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木洩れ日抄 83  ぼくのオーディオ遍歴 その6 ── JBLのスピーカー

2021-11-22 09:53:05 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 83  ぼくのオーディオ遍歴 その6 ── JBLのスピーカー

2021.11.22


 

 町田の奥のほうの新設2年目の都立忠生高校から、都心の青山高校に異動したのは、1977年。秩父宮ラグビー場の真ん前にあるという、とてもオシャレな環境だったが、そのころ、忠生高校での想像を絶する「心労」がたたって、疲れがどっと出たのか、心身の不調は頂点に達していて、そのオシャレな環境を楽しむことすらできなかった。

 7年間の勤務の間、学校から5分ほど歩けばすぐに行けるのに、あの有名な外苑のイチョウ並木にも行ったことがなく、いやそれどころか、どこにあるのかすら知らなかった。(知ったのは、それから30年以上経ってのことだった)とにかく、授業が終われば即帰るという日々で、原宿だの青山だの渋谷だので、飲んで遊ぶなんてことは、ほとんどなかったのだ。

 そのかわり、昼食は、学校を出て、近くのレストランなどを30カ所以上も巡った。

 そのレストランで実に魅力的な音に出会ったのだ。これが三つ目である。

 その音は上から降ってきた。見上げると、吹き抜けの天井の梁に小さなスピーカーが置かれていて、そこからキレイで粒だちのいいジャズが流れてきていたのだ。それがJBLのスピーカーだった。そのころは、件のダイアトーンを家に設置していたころだったはずだが、それとは比べものにならないくらい小さいスピーカーなのに、出てくる音色は、艶があって、キレがよくて、心地よかった。

 ぼくは思わず、レジの方へ近寄って、アンプを確かめた。不確かな記憶だが、マッキントッシュのアンプだったと思う。音源がレコードだったのか、CDだったのか覚えていない。CDの普及は1980年代だったはずだから、まだLPだったのかもしれない。

 これ以来、JBLのスピーカーは、憧れの的となった。けれども、薄給の教師としては、そうそうオーディオに金をかけてもいられない。無理だよなあと諦めていたころ、知人から耳寄りな話が舞い込んだ。

 JBLのスピーカーをもらったのだが、自分の家には大きすぎて困ってるのでもらってくれないかということだった。それはもちろん、即OKである。しかし、やってきたそのスピーカーを見て仰天した。でかい。でかすぎる。高さが90センチぐらい、幅も奥行きも60センチぐらいある。一個置くと、それだけで部屋が狭くなる。家内は渋い顔をしていた(はずだ)が、夢中になると他にはまったく目がいかないぼくのこととて、諦めていたのだろう。

 しかしそのスピーカーから出てくる音は、圧倒的だった。特に、ヴォーカルが厚みがあって深くて暖かくて、ダイヤトーンの音とは根本的に違っていた。これはすごいものを手に入れたとしばし悦に入っていたのだが、何日か聞いているうちに、異変に気づいた。

 ロン・カーターのアルバムを聴いているときだった。ベースの低音がズーンと響くときに、ビリビリという変な雑音が入ることに気がついたのだ。これでは台無しだ。どうしたんだろうと、スピーカーの前の網みたいなのを外して見ると、巨大なウーファーのエッジのゴムみたいな部分が劣化して、破れていた。ボロボロである。これが変な振動を起こして、雑音となっていたのだ。

 スピーカーも古くなると、こういう部分が劣化するのだ。では、これをどうしたらよいのか。もちろん自分で直せるシロモノではない。

 で、伊勢佐木町のほうにあったオーディオ専門店に出かけて聞いてみると、張り替えしかないけど、5万ほどかかるという話だった。そんな金を払えるわけがない。こうなると、いくらJBLのスピーカーだといっても、まさに無用の長物でしかない。しかし捨てるにしても、あまりに大きすぎてどうしたらいいかわからない。

