日本近代文学の森へ (180) 志賀直哉『暗夜行路』 67 耳鼻科と、ちょっと美しい女 「前篇第二 十」 その1
2020.12.23
謙作は風呂へ入ると、そう遠くない、耳鼻咽喉専門のT 病院へ往った。前に咲子が暫く入っていた事のある病院で、時間外でももしいれば見てもらえるだろうと思ったのだ。
彼の耳は一卜晩痛んだだけで、今はもう痛みはなくなっていた。ただ、耳のわきで、指先を擦合せると、いい方ではサリサリとよく聞えるが、悪い方ではそれが少しも聞えなかった。そして何となく重たい、鬱陶しい気持があった。
医者は和服のまま、反射鏡をくわえて直ぐ診てくれた。
「ええ……大分充血してます。大した事はありますまい。中に少し水が溜ってるようですから、切ってちょっと出しておきましょう」こう手軽そうにいった。
医者は壁の帽子掛から白い仕事着をはずし、無雑作に和服の上から着た。
肥った、若い看護婦が昇汞水(しょうこうすい)を湛えたヴァットから小さい矛(ほこ)のようなメスや、細いピンセットなどを、ガーゼの上へ並べていた。
「電気はまだ来ないかネ?」
看護婦は壁のスウィッチをひねったが、まだ来ていなかった。
「よしよし」と医者はいった。実際西向きの窓にはまだ、陽があった。看護婦は柄のついた短い針金の先に何本も綿を巻きつけた。
手術は直ぐ済んだ。鼓膜にメスの触れた時、ゴソッといやに大きな音がした。同時にチクリとした。そして、最初、そのメスが触れた時に彼はそれを大きなものに感じた。それだけだった。いやに手軽そうにいいながら実際は痛い事をするのではないかという気もしたが、医者の言葉通り、それは手軽く済んだ。
「思ったより沢山出る」医者は綿を巻いた針金を差し込んで、中の水を何本もそれヘ吸い取らせた。綿には血がついて来た。医者は薬をつけ、罨法をすると、翌日午前中、また来るようにいった。彼は待合室で薬の出来るのを待っていた。
耳鼻科でのちょっとした手術の描写だが、やっぱり見事なものだ。古めかしい病院の室内が眼に浮かぶようだ。
「医者は和服のまま、反射鏡をくわえて直ぐ診てくれた。」とあるが、「反射鏡」は、「くわえる」ものだったのだろうか。おそらく、ベルトを頭に巻くのがメンドクサイので、くわえたのではなかろうか。「反射鏡をくわえて診た」あとに、「白い仕事着」つまりは白衣を着て手術にとりかかる。ここにも、この医者の「手軽さ」がよく現れている。
看護婦が若くて肥っているという情報はいらないが、じゃあ「看護婦が」だけでいいのかというと、そうでもない。若くて肥った看護婦のおそらくは白くてふっくらした手の指が、メスやピンセットを「昇汞水を湛えたヴァット」から取り出し、「ガーゼの上へ並べていた」わけだ。尖った銀色と肥った若い看護婦の手の指が、なぜか美しい。
「電気はまだ来ないかネ?」というのは、どういうことなのだろうか。当時の電気は、夕方にならないと「来ない」ものだったのだろうか。きっとそうなんだろう。
なぜ、医者はその「電気がまだ来ない」ことに対して「よしよし」というのか。それは「西向きの窓にはまだ、陽があった」からだろう。この二つをつなぐ「実際」という言葉の意味合いが存分に生かされていて、余計な説明をしなくてすんでいる。
窓からさし込む夕日に照らされて、肥った若い看護婦の白い指が、「柄のついた短い針金の先に何本も綿を巻きつけた」のだ。鮮やかだ。
その後の簡易な手術の様子も、実に手短に、それでいて、必要にして十分な情報を伝えている。
彼は去年の秋、青年をおだてて咲子へ手紙を寄越させたあの女の事を憶い出していた。来るまで、彼はそれを全く忘れていたが、今の看護婦がその女でないので、初めて憶い出した。
「あの女はどうしたかしら?」こう思い、彼はそれと会う事を何という事なし、恐れた。幸に、その女は出て来なかった。
「あの女」というのは、ここにも書かれているように、謙作の妹への恋文をある青年に書かせたT病院の看護婦だ。だいぶ前のことなので、ちょっと引用しておく。
