バンカ島看護婦虐殺事件生存者の証言
結局、ヴァイナー・ブルック号に乗ってシンガポール港を出航した65名の豪州従軍看護婦のうち12名は海岸にたどりつけず溺死し、ラジー海岸で21名が銃殺された。そして32名はスマトラ島のパレンバンに送られるまでムントクの抑留所に入れられたのである。下記は、バンカ島看護婦虐殺事件唯一の生存者であるヴィヴィアン・ブルヴィンケルさんの証言である。
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兵士たちが戻ってきたとき私たちには男たちがどうなったのかすぐに想像がつきました・・・ 兵士たちは銃剣についた血をふき取りながら戻ってきたからです。私たちは今度は自分たちがどうなるのか悟りました。そのとき同僚の看護婦の一人が、自分が最も嫌いな二つは海と日本人、今その二つに挟まれてしまったわ、と言ったのを私は覚えています。私たちはそれまでずっと座っていましたが、>立ち上がるように命令され、その次には海に向かって歩くように命令されました。私たちはしかたなく命令に従いました。私たちが腰の深さまで海に入ったときです。日本兵たちは機関銃を私たちの背後から撃ち始めました。私は腰の左端を撃たれました。銃弾が貫通しましたが、そのとき私はどこを撃たれたのかわかりませんでした。いったん撃たれたらもうそれでおしまいと思っていました。銃撃と波の両方の力で私は海水の中に打ち倒されました。打ち倒されたとき、海水をいやというほど飲み込んでしまいました。猛烈な吐き気をもよおして立ち上がり、まだ生きている自分に気がつきました。しかしすぐに日本兵が私が嘔吐しているのを見るかもしれないと気づき、吐くのをなんとかがまんして横になったままでいるようにしました。どのくらい長くそうしていたかわかりません。思い切って立ち上がってみたときは、もう誰もいませんでした。同僚はみんな波に流されてしまい、日本兵も海岸には一人もいませんでした。本当に誰もいなくなり、私だけでした。私は急いで海から上がり海岸を横切ってジャングルの中にひそみ入りました。
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その後、ブルヴィンケルさんは銃剣に傷つきながらも一人だけ奇跡的に生き延びた英国兵キングスレー二等兵と遭遇し、傷の手当てをしながら10日あまりジャングルの中に隠れていた。しかし、そのままジャングルの中に隠れていることもできないと考え、生き残ったことを悟られないようにしながら、再度日本軍に投降したのである。
「知られざる戦争犯罪-日本軍はオーストラリア人に何をしたか-田中利幸著
(大月書店)より
あまり知られていない戦争の事実をまとめているジョージ・ダンカン氏のホームページに(Sister Bullwinkle died in Perth, Western Australia, in 2000,aged 84)とあった。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
http://homepage3.nifty.com/pow-j/j/j.htm