日本近代文学の森へ (37) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(3)放浪』その6
2018.8.31
この『放浪』には、樺太での体験談のようなものがリアルに語られているわけではないが、こんな部分がある。
一體、漁業などは、考へて見ると投機業の一種とも云ふべきで、どか儲けのある代り、一度しくじれば、もう、立てない。義雄は、樺太で、ナヤシへ行つた時、或大漁業家が失敗して逃げた跡に、給料を貰へなかつた夫婦者が、國へ歸る費用もない爲め、むしろでちひさいテントを造り、そのなかに見すぼらしく寢起きしてゐるのを見たことを思ひ出して、それを他の二人に語る。
「北海道でもそんなことは珍らしくない」と、氷峰が云ふ。
「急に出來た身代は急に倒れるのが北海道の原則らしい」と、呑牛(「高見呑牛」という記者)は平氣だ。「僕等はその間にあつて、多少のうまい汁が吸へるの、さ──丸で火事場泥棒も同樣、さ。」
「は、は、は」と、氷峰は笑つた。呑牛は目をぱちくりさせた。
ここにちょっと書かれている夫婦のことを、泡鳴は後に『人か熊か』という短篇にしたのではなかろうか。これが、ぼくが読んだ泡鳴の最初の作品だ。最後は、奥さんが熊に喰われてしまうという何とも後味の悪い小説だったが、樺太の様子がよく描かれていた。
平野謙が、泡鳴の自然描写もなかなかのものだと言っていたことを思い出す。
樺太ではないが、当時の北海道の自然や、社会状況なども、生き生きと描かれている。写真などと違って、その土地の息づかいまで聞こえてきそうな気がする。たとえな、こんな箇所。
札幌は石狩原野の大開墾地に圍まれ、六萬の人口を抱擁する都會で、古い京都のそれよりも一層正しく、東西南北に確實な井桁(ゐげた)を刻み、それがこの都會の活きた動脈であるかの樣に強い感じを與へる。そして、その脈は四方ともに林檎畑や、もろこし畑や、水田、牧草地などに這入つて、消えてしまふ。
その間に散在して、道廳を初め、開拓記念に最も好箇な農科大學や、いつも高い煙突の煙りを以つて北地を睥睨する札幌ビール工場や、製麻會社や、石造りの宏大な拓殖銀行や、青白く日光の反射する區立病院や、停車場、中島遊園、狸小路、薄野遊廓などがある。
一體に、大通りの南北ともに、停車場通りを中心として、西部の方が賑やかだ。賑やかで、繁榮な部分には、開拓者が切り殘した樹木はないが、それでも、他方のアカダモ、イタヤ、白楊などの下を通つて來る人の心には、至るところ、さう云ふ樹木の影がつき添つて離れない樣な氣がする。
さういふ街々を縫つて、かの百姓馬子は青物を呼び賣りしてゐるし、また人通りのある角々には、例の燒きもろこしの店が出てゐる。
義雄は、それが何となく嬉しく、なつかしくなり、この百姓馬子に出會ふ限り、またもろこしの香ばしいにほひがしてゐる限り、札幌は自分の心に親しみがあつて、自分の滯在地と云ふよりも、寧(むし)ろ自分の故郷であるかの樣な安心の思ひがして來た。
東京のゴチャゴチャした町中に生活していた泡鳴は、ことのほか、札幌の自然が気に入ったようだ。中でも樹木には格別の興味があったようで、こんな記述を読むとその博識に驚嘆してしまう。
中島遊園は樹木を以つて蔽はれ、なかに丸木ぶねやボートを浮けた大きな池がある。その池の周圍に二三軒の料理屋がある。市中のはづれだから、繁盛は夏分に限つてゐる。冬になれば、何か特別な目的がなければ、このはづれまで數尺の積雪を分けて來るものはないと云ふ。