 その窮状を聞いて、件の知人がいろいろと行く先を探してくれて、あるレストランだか料理屋だかで、修理して店に置きたいという人を探してきてくれた。しかも、家にとりにきてくれるという。残念なことだったが、しかし、この巨大なスピーカーをリビングにこれからも起き続けることなんか非現実的このうえもないことなので、ほっとしたことも事実だ。家内も喜んでいた。

 そんなわけで、JBLのスピーカーは、ぼくの「オーディオ人生」においては、幻と終わったのだが、つい最近、このJBLのスピーカーがペアで3万円代という信じられない安さで出ていることを知った。食指はタコの如く動いたが、今書斎に鎮座しているDENONのS301を大型ゴミで捨てるなんていう悪逆非道な行いはできないから、諦めた。

 それはさておき、この青山のレストランのJBLのスピーカーも、その「置き方」にポイントがあったわけだ。太い梁に乗ったスピーカーは、空中にあるようなもので、これもまた理想的な設置法だろうと思う。床に共鳴しないから、とことん抜けのいい音になるわけだ。クラシックをじっくり聴くには向かないだろうが、環境音楽として、「音に包まれる」ような感じを出すにはいい。

 そういう意味では、アップルの「HomePod」に、今、ちょっとだけ食指が動いている。まったく、きりのない話である。

 

 


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日本近代文学の森へ (204) 志賀直哉『暗夜行路』 91 「手蔓」 「後篇第三  四」 その3

2021-11-20 11:01:13 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (204) 志賀直哉『暗夜行路』 91 「手蔓」 「後篇第三  四」 その3

2021.11.20


 

 お栄がお才という女と一緒に、天津へ行って「料理屋」をやりたいという言い出したことを兄の信行から聞いた謙作は、その「商売」が「余り感心しない」ものだと感じたが、それに反対したところで、別に妙案はない。信行は、お栄はやはり水商売の女だから、どうしても、そっちへ気持ちが行ってしまうんだと言うが、謙作は煮え切らない。


 「何といってもお栄さんはやはり水商売の人だね。いくらか昔の経験があるから考がどうしても自然そっちへ入って行くらしい。それでお才さんという人がどういう人か、それが信用出来る人なら、一切任せてもいいが、其所がはっきりしない点で、此方で後の余裕を残しておく必要があると思うよ」
 「僕にはよく分らない。他に仕事があるものなら勿論他の仕事を探す方が賛成だが、他にないなら仕方がないし、もしまた自分で急にそんな事をする必要がないという気になれるようなら、二、三年これからも一緒にいてもらって少しも困らないがな。少しセンチメンタルかも知れないが、僕はこんな風にしてお栄さんと別れてしまうのは何だか物足らない」

 

 こう謙作は言うのだが、謙作のお栄に対する気持ちには、なかなか複雑なものがある。自分は結婚にむかって邁進中なのに、お栄との関係をすっぱりと切ることができない。その「関係」といっても、今までの経緯からいっても、肉体関係はないわけだし、かといって、母親でもないわけだから、「母への情愛」ともちょっと違っていて、そうかといって、恋愛でもない。要するに説明できない。

 「二、三年これからも一緒にいてもらって少しも困らない」というが、「一緒にいる」というのは、どういうことなのか。結婚しても、女中のように一緒に住んでもらってもいい、ということなのだろうか。しかし、そんなことをしたら、「新しい妻」はどう思うだろう。単なる女中じゃないぐらいのことは、すぐに気づくだろう。それでいいのだろうか。

 なんて思うのだが、謙作にしても、そういったことは承知のうえでなお「少しセンチメンタルかも知れないが、僕はこんな風にしてお栄さんと別れてしまうのは何だか物足らない」と言っているわけだろう。

 このお栄に対する思いは、この後もずっと尾を引いていくことになる。

 

