木洩れ日抄 106 締めくくり
2023.8.28
平野謙は、「わが戦後文学史」の「はしがき」をこんな風に書いている。これを平野が書いたのは、昭和41年(1966年)のことだ。ちなみに、平野謙は、昭和53年(1978年)に亡くなっている。70歳だった。
戦後二十年間の歳月がとびさったことは、恩えば夢のような事実である。ほとんど戦慄的な事実だ。まだ一カ月にならぬから、つい先だってといってもいいわけだが、私は五十八回の誕生日を迎えた。もう二年たつと、私は還暦を迎える勘定になる。これも戦慄的な事実である。二十年前のいまごろ、私は故郷にあって島崎藤村論の原稿を書きついでいたか、書き終えていたはずだが、《近代文学》創刊号のために執筆していた自分のすがたを思うと、つい昨日のような気がする。しかし、あれから確実に二十年の歳月がすぎさったのである。そして、私自身も確実に変ってしまった。思いもよらぬ変りかたともいえるが、また、かくなり果つるは理の当然ともいえる。その歳月の意味をもう一度私なりに追体験することは、わが貧しい生涯の締めくくりとして、まんざら無意味でもあるまい。これからあとどれだけ生きられるか、とにかく死がそんなに遠くない地点までやってきている今日ともなれば、そんなことでもするより、私一個としてはもはや締めくくりようもないのである。
わが貧しい生涯と書いたが、単なる修辞として、私は書いたのではない。ほとんどジダンダ踏む思いで、私は書くのである。昨今、しきりに思うことだが、小人珠をいだいて罪ありというような言葉にひっかけていえば、小人珠をいだいて罪なしというのがおれの生涯じゃなかったか、という気がする。これだけでは他人に通じにくかろうが、私のうぬぼれもこめて、そんな気がする。無念である。そこで、せめて我流戦後文学史でも書きのこしておこうか、ということにならざるを得ない。では、どんなふうに書くか。小説でいえば私小説ふうに書く。それよりない。つまり、この私が主人公となるわけである。自己中心の戦後文学史。江見水蔭にもそんな文学史があったはずだが、私もあのテでゆくしかない。ただし、私自身を主人公にするといっても、この貧弱な私をことごとく正面に押したてるという意味ではない。私の興味のある、私の関心をひく戦後文学の現象を、もう一度追体験してゆく、というほどの意味である。すべての文学現象にまんべんなくつきあって、客観的に精確な戦後文学史を書きあげるのではない、というくらいの意味である。それ以外に、目下のところ具体的なプログラムはない。
この文章をつい最近、つまり、73歳も残りわずかとなった最近読んで、「戦慄した」わけではないが、いたく共感した。といっても、戦後を代表する文芸評論家の述懐にぼくのごとき者が「共感した」というのもおこがましいが、共感したんだからしょうがない。
平野は、「戦後二十年間の歳月がとびさったことは、恩えば夢のような事実である。」というが、ぼくの場合は、「生誕73年の歳月がとびさったことは、恩えば夢のような事実である。」としかいいようがない。そして、「もう4年経つと、喜寿を迎える勘定になる。これも戦慄的な事実である。」といったアンバイである。
平野の場合は、これはもうれっきとした文芸評論家であり、名をなした人であるから、いくら「貧しい生涯」だと言っても、彼がそう思っているというだけのことで、ハタではそうは見ないから、ヘタをすれば、嫌みになってしまうところだが、案外素直に読めてしまうというのも、ことの「大小」はともかくとして、人間が自分の生涯を振り返ってみて、「貧しい生涯だった」と思わないほうがよほど変わっているからであって、それゆえ、平野の思いには普遍性があるのである。
それでも、平野の場合は、「自己中心の文学史」なんぞを書けるだけ、「貧しさ」も「ちゅうくらい」なのであって、それと比較するのもおろかなことだが、ぼくの場合は、何にも書くことがない。「自己中心の○○」の○○にあたるものが何にもない。あるとすれば「自己中心のぼく」だけであって、それじゃ意味がない。ぜんぜん意味がないわけじゃないけれど、限りなく意味がない。
しかし、お前のこれまで書いてきた「エッセイ」とかいうヤツは、まさに、「自己中心のぼく」でしかなかったじゃないかと突っ込まれれば、ハイと答えてしょんぼりするしかないわけである。
だから、ここだけは平野と同列に、「ほとんどジダンダ踏む思いで、私は書くのである」し、「小人珠をいだいて罪なしというのがおれの生涯じゃなかったか、という気がする」わけである。「小人珠をいだいて罪あり」というのは、「身分不相応なものを持ったために災いを招いてしまうというたとえ。」ということであって、したがって、「小人珠をいだいて罪なし」というのは、「せっかく身分不相応なものを持っていたのに、災いも招くまでもなく無駄に過ごしてしまった」というほどの意味になるだろうか。
昨今の、さまざまな実業家や政治家の「不祥事」を見るにつけても、「小人珠をいだいて罪あり」の感を免れないが、それでも、せっかくの才能を「有意義に」使ったからこその「不祥事」であるわけで、まあ、「罪なし」で、出世したり、金持ちになるヤツなんてそうそういないだろうから、それはそれとして、「貧しい己」を顧みるにつけても、自分が「小人」であることは間違いないとしても、果たして抱いていたのは「珠」と呼ぶにふさわしいものであったかは、はなはだ疑わしい。平野流に「うぬぼれをこめた」としても、「何か珠らしきものはもっていたはずだ」と思うのが精一杯で、その精一杯をもってしても、「罪なし」であることは疑えない。平野にならって言えば「無念である」。
平野謙は、「わが戦後文学史」を書いて、人生の「締めくくり」としたわけだが、さて、ぼくの場合、何をもって「締めくくり」とすればいいのだろうか。見当もつかない。見当もつかないということは、結局「締めくくる」ほどの人生でもないということだろう。あるいは、「締めくくる」ことができないほど、バラバラでとりとめもない人生であったということだろう。まあ、人生、終わったわけじゃないから、いそいで「締めくくる」ことなどないのだが。