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木洩れ日抄 111  劇団キンダースペースレパートリーシアターVol.53「中島敦・光と風の彼方へ」────閃光のような言葉

2024-10-01 21:03:36 | 「失われた時を求めて」を読む

木洩れ日抄 111  劇団キンダースペースレパートリーシアターVol.53「中島敦・光と風の彼方へ」────閃光のような言葉

2024.10.1


 

 昔、まだ教壇に立っていたころ、中学生にむかって、「世界を二種類に分けるとしたら、何と何になると思う?」と聞いたことがある。生徒たちは、「男と女」とか、「陸と海」とか、「生物と無生物」とか、ありとあらゆるものを挙げていたが、「全部違うよ」と、ぼくは余裕シャクシャクで、「答はね、『自分』と『自分以外』だよ。」と言った。生徒はキョトンとしていたが、果たして、そんな独我論的な答が、答と言えるのかどうかあやしいものだ。もっともっと根本的な分類があるのかもしれないが、いまだにぼくはその答を否定することができないでいる。


 「ぼくらは、何でも見ることができるけど、自分だけは見ることができないよね。自分が消滅したら、世界はどうなっているか、ぼくらは知ることもできない。こんなもの、こんなものの『ありかた』って、他にはないでしょ。」みたいなことを得意になってしゃべったような気がする。今となっては、ただただ恥ずかしい。


 「自分」と「自分以外」に、世界を分けるということは、あまりにも「自分」中心すぎる考え方だ。「自分」だけが特別なもので、それ以外のものを並列に置いてしまうということは、「世界の理解」を危うくする。そして、意識の「半分」を「自分」に向ける、つまりは「自分とは何か?」という問題を最高位に設定してしまうところに、いわゆる「近代的自我」の問題があるわけである。

 原田一樹は、この芝居の招待状で、こんなふうに書いている。

 

 近代以降の文学は、「個人」の不安、存在の危うさが共通のテーマでした。少し乱暴な言い方ですが、16世紀のシェイクスピア、イプセン、チェーホフ、漱石、芥川、村上春樹も明らかにそこに創作的衝動の根幹があります。ある意味、中島敦の『山月記』もこの変奏といえます。けれどもその上で、主人公を「虎」にするという運びがあったでしょうか。一人中島敦だけがここに「前近代」という補助線を引いたという気がします。『木乃伊』や『文字禍』はその白眉で、短編ということを差し引けば、今後『ドン・キホーテ』なんかのように、世界文学として再評価されるかもしれません。

 

 ぼくが若いころは「自分」だけが特別な存在だし、その存在のありようは、「自分以外のもの」と、「まったく違う」という意識に捉えられ、疑いもしなかったのだが、数世紀も前から、それこそ「近代」がもたらした最悪の意識なのではないかという不安から多くの文学が生み出されてきたのだ。

 けれども、その不安は彼らの文学によって解消されるどころか、より深刻なものとしていまだにぼくらの心を覆っている。解決の糸口すらないとぼくには思われる。かつてのぼくはその「解決」をキリスト教に求め、信仰にも入ったのだが、自分の意固地な性格も災いして、いまだほんとうの「救い」を得たとはいえない状況にある。

 そういう状況の中で、芝居の終盤に、虚空に向かって放たれたような「私たちもまた、私たちが思う程、私ではありません。」という言葉は、まるで闇を貫く閃光のように輝いた。

 「私」というものは、「私」が思っているほど「私」ではない、という難解な言葉は、ぼくなりに言い換えれば、私たちは、「私」というものが疑うことのできない存在あるいは存在の「ありかた」だと思い込んでいるが、実は、それほど確実なものではないのだ、ということになるだろうか。

 「近代」においては、いかにして「私」を形成するか、いかにして「私」の存在をより崇高なものにするか、といった、「私をどういうものにしていけばいいのか?」が、生きる意味を問うことだった。しかし、もし「私」が、自分が思っているほどたいしたものじゃない、確実なものじゃないということになれば、そんな努力は意味を失ってしまう。別の言い方をすれば、楽になる。いいかげんに生きていけばいい、ということではないにせよ、「自分」が「世界」の半分を占めるという意識は消え、「自分」は「世界」の一部、あるいは断片にすぎない、ということなる。それならいっそ気楽だ。いつもいつも「自分」と対峙して苦しむことはない。もっと感覚を「世界」に向けて解き放ち、生きているという実感を楽しめばいい。