 「まあ、それは……やはり二、三年後に別れるものなら、今別れてしまった方がいいと俺は思う。それはセンチメンタリズムだよ。やはり何にでも時期というものがあるよ。時期によっては生きる事柄が、それを外して、生きなくなる場合がある」
 「つまり本郷から金を貰う事かい?」謙作は結局信行はこの事をいってるのだろうというおかしいような、同時に多少いらいらした心持もして露骨にこういった。
 「それも一つだ」と信行は案外真面目な顔をして答えた。「それで、そっちの方は手紙にも書いた通り一切俺に任せる事にして、なるべくお前は立入らん事だ。お前のは強迫観念的に金の事というと損をしておきたがる潔癖がある。慾の深いよりはいいが、利口な事じゃない」
 「そんな事あるもんか」
 「それはまあ何方(どっち)でもいいが、そこでどうだろう、今いった俺の考にお前は賛成するか、どうか」
 「お栄さんのいい出した通りにするという事かい?」
 「そうだ」
 「そうだな……賛成は出来ないが、仕方がないな。賛成するといえばいやいやの賛成だな」

 


 謙作には「強迫観念的に金の事というと損をしておきたがる潔癖」があると信行は言う。金銭欲を汚いものと感じる謙作は、やはり「いいとこの坊ちゃん」なのだということだろうか。ほんとうに金のことで苦労をしたことがないから、そういう「潔癖」が培われたのだとも言えるが、しかし、兄のほうがよほど恵まれた環境に育っているのに、そういう潔癖はない。そう考えると、やはり、謙作の持っている資質なのだと考えたほうがよさそうだ。

 二、三年ずるずると一緒にいて──そんなことができるとしての話だが──それから別れるとなると、「本郷の父」(つまりは、謙作の父ということなっている父、実の父の息子)から、出るはずの金も出なくなってしまうかもしれない。そうなると、お栄がかわいそうだ。だから今すっぱり縁を切れ、という信行の合理主義は、謙作のセンチメンタリズムと衝突せざるを得ないわけだが、だからといって、謙作のセンチメンタリズムが勝つことはない。金がなければ生きていけないからだ。謙作の「賛成」が「いやいやの賛成」であるゆえんである。

 さて、本題は、結婚問題だ。

 友達の高井は、ずいぶん世話をやいてくれたが、あれっきりだと聞いた信行は、山崎という男の名を出す。高等学校で「ボール」(野球のことか)の選手をしていた男で、信行とは寮が一緒で親しかった。その山崎が、ここの大学病院(つまり、女と一緒にいるジイサンが通っている病院)にいるはずだから、そこから手蔓を作ることが出来そうだと言うのだ。
謙作は、半信半疑だった。信行はそれでもダメだったら、石本に頼んでみるという。石本は公卿華族だから、手蔓を作るには便利なのだそうだ。なるほど、そういった身分の人たちには、強固なネットワークがあるわけだ。

 そんな悠長なことをしているうちに、女は国へ帰ってしまうと謙作は不安がるが、信行は、それならそれでもっといい手蔓が出来るといって、まずは、山崎に会うことにして家を出る。
その気になれば、「手蔓」は、いろいろと作ることが出来るものであり。そしてその「手蔓」によって、日本の社会は構成されてきたと言っていいのだろう。

 

 

 

 

 


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一日一書 1708 寂然法門百首 56

2021-11-12 11:48:38 | 一日一書

 

合会有別離


 
別るゝもかへりて苦し仮の世は会はでぞ人にあるべかりける

 


半紙

 
【題出典】『涅槃経』二


 
【題意】  合(あ)い会えば別離あり。

会えば必ず別れはある。


 
【歌の通釈】
別れるのもかえって苦しい。仮初めのこの世では、誰にも会わないで人としているべきなのだよ。


【考】
愛別離苦を詠んだもの。別れるのは苦しいからこの世では会わずに、極楽で良き友との永遠の出会いを楽しもうという。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


