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木洩れ日抄 81  ぼくのオーディオ遍歴 その5 ── 「ペーパームーン」の「ダイヤトーン」

2021-10-27 11:26:56 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 81  ぼくのオーディオ遍歴 その5 ── 「ペーパームーン」の「ダイヤトーン」

2021.10.27


 

 オーディオについての、三つの忘れられない思い出のうち一つは、相鉄ジョイナスのレコード店で聞いた南沙織のLPレコードだったわけだが、その歌とともに、その「音」に魅了されたのだった。

 二つ目は、下北沢の「ペーパームーン」で聞いた、「ダイヤトーン」のスピーカーである。今ではもうないと思うのだが、この「ペーパームーン」というお店は、若者向きのレストランだった。

 都立忠生高校の演劇部の卒業生が数人で、下北沢の小さな劇場で芝居をやったことがある。1980年ごろのことだ。何の芝居だったか覚えていない。彼らのオリジナル戯曲であったのかもしれないし、つかこうへいの戯曲だったかもしれない。とにかくやたらおもしろくて、ゲラゲラ笑った。その後の打ち上げだったのだと思う。その「ペーパームーン」で飲んだのは。

 そのころは、青山高校に勤務していたが、今思えば、忠生高校時代のストレスが一挙に爆発したのだろうと思えるのだが、一種のパニック障害のような精神状況にあった。青山高校には結局7年間いたのだが、居心地はとてもよかったのに、そのまま青高に勤務し続けることが無理らしい──つまり強制移動が始まるらしい──という状況になってきたとき、ぼくの気持ちは、だんだん母校へと傾いていった。そんな不安定な時期だったわけだが、その「ペーパームーン」で飲んだときのことを書いた詩があるので、ちょっと紹介しておきたい。

 

  ある出発

 

酔ってもいつも
固く閉ざされていたぼくの心が
その時わずかばかり開いて
貝のような赤い肉を
チラリとみせたように思われた

山と盛られたポップコーンを
掌でつかんでほおばりながら
たてつづけに五杯の水割り飲んで
「おやまならあいつにまけない」などと
泣いたり叫んだりする演劇青年に
しきりにあいづちうって
わけのわからぬ愚痴を
わめきちらしたようだ

大声あげて
下北沢のホームで別れてから
とたんに吐き気におそわれて
家までの二時間を耐えに耐え
それでもちゃんと家の便所で吐いた
酒を飲みはじめて十何年
はじめて
吐いた
人の吐いたものを
始末するのが役目だったぼくが

詩をかこうと
思った

 

             「詩集 夕日のように」(1984年自費出版)より


 汚らしくて、お恥ずかしい詩だが、それにしても、このころ、なにがこんなにぼくの心を「閉ざして」いたのか分からない。そこで叫んだ「愚痴」っていったい何だったのかも覚えていない。しかし、この詩を書かせたぼくの心はウソじゃなかったはずだから、なにか、いいようもないものが心のなかにわだかまっていたのだろう。そして、それが、「演劇青年」たちの叫びに共鳴して、はじけたのかもしれない。

 「詩をかこうと/思った」なんてかっこいいこと言って終わっているのに、この数年後に、都立高校をやめて、母校に戻ってから、詩を書くことがほとんどなくなってしまったのも不思議である。

 などと脱線すればキリがないが、オーディオのことだった。

 このとき「ペーパームーン」で、ジャズだったのかロックだったのか知らないが、ものすごく切れのよい音を流し続けていたのが、三菱電機の「ダイヤトーン」というスピーカーだったのだ。そのスピーカーは、板張りの床に、2メートルほどの間隔で、ブロック状のスピーカー台の上に、壁からも離れて置かれていた。この置き方も、理想的ではなかったろうか。

 前にも書いたことだが、オーディオ機器というのは、ただそれぞれの機器のスペックだけが大事なのではなくて、それがどのような環境、空間に置かれるかによってまるで違う音になるのだと思う。

 このときの「ペーパームーン」は、室内が、若者の叫び声やら泣き声に充満していたのに、その混沌たる空間を、まるで切り裂くようにしてぼくの耳に届いた「音」。ぼくはその「音」に酔いしれたのだろう。そして、その「音」こそがぼくの心を解放したのかもしれない。