 中島は、そうした生き方を求めて、「前近代」の文学や「脱近代」を目指した文学や(たとえばカフカ。カフカを最初に見いだしたのは中島敦だと言われているらしい。)、老荘思想や、南洋の島の人々の生活にこころを向けた。そこに活路を見いだそうとしていた。しかし、ことはそんなに簡単ではない。「近代的自我」を持ってしまった、あるいは意識してしまった人間が、古代の人のような素朴さに回帰することなど至難のことだ。けれども、たとえ「虎」になろうとも、そこにしか活路はないと苦闘しつつ、中島敦は33歳の若さで死んでいったのだ……

 それが、原田一樹が今回の芝居で描き出した「中島敦」なのだと、ぼくは思う。

 『ある生活』『悟浄出世』『幸福』『無題』『山月記』といった作品を、順番に並べていくのではなく、その核心を剔り出し、他作品のそれと通底させ、そしてもちろん原田自身の考えたセリフや登場人物を加えて芝居として成立させるという困難な作業によって、中島敦の精神の神髄を舞台上に描き出すことを試みた。それが成功だったか、失敗だったかは、だれにも分からない。むしろ、「成功」とか「失敗」とかの概念そのものが、「近代」が生み出したものにすぎないのだ。

 「世界は理解するためにあるのですか?」という女学生の教師に対する問いかけの言葉は、この芝居を貫くもう一つの閃光だ。「理解する」とは、まさに「知性」によるもので、近代以降、多くの人間はこの世界を「理解」しようとして躍起になり、その結果、乱暴にいえば、「科学」が生まれた。今や宇宙の果てでさえ、「理解」されようとしている。いやそれどころか、人間がいなくても「理解」はできるようにすらなっている。読書感想文を、AIが書いてくれる時代だ。

 そのような状況の中で「世界は理解するためにあるのですか?」という問いかけは、ほぼ「世界は理解するためにあるわけはない。」という宣言に等しい。その宣言は、それじゃあ、どうすればいいんだ? という反論を遙か後方に残したまま、疾走する。どうすればいいだと? そんなことは知ったことか。おれが「世界は愛するためにあるんだ。」と言ったところで、おまえたちは、鼻で笑うだけだろう。それが「近代」だったんじゃないか。そしていまなおその「近代」は、亡霊どころか、生き霊として、俺たちにとりついているじゃないか。そう叫びながら、虎になった李徴は闇の中を疾走していく。その疾走感は、中島敦の精神を、坩堝のなかに入れてかき混ぜるような原田一樹の見事な作劇術から生まれたといっていい。

 ぼくはこの芝居を「理解」できたとは言いたくない。「世界」と同じく「芝居」も「理解」されるためにあるのではないからだ。むしろ、この芝居の随所にちりばめられ光を放った中島敦の言葉に、射貫かれ、心揺さぶられた。その言葉を発する役者の声、そしてその「肉体」に、心が震えた。そういうことを前にして、「理解」とは、もはや何ものでもないのだ。

 原田一樹は、中島敦の文学をどう芝居にするのか、ということについて、「まず中島敦が畏れていたことを畏れてみる他はない」と述べている。そうであればなおさら観客は、「理解」や「共感」を早急に求めるのではなく、やはり中島敦と共に、そして戯曲作者と共に、その畏れをじっくりと畏れてみる他はないだろう。そういう意味でも、この芝居の再演をぼくは切に願っている。

 最後に、この芝居によって、中島敦という作家に、今までに感じたことのなかった興味をそそられ、今まで何度も買おうとして買うことのなかった「中島敦全集」を買ったことにまでなったことに、改めて、原田一樹さんに感謝申し上げます。そしてまた、この稀代の意欲作に熱心に取り組み、見事に舞台化を実現した客演の俳優さんとキンダースペースの皆さんの努力に心からの敬意を表します。

 

 

 

 

 

 


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「失われた時を求めて」を読む 5 冬の部屋と夏の部屋、あるいは文学の効用 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その5

2023-08-29 11:37:57 | 「失われた時を求めて」を読む

「失われた時を求めて」を読む 5 冬の部屋と夏の部屋、あるいは文学の効用 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その5

2023.8.29


 

