日本近代文学の森へ 265 志賀直哉『暗夜行路』 152 謙作の癇癪 「後篇第四 八」 その2
2024.7.20
直子の妊娠を知った謙作は、自分たち夫婦の関係が「決定的なものになった」と感じたが、それは、子どもが出来たことで、「本当の夫婦になった」と言ったようなことではなくて、むしろ「重苦しい感じ」を起こさせたのだった。もちろん、子どもが自分の子ではないのではないかという疑惑をどうしても否定できなかったからである。
そんな謙作の生活は次第に荒んでいった。
夏が過ぎ、漸(ようや)く秋に入ったが、依然謙作の心の状態はよくなかった。それは心の状態というよりむしろ不摂生から生理的に身体(からだ)をこわしてしまったのだ。彼はこんな事では仕方ないとよく思い思いしたが、だらしない悪習慣からはなかなか起きかえる事が出来なかった。彼は甚(ひど)く弱々しいみじめな気持になるかと思うと、発作的に癇癪(かんしゃく)を起こし、食卓の食器を洗いざらい庭の踏石に叩きつけたりした。ある時は裁縫鋏(さいほうばさみ)で直子の着ている着物を襟から背中まで裁(た)ちきったりした事がある。こんな場合、彼ではその時ぎりの癇癪なのだが、直子は直ぐその源(みなもと)を自身の過失まで持って行き、無言に凝(じ)っと、忍んでいるのだ。そしてその気持が反射すると、謙作は一層苛立ち、それ以上の乱暴を働かずにはいられなかった。
お栄は前から謙作の癇癪を知っていたが、そんな風にそれを実行するのは余り見た事がなく、僅(わず)か一、二年の間に何故、謙作がそれほどに変ったか、分らないらしかった。
ここで言われる「不摂生」、「だらしない悪習慣」とは、間違いなく、女遊びである。東京にいたころの放蕩から、何とか立ち直ろうとして、尾道に逃れた謙作だったわけだが、その「病」がふたたび再発したのだ。
お栄に対する欲情を感じたときも、謙作は、激しい放蕩生活に墜ちた。その時は、性欲のはけ口としての放蕩だったのだが、今回は、一種の絶望感からくる放蕩だ。しかし、もちろん、そんなことをしたって、癒やされるわけではない。むしろ自己嫌悪が増大するだけだ。元来が真面目で、正義感の強い謙作だから、そういう身を持ち崩した自分に我慢がならないのだ。
そういう謙作が起こす「癇癪」は、尋常ではない。食器を庭に投げて壊すだけでもびっくりするのに、直子の着物をズタズタにハサミで切り裂くなんて、想像を絶する所業だ。癇癪持ちというのは、そこまでするのが当たり前なのだろうか。ぼくが癇癪を起こすことはまったくないので、理解に苦しむところだ。
そうした尋常じゃない癇癪を、謙作は、「彼ではその時ぎりの癇癪なのだが、直子は直ぐその源を自身の過失まで持って行き、無言に凝っと、忍んでいるのだ。」と認識する。まるで「その時ぎりの癇癪」なんだから、そんなに深刻にとることはないのだといったふうである。しかも、その癇癪は、「自分の中だけから来る癇癪」と思っているふしがあって、だからこそ、直子がその癇癪の原因が自分にあると思うことが、自然のこととは思っていないようなのだ。「直子は直ぐその源を自身の過失まで持って行き、無言に凝っと、忍んでいるのだ。」という書き方の中の「直ぐ」が問題だ。
今でも日常会話によく出てくるように、「お前は何かというと直ぐ怒るんだから。」とか、「君は直ぐそうやって、すねるからいけない。」とか、「直ぐ」には、どこか非難めいたニュアンスがある。「怒ったり、すねたりする必要なんかないのに」という意味合いが込められているわけである。時代が違えば言葉の意味やニュアンスも変わるのだろうが、この謙作の場合も、直子が謙作の癇癪の原因を自分のせいだと考えるのは筋違いなんだけどなあというニュアンスが感じられる。
だから、次には、「そしてその気持が反射すると、謙作は一層苛立ち、それ以上の乱暴を働かずにはいられなかった。」と続くことになるのだ。「おれがこうやって癇癪を起こすのは、お前の過ちを責めているんじゃないってことは、さんざん言ってるだろう。それがなぜ分からないんだ!」という「苛立ち」である。その「苛立ち」が、「それ以上の乱暴を働かす」ことになるなんて、なんという理不尽さだろう。いったい「それ以上の乱暴」って何? って思う。直子にも直接暴力をふるったということだろうか。どうもそうらしい。
お栄もそんな謙作をはたで見ていたことになるが、なぜ謙作がそれほど荒れるのか「分からないらしかった」というのも、もっともである。けれど、お栄は、さすがに黙ってみていることはできず、かといって自分が中に入ってなんとかすることもできず、結局、謙作の兄の信行に手紙を書くことしかなかった。
ある時謙作は鎌倉の信行から、その内遊びに行くという便りを貰った。そして謙作は直ぐ返事を書いたが、後で、それはお栄が手紙で信行を呼んだのだという事に気がついた。彼は追いかけに直ぐ断りの手紙を出してしまった。しかしまた、彼は折角来るという信行をそんなにして断った事が気になり出した。彼は来てもらうかわりに此方から出掛けようかとも迷ったが、それを断行するだけの気力はなかった。そして会えば必ず総てを打明けるだろうと思うと、それだけでも今は会いたくなかった。
いろいろグズグズと迷う謙作である。信行にぜんぶ打ち明けてしまえば、スッキリするのにと思うのだが、謙作はどうしてもそれをしたくない。自分で、自分だけで解決したい。なにしろ、当の直子ですら関係ないから顔出すなといった謙作だ。(しかし、そこまで言うなら、直子に暴力をふるうな、って言いたいけどね)
信行に「総てを打明ける」ことがなぜいやなのか。友人の末松には打ち明けたではないか。やっぱり、肉親となると、また感情は別に働くのだろう。もともと信行とは気が合わなかったということもあるだろう。
その点、友人の末松は、すでに事情を知っているから、謙作に旅を勧めるのだった。
末松は自分も一緒に行くからと、切りに旅行を勧め、二人ともまだ知らない山陰方面の温泉案内などを持って来て、誘ったが、彼はなかなかその気にならなかった。末松の好意はよく分っていながら、そうなると意固地になる自身をどうする事も出来なかった。そしてとにかく自分で自分を支配しなければならぬ、そう決心するのだ。
友人というのはありがたいものだ。しかし、謙作は、とことん意固地だ。そういう謙作の決心とは、「自分で自分を支配しなければならぬ」ということ。しかし、これほど難しいことはない。かつて、この「決心」を実現できた人間が一人でもいただろうか。
話をそんな大げさにしなくても、日本の近代文学の大きなテーマに「近代的自我の確立」という問題がかつてあった。今はどうなってるのか詳しいことは知らないが、志賀直哉の時代には、この「近代的自我」の問題が、作家の中に根深く存在し、そこで個々の作家が苦闘した、ということがあったのだろうと思う。