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一日一書 1726 寂然法門百首 74

2022-10-27 10:19:55 | 一日一書

 

事与願違

 

何事も思うふすぢには違ひつつそむけとなれるこの世なりけり
 

半紙

 

【題出典】『往生要集』大文二

【題意】 事与願違

事と願と違ひ

実際の事と願う事は違う。


【歌の通釈】
何事も思い通りにはいかなくて、出家せよと言っているようなこの世のありさまだよ。

 

【考】
願うことは叶わぬばかりの世の中から離れ、浄土を求めようという歌。左注は、『往生要集』の文を踏まえながら、いかに我々の世の中が思い通りにいかないものであるか、富貴であっても貧しくても、長寿であっても、楽があってもなくても、必ず難点があることを執拗に説き、浄土に心を向けようとする。『方丈記』の「すべて世の中のありにくく」以下の一節に通うような筆の跡。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


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日本近代文学の森へ 230 志賀直哉『暗夜行路』 117  危うい感じ  「後篇第三  十三」 その1

2022-10-26 11:03:54 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 230 志賀直哉『暗夜行路』 117  危うい感じ  「後篇第三  十三」 その1

2022.10.26


 

 二人の結婚はそれから五日ほどして、円山の「左阿弥(さあみ)」という家(うち)で、簡単にその式が挙げられた。謙作の側からは信行、石本夫婦、それから京都好きの宮本、奈良に帰っている高井、そんな人々だった。直子の側はN老人夫婦と三、四人の親類知己、その他は仲人のS氏夫婦、山崎医学士、東三本木の宿の女主などで、簡単といっても謙作が予(かね)て自身の結婚式として考えていたそれに較べれば賑やかで、むしろ自分にはそぐわない気さえした。そしてこの日も上出来にも彼は自由な気分でいる事が出来た。種々(いろいろ)な事が、何となく愉快に眺められ、人々にもそういう感じを与え得る事を心で喜んでいた。
 舞子、芸子らの慣れた上手な着つけの中に直子の不慣(ふなれ)な振袖姿が目に立った。その上高島田の少しも顔になずまぬ所なども、変に田舎染みた感じで、多少可哀想でもあったが、現在心の楽んでいる謙作にはそういう事まで一種ユーモラスな感じで悪くは思えなかった。


 こうして、謙作と直子は、結婚式を挙げたわけだが、この結婚式の簡潔な記述のなかで、中心になっているのは、謙作の気分のありようである。「そしてこの日も上出来にも彼は自由な気分でいる事が出来た。」というところに、結婚式がどのように進行して、どんな印象を受けたのかよりも、その結婚式の間に、自分の気分がどうであったかが謙作にとっては大きな関心事だったことがよく表れている。

 こうしたことは、志賀直哉の小説では、ごく普通のことだが、一般的にはどうだろうか。普通がどういうものかよくわからないが、しかし、結婚式という「大事」の中で、その当事者が、いつも自分の気分のありように神経を集中させているというのは、あんまり普通のことじゃないような気がする。

 直子の高島田が似合わなくて田舎じみていても、「現在心の楽んでいる謙作には」、それが「一種ユーモラスな感じで悪くは思えなかった。」というのは、細かい分析だが、どこか危うい感じがある。つまり、そのとき、謙作の心が「楽しんでいない」状態だったら、「悪く思える」ことになるということだ。自分の気分がまずあって、そこから、対象となるものへの感じ方が波及するということは、日常生活ではよくあることだが、その逆もまたありうる。直子の高島田がちっとも似合わなくて田舎じみているのを見て、「おもわず」笑ってしまって、「その結果」気分も明るくなる、というように。

 そして、この後者のほうが、軽薄かもしれないが、どこか「健全」な感じがする。「自分の気分」が、中心にどっかと座っていると、では、その気分はどこから生まれてくるのか、ということがいつも問題になる。それは、おそらく、今、目の前の外界ではなくて、自分の心の奥底に横たわる「何か」ということになるだろう。それは奥底にあるだけに、執拗であり、ときに忘れていても、繰り返し浮かびあがってくる「何か」である。それを制御することは難しい。

