日本近代文学の森へ 229 志賀直哉『暗夜行路』 116 謙作の幸福と直子の不安 「後篇第三 十二」 その7
2022.10.13
さて、だいぶ寄り道したが、もとに戻そう。
お仙の「焦った」姿をさっと描き出したあと、いよいよ謙作は直子と銀閣寺のほうへ出かけた。
銀閣寺へ行く事にして歩いて出る。安楽寺、それから法然院を見、そこの阿育王塔の由来を話す時、直子は丁度女学生が崇拝する教師の話でも聴くような様子で熱心に耳を傾けていた。
銀閣寺へ入ろうとすると、不意に兄が、「少し気分が悪いから先に帰る」といい出した。青い顔をして、額に油汗をかいている。皆ちょっと心配したが、謙作自身の寒がり癖から、無闇と部屋に炭火をおこした、それに当ったらしい。一人でもいいというのを丁度俥(くるま)があって、母と二人、直子だけを残して先に帰る事になった。
この冒頭部分の「銀閣寺へ行く事にして歩いて出る。」の語尾、「出る」がいい。いわゆる「歴史的現在」の用法だが、ここが「歩いて出た。」だと平凡だが、「歩いて出る。」とすることで、ぐっと臨場感が増し、ワクワク感まで醸し出される。うまいものだ。
謙作がいくぶんか得意になってうんちくを傾けるのを、直子は「丁度女学生が崇拝する教師の話でも聴くような様子」で熱心に聞く。ここもいい。志賀直哉は教師の経験はないはずだが、どこかで、そんな「女学生の様子」を感じたことがあるのか、あるいは、それをよそながら見たことがあるのか。いずれにしても、そういう「女学生の様子」は、現代では望みえないものだろうが、当時では、そこここに見られたはずである。
兄の信行がここで、具合が悪くなり、母と二人で先に帰ってしまうというお膳立ても自然な流れだ。ほんとうに油汗をながしているようだから、「気を遣った」というのともちょっと違うのだろうが、結果として、謙作と直子をそこに残した。
二人は瓦を縦てに埋ずめた坂から、黙って門を入って行った。「徳」と一字の衝立てがあって、その側で案内者を待っ間も話が途断れていたが、間もなく短かい袴を穿いた案内の子供が出て来て、「向月台に銀砂灘」「左右の唐紙は大雅堂の筆」こんな風に一人大きな声をしていてくれるので具合悪さは何時か去れた。
「帰り、もし直ぐ俥で帰るようなら、置いて来た日傘や信玄袋は宿の方へ、晩にでも届けて上げますが、どうしますか」と謙作は訊いた。直子は黙ってちょっと怒ったような眼付きで、彼の方を見ていた。「それとも寄って行きますか?」こういうと、当り前だというように「ええ」と不愛想に答えた。
銀閣寺の門前の「瓦を縦てに埋ずめた坂」は、今でもあるだろうか。以前、訪れたときにはあったような気がするのだが。細かい観察である。
案内係が子どもであるというのも、おもしろい。こうした子どもの無邪気な説明が、ぎこちない二人をいつしか解きほぐしていく。これが、録音テープなら、こうはいかない。
帰りの話で、直子のとる態度も生き生きと描かれている。「直子は黙ってちょっと怒ったような眼付きで、彼の方を見ていた。」なんて、模擬試験の問題に出せそうなところだ。「直子は、どうしてこういう態度をとったのか?」なんて設問で、答は「謙作とはもう結婚したも同然なのだから、自分だけで宿に帰るというのは不自然だし、またそんな気にもなれないから。」といったところだろうか。まあ、しかし、それ「だけ」が「正解」ではない。いろんな答え方があっていい。「え〜〜! なにそれ!」って思ったから、とか、せめて宿まで送ってほしいと思ったからとか、いろいろだ。
しかし、注意しなければならないのは、ここでは、直子の気持ちを、直子の「言葉」ではなくて、「黙って」「怒ったような眼付き」「彼の方を見ている」という、外側から分かる態度で、表現しているということで、それをまた「言葉」に変換させるというのは、好ましいことではない。試験問題というものは、やはり、文学とは縁遠いものなのであろう。ここでは。直子の「沈黙」とか「眼付き」とか、「無愛想」とかいった、「言葉」にならない直子の思いを、そのまま、丸ごと味わうことが大事なことだ。
南禅寺の裏から疏水を導き、またそれを黒谷に近く田圃(たんぼ)を流し返してある人工の流れについて二人は帰って行った。並べる所は並んで歩いた。並べない所は謙作が先に立って行ったが、その先に立っている時でも、彼は後(あと)から来る直子の、身体の割りにしまった小さい足が、きちんとした真白な足袋で、褄(つま)をけりながら、すっすっと賢(かし)こ気(げ)に踏出されるのを眼に見るように感じ、それが如何にも美しく思われた。そういう人が──そういう足が、すぐ背後(うしろ)からついて来る事が、彼には何か不思議な幸福に感ぜられた。
