日本近代文学の森へ 241 志賀直哉『暗夜行路』 128 生まれたての赤ん坊 「後篇第三 十七」 その3
2023.4.10
着物を着更え、湯殿へ顔を洗いに行こうとした時に、看護婦が、「奥様がお眼覚めでございます」といいに来た。
直子は仰向けのまま上眼使いをして、縁から入って来る彼を待っていた。その疲れたような血の気のない顔を謙作は大変美しく思った。
彼は枕元に坐ったが、いう言葉が見出せず、
「どうだい」と無雑作にいった。
直子は静かにただ微笑した。そして静脈の透いた蒼白い手を大儀そうに出し、指を開いて彼の手を求めた。彼はそれを握りしめてやった。
「苦しかったか?」直子は上眼で彼の眼を凝(じ)っと見詰めたまま、微(かす)かに首を振った。
「そう。それはよかった」
そういう直子が謙作には堪(たま)らなくいじらしかった。彼は頭をなぜてやりたい衝動を感じた。そして握った手を解こうとすると、直子はなおそれを固く握りしめて離させなかった。彼は坐り直し、畳に突いていた方の手で頭をなぜてやった。
「どんな児?──いい児?」直子は疲れから低い声でいった。
「まだよく見ない」
「眠っているの?」
「うむ。──あなたもまだ見ないのか?」
直子は点頭(うなづ)いた。
相変わらず緻密な描写だ。握った手を離そうとしても、直子が離そうとしないので、「彼は坐り直し、畳に突いていた方の手で頭をなぜてやった。」とある。つまり、片方の手は直子の手を握ったまま、もう一方の手で直子の頭をなぜてやった、というのである。
「直子はなおそれを固く握りしめて離させなかったので、もう片方の手で頭をなぜてやった。」と書いたとしても意味は同じだ。しかし、「彼は坐り直し、畳に突いていた方の手で」と書くことで、謙作が片手を畳について座っていたこと、その姿勢が直子の方に傾いていたために、握った手を離さないまま、頭をなぜるには、坐り直す必要があったことが分かる。そんなことが分かったところで、何になるかと言われれば、この謙作の体の動きに、謙作の体温や息づかいが感じられるのだと言っておこう。
そして、考えてみれば当たり前のことだが、直子の寝ている部屋が、自宅の和室であることがくっきりと分かる。今の感覚で、ぼんやり読んでいると、ベッドに寝ているように錯覚してしまいそうだが、この描写で、あ、そうだ、これは大正時代の話なんだと気づくわけである。
なんだ、そんなこと、わざわざ気づくことでもないじゃないかと思われるかもしれないが、ぼくは、ふと、昨今のAIによる小説創作のことを思ったのだ。「大正時代・出産・若い父・若い母・父の暗い過去・無邪気な母」などとキーワードを入れて、さて、小説を書けといったら、どんな小説が出来てくるだろうか。それらしい小説は出来るかもしれないが、このような描写が果たして生成されるだろうか。
進歩の著しいAIのことだから、この先の予測はつかないけれど、小説は──文学はといってもいいが──一人の人間の「肉体」から生まれるものだから、AIにはこういう描写は無理に違いないと思う。ここでぼくが言う「肉体」というのは、一人の人間が何十年という時間を生きてきて、その記憶の層が古い池の底の泥のように堆積しているところの「肉体」という意味だ。
AIが進歩して、もしこの「暗夜行路」のような小説が書けるようになったとしても、逆にそこに生成されるであろう「肉体」に、ぼくらはどんな興味を持ったらいいのだろう。まあ、思いは尽きない。
「御覧になりますか?」と傍(わき)から看護婦がいった。そして返事を待たず、屏風を除(の)け、被(かぶ)せたガーゼを取ると、割りに手荒く(と謙作には感ぜられた)蒲団を引き寄せ、直子の床にそれを附けた。