冬の部屋では、ベッドに横になると、雑多なもので編んだ巣のなかに顔を埋(うず)める。枕の隅とか、毛布の襟(えり)とか、ショールの端とか、ベッドの縁とか、「デバ・ローズ」紙(訳注:朝刊紙「ジュルナル・デ・デバ」の夕刊、一八九三年発行開始。ローズ色の紙に印刷されていた。)の一日分とか、それらを全部いっしよくたにして、あくまで小鳥の巣づくりの技法にならって固めてしまうのだ。凍てつく寒さのときに味わう楽しみは、外界とすっかり遮断されていると感じるところにある(海鳥のアジサシが地面の奥の、地熱で温められたところに巣をつくるのと同じだ)。また、ひと晩じゅう煖炉の火が消えないようにしてあるので、暖かく煙る大きな空気のマントに包まれて眠るのに等しい。それは、ふたたび燃えあがる熾火(おきび)の薄明かりが浸みこんだマントであり、目には見えないベッド用の壁の窪み(アルコーヴ)であり、部屋のなかに穿たれた暖かい洞穴である。この熱気のこもる地帯では、暖かい外縁が揺れうごき、そこに流れこむ冷気は、窓に近かったり暖炉から離れていたりして冷えきった部屋の四隅からやってきて顔を冷やすのである。


 この一ヶ月あまりの異常な暑さに悩まされつづけている身には、郷愁さえ感じさせるほどの「冬の部屋」である。あるいは、「冬の部屋の空気」である。
冬になると、夏が恋しくなり、夏になると冬が恋しくなるということを、えんえんと繰り返してきた70数年だったが、さすがに、この夏の暑さには、心底嫌気がさしている。この先、この「南国」で暮らしていけるのだろうかと不安になる。

 寒さが好きだということではない。寒さにはめっぽう弱い。けれども、プルーストがいう「凍てつく寒さのときに味わう楽しみ」というのは確かにある。

 この場合、「ぬくぬく」というオノマトペがぴったりくる。「ぬくぬく」は、怠惰な生活態度を外側から非難する意味合いの強い言葉だが、そこに居直ってしまえば、これ以上の境地はない。

 100個もあるかと思われるぬいぐるみを、リビングの床にぶちまけて、その中で転がり廻り、「ぬいぐるみまみれ」になって喜色満面の孫を見るにつけても、それが、プルーストのいう「鳥の巣」であることが納得される。そういえば、その孫の伯父も幼いころ、ドーナツ盤のレコードを何十枚と風呂に浮かべて、「レコードまみれ」になって恍惚としていた。

 子どもは、いつも、そうした、自分の好きなものに身を埋め、そのなかで「ぬくぬく」と生きることを至上の喜びとするものだ。

 ここではプルーストは、もちろん、幼い頃の追憶を描いているわけだが、それでも、大人になっても、この「冬の部屋」の快楽を忘れてはいない。子どもの頃と同じようにその快楽を味わうことはできなかったかもしれないが、思い出は、その快楽をよみがえらせてくれただろう。

 ぼくの寝室に、「暖かい煖炉」はもちろんないが、それでも、軽くて暖かい羽毛布団はある。なんなら、昔は使ったこともなかった足温器を入れてもいい。そして、頭の中には、プルーストのこの「冬の部屋」を思い描いて、しずかに眠りたいものだ。


夏の部屋では、なま暖かい夜と一体になれるのが嬉しい。なかば開いた鎧戸に月の光が身をもたせかけ、ベッドの足元にまで投げかけてくれる魔法のハシゴの光線の先端にとまっていると、そよ風に揺れるシジュウカラよろしく戸外で寝ている趣である。


 「冬の部屋」を描いたあと、プルーストは「夏の部屋」も描くのだが、こちらは、熱帯日本に住む日本人には共感できないだろう。「なま暖かい夜」なんぞ、今の日本にはない。ただただ暑く、息もできないほどの湿度ある熱気で満たされた部屋は、エアコンの助けなしでは、1分もいられたものではない。

 けれども、古代の日本では──たとえば平安時代──こんな「夏の夜」は確かにあったはずだ。枕草子のあの有名な「夏は夜。蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。」の一節。ここに流れる空気は、今のような息も詰まるような熱気ではない。プルーストの描く、フランスの空気とはまた違うが、どこか透明な水気を含んだ風がながれている。こんな夜が日本にもあったのだ。
「ベッドの足元にまで投げかけてくれる魔法のハシゴの光線」という表現はまた、李白の「静夜思」を思わせる。


牀前 月光を看る
疑うらくは是 地上の霜かと
頭を挙げて 山月を望み
頭を低れて 故鄕を思う


 この詩の季節は、夏ではなくて秋のようだが、寝台(牀)の前の床にくっきりと映る月の光は、あくまで透明な空気を感じさせて爽やかだ。

 プルーストも、清少納言も、李白も、みなその時代の(あるいは、その時代の「地球」の)空気を、言葉で定着してくれた。そのことのありがたみをもう一度確認しておかなければなるまい。ぼくらは、もう二度とそういう「空気」を吸い、味わうことはできないかもしれないけれど、彼らの「言葉」によって、心の中に、頭の中に、よみがえらせることができる。それが、文学の持つ「効用」の一つかもしれない。

