真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

サハリン残留韓国・朝鮮人問題

2008年03月04日 | 国際・政治

  大戦末期の日本は、物資の不足や人員の消耗が激しく、労働力の不足を補う必要に迫られた。そこで最初は「募集」の形式を取っていたが(募集方式の集団連行と呼ばれる)、とても間に合わず「官斡旋」「徴用」と公権力の暴力的行使に頼る方向に人員確保の方法を移行させながら連行を繰り返した。そして、多くの朝鮮人を樺太に送り込み、極寒の地で石炭生産や鉄道敷設、道路工事などの過酷な労働に従事させた。ところが日本人(皇国臣民)として連行し、自由を与えず強制労働をさせておきながら、戦後の引揚げの時には、「日本人とその配偶者および子どもに限る」として、およそ四万三千名の韓国・朝鮮人を引揚げ対象から外し、サハリンに放置したのである。国籍問題については、1987年4月28日付けで、ソ連赤十字社のベネディクトフ総裁が日本赤十字社社長に宛てた書簡の中に、次のような表現があるという。
----------------------------------
 1945年から1948年にかけて、日本国籍者の日本人は日本に引揚げて行きましたが、朝鮮人については、日本当局は、ポツダム宣言の条文を引用して、以後日本公民とみなさないように公式に要請してきました。その結果、朝鮮人は無国籍者として定住すべく残留しました
----------------------------------
 ということは、日本政府の論に従えば、韓国籍に戻っていない人たちは日韓条約による請求権放棄の対象ではないことになり「補償」の対象であるはずであるが、それもなされていない。引き揚げの対象から外すだけではなく、無国籍となった韓国・朝鮮人を補償の対象からも外しており、まさに棄民である。サハリン残留韓国・朝鮮人の方々の怒りはいかばかりかと恐ろしくなる。
 このサハリン残留韓国・朝鮮人問題の本質は、この問題に取り組む高木健一弁護士の体験に象徴的に現れていると思われるので、「サハリンと日本の戦後責任」高木健一(凱風社)より、ここに抜粋したい。

「父をかえせ」「夫をかえせ」----------------------
 ・・・
 私は、1981年以後毎年のように8月15日には、韓国・大邱市で開かれる中蘇離散家族会の総会に参席するようにしている。そこで、日本での問題の進展ぶりを報告するためにである。しかし、日本政府と日本人に対する非難と糾弾の叫びが渦巻く会場の中で、遅々とした問題の展開ぶりを 日本人の一人として報告せざるえを得ないのは、もとより覚悟しているとはいえ、辛いことである。もちろん、その場のほとんどの人々は、温かく迎えてくれ、当方の努力をそれなりに評価してくれている。とはいっても、毎年必ず一人か二人、身内の不幸や取り返しのつかない半生の鬱憤をぶつけてくる人が現れる。
 1984年12月、日弁連の桃尾弁護士と私が大韓弁護士協会からの招請によりソウルでサハリン残留韓国・朝鮮人問題について講演したことがあったのだが、その時のことである。講演に参加していた離散家族会の役員の一人が突然立ち上がり、お前たち日本人は私の父を連行したまま返さない」「信用できない」と、口を極めて非難し始めた。司会役の韓国の弁護士会会長が、「この人たちは、その解決を図るために努力しているのだから」と取りなそうとしても、もうだめなのである。
 その翌年の離散家族会の総会で再会した際、本人は、この間は興奮して失礼なことをしたと、私に謝っていた。ところが、その後、同会の役員の一人として、李斗勲会長らと来日した
際、東京の外人記者クラブで、「アジアにたいする戦後責任を考える会」の大沼保昭東大教授と私が記者会見している最中に、突然持参していたカミソリで自分の指を切り、白い布に「日本は私の父を返せ」とハングルで血書し、居合わせた多くの外国人記者を驚かせた。
 1987年の中蘇離散家族会総会では、ある中年の男性が、私の手を強く握りしめながら、自分の父は最近サハリンで死んでしまった、なぜ早く解決しなかったかと非難をし始めて、周囲の人が説得しても、私の手を強く握りしめて離さないのだ。
 88年の総会では、会場のすぐ外でそこにいた人たちからそれぞれ事情を聴取していたところ、一人の婦人が近寄ってきて、突然、「私の夫もきれいな背広を着た日本人に連れていかれた。お前もそんな背広を着て、きれいなことを言うが、日本人はみんな信用できない」「私の夫は死んでもう戻ってこない、どうしてくれるか」と、延々と追及を始めた。まさしく「恨み」を嘆く「身世打鈴(シンセーターリョン)」なのである。周囲の人たちもその話を聞くばかりで間に入ろうとしなかったし、私自身も下手な韓国語ではこちらの気持ちがわかってもらえると思わないから、何もできないで困惑するばかりなのであった。

          http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
        

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする