Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
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日の出 1

2014-01-31 17:52:32 | 天文

手術が終わり、ICU、HCUを経て戻った一般病棟のベッドからは

海がよく見えました。

海の向こうには、房総半島が広がり

天気がよければ、毎日、日の出を見ることができました。

あまりの美しさに、持っていたiPhoneで撮影。

ガラス窓越しなので、ピントがなかなか会わずに苦労しました。

 

 

 

 

1月16日の日の出。

手術から6日目の朝でした。

 

 

 

手前には、窓ガラスの結露が凍り

不思議な光景が展開。

 

  

それならばと、この凍った結露を山に見立て

角度をかえて、撮ってみました。

こうなると、自分が病人であることも忘れて、夢中でした。

というか、自分は助かったんだという思いが

写真に向かわせたのでしょう。

 

 

 

 


■近況

今日は、ようやく念願の床屋に行ってきました。

家から床屋までは、600メートルほどの距離で下り坂なので、何とか辿りつくことができましたが、

帰りは上りなのでダメ。上大岡駅まで歩き、バスで帰ってきました。これもリハビリです。

 

 

 


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100のエッセイ・第9期・60 あしかり先生の疑惑

2014-01-28 16:17:55 | 100のエッセイ・第9期

60 あしかり先生の疑惑

2014.1.28


 

 概略とか、あらすじとかいったものは、ものごとの大体を知るにはいいが、あまり意味のないこともある。

 たとえば、「アンナカレーニナ」ってどういう小説ですか? って聞いたら、「夫がありながら、不倫をした女性が、罪の意識に苛まれた自殺した、って話です。」という答えが返ってきたとしても、あまり意味がない。「罪の意識に苛まれて自殺した。」って結末は、今では「お、珍しい」というぐらいの感想は浮かぶかもしれないが、それ以外には別にどうってことない話である。そんなことを知っても意味がない。

 1週間ほど学校を欠席した生徒に「どうしたの?」って聞いたら、「熱があって医者に行ったら、インフルエンザだったので、休みました。」という答えが返ってきた場合は、むしろ、これで十分である。後はだいたい想像できるからである。

 でも、前回ぼくが書いた「報告」は、もっと短く言うと「大動脈瘤が見つかったので、入院して手術したが、手術も無事成功して、退院した。」ということになる。だいたいは分かるだろうが、経験したことのない人には、ほんとうの所はさっぱり分からないはずだ。このブログではじめてこのことを知った知人が、「自覚症状がないのに手術って変ですよね。」と書いてきた。確かにそうなのだ。インフルエンザにかかった生徒は「熱が出た」から医者に行ったわけだ。ぼくの場合は、まったく何の自覚もないのに、どうして見つかったのか? というのが最大の疑問のはずなのだ。

 すべての始まりは、今年の健康診断にあった。数年前までは、学校指定の人間ドックに行っていたのだが、そこで血圧を測るとどうしても、180とか、190とかいった高い数値が出てしまうので、看護師が心配して検査のあいだじゅう、「ご気分はいかがですか。」といってついてまわるのが嫌でしょうがなかった。もともとぼくはかなり若い頃から遺伝的な高血圧で、薬も飲んでいたのだが、医者に測られると、ドキドキしてしまって普段よりもずっと高くなってしまうのだった。それで、かかりつけの内科「あしかり内科」(院長・芦苅靖彦)で、健康診断を受けるようになった。これが6年ほど前のことだ。

 ぼくは、人並み外れて神経質で、臆病な人間だから、そもそも検査というものが大嫌いなのだ。結果が怖いからだ。それなのに、ふと今年は今まで受けたことのない「肺がん検診」をオプションで申し込んだ。(この検診は、肺のレントゲン写真を二枚とり、それを医療チームが判断するというだけのことで、実は「あしかり内科」では、毎年レントゲン写真をとっていたのだ。)検査の結果が出るころになっても、ぼくはいつもならグズグズしてなかなか結果を聞きに行こうとはしないのが常なのに、今年は11月にひいた風邪がなかなか治らず、いつまでも咳が出るので、風邪薬ももらおうと思って、いつもより早めに「あしかり内科」へ行った。これが12月の3日。そしてこの日が、ぼくの運命を決める日となった。