 

 


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「失われた時を求めて」を読む 4 「世界」と「わたし」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その4

2023-07-03 15:04:01 | 「失われた時を求めて」を読む

「失われた時を求めて」を読む 4 「世界」と「わたし」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その4

2023.7.3


 

われわれのまわりに存在する事物が不動の状態にあるのは、それがそれであって他のものではないというわれわれの確信のなせる業であり、つまり、それらを前にしたときのわれわれの思考の不動性が、それらを不動の状態に置いているのかもしれない。

 


 この後、目覚めの感覚について、具体的で精密な描写があるのだが、それはそれとして、「われわれのまわりに存在する事物が不動の状態」が、ひとえに、「それらを前にしたときのわれわれの思考の不動性」に依拠しているというのは、思考するに足る問題だ。

もっとも、こういうことについては、哲学などの分野ですでに散々言及されてきたところだろうから、いまさら哲学の素養のないぼくがああだこうだと考察を重ねてもなんの意味もないだろう。意味もないけど、やっぱり考えたくなるのも事実で、おもえば、昔から、不思議でならないのは、このことなのだ。

 以前どこかに書いたようにも思うが、小学生の低学年のころだったか、こんなことを言った記憶がある。「コオロギはリーリーと鳴くと言うけど、実際にはコオロギはリーリーと鳴いているのかどうかは、分からない。リーリーと鳴くというのは、それが人に耳にリーリーと聞こえているからであって、すべての人が同じようにリーリーと聞こえているかどうか分からないわけだから、コオロギがリーリーと鳴くとは言えないのだ。」──まあ、言葉はずいぶんと違っていただろうが、主旨はこんなことだった。親は、この子は変なことを言うねえと、驚いたのか呆れたのか、感心したのか、心配したのか知らないけれど、いずれにしても、「客観的事実」と「認識」の関係を問題にしているように思えて、小学生にしては「できた」発言だったのではなかろうか。あるいは、どこぞで仕入れたネタだったのだろうか。

 今思えば、あまり「認識」に重点を置きすぎると、世界がバラバラになっちゃうから、まあ、「われわれのまわりに存在する事物」っていうのは、自分の思考に依拠してるわけじゃないと思うけれど、しかしまた、自分がこの世に存在しなくなったら、世界の事物は果たして存在するのかという問いに、オレが消えちゃうんだから、世界も消えたと同じことじゃないか、いや、オレにとっては世界は存在しなくなるんじゃね? という、いわば「独我論」の誘惑は常にある。しかしまた、オレがいようがいまいが、世界は変わりなくあるに決まってるじゃねえかというのが常識的感覚ってもので、たぶん、そっちのほうが正しい。しかし、しかし、正しいからといって、楽しいわけじゃない。

 生まれてからこの方、この目で見、この耳で聞き、この肌で感じ、この鼻で嗅ぎ、この舌で味わってきたからこそ、「世界」はぼくの前にあるいは中に存在したのであって、「ぼくを通じて」以外の方法で、存在した「世界」なんて、これっぽちもない。とすれば、ぼくが消えたあとに、「世界」は確かに存在し続けるだろうが、「ぼくが経験した世界」はことごとく滅びる、というのもまた否定しえない事実である。

 プルーストが、こんなことを言うのも、プルーストにとっての「世界=われわれのまわりに存在する事実」とは、プルースト自身が「体験した世界」以外のなにものでもなかったからだろう。自分の体験からはずれた「世界」は、プルーストにとっては、意味のない世界だったのだろう。

 なんて勝手に言ってもいいのかどうか知らないが、ぼくにはそう見える。

 ひるがえって、ぼくにとっての「世界」とは何か。昔からジコチュウだと言われもし、自認もしているぼくだが、だからというわけではないが、やっぱりぼくにとっての「世界」というのも、「ぼくが経験した世界」以外にはない。連日報道される戦争や災害のニュースを見て、心は激しく動揺するけれど、ニュースを見ただけでは、経験したことにはならない。

 といって、現地へ行ってこの目で見なければ経験したことにはならないというわけでもない。「経験した」と言えるには、世界の果ての出来事でも、そのことを、我が身の中に心理的にでも取り込んで、それを我が事として生きねばならない。分かりやすくいえば、「身につまされる」感じを少なくとも持たねばならない。あるいは、傷つかねばならない。