 音にしても、絵にしても、写真にしても、どうもぼくは、エッジのきいたシャープさが好きなようで、そういう意味でも、このダイヤトーンのスピーカーの音は衝撃だったし、ぴったりきたのだった。

 酔っ払った目でも、しっかりスピーカーが「ダイヤトーン」であることは確認し、それを今でも覚えているわけだが、アンプとかプレーヤー(確かまだそのころはLPレコードだったはずだ。あるいは初期のCDだったのかもしれない。)の銘柄は調べもしなかった。オーディオ機器でいちばん大事なのは、スピーカーだと今でも思っている。

 それから数年後、ダイヤトーンのスピーカーを買ったのだが、当然のことながら、家の中では大音量で鳴らすこともできず、あの「ペーパームーン」の「音」の再現は二度とできなかった。

 何事も「一度きり」である。だから、いい。

 

 


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日本近代文学の森へ (201) 志賀直哉『暗夜行路』 88 鳥毛立屏風の美人 「後篇第三  三」 その3

2021-10-21 10:33:55 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (201) 志賀直哉『暗夜行路』 88 鳥毛立屏風の美人 「後篇第三  三」 その3

2021.10.21


 

 謙作の友人の画家である高井は、そんなに女にご執心なら、積極的にアプローチすべきだといい、なんならその女の住む家に空き部屋があれば、自分がそこに一時住んで、様子をみて、接触してみようと提案し、すぐに部屋の交渉に出かけたのだったが、やはり、断られてしまった。

 帰ってきた高井は、謙作の宿の女主に、情報を求めると、それは「東山楼」という宿で、ちょっとした付き合いもあるから、聞いてきましょうと言って出て行く。その前に、信行からの手紙を置いていったのだった。

 信行の手紙を読み終わったころ、女主が戻ってきて、やはり空間はないということだったと伝える。

 


 女主が入って来た。東三楼という家にはやはり空間がないという返事だった。
 「今、表にいられます、お年寄りの病人さんが二十日もしたらお国へ帰られますはずやで、そしたら、そのお座敷が空きますがちゅう御返事でござりました」
 「ありがとう」高井はこういった。「どうも、それでは仕方がない」
 女主は帰って行った。
 「しかし訊いて見てよかったよ」と謙作はいった。「二十日するとあの老人がいなくなる事がわかっただけでもいい」
 「そうだ。それまでにどうかしていい手づるを作るんだ」と高井もいった。
 「もしかしたら兄貴に来てもらおうかしら。今手紙が来て、自家の方の事でも少し話したい事があるし。もっとも僕が帰る方が早いかも知れないが、そうしてると、此方が不安心だから」
 「うん、それがいいかも知れない。そうしたまえ。兄さんは何時でも出て来られるんだね」
 「大概来られるだろうと思う」
 「早くその人が何所の人か、そしてあの老人とはどういう関係の人か、それを確かめるといいね」
 「あの人の娘かね?」
 「さあ」
 「姪かね?」
 二人は笑った。
 「そう観察力が鈍くちゃ仕方がないな」
 「眼がくらんでるんだ。──しかし娘じゃあないよきっと」と謙作はいった。
 「兄さんへ手紙を書くなら遠慮せずに書いてくれたまえ。そしたら僕はちょっと五条まで買物に行って来る」こういって間もなく高井は宿を出て行った。

 


 謙作が見た老人は、どうやら近くの病院へ通うために「東山楼」に住んでいるらしい。では、あの女は、その老人の娘なのか、それとも姪なのか、と二人は想像するわけだが、もちろん分かるわけもない。

 老人と若い女──というぐらいの情報しかここにはないが、今の感覚で考えるとおそらく間違える。老人とはいっても、たぶん、50代だろうし、若い女といっても、10代かもしれない。これが今だと、80代の「老人」と、30代の「若い女」ぐらいが相場だろう。