 


 十一時頃に総てが済んだ。帰り際に信行は、
 「俺は石本の宿へ行くよ。それからお栄さんには明日早く俺から電報を打っておこう。精しい事は少し落着いた所でお前から手紙を出すといいね」とこんな事をいった。信行はこの日かなり甚く酔い、一人でよく騒いでいた。しかしその騒ぎ方も何となく厭味がなく、少しも皆に不快な感じを与えなかったが、それでも初めて信行のこんな様子を見る謙作はそれが物珍らしくもあり、同時に多少心配でもあった。今はいいが、もう少し酔ったら脱線しはしまいかという気がしていた。が、今、信行から、思いの外の正気さで、そんな事をいわれると、彼はさすが信行だというような心持で、心から肉親らしい親しさを感じないではいられなかった。
 帰ると仙が、昔風な小紋の紋附きを着て玄関に出迎えた。

 


 ここも危うい。信行に対する謙作の感情は、実に複雑で、基本的には「きらい」なのだろうが、それでも「肉親」の情はあって、その感情はつねに揺れ動いている。

 ここなどは、いつになく酔っ払って騒ぐ信行に、いつも感じる「厭み」や「不快」は感じないのだが、それでも、「不安」が残る。いつ信行が「脱線」して、言わなくてもいいこと、皆を不快にさせることを、言い始めやしないかとハラハラしてしまうのだ。この辺の謙作のピリピリする神経の描き方は、やはりスゴイ。

 そして、さりげなく描かれる女中のお仙。その言動を描かず、着物だけを描いて終える筆致の素晴らしさ。

 さて、結婚したあとどこに住むか。今まで謙作が住んでいたところでは狭すぎるので、引っ越しをすることになる。

 


 謙作の寓居は八畳に次の間が北向きの長四畳、それに玄関、女中部屋、という小さな家だった。北向きの四畳が使えない部屋なので二人になると、どうしてもまた引越さねばならなかった。
 謙作は直ぐ仕事をする必要もなかったのであるが、結婚後暫くは何も出来なくなったという風になりたくない気持から、殊更何時でも仕事の出来る状態を作っておきたかった。ある日二人は前に一度見た事のある高台寺の方の貸家を見に行った。前に見た家は既にふさがっていたが、同じ並びに新築された二軒棟割りの二階家があって、その東側のが気に入って大概それと決めた。

 


 「長四畳」というのは、「①横一列に畳を四枚並べて敷いた部屋。道具などを置く実用本位の部屋に多い。②畳四枚を横に並べ敷いた茶室。床がない。宗旦好みの佗び茶席。」(精選版 日本国語大辞典)とのこと。こういう部屋があるというのは、知らなかった。

 「結婚後暫くは何も出来なくなったという風になりたくない気持」というのは、よく分かる。相撲取りも、「結婚したから勝てなくなった。」と言われるのが嫌で、現役時代には結婚したがらないという話を聞いたことがあるが、そんな感じだろうか。謙作の場合は、外聞よりも、自分に対する「不安」もあっただろうとは思うけれど。

 しかし、「大概それと決めた」家を見にいったとき、謙作は若い大家の息子と、ささいなことで喧嘩をしてしまう。

 二階の南向きの窓から首を出すと、すぐに隣が見えてしまうのが具合が悪いというと、大家の息子は、すぐに小さな塀を建てましょうと応じてくれたのだが……。

 


