」の蓄積があればこそだろう。

 その瀬田演出の極めつけは、やはりなんといっても「サイレン」だった。劇中では、工場の始業のサイレンなのだが、冒頭にそれが鳴り響いたとき、ぼくがイメージしたのは、もちろん空襲警報だった。その始業のサイレンの音を聞く登場人物たちの顔にも、その不安がはっきりと表れていた。そして、ラストのサイレン。三つのエピソードがそれぞれに納得のいく形でまとまりを見せ、ひとつに収束して終幕となる直前に再び激しくサイレンが鳴り響く。不安の表情とともに、幕が下りるのだが、そこには瀬田さんの明確なメッセージがあった。

 それは長いこと平和祈念館などでの戦争をめぐる「一人芝居」に情熱を傾け続けてきた瀬田さんならではの、今日的メッセージだ。終戦後70年をすぎても、実は「戦後」は終わっていないことをぼくらは日々実感している。労働の現場、結婚における差別、生きづらさ、どれをとっても、実はなにも変わっていない。戦後は終わっていないどころか、戦前になってきている、そんな不安と危惧を、瀬田演出は強く印象づけた。

 ところで、芝居が始まる前に、劇場にはうすく「昭和歌謡」が流れていたのだが、その中に『白い花の咲くころ』(昭和25年 歌:岡本敦郎)があった。ぼくが幼いころ始めて感動して、涙を流しそうになった歌。その歌を、天井にあるかと思われるほど高い所に置いてあったラジオで聞いた。その記憶がぼくにははっきりある。歌もまた「時間」なのだ。きっと。


 








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日本近代文学の森へ (64) 田山花袋『蒲団』 11  「悲哀」の実相

2018-11-24 11:48:20 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (64) 田山花袋『蒲団』 11  「悲哀」の実相

2018.11.24


 

 「本当に困って了う」の細君の声を背中に聞いて、時雄は、外に出る。芳子を預けている細君の姉の家に行こうというのである。

 矢来、酒井の森、神楽坂、中根坂、左内坂、市ヶ谷八幡、といった地名を織り込んだ「道行き」は、当時の東京の面影を伝えて趣深い。『田舎教師』もそうだったが、この『蒲団』も、こうした情景描写は花袋の得意とするところで、読み所のひとつである。



 夏の日はもう暮れ懸っていた。矢来の酒井の森には烏の声が喧しく聞える。どの家でも夕飯が済んで、門口に若い娘の白い顔も見える。ボールを投げている少年もある。官吏らしい鰌髭(どじょうひげ)の紳士が庇髪の若い細君を伴れて、神楽坂に散歩に出懸けるのにも幾組か邂逅(でっくわ)した。時雄は激昂した心と泥酔した身体とに烈しく漂わされて、四辺に見ゆるものが皆な別の世界のもののように思われた。両側の家も動くよう、地も脚の下に陥るよう、天も頭の上に蔽い冠(かぶ)さるように感じた。元からさ程強い酒量でないのに、無闇にぐいぐいと呷(あお)ったので、一時に酔が発したのであろう。ふと露西亜のの酒に酔って路傍に倒れて寝ているのを思い出した。そしてある友人と露西亜の人間はこれだから豪(えら)い、惑溺するなら飽まで惑溺せんければ駄目だと言ったことを思いだした。馬鹿な! 恋に師弟の別があって堪るものかと口へ出して言った。
 中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。白地の浴衣がぞろぞろと通る。煙草屋の前に若い細君が出ている。氷屋の暖簾が涼しそうに夕風に靡く。時雄はこの夏の夜景を朧げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体の男に、「酔漢奴(よっぱらいめ)! しっかり歩け!」と罵られたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞(ひっそり)としていた。大きい古い欅の樹と松の樹とが蔽い冠(かぶ)さって、左の隅に珊瑚樹の大きいのが繁っていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如(いきなり)その珊瑚樹の蔭に身を躱(かく)して、その根本の地上に身を横えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。
 初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目にその運命に従うと謂うよりは、寧(むし)ろ冷かにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とが絡(よ)り合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
 悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠(わだかま)れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情ないものはない。
 汪然として涙は時雄の鬚面を伝った。