真赤な変に毛深い顔で、頭の先がいやに尖り、それに長い真黒な毛がピッタリとかぶさっていた。眠った眼の丸く腫上っているのも気味悪かった。謙作はこんな赤児を初めて見るように思い、ちょっと失望した。
「男だからいいようなものの、少し変な顔だな」と彼は笑った。
「どんな赤さんでも初めは皆そうでございますわ」看護婦は謙作の言葉を非難するようにいった。
赤児は指でも触れたら、一緒に皮がむけて来そうな唇(くちびる)を一種の鋭敏さをもって動かしていたが、それを開けると、急に顔中を皺(しわ)にして泣き出した。直子は首だけ其方(そっち)へ向け、手を差し延べて、産着のふくれ上った肩を指で押し下げるようにして見ていた。その眼が如何にも穏かで、そしてそれは如何にも、もう母親だった。
「これが本統に変でなくなるかね」謙作には父らしいといえるような感情はほとんど湧いて来なかった。
「今お顔が腫れていますが、それが干(ひ)けると、それはお可愛くなりますよ。立派なお顔立ちでございますわ」そう看護婦がいった。
「そうですか、そんならまあ安心だが、このまま大きくなられた日には大変だからね」
謙作はいくらか快活な気分になって、「奈良の博物館に座頭か何かの面でこういうのがあるよ」こんな串戯(じょうだん)をいったが、直子も看護婦も笑わなかった。そして、茶の間で膳拵(ぜんごしら)えをしていた仙の「旦那さんの、まあ何をおいやす」といって笑う声がした。
「色んなとこ、電報、まだだろう?」
「ええ」
「そんなら直ぐ打っておこう」そういって、謙作は直ぐ二階の書斎へあがって行った。
出産直後の赤ん坊を見て、ああ、かわいい! と言いながらも、なんだサルみたいだなあとちょっとガッカリするということはよくあることだし、ぼくにしても、二番目の子どもが生まれたとき、産室から看護婦さんだったか、医師だったかが、赤ん坊の両足を持ってぶら下げて、見せてくれたときは、おおきなハムみたいだなあと思って笑ってしまったような覚えがある。生まれた時から、美男・美女というような赤ん坊はマレであろうし、いたとしても、光源氏ぐらいなものだろう。(何しろ、光源氏は、その「光」という名前(あだ名)が、生まれたときに玉のように光り輝いていた、というところに由来するのだ。)
しかしだ。この謙作の心の動きと言動は、さすがに、どうなんだろう。直子を見初めたときには、「鳥毛立女屏風の女」みたいだと繰り返し言っていたのに、自分の子どもが「奈良の博物館に座頭か何かの面」みたいだと言葉にするのは、冗談にしても笑えない。直子も看護婦も「笑わなかった」のも当然だ。当然なのに、謙作自身は、それに不服のような書きぶりで、その微妙すぎる空気を一挙に和ませるのは、例の女中の「仙」である。「仙」の名脇役ぶりは毎度のことながら水際立っている。
しかし、それはそれとして、「真赤な変に毛深い顔で、頭の先がいやに尖り、それに長い真黒な毛がピッタリとかぶさっていた。眠った眼の丸く腫上っているのも気味悪かった。謙作はこんな赤児を初めて見るように思い、ちょっと失望した。」という一連の描写は、やはり異常だ。どこかに嫌悪の匂いが漂っている。
普通の父親なら、赤ん坊がどんなに皺だらけでも、ハナペチャでも、せいぜい「これじゃサルじゃないか」といって、笑いながらも、限りないいとしさに涙ぐむだろう。そういう、いわば「突き抜けた愛情」のようなもの、「根底的な暖かさ」のようなものが、ここの謙作には微塵も感じられない。それを見逃すわけにはいかない。
これが、次の章になると、この赤ん坊が、「どうも自分の子どものような気がしない」という思いにつながっていく。ここにも、謙作自身の出生の秘密が暗い影を落としているのだろう。