▼「会うは別れの初め」というようなことは、歌の文句にもよくあります。だからといって、誰とも会わないでこの世を暮らすことはできません。「愛別離苦」は、もっとも痛切な仏教の概念ですね。
▼しかし、「極楽で良き友との永遠の出会いを楽しもう」というのは、もし、可能なことなら、こんないいことはない。現代人は、こんなことをまともに考えたりはしないでしょうが、中世の人々は、案外、これを現実的なこととして考えていたのかもしれません。
▼「誰とも出会わない」人生は、不可能ですが、「極楽での永遠の出会い」は、人間の最大の夢ですね。

 

 

 


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木洩れ日抄 82 「犬のいる庭」あるいは「リアル」について──劇団キンダースペース ワークユニット2021 中間発表公演

2021-11-09 11:09:43 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 82 「犬のいる庭」あるいは「リアル」について──劇団キンダースペース ワークユニット2021 中間発表公演

2021.11.9


 

 6畳ほどの部屋がある。右奥は、部屋に食い込むように障子がはめ込まれた壁があり、その障子を開け放つと、四角い庭が現れる。その庭の片隅に、どうやら犬小屋があるらしく、そこに黒い雄らしい犬がつながれているらしい。部屋の右(上手)には、大きなのれんが掛けられ、その奥が台所で、玄関につながっているらしい。左手(下手)は、どうやら風呂場らしい。部屋には、ちゃぶ台やら、茶箪笥などがならぶ。それが、この芝居の舞台装置である。

 この部屋に、最初に入ってくるのは、郵便局員風の40代ぐらい(30代?)の男で、玄関からじゃなくて、障子をあけて、つまり庭から入ってくる。どういうわけか、ずかずかと部屋に上がり込み、なんだかんだとブツブツ言ってるうちに、別の中年のサラリーマン風の男が入ってくる。これも、庭からだ。郵便局員風の男と、サラリーマン風の男は、会話をするが、どうにもかみ合わない。それぞれの人物の「背景」がちっとも見えてこないからだ。この家に女が住んでいることは、郵便局員風の男のセリフから分かるが、では、サラリーマン風の男がその女の亭主かというと、どうも違うらしい。かといって、サラリーマン風の男の行動は、「この家」の住人風で、明らかに、郵便局員風の男の「他者性」とは一線を画している。

 といったようにこの「犬のいる庭」という90分ほどの芝居は始まる。脚本は原田一樹、1997年の作。当日のパンフレットから原田一樹の言葉をここに引用しておく。

 

今回の演目「犬のいる庭」は97年、うえだ峻さんの依頼で書き下し、その後キンダースペースでも狭間鉄さんを迎えて上演した作品です。四半世紀前でも生な感触は残り気恥ずかしく、正直描き切れていないと思われる作品ですが、演劇の可能性は本にばかりあるものでもありません。今回の俳優たちが、この設定の中で「何か」を魅せてくれることを期待します。とはいえ、作品について当時考えていたことを少し申し上げると、台本の表に現れる「ドラマ」はあくまで「作り事」であり、その背後に流れる、或いは舞台の現実的な時間のずっと以前に流れる、俳優の、つまり「人間」の「ドラマ」にこそ「演劇」があるのではないか、という事です。テレビや映画ではその「ドラマ」が観客の目の前で起こる。「演劇」の場合は登場人物を通してその「ドラマ」を、観客が想像する。もちろん、その企みがうまく機能するかどうかは、その時の座組にかかっています。平安期の今昔物語などを読むと、女は家にいて男が通う。そこにすれ違いや、心の乱れが生まれる。というようなことも考えていた。……ような気もします。頼れるものの少ないドラマは、きっと座組の試練となるはずです。

 


 ここに書かれているように、単純に言えば、「女」のもとに通ってくる3人の男の「すれ違い」や「心の乱れ」が描かれた芝居ということになるわけだが、それ以上に重要なのは、「台本の表に現れる『ドラマ』はあくまで『作り事』であり、その背後に流れる、或いは舞台の現実的な時間のずっと以前に流れる、俳優の、つまり『人間』の『ドラマ』にこそ『演劇』があるのではないか」という言葉だ。