 けれども、そんなことは、これだけ情報の多い時代では、ほとんど不可能なことで、それを律儀にやっていたら、一日たりとも身が持たない。だから現実問題としては、怒濤のように押し寄せるニュース・情報のほとんどを、「他人事」として、やりすごす。そうしなければ、生活していくことなどできないのだ。

 かくて、「われわれのまわりに存在する事物が不動の状態」が、ひとえに、「それらを前にしたときのわれわれの思考の不動性」に依拠しているのではないか、というプルーストの言い分は、「ぼくはいつもぼくであって、その変わらないぼくが、感じ取る世界こそ変わることのない世界であるはずだ、いや、あってほしい。」という、切ない祈りのようなものになる。

 それが「祈り」だというのは、プルーストが、自分の「不動性」を信じ切れないからであって(信じているなら、こんな小説は書かないだろう)、生まれてから今に至るまで、自分は今の自分と「同じ」自分であるはずなのだから、その「自分」が「思い出す」時間あるいは世界は、少なくとも自分にとっては「意味のある世界」あるいは「輝かしい時間」であるはずだ、いや、あってほしい、というのがプルーストの切実な願いであり、また、この「失われた時を求めて」という小説を書いた動機でもあったのではないかということなのだ。

 現役教師のころ、中学生に向かって、「世の中を大きく二つに分けるとしたら、何と何か?」って聞いたことがある。その時、中学生は「男と女」とか、「見えるものと、見えないもの」とか、「触れるものと、触れないもの」とかいろいろ答えたんだろうが、ぼくの答は「自分と自分以外」というものだった。たぶんに、「独我論」めいた答だが、「自分」と「自分以外」は、「存在の仕方」が根本的に違うことは確かだ。まあ、そんなことをなぜ中学生に言ったかも、忘れてしまったが、生徒はかなり驚いていたように思う。

 「自分っていうのは、実は、かなり面白い、独特な存在なんだよ。」というようなことを、鷲田清一的な文脈で言ったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。とにかく、三田誠広じゃないけど、「僕って何?」は永遠の課題で、プルーストも結局のところ、その問題をめぐってえんえんと書き続けたのかもしれない。


 それから、またべつの姿勢の記憶がよみがえる。壁が大急ぎでべつの方向に移動すると、そこは田舎のサンルー夫人宅で私に与えられた寝室だった。これは、まずい、もう十時にはなっている。夕食は終わってしまったにちがいない。どうやらうたた寝をして、寝過ごしてしまったらしい。うたた寝は毎晩のことで、サンルー夫人と出かけた散歩からもどり、燕尾服に着替える前のことなのだ。長い年月が経ってしまったがコンブレーでは、どんなに帰宅が遅くなっても、私の窓ガラスには赤い夕映えが見えていた。ところがタンソンヴィルのサンルー夫人宅で送っているのは、すっかりべつの生活で、日が暮れると散歩に出て、昔は陽光をあびて遊んだ同じ道をいまや月明かりに照らされてたどるという、べつの楽しみがあるのだ。そんなわけで私がタ食の正装に着替えるのを忘れて寝てしまった部屋は、私たちが散歩の帰りに遠くから見ると、闇に浮かぶただひとつの灯台さながらランプの灯りに照らされていたのである。
 このような想起のうずまく混沌とした状態は、きまって数秒しかつづかなかった。多くの場合、いっとき自分のいる場所が不確かなので、その元凶であるさまざまな推測のひとつひとつも区別できなかった。それはキネトスコープなる映写器で馬が走るのを見ても、つぎつぎと提示されるコマをひとつずつ取り出せないのと同じである。それでも私は、これまでの生涯で住んだ部屋を、あるときはひとつ、またあるときはひとつと想いうかべ、目覚めにつづく長い夢想のあいだについにはすべての部屋を想い出したのである。

(原注)キネトスコープ=一八九一年、エディソンが発明。映画の先駆的形態。箱のなかを覗くと連続写真の映像で対象の動きが再現された。

 


 眠れない夜に、次々と想起される断片的なイメージ。その一コマ一コマに、幸福な時間が詰まっている。けれども、それをしっかりと捉え、味わうことができない。

 「キネトスコープ」に次々と提示されるコマをひとつずつ取り出せない、という比喩は見事だ。

 

 

 

 


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「失われた時を求めて」を読む 3 「快感」のありか、そして「思い出」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その3

2023-05-31 15:46:15 | 「失われた時を求めて」を読む

「失われた時を求めて」を読む 3 「快感」のありか、そして「思い出」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その3

2023.5.31


 