そこに、立派な西洋建ての北海道物産陳列所があつて、その附屬として、北海道林業會出品の寄せ木家屋が建つてゐる。用材はすべて同道特産の木材である。床の間は山桑のふち、ヤチダモの板、イタヤ木理(もく)の落し掛け、センの天井。書院はクルミの机、カツラ木理の天井、オンコの欄間、トチの腰板、ヤシの脇壁板。床脇はシロコの地板、サビタ瘤の地袋ばしら、ヤチダモ根の木口包み、オンコの上棚板、ブナの下げづか。縁側はトド丸太の桁、アカダモの縁(えん)ぶち、並びに板、蝦夷松及びヒノキの垂木(たるき)。座敷仕切りはクルミの欄間、ヒバ並びにガンピの釣りづか、ケンポナシの廊下の縁ぶち。鴨居並びに天井板はすべて蝦夷松。敷居は蝦夷松、五葉の松の取り合せ。西洋間の窓並びに唐戸の枠は蝦夷松、額ぶちはヌカセン、その天井板二十五種、腰羽目板二十二種は、以上に擧げた種類の外に、シナ、ナラ、シウリ、ヱンジユ、櫻、槲、朴の木、ドロ、山モミヂ、オヒヨウ楡、ハンの木、アサダ、サンチン、カタ杉、檜の木などだ。
義雄は、樺太トマリオロの鐵道工事並びに新着手炭坑を見に行つた時、山奧の平地のセン、イタヤ、ドロ、アカダモなどの間を切り開いて、そこに大仕掛けの炭坑事務所を新築してゐる、その新木材の強いにほひを嗅ぎ、深山のオゾンに醉はせられた樣な、如何にもいい、而も健全な心地を自分の神經に受けてからと云ふもの、木材に非常な趣味を持つて來た。且、また、樺太に歸れば、見積りした計畫通り、鱒箱や鑵入れ箱の製造かた/″\、木材をも取り扱つて見ようとする考へがある。だから、氷峰と共に池のふちや陳列所の庭を散歩し、この出品家屋のなかへ這入つた時は、何よりも熱心にその用材の種類を注意して見た。
カニ缶なんかより、材木屋か家具屋でもやったほうがよかったんじゃないかと思うほどだが、それにしても、いくら木材が好きだからといって、小説の中にこれだけの固有名詞を書き込む必要はないわけで、興味のない読者はうんざりしてしまうだろう。泡鳴は、書きたいことを書きたいだけ書いて、売れるかどうかを細かく考える人じゃなかった。それなのに、どうしてオレの小説は売れないんだろうと悩んでもいたわけで、その変がこの時代の小説家の面白いところなのかもしれない。
話の筋としては、あまり展開はないが、樺太からお鳥に書いた義男の手紙、あるいはお鳥が樺太の義男へ書いた手紙の一部が、実は届いていなかったことがわかり、道理で話が合わないわけだと義男が愕然とする場面がある。義男はお鳥の「羽二重」のような白い肌が忘れられないし、彼女への「愛」は消えてはいない。
一方で女房の千代子からは、もう帰ってくるな、家は処分する、というようなつっけんどんな手紙が来る。千代子への「愛」は、完全に消えているが、離縁まではなかなかこぎ着けない。
挙げ句の果てに、幻影をみたりする。
お鳥はどうしてゐるだらう? あすは、當地へ來たことを知らせる手紙を出さう。あんなおこつた手紙はよこしても、實際、最後の別れに誓つた通り、獨りで辛抱してゐるだらうか? それとも、再び取り返しのつかない樣に、誰れか男を拵らへただらうか? あの白い、いい羽二重肌を他人に渡してしまひたくないが──
からだは、けふの長い散歩で、充分疲れてゐるが、神經が興奮してゐて、なか/\眠られない。そして、北海道といふところは、僅かにまだ二三日の滯在だが、その間に見聞したところだけを以て見ても、淫逸、放縱、開放的で、計畫をめぐらすにも、放浪をするにも、最も自由な天地らしい。金も容易(たやす)く儲かれば、女も直ぐ得られる樣に思ふ──北海道は若々しい!