驚くべき表現である。
謙作の後からついて歩く直子の「足」を、謙作は、もちろん見ていないのだが、それを「くっきり」と「見る」。「眼に見るように感じ」と書いているのだが、その「感じ」は、ほとんど「見ている」のと変わりない。それほど、謙作の頭の中に、鮮烈に浮かび上がる「像」である。そして、その「像」を、「如何にも美しく思われた」と書くのだ。ため息が出るほど素晴らしい。
ここは、極めて映画的な表現だとも言える。ここを映像化するのは極めて簡単で、謙作が歩いていく姿、あるいは謙作の表情のカットの間に、直子の歩く足のクローズアップを、幾度かインサートすることになるだろう。森田芳光なんかなら、鮮やかに処理するだろうなあと、果てしない空想にぼくを誘う。
小砂利を敷いた流れに逆って一疋の亀の子が一生懸命に這っていた。如何にも目的あり気に首を延ばして這っている様子がおかしく、二人は暫く立って眺めていた。
「私、文学の事は何にも存じませんのよ」直子はその時、とっけもなく、そんな事をいい出した。謙作は踞(しゃが)んで泥の固鞠(かたまり)を拾い、亀の行く手に目がけて投げた。亀はちょっと首を縮めたが、解けた泥水が去ると、甲羅に薄く泥を浴びたまま歩き出した。
「知らない方がいいんです」謙作は踞んだまま答えた。
「ちょっとも、いい事ありませんわ」
「その方が僕にはかえっていいんです」
「何故?」
こういわれると謙作も判然(はっきり)した事はいいにくかった。昔はそうでなかったが、今の彼は細君が自分の仕事に特別な理解があるとか、ないとか、そういう事は何方(どっち)でもよかったのである。お栄と結婚したいと考えた時に既に不知(いつか)その問題は通り過ぎていた。そしてむしろ「文学が大好きです」といわれる方が、堪らなかった。
この亀の子のシーンは、当然のように「城の崎にて」を思い起こさせる。小動物を見ると、石を投げたり、泥を投げたりするのは、なにも志賀直哉の癖ではなくて、昔の人間にはよく見られた行動だが、昨今は子ども以外にそういう行動をする大人がいなくなったことは、むしろ不思議な感じもする。
小動物に対するこうした行為は、なにも動物虐待ということではなくて、むしろ、一種の「対話」なのだろう。幼い子どもが興味を惹かれた大人の足をぶって逃げたりするようなものだ。そして、そういう行為には、善悪はなく、ただ自然なありのままの人間の姿が現れる。いわば「無の時間」が流れる、といったらよいだろうか。
謙作は泥の塊を亀の子に投げ、その行方をじっと見る。直子もそれをみつめる。そこに流れる「時間」。「無の時間」。
その後に、「とっけもなく」(「とっけもない」=途方もない。とんでもない。また、思いがけない。思いもよらない。の意。ここでは、「思いがけない」の意だろう。)直子が言い出した言葉は、その「無の時間」の中で、直子が何を思っていたのかを示唆する。はたして自分は小説家たるこの人とうまくやっていけるのだろうか、といった、不安であろう。
亀の子の前に突然現れた「泥の塊」は、亀の子の行く手を遮った。しかし、時間とともに、泥の塊は溶けてなくなり、亀の子はまた歩き出した。自分の前の「泥の塊=前途への不安」は、これと同じように無事解消してゆくのだろうか──といったような深読みすらしたくなるところだ。
直子の方はこの事を早く断わっておかぬと気になるらしかった。それともう一つ、直子の伯母で、出戻りで、直子の生れる前から自家(うち)にいる人がある。この人が、自身に子のない所から直子を甚(ひど)く可愛がっていた。今はもう六十余りで直子と別れる事を淋しがっている。この伯母はこれからも時々京都へ出て来て御厄介になる事があるかも知れない。その事をどうか許して頂きたい。「伯母からもくれぐれもお願しておいてくれと申されましたの」といった。
寓居へ帰って二人は暫く休んだ。直子は次の間の本棚を漁りながら、「どういう御本を読んだら、よろしいの?」とまだこんな事をいっていた。
二人は一緒に出て、謙作は宿まで直子を送って行った。兄はもう起きていた。帰って暫く眠ったら直ったという事だった。
直子は、謙作から「文学なんて知らないほうがいい」と言われたが、やはり、それでは納得いかず、本棚の本を自分も読んでみようかなどと考える一方で、小さいころから親しんでいる伯母との付き合いを今後も続けることの許可を、謙作に求める。
そんなことまで夫の許可がいるのかと思うが、案外昔はそんなもんだったのだろう。サザエさんだって、デパートに買い物に母親と出かけるには、いちいち、波平の許可を求めているわけだから。
こんなふうに、結婚式直前の、謙作と直子の姿が描かれ、「第三の12」は終わる。