 ときには寝ているあいだにおかしな姿勢となった私の股(もも)から、アダムの肋骨からイヴが生まれたように、ひとりの女が生まれることがあった。いまにも味わおうとする快感からつくり出された女なのに、その女が私に快感を与えてくれていると想いこむ始末である。身体のほうは、私自身のほてりを女の身体のほてりと感じて、それと一体になろうとするが、そこで目が覚める。今しがた別れたこの女と比べると、ほかの人間がずいぶん縁遠い存在に思えるのも当然で、私の頬はいまだ女の接吻にほてり、身体は女の胴体の重みでぐったりしていた。ときにその女が実際に知っている女性の目鼻立ちをしていようものなら、なんとしてもその女を探し出そうとやっきになる。旅に出て念願の都市をこの目で見れば、夢の魅力が現実に味わえると想いこむ人と同じである。すこしずつ娘の想い出も消えてゆき、夢に出てきた娘のことはもう忘れている。

 


 初めて読んだのは、井上究一郎の訳で、この最初の部分は「ときには睡眠の途中で、あたかもアダムの肋骨からイヴが生まれたように、一人の女が私の腿の寝ちがえの位置から生まれてきた。」とあったので、どう解釈していいのか戸惑ったものだ。「私の腿の寝ちがえの位置」とは何なのか? とずいぶん悩んだ。首が「寝違える」ことはあるけれど、腿(もも)が寝違えるなんてありえない。とはいうものの、今朝、起きたら、膝が「寝違えた」らしくて、ものすごく痛くて歩けないほど。しばらくして治ったけれど、まあ、そういう「寝違え」は、あるよね。でも、それじゃ、痛いだけで、「快感」にはほど遠い。

 それが、今回読んでいる吉川一義の訳では、「おかしな姿勢となった私の股(もも)」となっていて、あっさり疑問氷解。

 井上訳では「もも」を「腿」と表記しているが、吉川訳では「股」としている。原語がなんであるのか分からないので、悲しいが、「腿」はどちらかというと「もも」から「あし」にかけてを指すし、「股」は「もも」とも読むし、「また」とも読む。つまりは、井上訳では、なんとなく、膝の周囲をイメージさせるのに対して、井上訳では、「また」に近い部分をイメージさせる。つまりは、井上訳のほうが分かりやすいということだ。

 夢の中で、寝返りをうっているうちに、「また」のあたりが、むずむずと快感を感じてきたのを、「ひとりの女が生まれてきた」と例えたわけだ。これが「膝あたり」だと、痛いだけになってしまう。

 それにしても、「アダムの肋骨からイヴが生まれたように、ひとりの女が生まれることがあった。」という表現は二重の比喩になっていて、巧みだ。「アダムの肋骨からイヴが生まれたように」という直喩は、ストレートに、「性の起源」を示し、「ひとりの女が生まれてきた」という暗喩は、快感というものの不思議さを示している。

 夢の中で、「わたし」と「おんな」は、体を重ね、「わたし」は快感を味わうのだが、やがて味わっている当の身体は、「わたし」か「おんな」か判別がつかない状態となるという。そういうわけのわからない感覚が、夢にはあって、おもしろい。


 人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う恰好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヵ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない。

 


 ここの最初の部分は、今度は、井上訳のほうがいい。こうなっている。


眠っている人は、時間の糸、歳月や自然界の秩序を、自分のまわりに輪のように巻きつけている。

 


 ずいぶん雰囲気が違うなあ。吉川訳は、「手放さずにいる」となっているところを、井上訳では「輪のように巻きつけている」となっている。こういうのは、やっぱり原語で確かめたいものだが、「時間の糸」を「手放さない」という能動性より、「巻きつけている」のなんとなく受動性が勝っているほうがいいように思う。なんだか、こっちのほうが、蚕の繭みたいなイメージで魅力的だし。

 まあ、吉川訳に従おう。起きている間は、ぼくらは時間の糸を基本的には手放さない。つまりは、時間の流れにそって正確に過ごしている。もっとも、ぼくの場合、ときにぼんやりして、自分のいる場所や時間を忘れてしまうこともあるが、まあ、それも、いっときのことだ。しかし、プルーストによれば、人間は、寝ているときも、その「時間の糸」を手放さないのだという。だから、眠りの中でも、いつも自分がいつの時間を生きているのかを把握しようと努力する。けれども、それが大混乱してしまうこともある。

 この引用部分のさいごのくだりは、H・Gウェルズの「タイム・マシン」を踏まえたものだと「注」にある。プルーストは、1871〜1922、H・Gウェルズは、1866〜1946だから、なるほど同時代人なのだ。こういう「注」が充実しているのが、岩波文庫版の特徴だ。ありがたい。