 この辺まではよかった。が、それからまた階下(した)に下り、茶の間になる部屋の電燈がやはり天井から二尺ほどしか下がっていないのを見ると、謙作は、
 「これも少し困るな」といった。「これじゃあ針仕事に暗いだろう」
 「延びるんじゃないこと」と直子がちょっと脊延びをしてそれを下げようとした。
 「延びまへん」大家の息子は気色(きしょく)を害したような調子でいった。そして少し離れた所に立って黙ってそれを見ていた。
 謙作は自分たちが余りに虫がいいのを怒っているな、と思った。虫がいいには違いないが、またどういうわけでこんな事まで吝(しわ)くするのだろうと思った。大家の方は延ばそうとはいわない。延ばしてもらいたいといっている事が分かっていて、知らん顔をしている事が謙作には彼の我儘な本性からちょっと癪(しゃく)に触った。
 「これは私の方で入ってから延ばしてかまいませんね」と彼はいった。
 「困ります、── それは」無愛想に若い大家はそれをはねつけた。
 「どうしてかしら」
 「京都の者にはそれで事が足りとるさかいな」
 「…………」謙作は腹を立てた。
 「そう紐を長うしたら見ようのうなる」
 「還(か)えす時元通りにして返したら、いいだろう。それでも駄目か?」
 「あきまへん」若い大家は顔色まで変えている。
 「そんな馬鹿な奴があるもんか。そんなら借りるのはやめだ。 ──帰ろう」謙作の方も短気にこんな事をいい、挨拶もせずにさっさと出て来た。直子一人閉口していた。それでも直子が何かいってお辞儀をすると、若者も「いや」といって、叮嚀(ていねい)に頭を下げた。
 「まあ、両方お短気さんなのねえ」と日傘を開きながら小走りに追って来た直子が笑った。
 「しかし彼奴(あいつ)、割りに気持のいい奴だ」謙作は苦笑しながらいった。若者の怒るのも無理ない気もしたし、自分が一緒にむかっ腹を立てた事も少し気まりが悪かった。
 「喧嘩してほめてちゃ仕方がないわ。あんないい家、惜しいわ」
 「いくら惜しくても、もう追いつかない」
 「今度はね、黙ってて、入ってから勝手に直すのよ。そんな、初めっから色々註文をするから怒ってしまいますわ」

 


 なんとも面白いやりとりである。ここに出てくる大家の息子も、直子も、そして謙作も、実に生き生きと描かれている。描かれている内容は、どうということもない、この長編小説の中ではなくてもいいような場面だが、ここだけで、一編の短編小説のような味わいがある。

 電燈の位置をもう少し下げろという謙作に、ぜったいダメだという大家の息子。そのやりとりを、呆れて見ていて、明るく批評する直子。癇癪を起こした自分を、照れくさく思う謙作。

 謙作の一直線な性格は、この若者の妥協しない頑固さに、腹をたてながらも、共感してしまう、というあたりも、志賀直哉という人の素肌に触れる感じがある。

 それにしても、電燈をもう少し低くしてくれという謙作に対して、「京都の者にはそれで事が足りとるさかいな」といって拒否する若者の「論理」もフシギである。京都というところは、こういうところなのだろうか?

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1725 寂然法門百首 73

2022-10-14 11:47:35 | 一日一書

 

自惟孤露

 

みなしごとなりにし日より世中を厭ふべき身のほどは知りにき
 

半紙

 

【題出典】『法華経』寿量品

【題意】 自惟孤露

自ら惟(おもい)みるに孤露にして

自分を振り返ってみると、孤独で、(頼りにする人もいない。)


【歌の通釈】
孤児となった日から、世の中を遁れ出家するべき身だと知ったのだよ。


【語釈】
「みなしごと……」『法華経』寿量品の良医病子の場面について言っている。良医である父が海外へ行っている間に、子どもたちが誤って毒を飲んでしまう。帰国した父は薬を与えたが、本心を失った子どもは薬を飲もうとしない。そこで父は再び国外に出て、自らが死んだことを告げさせる。すると本心を失った子どもは悲しみの中、本心を取り戻し薬を服用し、病を治した。この比喩により、仏が涅槃に入ったのは迷う衆生を救うための方便であり、真実には永遠に存在するという久遠の仏の心を示したのである。この歌は、父の死を告げられた毒を服した子どもの心境を表したもの。

【考】
 この歌は「法華経」良医病子の比喩の中の子が、父の死を告げられた時の心境を詠むが、釈迦が入滅した後に生きる自分は、その子のように父に死に別れたみなしごであり、出家して仏を求めるべき身だと自覚したという歌。寂然が涅槃会を詠んだ「墨染めのたもとぞけふは露深き鶴の林のあとのみなしご」(寂然法師集・九二)は、釈迦に先立たれた人々を「みなしご」と詠んだ同発想の歌である。
 寂超「法門百首」は「とことはにたのむかげなきねをぞ泣く鶴の林の空を恋ひつつ」(新勅撰集・釈教・六一三)と詠む。仏の涅槃の空を恋いながら、いつまでたっても泣き続けるという意で、良医病子の比嚥の場面ではなく、直接に仏の涅槃を詠む。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