 高井が出て行ったあと、謙作は信行へ返事を書く。その手紙を書き終わったあとの描写が素晴らしい。


彼が座り疲れた身体を起こし、その手紙を頼みに立って行くと、玄関の狭い廂合(ひあわ)いから差込んで来る西日で、いつもは薄暗い廊下の縁板が熱くなっていた。


 何ということもない描写だが、手紙を書くために座っていた謙作が、よっこらしょと立ち上がって廊下に出ると、その縁板が西日のために熱くなっていた、というのだ。だからどうした、ということではなくて、こうした冴えた描写によって、謙作が住んでいる家の構造やら、位置やらが、立体的に浮かび上がってくる。さらには、疲れた体に、足からしみこんでくる板の「熱さ」が、謙作には心地よく感じられただろうと思うと、一種の心理描写ともなっているわけで、その巧みさに驚かされるのだ。

 その後の、「帰ってくる高井」の様子の描写も見事だ。これ以上簡潔には書けないというほど、高井の行動を写している。

 


 彼は少時(しばらく)して湯に入り、また前日のように団扇を持って腰を下ろしていた。遥か荒神橋の方から何気ない真顔で、急足(いそぎあし)に帰って来る高井の姿が眼に入った。そして前まで来ると今度は割りに大胆にその方を見ていた。間もなく高井は一枚橋を渡って微笑しながら帰って来た。
 「よく見た」
 「そうだろう。恐らく一度で僕よりよく見たらしい」
 「あれは君、鳥毛立屏風の美人だ」突然こんな事を高井がいった。この評は割りに適評であり、謙作には大変感じのいい評であった。
 「ふむ、そうかな」そういいながら謙作は自分が赤い顔をしたように思った。
 高井は湯へいった。その間(ま)に謙作はまたちょっと河原へ出て見た。前まで行く気がせず、遠くからそれとなく気をつけていると、その人の姿は時々見えた。
 その晩二人は新京極へ活動写真を見に行った。「真夏の夜の夢」を現代化した独逸(ドイツ)物の映画を二人は面白<思い、晩(おそ)くなって二人は、東三本木の宿へ帰って来た。

 


 「そして前まで来ると今度は割りに大胆にその方を見ていた。」という「前」とは「女の家の前」であり、「その方」とは、女の方、であるわけだが、大胆な省略である。この前の記述を読んでないと、なんのことやら分からない。まあ、小説というのはそういうものだけど。

 高井がその女にどういう印象を持ったかは、「微笑しながら帰って来た」で分かる。「うん、こりゃあいい。すてきな人だ」という弾んだような高井の気持ちが伝わってくる。その高井はその女を「鳥毛立屏風の美人だ」という。これはまた大きく出たものだ。ちょっと下ぶくれの顔だったのだろうか。

 謙作はその言葉を聞いて「謙作には大変感じのいい評であった。」と感じる。「うれしかった」と書かないところが志賀直哉風である。「そういいながら謙作は自分が赤い顔をしたように思った。」も同じだ。平凡に書けば、「謙作はうれしくて、ちょっと顔を赤らめた。」となるところ。あくまで謙作の気持ちを「外側」から書こうとしているということだろう。

 高井に褒められたものだから、謙作は、高井が風呂に入っている間に、女の家のほうへ出て行って、ちらちらとその女の姿を見る。素直でいい。浮き立つような謙作の気持ちが切ないほど伝わってくる。

 シェイクスピアの「真夏の夜の夢」のドイツ版映画って、いったいどんな映画なんだろうと思って調べてみたら、詳しいことは分からなかったが、1925年(大正14年)に作られたドイツ映画らしい。

 

 

 

 


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一日一書 1707 寂然法門百首 55

2021-10-20 15:08:00 | 一日一書

 

棄恩入無為


 
そむかずはいづれの世にかめぐりあひて思ひけりとも人に知られん 

 


半紙

 
【題出典】『諸経要集』四


 
【題意】  恩を棄てて無為に入る

恩を捨てて無為の世界に入る(これが真実の報恩である。)


 
【歌の通釈】
出家しなければ、いったいどの世でめぐり会って、父母を思っていたということも、父母に知られることができるだろうか。


【考】
俗世を捨て仏道に入ることは、恩愛を断ち恩を捨て父母と別れることであるが、出家して三界の輪廻から脱することこそ、本当に恩に報いることであり、またその思いを父母に伝えることができると言った歌。


【注】いづれの世にかめぐりあひて=三界中の輪廻を念頭に置いた表現。出家しなければいつまでも輪廻転生し、後の世で会うことができないということ。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