 プルーストが「タイム・マシン」に関心をもったのは当然のことで、「失われた時を求めて」は、全編が「タイム・マシン」への憧れに満ちているともいえるわけである。

 

ベッドで寝ていても、眠りが深くなり、精神が完全に弛緩すると、それだけで精神は寝入った場所の地図を手放してしまう。すると夜のただなかに目覚めたとき、自分がどこにいるのかわからないので、最初の一瞬、私には自分がだれなのかさえわからない。私は、動物の内部にも微かに揺らめいている存在感をごく原初の単純なかたちで感じるだけで、穴居時代の人よりも無一物である。しかしそのとき想い出が── 私が実際にいる場所の想い出ではなく、私がかつて住んだことがあり、そこにいる可能性があるいくつかの場所の想い出が──まるで天の救いのようにやって来て、ひとりでは脱出できない虚無から私を救い出してくれるのだ。かくして私は、何世紀にもわたる文明の歴史を一瞬のうちに飛びこえるのだが、すると、ぼんやりとかいま見た石油ランプや、つぎにあらわれた折り襟のシャツなどのイメージが、すこしずつ私の自我に固有の特徴を再構成してくれるのである。

 


 夜中に目覚めたとき、自分が誰だから分からなくなるというような体験をぼくはしたことがないが、プルーストは何度もしたのだろう。そのとき、「私は、動物の内部にも微かに揺らめいている存在感をごく原初の単純なかたちで感じる」というのだ。なんとも、魅力的な部分。もしも、ぼくらが、ゾウリムシなんかの「存在感」を「原初の単純なかたち」で感じることができたら、どんなにおもしろいだろう。

 深い眠りの中で、精神が弛緩してしまうと、目覚めたときに、自分が何ものであるか分からなくなってしまい、一匹の動物でしかなくなってしまう。その「絶望的」状況から、自分の精神を救ってくれるのは、「思い出」なのだ。そう「思い出」こそが、自分を「構成」しているのだ。

 こうして読んできて、つくづく思うのは、「自分」というのはいったい何なのだろう? ということだ。こんなことは、さんざん言い古されてきたことで、今更問うべきことではないのだろうが、しかし、たとえば、50年まえの自分と、今の自分が、「同じ人間」であるという確証は、どこで得られるのかといえば、やっぱり「思い出」にしかないということになるだろう。

 

 

 


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「失われた時を求めて」を読む 2 不眠の夜 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その2

2023-04-27 10:25:36 | 「失われた時を求めて」を読む

「失われた時を求めて」を読む 2 不眠の夜 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その2

2023.4.27


 

 私は両頬をそっと優しく枕の美しい頬におしあてる。枕はふっくらとみずみずしく、まるでわれらが少年時代の頬のようだ。マッチをすって、懐中時計をみる。やがて夜中の十二時だ。それは病人が、やむなく旅に出て知らないホテルに泊まるはめになり、発作で目覚めたとき、ドアの下に一筋の光を認めて嬉しくなる瞬間である。ああ、よかった、もう朝だ! しばらくすれば使用人も起きてくるので、呼び鈴をならせば、助けに来てくれるだろう。楽になれると思うと、苦痛に耐える気力が湧いてくる。はたして足音が聞こえた気がする。足音は近づき、ついで遠ざかる。そしてドアの下に見えていた一筋の光は消えてしまう。じつは真夜中で、ガス灯を消したところなのだ。最後の使用人も立ち去り、一晩じゅう、手当も受けず苦しまなくてはならない。

 

 不眠の夜は、文学者にとって、いわば「必須」であるかのようだ。

 不眠とはほとんど無縁のぼくにしても、一年に何度かは、なかなか眠れない夜もある。その時、暗やみの中に聞こえる、たとえば、新聞配達のカブのエンジン音、始発の京急電車の走りぬける音などは、なぜか一種の「安堵感」を呼び起こす。病人でなくても、なぜか、ほっとするのだ。それほど、夜というものは、得体の知れない、不可知の領域のものなのかもしれない。

 プルーストの語るこの不眠の夜の苦しみは、ぼくの中では、とうぜんのように、リルケの「マルテの手記」の冒頭の部分を呼び起こす。

 「マルテの手記」の刊行は、1910年、「失われた時を求めて」の「スワン家のほうへ」の刊行は1913年だから、ほぼ同時代。プルーストは「マルテの手記」を読んでいたのだろうか。

 