翌日起きると、前日出した手紙(謙作が青年に出した手紙)の返事が来ていた。平詫(あやま)りに詫った手紙だった。実は御妹様は写真で拝見したばかりで、自分にはそれほどの考はなかったのですがT 病院の看護婦に勧められてあんな手紙を差出しました。もしこの事が松山様に知れでもしましたら私一身にとり由々しき事に相成るべく、御慈悲を以て何とぞ何とぞ御海容被下(くだされ)たく云々。T 病院というのには一年ほど前咲子が入っていた事がある。そしてその看護婦は謙作も覚えている。ちょっと美しい女だった。
(第一・10)
とあるわけだが、この咲子をめぐる話はこれで終わってしまい、謙作の放蕩がこの後に始まるのだ。
この話が出て来る直前には、清賓亭の「コケティッシュ」なお加代にちょっと気持ちが冷えてきたことが書かれていて、そうした過程で、別の「ちょっと美しい女」に眼が行ったということだったのだろう。
それからだいぶたってのこの場面で、この「ちょっと美しい」看護婦のことがぶりかえしてくる。ここで初めて、その看護婦とのちょっとしたいきさつが語られる。
彼はその女を嫌いではなかった。ちょっと美しい女だったばかりでなく、何処か賢そうな所があり、一方食えない感じもあったが、彼に対しては割りに慎み深く、彼が話しかけるような場合にも、よく看護婦などにある型の、《いや》にハキハキ切口上(きりこうじょう)で返事をする、そういう方ではなかった。笑いながらむしろ好んで曖昧な返事ばかりしていた。その頃彼は大学で同じ科にいた人々の始めた或る同人雑誌に二、三度、短い小説を出した。それを咲子が話したと見え、ある時、看護婦は咲子の口を通して、その雑誌を貸してもらいたいといった。そういったのはその女が謙作の書いたものを見たいといっている事──自身のついている病人の兄の書いたものを見るという興味──とはわかっていた。が、謙作は他から借りて見るのは差支えないが、自身で自身のものをわざわざ見せに持って行く気はしなかった。彼は自身の物のある号だけを除き、七、八冊の雑誌を置いて来た。その次ぎ行くと、黙って笑っている看護婦の代りに咲子が、不平をいった。そして間もなく咲子は退院し、それから一年ほどして、前に書いたように或る青年が咲子に手紙を寄越したのである。彼がそれに叱言(こごと)をいってやると、その看護婦に勧められて出したものだと、その青年は平詫りに詫って来た。その時、彼はその女が見かけによらずいわゆる不良性のある女だったと思って、ちょっといやな気がした。自分の書いたものなど、見せずによかったとも思った。
彼は子供らの立騒いでいる夕方の往来を帰りながら、そんな事を憶い出していた。あの女は今もあの病院にいるかしら? 全体、あの青年は自分のやった手紙をあの女に見せたろうか? あの女が何も知らなければいいとして、そうでなければ、両方で具合悪そうだと思った。そしてそう思う裏に、彼は知らず知らずその女に対する漠然とした下等な興味を起していた。その女に不良性のある所に起る興味であった。
《 》は傍点部。
これだけの関わりだから、たいしたことではないのだが、それにしても、なんともチマチマした、いじけた話である。自分が書いた作品を女が読みたがっているということを知っていながら、わざわざ自分の作品の「載っていない」号だけを貸してやるとか、それを黙って笑っている看護婦とか、どういうつもりだったのか分からないが、謙作の妹への恋文を青年にけしかけるとか、なんだか、謙作もその看護婦も、その気持ちの動きが分かりにくい。挙げ句の果てに、その看護婦に「不良性」を感じた謙作は、その看護婦に「漠然とした下等な興味を起していた」というのだ。ま、悪い女にひっかかりそうになった、ということだろうから、分からなくもないが。
この看護婦とのことは、これ以上は発展しそうもないが、どうしてこんな話をここにまた改めて書いたのだろうか。
謙作は、恐らく、みずからの「下等な興味」に拘っているのだろう。それはこの後の話を読むと分かりそうだ。