 福田恆存の言う、花袋の「ツルゲーネフの登場人物になりたがっているという念願そのものの切実さ」をここに見ることができる。一升酒をくらって、路上に倒れこみながら、「露西亜の」を思い出す。あれに比べたら自分などは「惑溺」の度合いが足りないと時雄は思うのである。

 前回に引用したとおり、時雄は「性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力」を持っているのである。いや、「持っている」と思い込んでいるのである。ぼくみたいな1合酒で酔える人間からすれば、一升飲んで路上に倒れるなんて、十分すぎるほど「惑溺」してると思うのだが、時雄の「基準」は露西亜にあるのだからたまらない。アルコール分解酵素が違うのだから、比較したって始まらない。

 いや、酒だけのことを言っているのではない。花袋にしても、泡鳴にしても、標準的な日本人からすれば、そうとう「惑溺」するタイプだろうけど、欧米の小説を読んでいると、呆気にとられるほど「惑溺」もし、常軌を逸してしまうのに驚く。スタンダールの小説など、なにかというと「決闘」となってしまう血の気の多い展開に、ついて行けない思いがした。信じられないほどの自我の強さ、それゆえの自分の名誉を傷つけられたときの激しい怒り、それらは、やっぱりぼくのような軟弱な日本人には理解を絶していた。

 明治の若者が、その初々しい感性で、ヨーロッパに憧れたこと自体は、どんなに感傷的であっても、馬鹿にしてはいけない、尊重しなければいけないと、福田恆存は言うのだが、また一方で、その「ういういしさ」だけでは文学はダメなのだとも言っている。

 この福田の言い分は、この『蒲団』の部分を読むと、なるほどと深く納得されるのだ。

 露西亜文学の中の酔っ払いは、ツルゲーネフであれ、ドストエフスキーであれ、もっと「精神的な深さ」とか「闇」を抱えていたように思う。「聖なる酔っ払い」的なところがある。けれども、ここでの時雄に、そんなものはない。ただ、嫉妬に狂っているだけの酔っ払いだ。

 「興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。」と花袋は書くけれど、どこを読んでも「冷淡に自己の状態を客観した」部分は見当たらない。ただただ興奮しているだけ。

 そして、くだらぬ嫉妬の念を、誇大妄想的に拡大し、精神的な深みに引きあげようとする。自分の悲哀は、単なる恋の悲哀じゃなくて、「人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀」だというのだが、いったいそれって何? 花袋は「それ」が何なのか知らないし、ほんとうは興味もないのだというのは福田恆存の言い分である。だから、そんなのはみんな「感傷的なウソ」だというのだ。

 ぼくもほぼ同意である。「人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀」と言ってはみたものの、その内実がどういうものか分からないから、「行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠(わだかま)れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情ないものはない。」なんて、『方丈記』の焼き直しみたいな陳腐な感慨でごまかすしかない。いくら「汪然として涙は時雄の鬚面を伝った。」などと気どってみせたところでダメだ。そこの浅さはみえみえである。

 精神的な深みに欠ける人間が、精神的な深みを持った人間に憧れるのは結構だが、憧れたからといって、それがそんな簡単に実現するわけじゃない。そのことを知らずに、ただ憧れているだけなのに、あたかも自分こそは精神の深みを持った人間になったのだと思い込むことほど滑稽なことはない。花袋は、その滑稽さをものの見事に表現したのだが、そのことに花袋が自覚的であったかは、ぼくにはよく分からない。





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一日一書 1505 名取里美20句(5)

2018-11-23 09:13:25 | 一日一書

赤蜻蛉みるみる人の離れゆく

 

 

石榴もぐ天草四郎馬寄せて

 

 

 

うつすらとをんなの髭や菊膾

 

 

 

秋の蚊の瞼にとまる湯浴みかな

 

 

 

 

 

 

5回に分けて連載してきましたが

今回で完結です。

 

一枚一枚丁寧に書いたのではなく

興に乗って一気に20枚書きましたので

粗雑な書となってしまい

お恥ずかしい限りです。

 

いつも、書くことをお許しいただいている

名取里美さんに心から感謝致します。

 

エフィスブックでは、私の教え子中心に

「鑑賞」で盛り上がりました。

よろしければ、そちらもご覧ください。

 

 

名取里美20句(1)

名取里美20句(2)

名取里美20句(3)

名取里美20句(4)

名取里美20句(5)


 

 

 

 

 

 

 

 


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