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木洩れ日抄 80 劇団キンダースペース公演「ママ先生とその夫」を観て

2021-10-14 09:54:54 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 80 劇団キンダースペース公演「ママ先生とその夫」を観て

2021.10.14


 

 久しぶりに芝居を観た。といっても、生ではなくて、「配信」だ。

 劇団キンダースペース公演「ママ先生とその夫」。岸田國士作。演出は劇団のベテラン女優深町麻子だ。今回観たのは、Aキャスト。

 最近は、主宰の原田一樹さんは、演出家の養成にも力を入れているとのことで、深町さんも、その薫陶をうけている一人だ。
コロナ以来、キンダーの芝居もなかなか見に行くことができなかった。そういう中で、「配信」された芝居は以前にもあったように思うが、ログインがうまく行かなくて諦めてしまったことがあったような気がする。(いや、配信はなかったのだっけ? 最近は記憶がすぐに曖昧になる。いや、最近どころか昔からのことだけど。)

 今回は、ログインもなんとかクリアした。できれば、大きなテレビ画面でみたいといろいろと調べてみたけれど、どうもダメみたいなので、書斎のパソコンで観た。パソコンといっても、24インチ画面なので、まあ、そこそこの大きさだ。
見始めてびっくりした。

 「配信」の画像には正直なところ期待していなかった。画像は暗くて粗いだろうし、カメラはズームなどを繰り返して落ち着かないだろうし、とても直に見るようにはいかないだろうと思っていたのだ。

 実際、もちろん、「直に見る」ようにはいかなかった。しかし、画像は鮮明だったし、カメラはほとんど固定され、常に舞台の全体を映し出していた。時に、役者がかぶることはあっても、カメラは動かなかった。おそらく一台のカメラで写し、編集もしなかったのだろう。それが「まるで直にみている」かのような臨場感をもたらした。

 舞台は、キンダースペースのアトリエなので、その小ささがかえって幸いした。大きな劇場の舞台だったら、やっぱりカメラは、寄ったり、ひいたりしないと役者の表情や、舞台上の様子を伝えることはできない。これは、小劇場の大きなアドバンテージだ。キンダーの得意な「モノドラマ」などは、更にぴったりの方式だ。過去の上演作品の映像があれば、配信してほしいものだ。
前置きが長くなったが、芝居はとにかく、面白かった。岸田國士ってこんなに面白い戯曲を書いたの? って思った。去年の6月に上演された「岸田國士の夢と憂鬱」も面白かったが、3本短編の連続上演だったので、まとまった印象に欠けてしまったが、今回は、実によくできた戯曲で、なんか独特のユーモアがあって、パソコンの前で、なんども声を出して笑ってしまった。

 その笑いは、深町さんの演出によるものも多かった。特に、次のシーン。

 

富樫  そこで、ひとつ、先生にお願ひがあるんですが、なんとかして、あの人の魂を入れ替へさせていたゞけませんか。もつと真面目な態度で、この試練を受けるやうに導いて下さいませんか。
朔郎  (苦笑しながら)そいつはどうも、僕の力ぢや……。
富樫  宗教の方でも駄目ですか。
朔郎  僕には、さういふ信仰はありません。
富樫  でも、先生はクリスチャンでせう。
朔郎  さう見えますか。
富樫  でも、さうぢやないんですか。
朔郎  さうぢやありませんな。
富樫  さうでしたか。僕はまた……さうだとばかり思つてました。失礼しました。
朔郎  いや。

 

 これ、ふつうに黙読したら、実に平凡なやりとりだ。なんで、富樫が、朔郎をクリスチャンだと思ったのか、分からないのだが、そう見えたことは確からしい。それにしても、これを深町はどう演出したかというと、「でも、先生はクリスチャンでせう。」「でも、さうぢやないんですか。」という富樫のセリフを大声で叫ばせたのだ。これには参った。大笑いした。実際の会場でもきっと笑い声が起きただろう。

 なんか、とても、可笑しい。なんで可笑しいのか分からない。あえていえば、ここでは、朔郎がクリスチャンであるかどうかということは大きな問題ではないのだ。叫んで質問しなければならないほどの重大性はない。それなのに、富樫という若者は声も枯れよとばかりに叫ぶ。発せられた言葉の意味を超えて、ここでは声の大きさ、切実さが、富樫の内面のどうしようもない混乱ぶりを表現しているからだ、と言えるかもしれない。でも、どうしてそれが「笑える」のかをうまく説明できない。