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日本近代文学の森へ 229 志賀直哉『暗夜行路』 116  謙作の幸福と直子の不安  「後篇第三  十二」 その7

2022-10-13 11:38:29 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 229 志賀直哉『暗夜行路』 116  謙作の幸福と直子の不安  「後篇第三  十二」 その7

2022.10.13


 

 さて、だいぶ寄り道したが、もとに戻そう。

 お仙の「焦った」姿をさっと描き出したあと、いよいよ謙作は直子と銀閣寺のほうへ出かけた。


 銀閣寺へ行く事にして歩いて出る。安楽寺、それから法然院を見、そこの阿育王塔の由来を話す時、直子は丁度女学生が崇拝する教師の話でも聴くような様子で熱心に耳を傾けていた。
 銀閣寺へ入ろうとすると、不意に兄が、「少し気分が悪いから先に帰る」といい出した。青い顔をして、額に油汗をかいている。皆ちょっと心配したが、謙作自身の寒がり癖から、無闇と部屋に炭火をおこした、それに当ったらしい。一人でもいいというのを丁度俥(くるま)があって、母と二人、直子だけを残して先に帰る事になった。

 

 この冒頭部分の「銀閣寺へ行く事にして歩いて出る。」の語尾、「出る」がいい。いわゆる「歴史的現在」の用法だが、ここが「歩いて出た。」だと平凡だが、「歩いて出る。」とすることで、ぐっと臨場感が増し、ワクワク感まで醸し出される。うまいものだ。

 謙作がいくぶんか得意になってうんちくを傾けるのを、直子は「丁度女学生が崇拝する教師の話でも聴くような様子」で熱心に聞く。ここもいい。志賀直哉は教師の経験はないはずだが、どこかで、そんな「女学生の様子」を感じたことがあるのか、あるいは、それをよそながら見たことがあるのか。いずれにしても、そういう「女学生の様子」は、現代では望みえないものだろうが、当時では、そこここに見られたはずである。

 兄の信行がここで、具合が悪くなり、母と二人で先に帰ってしまうというお膳立ても自然な流れだ。ほんとうに油汗をながしているようだから、「気を遣った」というのともちょっと違うのだろうが、結果として、謙作と直子をそこに残した。

 


 二人は瓦を縦てに埋ずめた坂から、黙って門を入って行った。「徳」と一字の衝立てがあって、その側で案内者を待っ間も話が途断れていたが、間もなく短かい袴を穿いた案内の子供が出て来て、「向月台に銀砂灘」「左右の唐紙は大雅堂の筆」こんな風に一人大きな声をしていてくれるので具合悪さは何時か去れた。
 「帰り、もし直ぐ俥で帰るようなら、置いて来た日傘や信玄袋は宿の方へ、晩にでも届けて上げますが、どうしますか」と謙作は訊いた。直子は黙ってちょっと怒ったような眼付きで、彼の方を見ていた。「それとも寄って行きますか?」こういうと、当り前だというように「ええ」と不愛想に答えた。

 


 銀閣寺の門前の「瓦を縦てに埋ずめた坂」は、今でもあるだろうか。以前、訪れたときにはあったような気がするのだが。細かい観察である。

 案内係が子どもであるというのも、おもしろい。こうした子どもの無邪気な説明が、ぎこちない二人をいつしか解きほぐしていく。これが、録音テープなら、こうはいかない。

 帰りの話で、直子のとる態度も生き生きと描かれている。「直子は黙ってちょっと怒ったような眼付きで、彼の方を見ていた。」なんて、模擬試験の問題に出せそうなところだ。「直子は、どうしてこういう態度をとったのか?」なんて設問で、答は「謙作とはもう結婚したも同然なのだから、自分だけで宿に帰るというのは不自然だし、またそんな気にもなれないから。」といったところだろうか。まあ、しかし、それ「だけ」が「正解」ではない。いろんな答え方があっていい。「え〜〜! なにそれ!」って思ったから、とか、せめて宿まで送ってほしいと思ったからとか、いろいろだ。