 窓をあけたままで眠らなければならないのが閉口である。電車がベルを鳴らして轟々と部屋を通りぬける。自動車が僕の寝ている上を走り去る。どこかでドアが大きな音でしまる。どこかで窓ガラスが割れて落ちる。その大きな破片がからからと笑い、小さな破片が忍び笑いをする。そして、不意に反対の方角からうつろなこもった音が家の内部で聞こえる。だれかが階段をのぼって来るのだ。いつまでものぼって来る、来る。僕の部屋の前へ来た。いつまでも前に立っていて、そして、通りすぎる。そして、再び街路だ。娘の甲高い声がする、「いいえ、お黙り、もうたくさんよ。」電車が血相を変えて走って来て、娘の声をひいて走りすぎる。すべてをひきつぶして行く。だれかが叫んでいる。人々が走って行き、足音が入り乱れる。犬がほえる。なんという喜びだろう、犬だ。夜明け近くには鶏さえも鳴いて、なんともいえない安堵をおぼえる。そして、僕は不意に眠りこむ。

(リルケ「マルテの手記」岩波文庫版・望月市恵訳)

 


 こちらは、パリでの経験を書いているようだから、ぐっと都会的な猥雑な世界だ。けれども、「安堵」は、同じように訪れる。

 リルケは、「夜の物音」を列挙しながら、更に、「もっと恐ろしい音」について語る。

 

 これは夜の物音である。しかし、そういう音よりももっと恐ろしいものがある。それは静けさだ。大きな火事のときにも、同じようにひっそりとして緊張の極に達する瞬間がときどきあるようだ。ポンプの噴出がやみ、消防夫ははしごをのぼるのをやめ、だれもが息をひそめてたたずんでいる。頭上の黒い蛇腹が音もなくせり出し、高い壁が、立ちのぼる火柱の前で黒々と音もなく倒れ始める。だれも息をひそめ、首をちぢめ、仰向いて目をむきながら立ち、すさまじい結末を待っている。この都会の静けさはそれに似た静けさである。

 


 都会の夜の「静けさ」が孕んでいるもの。それはおそらく「死」だ。リルケは、この後、「死」について長く語っていく。

 いっぽう、プルーストは、この夜について、「夢」について、緻密に書き続ける。

 


 ふたたび眠りこむと、ときおりいっとき浅く目覚めることはあっても、それは羽目板がひとりでにきしむ音を聞いたり、目を開けて暗闇の万華鏡を見つめたり、意識に一時的に射した薄明かりを頼りに、すべての家具が、つまり寝室全体が眠りこけるのを味わったりする時間にすぎない。私にしても、そうして眠る一切のほんの一部にすぎないから、すぐにその無感覚の世界に舞い戻り、それと一体になる。あるいは眠っているうちに、永久にすぎ去ったわが原始時代に苦もなく戻ってしまうことがあり、幼稚な恐怖のあれこれに身をすくめる。たとえば大叔父に巻き毛をひっぱられる恐怖などは、巻き毛が切り落とされた日に──私にとっては新たな時代のはじまりの日に──雲散霧消していたはずである。ところが眠っているあいだはこの事件のことを忘れていて、大叔父の手から逃れようとしてようやく目が覚める。すぐにその事件は想い出すのだが、それでも念のため、頭をすっかり枕でおおってから夢の世界に戻るのだ。

 


 不眠といっても、まったく目が冴えているわけではなく、そこに浅い眠りが混じりこみ、いわば「夢うつつ」の状態となる。そうした「夢の世界」へ、プルーストは入り込んでいくのだ。

 「私にしても、そうして眠る一切のほんの一部にすぎないから、すぐにその無感覚の世界に舞い戻り、それと一体になる。」という部分は、注目に値する。
部屋の中の一切の家具は眠りこけ、自分も、その家具の一部にすぎない、という感覚。個人的な肉体が解体し、「自分」がなにかおおきなものと一体化するという感覚は、先日読んだばかりの山野辺太郎の小説「こんとんの居場所」にも出てくる。山野辺の場合は、睡眠ではなくて、あくまで覚醒時の体験として語られるのだが、それがそのまま壮大な「夢」あるいは「荘子の夢」につながっていくわけだが。

 こうした夢の世界で、「私」は、苦もなく「永久にすぎ去ったわが原始時代」に戻ってしまう。「永久に過ぎ去った」とはいえ、それは消滅したわけではない。それはぼくらの意識の深層(?)に、体積しているのだろう。それも、死んだ化石としてではなく、生き生きとした、いわば生命体として。それは、何かをきっかけにして、意識の表層に浮上してくる。あるいは、意識を覆ってしまう……。

 不眠の夜がもたらす「恩恵」は限りなく豊かだ。

 

 

 


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