 冒頭部から続く会話の「かみ合わなさ」、人物設定の「わかりにくさ」は、観客に「想像すること」を強いてくる。その「たくらみ」にまんまとはまり、始まってから、ああでもあろうか、こうでもあろうかと、ひとり想像を巡らせたのだが、その時間が実に楽しかった。
こんなことを言うと原田さんは嫌がるだろうと思うが、ふと別役実の芝居を見ているような気分にもなった。しかし、それはあくまでも「気分」で、この芝居と別役実の芝居とは、はっきりと違う。

 どこが違うのかを少し考えてみたい。

 別役の芝居というのは、登場人物の「背景」は、あまり問題にならない。もちろん、140を越える戯曲がある別役実だから、「背景」を色濃く背負っている芝居もたくさんある。けれども、ざっくり言えば、別役の芝居では、その人物の人間としてのリアリティは追究されず、むしろ、その登場人物が発する言葉がその人間を離れてどんどん展開していき、まったく別の「現実」を形成してしまうところにおもしろさがある。

 言葉と言葉はあくまで論理的につながっていくのだが、それが論理的であればあるほど、不条理な世界が出来上がってしまう。過剰な論理展開とでもいうべきだろうか。そしてその出来上がった架空の不条理な世界が、この不条理そのものの現実世界の本質を指し示す、それが別役の芝居の本領だと、ぼくは勝手に思っている。

 それに対して、原田はあくまでリアリストである。彼が日頃よく語っているように、どこまでも、リアリズムを追究していく。それこそが原田の本領だろう、と、これもぼくの勝手な判断である。

 この芝居も、出てくる人物の会話は、別役よりも「非論理的」だ。別役が、論理的でありながら、不条理に向かってしまうのにたいして、原田の脚本のセリフは論理的につながらないのに、芝居は「リアルな人間」に向かって行く。

 それは、ここに登場してくる4人の男女それぞれが、それぞれの人生を抱え込んだ「リアル」な人間だからだ。しかし、その「リアルさ」は、舞台にはなかなか現れない。原田の言うように、まさに「舞台の現実的な時間のずっと以前に流れる、俳優の、つまり『人間』の『ドラマ』」に観客が思いを馳せなければ、至り着かないものだからだ。

 別役との違いをもうひとつ。

 別役の芝居というのは、舞台そのものが「閉じられている」。登場人物の吐き出す言葉によって形成される世界は、舞台の「外側」に向かって開かれていない。つながっていない。いや、もちろん、そうではない芝居だってたくさんある。しかし、別役の芝居に登場してくる人物の「背後」つまりは、その兄弟とか、親とか、住んでいる場所とか、あるいは生きている時代とか、そういったものを想像する気持ちになれない。というか、想像したってしょうがないという世界が多いのだ。

 これに対して、原田のこの芝居では、サラリーマン風の男は、どうやら女の夫(あるいは恋人)だったらしく、復縁をせまり、明日から旅行に行こうなんて誘っていて、さて、どういう事情で音信不通になり、どんな事情でまた戻ってきたのだろう、その気持ちはどんななんだろうとか、この郵便局員風の(というか郵貯の職員)男は、女のことをどう思っているんだろうとか、どんな悩みがあるんだろうとか、いろいろと想像することになる。あるいは、サラリーマン風の元夫みたいな男の会社の部下だということが芝居の真ん中ぐらいにきて明らかになる若い男は、女のことが好きなんだろうなあとか、じゃあ、この女は、誰が好きで、どうして引っ越すなんて言っておきながら、結局「犬がいる」からという理由でここに止まることにするのか、など想像はつきない。