 言葉の「意味」が空中で分解してしまうからかもしれない。あるいは演じた宮西のうまさかもしれない。

 深町さんにどういう演出意図があったかは分からないが、なにか、天才的な直感、みたいなものを感じる。

 戯曲の随所にも、思わず笑っちゃうセリフがちりばめられていて、それを深町さんは敏感に感じ取って、生かしていた。
朔郎が、若い女教師の「告白」を聞く朔郎の妻の意外な反応。その女教師に出したラブレターを、読みながら、いちいちその「言葉尻」を捉えて確認していく妻の発する言葉の可笑しさ。


道代  順序が変ですけれど、この手紙を先に見ていたゞきたいんですの。(封筒から中身を出して渡す)
町子  (黙読する)
道代  お驚きになつちやいけませんよ。
町子  (愕然として)なんです。これは……朔郎の手紙ぢやありませんか。朔郎が書いたんですか。朔郎があなたに寄越したんですか。
道代  御覧になる通りですわ。
町子  (両手を膝について、ぢつと道代の顔をのぞき込む)
道代  (次第に顔を伏せ、つひに畳の上に泣き伏す)
町子  この手紙の内容を、先づ二つに別けて、一つ一つ解決をつけて行きませう。
道代  (突つ伏したまゝ)どうぞ。
町子  第一に、これです。──「先日は、あんなことをして失礼しました。しかし、あなたは、最初、僕の与へるものを拒まうとなさらなかつた。その点、僕は、自分の心があなたに通じたものとして感謝してゐます。ところが運悪く、あの婆ばゞあがはひつて来ました。あなたが、その時、突然僕に加へられた皮肉な刑罰は、聊か僕を面喰めんくらはせました。何れにせよ、あなたの超人間的機転は、あなたを、不幸な汚名から救つたのです」これは、どういふ意味でせう。
道代  (涙声で)その先をお読みになつて……。
町子  その先はその先で、あとから……。まづ、この一項の説明を聴きませう。
道代  説明の必要はございません。その通りなんです。
町子  その通りとは……?
道代  あの方が、あたくしに……。
町子  何を与へたんです。
道代  唇ですわ。
町子  あなたが、それを……。
道代  拒むことができなかつたんです。
町子  なぜね。
道代  お察し下さいませ。
町子  よろしい、それはお察しすることにしませう。それから、この「皮肉な刑罰」といふのは……。
道代  それは申上げられません。
町子  どうして?
道代  あんまり恥かしくつて……。
町子  恥かしいこと……。何んでせう。
道代  女らしくないことですわ。
町子  どこか蹴りでもしたんですか。
道代  いゝえ、かうして、おぶちしましたの。
町子  何処をね。
道代  お顔を……。
町子  朔郎先生の……? やれやれ、可哀さうに……。それで、朔郎は面喰つたと……。よろしい。ところで、それがあなたを、不幸な汚名から救つたといふのは……?
道代  ママ先生のお耳にはひつても、あたくしの方は……。
町子  被害者ですむといふわけですね。それが今日まで、あたしが知らずにゐて、結局、朔郎が殴られ損をした。それで、第一項はよくわかりました。第二項にうつりませう。──「僕は今、自由な旅を続けてゐます。ママ先生は、恐らく、僕が例のマダムの御機嫌を取つて、日を暮してると思ひ違ひをしてゐませう。その点は、あなたから弁明をしておいて下さい。成る程、僕は、一時義侠心を起して、彼女を自暴自棄の生活から救ひ出さうとも考へた。しかし、それは、余計なおせつかいだといふことに気がついたんです。それよりも、路傍に忘れられた野菊のやうなあなたに(道代の顔をちらと見て)満腔の愛と、力ある慰めを与へ得てこそ、僕は生甲斐があるのだと覚りました。これからすぐに、僕のところへいらつしやい。ママ先生には、少し気の毒ですが、あの人は、自分の仕事をもつてをり、自分で自分の力を信じてゐる人です。心配しないで、僕のところへおいでなさい。それから、将来のことをゆつくり御相談しませう。」
道代  どうしたらよろしうございませう。
町子  泣かなくつてもよろしい。えゝと、「その点は、あなたから弁明しておいて下さい」……これはもうわかりました。「成る程、僕は、云々」も、よしと……。この「路傍に忘れられた野菊」はどうです。あなたのプライドは、この形容詞を受け容れますか。
道代  野菊だなんて、勿体ないくらゐですわ。
町子  「路傍に忘れられた」はどうです。
道代  それに違ひございませんもの。この年になるまで、男性の方から、さういふ優しいことをおつしやつていたゞいたことは、一度だつてございませんわ。
町子  「満腔の愛と力ある慰め」……。
道代  どちらも、あたくしに必要なものですわ。
町子  それで、あんたは、これからすぐに、あの人のところへ行く気がありますか。
道代  ママ先生さへ許して下されば、あたくし、参りたいと思ひますわ。
町子  あたしは、「少し気の毒ですが」、「自分の仕事をもつてゐる」さうですし、「自分で自分の力を信じてゐる」さうですから、それはかまひますまい。(唇をふるはせながら)さ、行つてらつしやい。(手紙を投げ出す)
道代  (それを拾ひながら)ほんとによろしうございますか。
町子  いゝですとも……。
道代  すみません……。(手紙を懐へしまふ)
町子  あやまらなくつたつてよござんす。
道代  お清書の点を、まだ半分ほどつけ残してございます。
町子  かまひません。
道代  では、これで失礼いたします。ママ先生も、おからだをお大事に……。
町子  あなたもどうぞ……。