 芦苅先生は、血液検査などの結果を見ながら、どこも悪いところはないねと言うので、やれやれと思っていたら、肺のレントゲン写真を見ながら、「肺がん検診のチームの方は、異常なし、ということで戻ってきているんだけどねえ、どうもぼくは、ここが気になるんだなあ。」と言って、心臓の近くの動脈の周囲を鉛筆でなぞった。「ほら、ここらあたりが何となくボンヤリしてるでしょ?」と言う。そう言われても、心臓や動脈は確かに形が見えるけど、「ボンヤリしている」と言われれば、どこだってボンヤリしている映像だらけだ。「どうもねえ、気になるんだなあ。う~ん、微妙だなあ。分かんないなあ。」と呟き続ける。

 ぼくは、だんだん不安になってきて、「肺がんなんですか?」と聞くと、「いや、そうじゃないんだけどね、なんかここらあたりがねえ。」と言いながら、モニターに以前の肺の写真を次々と表示させ、「ほら、これが3年前の写真なんだけど、この動脈の輪郭がくっきりしているでしょ。でも、去年は、ちょっとボンヤリしていて、今年はそれがもっと大きくなってきているような気がするんですよ。何だろうなあ、これ。わかんないなあ。」と言って、今度は立ち上がって、鉛筆で頭をかきながら、「分からない。分からない。」を繰り返した。

 言っておくが、この医院は閑古鳥が鳴いているわけではない。待合室には患者がいっぱいあふれているのだ。それでも、先生は、迷っている。「肺がんじゃないとしたら、何の可能性があるんですか?」と聞くと、「う~ん、よく分からないんだけど、大動脈瘤とかね、あるいは何かの腫瘍とか。何でもないのかもしれないし。よく分からないんですよ。とにかくとってみれば一発で分かるんだけどなあ。」と言う。ぼくは思わずぞっとして「とってみるって、手術して組織をとってみるってことですか?」とバカなことを口走ると、先生は苦笑いして、「違うよ。CTだよ。」という。「CTをとれば、はっきり分かるんだけどなあ。」「とったほうがいいんでしょうか?」と聞いたぼくは、正直言って、「いいですよ、そこまでしなくても。肺がん検診のチームの医者は問題ないと言っているんでしょ。それでいいじゃないですか。」と叫んで診察室から逃げ出したかった。そんな検査を受けて、結果が出るまでの日々は耐えられないと思ったからだ。

 でも、先生はぼくの質問に「まあ、あなたのお気持ち次第ってことですけどね。でもねえ、ぼくはねえ、あなたの主治医ですからねえ、後で、まさかあというようなことがあっては困るんだよなあ。」と言った。それまでひたすら逃げ腰だったぼくは、はっと胸をつかれた。そうか、この先生はそこまでぼくのことを考えてくれているんだ、それをぼくの臆病な心で無にしてはならない、勇気を出さなければならない、そう思った。

 「分かりました。検査を受けます。」ぼくはそう言った。「そうですか。まあ。安心のためですからね。」と先生はにっこり笑った。

 これがすべての始まりだった。

 


■近況

退院して4日目。昨日から、バスを使って、上大岡駅の近くにある鍼灸院「温怜堂総合治療院」(ここも通い始めて20年近くになります。)にマッサージをしてもらいに通うことにしました。歩く距離はそれほど長くないのですが、やはり、ゆっくりとしか歩けません。老人でいっぱいのバスの中に、完全に違和感なく溶け込んでいます。





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100のエッセイ・第9期・59 宇宙からの帰還?

2014-01-26 14:23:21 | 100のエッセイ・第9期

59 宇宙からの帰還?