 で、この芝居の題名である「犬のいる庭」が問題になる。

 この芝居の中で、はじめからはっきりと存在しているのは、「見えない」犬なのだ。なんで犬がいるか分かるかというと、芝居の始まりが、障子の向こうで、男が犬にむかって語りかけているからで、「鳴き声」が聞こえてくるわけでもないし、まして姿を現すわけでもない。だからひょっとしたら「犬」なんていないのかもしれない。けれども、この「犬」は、実在感がある。郵便局員風の男が、後半で、犬に向かって泣き叫ぶように「おまえはいったい何をしたいんだ」と言うところがある。ここに郵便局員風の男の「内面」がいわば吐露されるわけだが、その「内面」を受け止めるのが「犬」なのだ。

 「犬」は、いわば、この部屋の「外側」にいるもので、登場人物に直接関わってくるものではないが、彼らと「外側」の世界をつなぐものなのかもしれない。

 つまりは、別役の芝居が「閉じている」の対して、この原田の芝居は、「開かれている」あるいは「外側の世界とつながっている」のである。

 「犬」よりももっとはっきりとそのことを感じさせるのは「道」である。雨がバシャバシャ降っているなかを帰ってきたサラリーマン風の男は、靴下がびしょ濡れになり、床を塗らしてそれを拭くのに大変だったのに、同じように庭からやってきた若い男の足はぜんぜん濡れていない。「おまえ、どんな道を歩いてきたんだ?」というサラリーマン風の男のセリフは、家の外の道と、庭との複雑な構造を思い描かせ、ひょっとして「秘密の通路」があるんじゃないの? といった疑念すら観客に生じさせる。

 あるいは、家の前で始終ブルンブルンと鳴らされるバイクのうるさい音は、この街の喧騒を思わせ、また同時に登場人物たちの心のいらだちをかきたてる。「うるさいぞ!」とどなる若い男(だったっけ?)の、鬱憤がここでも、外に向かって発せられる。

 そして、最後の方では、周りがどんどん開発されていって、こんな一軒家はここだけになった、というサラリーマン風の男のセリフで、小さい部屋のささいな人間の心の葛藤が、突然のように、「社会」「時代」の広がりの中に位置づけられる。

 そして、この芝居が、ある特定の時代の、特定の生きた人間たちの「ドラマ」をリアルに描いたものだということが深く納得されるのだ。

 この芝居は、キンダースペースが長年手がけてきた「ワークユニット2021」(「ワークユニット」とは、「意欲ある演劇表現者のための研修の場」)の、中間発表公演である。演出はキンダーの女優瀬田ひろ美、スタッフは劇団員が担当している。

 原田の「今回の俳優たちが、この設定の中で「何か」を魅せてくれることを期待します。」という「期待」に、俳優も演出も十分のこたえるものだったと思う。ぼくが感じた「何か」を書いてきたわけだが、それはすべて、脚本を読んでのことではなくて、この芝居を生で見てのことだったことが、それを証明していると思う。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (203) 志賀直哉『暗夜行路』 90 「お栄問題」の誤読 「後篇第三  四」 その2

2021-11-07 10:59:01 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (203) 志賀直哉『暗夜行路』 90 「お栄問題」の誤読 「後篇第三  四」 その2

2021.11.7


 

 前回、お栄の問題について、お栄が「売春婦」に身を落とそうとしているのに、謙作や信行がまるで他人事のように冷淡なのはケシカラン、わけがわからん、と息巻いたのだが、それを読んだ友人ふたりから、疑義が提出された。

 ひとりは、フェイスブックで友達になっている旧友から、そもそもお栄さんていくつだっけ? 大年増だろうとは思うけど、30代? まあ、「転び芸者」なんかは、50、60になっても売れたらしいけど、というような「質問」だった。

 ここで旧友の言う「転び芸者」というのは、「体も売る芸者」のことで、「みずてん」ともいい、この「みずてん」は、岩野泡鳴なんかがさかんに使っていた言葉である。で、その旧友の「質問」は、「質問」という形をとってはいるけれど、やはり、いくら何でも、お栄が売春をするっていうのはあり得ないんじゃないの? という疑問から出たものだったろう。それに対して、ぼくは、まだ自分の「読み」を疑っていなかったから、お栄の年齢は、だいたい40前後ぐらいだろうとコメントして、まあ、そのくらいのトシならあり得るだろうなと思っていたのだった。