 

 著作権が切れているので、調子に乗って「青空文庫」から長々と引用してしまったが、実に面白い。この一連のセリフを、いちいち演出しながら、役者がそれを舞台の上に発してゆく。演出家とは、そして役者とは、なんと面白い仕事だろう!
以前から書いて来たことだが、近年の、キンダーの役者達の充実ぶりはめざましい。ベテランと新人のバランスもいいし、うまくかみ合っている。

 脚本に書き付けられた「言葉」を、役者が自身の内部に取り込み、それを肉体とともに、「役の言葉」として空間に放出することで、そこに「劇的な空間と時間」が創出される、というのが、演劇というものだと思うのだが、この芝居に関わるキャスト・スタッフが、そのひとつひとつの過程に、丁寧に、徹底的に取り組んでいることがありありと分かる舞台だった。

 その舞台を生で観ることが理想的であることは間違いないことだが、こうした「配信」で観ると、その過程がさらに細かく伝わってくる。そのうえ何度でも繰り返しみることができる。この繰り返し観ることができる、ということは、下手をするとそれに甘えて「一回限りの時間」への集中力を欠くという弱点ともなるわけだが、それでも、生ではできない見方も可能になるというメリットもあるのだ。

 「配信」は、2021年10月11日〜2022年2月1日まで。視聴券は3000円(Aキャスト、Bキャストは別払いとなる。)。視聴券に「満席」があるのかどうかは、今、ちょっと分からないが、少なくとも今のところは「余裕あり」だ。

 「青空文庫」で、脚本を読んでから観るもよし、観てから読むもよし、読みながら観るのもまたよし。ぜひ、多くの方にこのまれなる舞台を観てほしいものだ。心からおすすめしたい。

 

こちらから、「配信予約」へと進めます。

★劇団キンダースペースのホームページはこちら

 


 

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (200) 志賀直哉『暗夜行路』 87  お栄のこと  「後篇第三  三」 その1

2021-10-10 11:27:58 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (200) 志賀直哉『暗夜行路』 87  お栄のこと  「後篇第三  三」 その1

2021.10.10


 

 兄の信行からの手紙は、お栄のことだった。

 

