ノモンハン事件は中国では「ノモンハン戦争」と呼ばれ、モンゴルやロシア(ソ連)では「ハルハ河戦争」と呼ばれているということであるが、双方から十三万以上の兵員、千両以上の戦車や装甲車、八百機以上の戦闘機が集結された戦いであり、下記のような損耗があったということであれば、日本のノモンハン「事件」という呼び方には疑問の残る、あまりにも本格的な戦いである。
ノモンハン事件の損耗については、日本側は公式に22000人と認めている。しかし、ソ連の歴史記録上では日本軍の全損耗を61000人と述べてきた。ワルターノフ(ソ連戦史研究所研究部長)は、それは国防人民委員部の指示やイデオロギー的宣伝であろうというが、それでも、彼は公文書の調査の結果38000人程度という。日本側の公式発表とは大きな差がある。問題はその差である。日本軍とともに戦った満州国軍と興安軍の損耗が、日本側公式発表には全く含まれておらず、ワルターノフ氏の調査には含まれれているために、大きな差があるとすれば、日本側公式発表は修正する必要があるのではないかと思う。さらなる調査研究が待たれるわけであるが、幸いノモンハン事件に関しては、日本とロシア(ソ連)およびモンゴルのノモンハン事件敵味方三者の会合が繰り返されており、様々な問題解明の努力が続けられている。下記は「ノモンハン・ハルハ河戦争」国際学術シンポジウム全記録・国際学術シンポジウム実行委員会編・代表田中克彦(原書房)からの抜粋である。
ノモンハン戦の損耗-------------------------
ワルターノフ大佐が事前に提出した損耗問題に関するトーキングペーパーは、ウランバートルシンポジウムで、日本側が求めた回答としての調査報告である。
ソ蒙軍の損耗は、ノモンハン戦直後のタス発表によると、戦死300~400人、負傷900人であった。ところが、1960年代に突然戦死者9284人という政治的発表が行われた。このため現在は日本側の論説とか、百科事典に至るまで、この数字をソ蒙軍の損耗として正式にとりあげている。
その後1980年に入って、ソ連側は戦死傷者数1万7千余人と発表、ウランバートル・シンポでも約18000人と発表した。ワルターノフ大佐は、今回その細部を発表し、ソ蒙軍の損耗を戦死3281人、戦傷15386人、行方不明154人、捕虜94人、全損耗は18815人、モンゴル軍の損耗は戦死165人、負傷401人、計566人、したがって、全損耗は19384人と発表した。この数字には、日本側で計算する戦病死は加算されていない。
ワルターノフ大佐の実動日本軍総兵力と損耗については、過去にソ連が発表した61000人がイデオロギー的宣伝であることを認めている。しかし今回同大佐が公文書館資料などから計算した結果、正確な確定はできないとして、だいたい
38000人程度をあげている。
これは、日本側が発表している(第6軍軍医部)の第2次ノモンハン事件の17405人(戦病死を除く)と比べると、依然として二倍以上の開きがある。
しかし、これについては、われわれも重大な問題を認めなければならない。つまり関東軍は満州国の防衛を目的として戦ったはずであるが、その考え方の中に、満州領域を守るという考えはあっても、満州国民を守るという考えがまったくなかったことだ。その端的な現れが、満州国軍、興安軍など同盟国、どちらかといえば、日本軍のために戦わされた異民族の損耗については、無関係という態度と無計算を続けていることである。南京虐殺問題もそうであるが、異民族に関する損耗計算を無視することによって数的により大きな疑惑を招くということは反省すべきであろう。
しかし、それにしても、ソ連軍が敵兵力を過大に評価し、敵損耗を過大に評価するという伝統的傾向については、より相互的な研究を必要とする。
念のため、ソ連の戦車と装甲車の損耗については、ノモンハン全期間をい通じて戦車175両、装甲車数143輛計318両と別資料で発表されている。(牛島康允)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
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