 しかし、注意しなければならないのは、ここでは、直子の気持ちを、直子の「言葉」ではなくて、「黙って」「怒ったような眼付き」「彼の方を見ている」という、外側から分かる態度で、表現しているということで、それをまた「言葉」に変換させるというのは、好ましいことではない。試験問題というものは、やはり、文学とは縁遠いものなのであろう。ここでは。直子の「沈黙」とか「眼付き」とか、「無愛想」とかいった、「言葉」にならない直子の思いを、そのまま、丸ごと味わうことが大事なことだ。

 


 南禅寺の裏から疏水を導き、またそれを黒谷に近く田圃(たんぼ)を流し返してある人工の流れについて二人は帰って行った。並べる所は並んで歩いた。並べない所は謙作が先に立って行ったが、その先に立っている時でも、彼は後(あと)から来る直子の、身体の割りにしまった小さい足が、きちんとした真白な足袋で、褄(つま)をけりながら、すっすっと賢(かし)こ気(げ)に踏出されるのを眼に見るように感じ、それが如何にも美しく思われた。そういう人が──そういう足が、すぐ背後(うしろ)からついて来る事が、彼には何か不思議な幸福に感ぜられた。

 


 驚くべき表現である。

 謙作の後からついて歩く直子の「足」を、謙作は、もちろん見ていないのだが、それを「くっきり」と「見る」。「眼に見るように感じ」と書いているのだが、その「感じ」は、ほとんど「見ている」のと変わりない。それほど、謙作の頭の中に、鮮烈に浮かび上がる「像」である。そして、その「像」を、「如何にも美しく思われた」と書くのだ。ため息が出るほど素晴らしい。

 ここは、極めて映画的な表現だとも言える。ここを映像化するのは極めて簡単で、謙作が歩いていく姿、あるいは謙作の表情のカットの間に、直子の歩く足のクローズアップを、幾度かインサートすることになるだろう。森田芳光なんかなら、鮮やかに処理するだろうなあと、果てしない空想にぼくを誘う。

 


 小砂利を敷いた流れに逆って一疋の亀の子が一生懸命に這っていた。如何にも目的あり気に首を延ばして這っている様子がおかしく、二人は暫く立って眺めていた。
 「私、文学の事は何にも存じませんのよ」直子はその時、とっけもなく、そんな事をいい出した。謙作は踞(しゃが)んで泥の固鞠(かたまり)を拾い、亀の行く手に目がけて投げた。亀はちょっと首を縮めたが、解けた泥水が去ると、甲羅に薄く泥を浴びたまま歩き出した。
 「知らない方がいいんです」謙作は踞んだまま答えた。
 「ちょっとも、いい事ありませんわ」
 「その方が僕にはかえっていいんです」
 「何故?」
 こういわれると謙作も判然(はっきり)した事はいいにくかった。昔はそうでなかったが、今の彼は細君が自分の仕事に特別な理解があるとか、ないとか、そういう事は何方(どっち)でもよかったのである。お栄と結婚したいと考えた時に既に不知(いつか)その問題は通り過ぎていた。そしてむしろ「文学が大好きです」といわれる方が、堪らなかった。

 


 この亀の子のシーンは、当然のように「城の崎にて」を思い起こさせる。小動物を見ると、石を投げたり、泥を投げたりするのは、なにも志賀直哉の癖ではなくて、昔の人間にはよく見られた行動だが、昨今は子ども以外にそういう行動をする大人がいなくなったことは、むしろ不思議な感じもする。

 小動物に対するこうした行為は、なにも動物虐待ということではなくて、むしろ、一種の「対話」なのだろう。幼い子どもが興味を惹かれた大人の足をぶって逃げたりするようなものだ。そして、そういう行為には、善悪はなく、ただ自然なありのままの人間の姿が現れる。いわば「無の時間」が流れる、といったらよいだろうか。