 実は一昨日お栄さんから手紙が来て相談したい事があるから、上京の折り寄ってくれとの事で昨日行ってみた。
 お前も知ってるだろうがこの頃大森にはお才さんというお栄さんの従妹が来ている。お栄さんはお才さんの前身について余りいいたがらないが、察するにやはり身体(からだ)で商売をした人らしい。現在もはっきりした事は分らないが、何でも天津で料理屋をしているのだという事だ。料理屋といっても東京あたりの普通の料理屋とは異った性質のものだろうと思う。
 それでお栄さんのいう事は、本来ならば、お前との関係もお前にいい嫁さんが出来、ちゃんと、新しい家庭が作れた所で、身を退くのが本統とは思うが、今となれば本郷の父上の《おもわく》もあり、どうしたものかと実は迷っていたというのだ。これをいい出すとまたお前の気を悪くするかも知れないが、お栄さんとしたらもっともだと俺は考える。
 そこで今度十年ぶりとかでそのお才さんという人が帰って来て、出来る事なら自分の仕事をお栄さんにも手伝ってもらいたいというのだそうだ。勿論手助けだけではなく金の方が主なのだろうと思うが、何しろお栄さんの方もそれには大分乗気らしい。で、お栄さんはこういったからとて、前に話のあった本郷からの金を貰いたいとか、そういう気持は少しもないので、もしこの事にお前でも俺でもが、不賛成でないという事なら、幸(さいわい)お前も今度京都へ住むというし、この家を畳み、千何百円かの貯金を持ってお才さんと一緒に天津へ行きたいというのだ。まあ簡単にいえばこれだけの事だ。


 なんとも唐突な話の展開である。

 回りくどい言い方をしているが、要するに、元売春をして生活していた従妹が、今、天津でやはり売春もする「料理屋」をやっているが、金もないので、金の工面と同時に商売も手伝ってくれないかと持ちかけたわけだが、お栄も、それに「乗り気」だというのだ。

 謙作の実の父の妾として生活してきたお栄も、お才と同様に「体を売って」生きてきたのだとも言える。謙作との関係は肉体関係抜きのものだったが、今また、そういう世界に戻ろうということなのだ。このお栄の気持ちが分からない。「体を売る」ということへの抵抗感がないのだろうか。あるいはそうやって生きてきたので、諦めているのだろうか。

 謙作が、母とも慕い、そして結婚までも考えたことのあるお栄のこの気持ちに対して、謙作はどう反応しただろうか。


 謙作は読みながらちょっと異様な感じがした。お栄が天津へ行って料理屋をする、この事が如何にも突飛な気もし、ちょっと如何にも有り得そうな気もした。しかしそのお才という女がどんな女か、それにだまされるような事があっては馬鹿馬鹿しいと思った。
 とにかく、謙作にはその手紙に書かれた事は余りいい気がしなかった。自分とお栄との関係が今後どうなって行くか、それは彼にもはっきりした考はなかったが、こんなにして、二人が遠く別かれてしまい、交渉がなくなってしまうという事はやはり結局二人は赤の他人であったという──余りにそういう気のされる事で彼にはそれが淋しく感ぜられた。しかしどうすればいいか、その的(あて)もなかった。


 謙作の「感想」は、どこか他人事だ。

 天津に行って料理屋をやるということが、「突飛」ではあるが、「如何にも有り得そうな気」もするというのだ。お栄らしいや、ってことなのだろうか。とすれば、お栄が大げさにいえば再び「身を落とす」ことに対する同情がぜんぜんないことになる。

 結婚までしたいと思い詰めた相手が、「売春婦」になろうとしているのに、そのことを「あわれ」とも思わない。あるのは、「このまま離れるのは寂しい」という自分の感情だけだ。

 「なんとかしてやりたい」と本気で思わずに、「どうすればいいか、その的もなかった。」で、おわりだ。どうも、そっけない。謙作の頭は、今は、「美しい女」のことでいっぱいで、お栄のことなど真剣に考えている余裕はないということなのかもしれない。

 このことを、小説としての展開上からちょっと考えてみる。

 今、謙作は、ひとりの美しい女に一目惚れして、その女となんとか交渉をもちたいと考えている。できれば結婚したいと考えている。それは、今までの謙作の生活を根本から変える一大事だ。しかし、第一部からずっと引きずっている「お栄問題」にどう決着をつけるかというのが、この後の展開には大きな問題なのだ。そこで、お栄の「天津行き」を設定したのではなかろうか。とすれば「お栄」には、この小説の中でどのような意味があるのだろうか、という疑問が当然わいてくる。

 しかし、お栄は、この後にも登場してくるし、この問題は、意外に大きな意味を持っていそうなので、今は「疑問」にとどめておきたい。

 

 

 


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