お鳥がこのままになつてしまふのなら、誰れか別なのをここで見つけよう──
ゆうべで前後三囘「これでおなじみになりました、ね」と云つたその本人の姿が目の前に浮ぶ──遊女風情だと云つて、もし愛がある段になれば、女房にしてもかまはないではないか──
すると、北海道──と云つて、札幌だらうが──に人間はひとりもゐず、内地のとは違つて樹木ばかりがあつて、それをすべて自分獨りで占有してゐる樣な氣がして來る。農科大學の廣い構内でもない。その附屬博物館の庭でもない。中島遊園でもない。
どこかとほつたことがある樣な道の眞ン中に立つてゐる楡の樹かげから、脊の高いおほ廂(びさし)のハイカラ女が出て來る。お鳥の樣だが、然しお鳥ではない。
相談がつくものならいいがと、何氣なく立ちどまると、かの女はこちらの心は知らないで、同じ歩調をつづけて行つた。
ふと夢ではないかと氣がつくと、決して夢ではない。然し考へてゐたことは、すべて否定的にすべり拔けて行つた。ランプが明るい爲め、眠られないでうと/\するのだらうと思つて、それを吹き消さうとして脊を腹に轉ずると、
「まだ起きてをつたのか」と、氷峰は出しぬけに云ふ。
「うん」と云つた切り、あかりを吹き消すと、闇と無言のうちで、義雄はます/\神經のランプが照らされ、さま/″\の思ひになやんだ。
「北海道は若々しい!」という義男の感慨は、「内地」では、たとえ夫婦でも町中で抱擁したりしていると警官がに叱責された当時を背景に考えると、納得できるものがある。「自由の天地」と思われたのだ。
カニ缶の事業も、失敗したも同然なのだが、義男は、その「失敗」にちっとも落ち込まない。
義雄は思想上蛇を大好きなのだ。蛇が直立すれば人間だらうとも思つてゐる。然しそれはその自然のままの状態に於いてばかり考へてゐられるのであつて、もし一たび直立しかけると、もう、自分の敵であるのが分つた。自分はいつ、どこでも、自分の自由を自在に發展するといふ考へを妨げられたくない。
といふのは、樺太旅行中に、同行者の一人が眞蟲(まむし)に噛まれて、希望通りの同行をつづけることが出來なかつた。その時、眞蟲は横長の體を直立させて、義雄にも飛びかからうとした。渠は然しそれを、手に持つてゐた熊よけ喇叭(汽船の代用汽笛であつた)を以つてなぐり倒し、それから踏み殺して、
「敵對するものは何でもうち滅ぼして行くのが自然だ」と叫んだ。そして、その敵手の性質、勢力、惡意をも自分の物としてしまふのが自己自然の努力だと思つた。蛇も自分の内容の一部だと見られる樣になつてこそ、嫌ひでなくなるのだ。
かう云ふ追想やら思索やらに耽りながら、義雄は建物の前の方へまはり、何とも知れない大木に行き、月光がちら/\とその繁葉(しげば)をかき分けて漏れる樹かげの石に、勇と共に腰をかける。
渠は身づからこの夜の氣を吐いてゐる樣な心持ちになり、その氣の中に浮ぶ東京、樺太、失敗、失戀、札幌の滯在等が、目がねでのぞく綺麗な景の樣に、自分の世界と見える。そして、かたはらの勇が、
「何とか恢復させてやりたいもんだ、ね、その──君の──あの事業を」と云ふのを聽いて、「事業は外形によつて拘束されない」と、義雄は答へる。そして、今組みあがつてゐた刹那の現實世界をうち毀されてしまつた氣がする。
この時、眼界の不透明な(と渠は考へられる)友人を厭な蛇だと思つた。
蛇が「思想上好きだ」なんて、意味がよく分からないが、この文章の前に「ダニ」に喰われた体験が書かれていて、それに対する嫌悪との対比で「蛇」が出て来る。しかし、「蛇が直立すれば人間だらうとも思つてゐる。」なんて、独特な感性すぎて、ついていけない。
けれども、その後の記述は、意味が取りにくいけれども、妙に心をひくものがある。
「蛇も自分の内容の一部だと見られる樣になつてこそ、嫌ひでなくなるのだ。」という一文。自分に敵対するもの、自分が嫌悪を感じるもの、それらいっさいを、「自分の物としてしまう」ことで、自分はそれを「嫌いでなくなる」──つまりは、克服して、愛することができるようになる。
失敗も、失恋も、すべてが「自分の世界」なのだ、という認識。「目がねでのぞく綺麗な景」のようだという認識。そんな認識を持つことができるのなら、ぼくらは、ずいぶんと大胆に自由に生きていけるはずだ。泡鳴は、まさに、そういう「自由」を生きたのだ。
それなのに、友人の人のいい教師たる勇は、「何とか恢復させてやりたいもんだ、ね、その──君の──あの事業を」と「同情」して言う。その言葉に義男はがっくりくるのだ。「今組みあがつてゐた刹那の現實世界をうち毀されてしまつた氣がする」のだ。
義男は「現実世界」というけれど、むしろ一般的に言えば「観念世界」だろう。「何、夢みたいなこと言ってやがるんだ。」と一蹴される世界である。けれども、義男にはそれこそが「現実世界」であり、その世界を、義男は一生懸命「組み上げて」いるのだ。そのことを、世俗にどっぷりつかってしまって、そこから出るすべもない勇は理解しない。理解できない。だから、義男は、「眼界の不透明な(と渠は考へられる)友人を厭な蛇だと思つた。」のだ。
「限界の不透明な友人」というのも分かりにくいが、「どこまでも自分の信念にそって突き進んでいこうとしない友人」ほどの意味だろう。
義男は、そんな勇と次第に距離をおくようになり、新聞記者の氷峰のほうに居着くことなっていく。