 謙作は泥の塊を亀の子に投げ、その行方をじっと見る。直子もそれをみつめる。そこに流れる「時間」。「無の時間」。

 その後に、「とっけもなく」(「とっけもない」=途方もない。とんでもない。また、思いがけない。思いもよらない。の意。ここでは、「思いがけない」の意だろう。)直子が言い出した言葉は、その「無の時間」の中で、直子が何を思っていたのかを示唆する。はたして自分は小説家たるこの人とうまくやっていけるのだろうか、といった、不安であろう。

 亀の子の前に突然現れた「泥の塊」は、亀の子の行く手を遮った。しかし、時間とともに、泥の塊は溶けてなくなり、亀の子はまた歩き出した。自分の前の「泥の塊=前途への不安」は、これと同じように無事解消してゆくのだろうか──といったような深読みすらしたくなるところだ。


 直子の方はこの事を早く断わっておかぬと気になるらしかった。それともう一つ、直子の伯母で、出戻りで、直子の生れる前から自家(うち)にいる人がある。この人が、自身に子のない所から直子を甚(ひど)く可愛がっていた。今はもう六十余りで直子と別れる事を淋しがっている。この伯母はこれからも時々京都へ出て来て御厄介になる事があるかも知れない。その事をどうか許して頂きたい。「伯母からもくれぐれもお願しておいてくれと申されましたの」といった。
 寓居へ帰って二人は暫く休んだ。直子は次の間の本棚を漁りながら、「どういう御本を読んだら、よろしいの?」とまだこんな事をいっていた。
二人は一緒に出て、謙作は宿まで直子を送って行った。兄はもう起きていた。帰って暫く眠ったら直ったという事だった。

 


 直子は、謙作から「文学なんて知らないほうがいい」と言われたが、やはり、それでは納得いかず、本棚の本を自分も読んでみようかなどと考える一方で、小さいころから親しんでいる伯母との付き合いを今後も続けることの許可を、謙作に求める。

 そんなことまで夫の許可がいるのかと思うが、案外昔はそんなもんだったのだろう。サザエさんだって、デパートに買い物に母親と出かけるには、いちいち、波平の許可を求めているわけだから。

 こんなふうに、結婚式直前の、謙作と直子の姿が描かれ、「第三の12」は終わる。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ 228 志賀直哉『暗夜行路』 115  「女中の仙」  「後篇第三  十二」 その6

2022-10-02 13:25:27 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 228 志賀直哉『暗夜行路』 115  「女中の仙」  「後篇第三  十二」 その6

2022.10.2


 

 前々回のところで、女中の「お仙」について、ぼくは、こんなふうに書いた。

 

それにしても、「仙もこの女主人公のために出来るだけの好意を見せたがり、そのため、焦っていた。」という描写は、仙という女の可愛らしさをさっと一筆で描きだしていて、感心する。「焦っていた」が効いている。

 

 これ以前にも、「お仙」について何か書いたかもしれないが、今、見つからない。とにかく、最初は「目刺しを思わせる」と描かれた彼女だが、謙作もだんだんと彼女のよさが分かってきて、その「お仙」を描く志賀直哉の筆が見事だなあと感心したのだった。


 その「お仙」について、たまたま「自炊」してあった本をパラパラと拾い読みしていたら、杉本秀太郎「音沙汰 一の糸」に、「暗夜行路」に触れた箇所がり、「女中の仙」と題した一文まであったので(102p)、嬉しくなってしまった。それは、こんなふうに始まっている。

 