 ところが、それから数時間後、今度は、フェイスブックをやろうとしない遠隔地に住む旧友が、ブログのそれを読んで、メールをくれた。その文面を勝手に引用すると、

 

きみの文章を誤解してるかもしれないけど、天津でお才さんが経営している料理屋には料理屋と置屋の二面があって、いまは両方をお才さんが管理してるけど、手が回らないから、置屋の経営はお栄に任せたい、どうか内芸者(たち)の二枚鑑札(たち)をお栄が管理してくれないか、料理屋の経営、板場とか仲居たちとかはわたし(=お才)がやるから、というんじゃない? 薹のたったお才やお栄に内芸者(=淫売婦)はむりじゃない? よほどのときは、みずから内芸者の勤めも果たすかもしれないけど。

 

 というものだった。

「きみの文章を誤解してるかもしれないけど」という謙虚な前書きがあるけれど、誤解もなにもない、実に的確にぼくの「読み」の誤りを指摘する文章で、ズバリその通りじゃないかとはたと気づいた。そうに決まってるじゃないか。なんで、そんな誤解をしたんだろうと、今度は、謙作が「わけのわからない男」じゃなくて、オレのほうこそ「わけのわからない男」じゃないかと、自分自身に呆れた。

 誤読でした、お詫びして訂正しますとすれば、それで終わりだけれど、言い訳がましく、その誤解の原因をちょっと探ってみる。

 お才さんというのがこの小説に出てくるのが、これが初めてではなくて、これより前の信行の手紙に登場する。その信行の手紙の中に、こんな文章がある。

 

お前も知ってるだろうがこの頃大森にはお才さんというお栄さんの従妹が来ている。お栄さんはお才さんの前身について余りいいたがらないが、察するにやはり身体(からだ)で商売をした人らしい。現在もはっきりした事は分らないが、何でも天津で料理屋をしているのだという事だ。料理屋といっても東京あたりの普通の料理屋とは異った性質のものだろうと思う。


 この文章がまだ頭の隅に残っていて、お才さんは、「身体で商売をした人らしい」ということがまずすり込まれた。そのうえ「料理屋といっても東京あたりの普通の料理屋とは異った性質のものだろう」というところから、その「料理屋」の性質も見当はついたのだが、その料理屋の実態が今回の手紙で明らかになったというわけだが、ぼくはその辺の記述を早とちりして、「料理屋」とは名ばかりで、実際には料理などは出さないで(出したとしてもそれはほんのちょっとで)、その実態はもっぱら「置屋」をこととする店であったと考えてしまったわけである。

 「芸者といっても勿論二枚鑑札だが、それを今までは両方一緒にやっていたが、手が廻りきらないためにその芸者の方一切をお栄さんにやってもらいたいというのだそうだ。」という信行の説明も、「それを今までは両方一緒にやっていた」の「両方」を「置屋」と「芸者」と考えてしまったことになる。しかし、曲がりなりにも「置屋」というからには、遠隔地の旧友が丁寧に指摘しているごとく「内芸者(たち)「二枚鑑札(たち)」と複数であるはずで、お才さんひとりが「芸者」をやるなら、なにも「置屋」など必要ない。というか、自分がどこかの「置屋」のやっかいになるはずである。

 まあ、そういうようなわけで、ぼくの「読み」は実にトンチキなもので、さすがに、そりゃおかしいでしょ、と二人の旧友が思ったのも当然である。

 フェイスブックの方でコメントをくれた旧友も、遠隔地からメールをくれた旧友も、ぼくの中高の同級生で、卒業してからも、ずっと付き合いが続いている。そういう旧友が、1年たっても半分しか読み終わらない「暗夜行路」のぐだぐだした感想文を懲りもせずに毎回読んでくれて、時に、こうしたリアクションをくれるということは、なんともありがたいことだ。まったく、持つべきものは友達である。

 

 

 


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