先照高山
先に高山を照らす
半紙
【題出典】『法華玄義』一〇・上
【題意】 (華厳経の教えは、たとえば)日が出るとまず高い山を照らす(ようなものだ。)
【歌の通釈】
朝日が出て、山の峰を照らすけれども、光も知らない谷底の土に埋もれた木だよ。(仏が世に出て『華厳経』を高位の菩薩に説くけれど、それを知らない二乗の凡夫であるよ。)
【考】
以下の六首は「五時」を詠む。天台大師が説いた「教相判釈」説で、釈迦の生涯における説法を五つの段階に分けたもの。すなわち華厳時・鹿苑時(阿含経)・方等時(維摩経など)・般若時・法華涅槃時の五時である。ここでは法華涅槃時を二つに分けて六首構成としている。第一の華厳時は、まず凡夫の理解できない高度な教えを説く。朝日はまず山の峰を照らすが、谷の底にはまだ光が当らないことに譬えた。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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★この「91」からは、「雑」の部となります。
★仏の教えは、高度で凡夫の理解できないところから、やがて、凡夫にも分かるものへと進んでいく。「小乗」から「大乗」へということのようです。
★教えが、段階的に深化していくさまが、キリスト教とはだいぶ違っていて、興味深いところ。イエスの教えは、まず「凡夫」に向かって、きわめて分かりやすい形で語られています。いわば「谷底の埋れ木」にまずイエスは降りていったように思います。