 女中という言葉は廃語にひとしい。いまの世の中に女中さんというものは全く存在しない。戦後も昭和三十年をすぎて数年後まで、たぶん三十五年を下限としていいくらいの時代まで、女中というものは存在していた。そしてこの終り頃には家事手伝いという言い方が女中に代わって使われるようになっていった。「言葉」は「事」をのせて運ぶ、とむかし蘐園(けんえん)学派元祖の儒者が申されたがその通りで、女中という言葉がのせて運んでいたものは、言葉が変わったとき運ばれようがなくなって巷間に置き去りになった。行儀作法、台所の炊事仕事と畳の上の針仕事を身につけ、躾(しつけ)られることが女中奉公というものの眼目だった時代には、傭うほうもこの眼目を忘れることなく奉公人に対していた。自他のけじめがよく守られていた世の中には、他家に奉公している女中を呼び捨てにして「お宅の女中」などということはけっしてなかった。それはかならず「お宅の女中さん」であった。自家の女中のことを人に話すには「うちの女中」といって「うちの女中さん」などとはいわなかった。これを聞いて主人から呼び捨てにされたと腹を立てる女中などはいなかった。自他の区分を立てて物をいうのは言葉の作法の第一則であり、それが通らぬ世の中なら女中奉公がそもそも成り立つはずはなかった。


(山本注:蘐園学派元祖の儒者=荻生徂徠)

 

 「自他のけじめ」など、まるで遠い昔の話のような気がする昨今では、「女中」などという言葉を不用意に使うことはできないし、する必要もないわけだが、たしかに「言葉とともに滅びていく」ものはある。その滅びていくものを克明に文字として刻みつけるのもまた小説の役割であろう。

 杉本さんはさらにこう続ける。

 


 かようなこと、聞いて不可解という顔をする人もありそうなことを今更らしく持ち出したのは、志賀直哉の『暗夜行路』を読み返していて、仙という女中さんがじつにあざやかに書かれていて、仙の使う京都弁が抑揚も息遣いも、仙の立居振舞と合わせて、きっちりと写し取られているのに気付いたからである。むかしの女中さんには、この仙のような人がたしかにいた。昭和六年生まれの私が二十代後半にかかるまで、戦中から戦後の五年くらいを除けば、家には女中奉公の人がかならずいた。

 


 京都生まれで、京都育ちで、京都に暮らした杉本さんが言うのだから間違いない。志賀直哉の筆は、この「女中」の「お仙」を通じて、京都の言葉や文化を鮮やかに刻みつけているのだ。

 この後、「暗夜行路」の中の文章の数例がひかれ、最後にこう結ばれている。(途中は省略するが、こころある方は、ぜひ、本書にあたられたい。)

 


 『暗夜行路』には、謙作の尾道暮らしのくだりに、土地の子供や老人、宿屋の女中などの尾道弁が再三あらわれる。京都弁がこんなに正確に写し取られているからには、それもきっと活写されているにちがいない。志賀直哉は言葉というものを体感を通して受信し、ミミクリー(口まね、物まね)を介して記憶に刻みこむわざに長じている人だった。『暗夜行路』作中の京都弁は、川端康成の小説『古都』の祇園訛りの特殊な京都弁などと同日の談ではない。付け足すと、『暗夜行路』から文中に持ち込んだ条々は「第三」(これより「後篇」)の「九」以下「十六」までのあいだに散らばっている。

 


 「尾道暮らしのくだり」にちりばめられている「尾道弁」が、「活写」されているかどうかは、自分には分からない。けれども、京都弁をこれだけ見事に「活写」した志賀直哉なら、きっと「尾道弁」も「活写しているに違いない」と推測する杉本さんの謙虚さにも、敬服する。

 ぼくが今なおダラダラと、この「暗夜行路」を読み続け、飽きることがないのも、実はこういう「部分」の魅力があちこちにあるからだったのだということにも、改めて気づかされた。

 その土地の言葉や文化といったものは、その土地の人が身にしみて知っていることだから、よそ者があだやおろそかに描けるものではない。よそ者が「京都弁」を小説で誇らしげに再現してみせたところで、その土地の人には噴飯物であることも多いだろう。それは、小説だけのことではなくて、ドラマなどでも頻繁に起こりうることであって、そうした「細部」にどれだけ心血を注げるかによって、ドラマも、また小説も、傑作になったり駄作になったりするわけである。

 どんなに荒唐無稽な筋立てのドラマであっても、小説であっても、その「細部」に、えもいわれぬリアリティが感じられれば、それは傑作になりうるだろう。

 「神は細部に宿る」は、どの世界でも、永遠の真実なのである。

 

 

 


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