2014.1.26


 

 まるで、宇宙旅行から帰ってきたような、気分だった。この1月25日、ぼくは、入院先の横浜市立大学医学部付属病院を退院し、18日ぶりに我が家に帰って来たのだった。

 いったい、ぼくに何があったのか、退院して2日目の今日も、何か現実感がない。悪夢のようでもあり、宇宙旅行のようでもあった。

 いままで、どんなにいそがしくても、エッセイは、週に1回は書き、「一日一書」に至っては、ほとんど毎日更新してきたというのに、ブログの更新は、1月6日で止まったまま。不審に思われた読者も多かったと思う。

 今日、久しぶりに、ブログ再開に際して、いちおうことの次第を、簡略に書いておきたい。実は、まだ、パソコンのキーボードを打つと、体のあちこちが痛むので、ほんの概略だけにしておきたい。

 去年の12月10日、胸部大動脈瘤が見つかった。「見つかった」と、書けば簡単だが、実はこの疾患は発見するのが非常に難しい。ほとんど自覚症状がないため、ある日突然破裂し、ひどい時は即死してしまう。ぼくは、この疾患に関してはあまり詳しくは知らなかったが、命にかかわる非常に重大な疾患であることは知っていた。

 12月17日、横浜市立大学医学部付属病院の心臓血管外科を受診。即、手術を勧められた。ぼくはその場で手術を受諾、翌日から検査入院となった。手術は、1月10日、再入院は1月7日と決まり、約1週間の検査入院から帰宅したのが、暮れも押し詰まった26日。

 この年末年始の11日間は、実に不安な日々だった。ただでさえ不安なのに、年末に歌手の大滝詠一が、解離性大動脈瘤のために急死したということが大きく報道された。思わず身が震えた。

 1月7日、再入院。家を家内と出るとき、もう一度この家に戻ってくることができるのだろうかと、ふと思った。これからわが身に何が起きるのだろう。不安でならなかったが、もう後戻りはできない。あとはすべてを、医師にまかせるだけだ。

 そして10日に手術。手術は、7時間半ぐらいかかったらしい。すべては、事前の説明通りに進み、予定通り終わった。そして、手術は成功し、その後の経過も、驚くほど順調で、その結果、昨日の退院となったのだ。

 こう書くと、なんだ結局たいしたことなかったんだ、と思われるかもしれないが、手術は、胸の肋骨を真ん中で切り開き、瘤のある大動脈を切り取り、人工血管と取り替えるという、聞いただけで卒倒しそうな内容である。臆病もののぼくがよくも卒倒せずに説明を聞けたものだ。

 そして、そんな手術を確かにしたのだという証拠に、今のぼくの首筋から腹にかけては、およそ30センチの傷がある。これが、ぼくの現実なのだが、やはりどうも、ほんとうのような気がしない。でも、咳が出るたびにその傷が痛い。これもほんとうだ。そして、咳が出なければ、痛みもないので、思わず普通の体じゃないかと勘違いしそうになる。けれども、家の前の道を歩くと、下りはどうってことないが、ちょっとでも上り坂になっていると、ひどく疲れる。筋肉がかなり落ちているのだ。

 今は、こんな調子だ。徐々に普通の体にもどっていくだろうが、一ヶ月ほどはかかりそうだ。

 これが、概略である。しかし、概略だけではわからないことだらけ。細かいことは、これから、ボツボツ書いて行こうと思っている。

 とにかく、今日から、このブログも再出発です。ご心配をおかけしましたが、どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。




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一日一書 286 土 2

2014-01-06 22:09:43 | 一日一書

 

 

三好達治「土」

 

 

前回のように書くと

「土」が題名ではなくて、詩の一部のような感じがするので

こんなふうに書いてみました。

 

あれこれやってみると、

面白いものですね。

 

 


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一日一書 285 土 

2014-01-03 20:03:25 | 一日一書

 

三好達治「土」

 

半紙

 

 

 

蟻が

蝶の羽をひいて行く

ああ

ヨットのやうだ

 

 

比喩の卓抜さで詩の面白さを味わわせてくれる詩です。

題名が「土」であることが重要。

 

蝶の羽をひいていく蟻を庭先で見て

「ヨットみたいだ」という発見をしたとき

目の前の小さな庭が、広大な海へと変貌するのです。

 

 

 

 


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