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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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三光作戦・三光政策'(燼滅・掃蕩作戦)

2008年04月19日 | 国際政治
 「三光作戦」とは、日本軍が中国を侵略した際に行った軍事的・計画的残虐行為に対し中国人が命名したものであるという。中国では「光」という字には「すっかり無くす」とか「徹底して行う」という意味があり、殺光=殺しつくす、焼光=焼きつくす、搶光=奪いつくすの三つを合わせ「三光」として、日本軍の軍事的・計画的な残虐行為を非難する意味を込めて三光作戦・三光政策と呼んだというのである。

 華北一帯に抗日根拠地をもつ中国共産党八路軍のゲリラ活動に手を焼いた日本軍は、この広い地域を無人地帯(無住禁作地帯・無人区)にし、この地域の住民は「集家併村」と称して一定の場所(集団)に囲い込むか、燼滅・掃蕩し、地域住民と密着してゲリラ活動を展開する八路軍を地域住民から切り離すとともに、八路軍とその抗日根拠地の存続を不可能ならしめようと意図したのである。

 集家併村(集団の設置)は、万里の長城線以北の関東軍側が主として先行し実行したようであるが、中国の人々はその集団を家畜同様に扱うところという意味で「人圏」と呼んだとのことである。実際この集団で多くの人が餓死・凍死・病死したという。

 三光作戦は、1940年8月華北の八路軍が「百団大戦」と名づけた攻勢に出て、日本軍の小拠点を占領し、鉄道や炭鉱、通信線などに大きな被害を与えたため、北支那方面軍の第一軍参謀長田中隆吉少将が「敵根拠地ヲ燼滅掃蕩シ敵ヲシテ将来生存スル能ハザルニ至ラシム」と命じて反撃に出たのが端緒であると考えられている。「燼滅目標及方法」として
1.敵及土民ヲ仮装スル敵 2.適性アリト認ムル住民中16才以上60才迄ノ男子(殺戮)
3.敵ノ秘匿シアル武器弾薬器具爆弾等 4.敵ノ集積セリト認ムル糧秣 5.敵ノ使用セル文書(押収携行止ムヲ得ザル時ハ焼却)
6.適性(焼却)

と命令しているのである。

 したがって、岡村寧次大将が北支那方面軍総司令官に就いた、1941年7月には、すでに三光作戦は始まっていたといえるが、就任後ただちに「晋察冀辺区粛正作戦」を発動し、八路軍を危機的状況に追い込んだため、中国側は日本軍・北支那方面軍兵団長会議において、北支那方面軍総司令官岡村寧次が三光作戦を画策したものであるとして、最高責任者は岡村寧次大将としているとのことである。

 国際法で禁じられている毒ガスの使用ももちろん大問題であるが、いわゆる「三光作戦」の最大の問題は、むしろ地域住民に密着してゲリラ活動を展開する八路軍に手を焼いた日本軍が、地域住民(一般民衆)そのものを敵視し、燼滅・掃蕩・剔抉の対象にしたということであろう。

 その犠牲者について、姫田光義氏は「華北根拠地での被害を総計すると少なく見積もっても247万人以上という数字が出てくる。この中には強制連行された人びとのその後の運命はカウントされていない」という。(「三光作戦」とは何だったのかー中国人の見た日本の戦争ー姫田光義 岩波ブックレット

 下記は、元日本軍の小林実氏の証言を「中国侵略の空白ー三光作戦と細菌戦」アジアの声第12集(戦争犠牲者を心に刻む会編)より抜粋したものである。
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 私の部隊は長城線におりまして、中国共産党の八路軍を敵として徹底的に戦った部隊でございます。長城線は万里の長城にありました。長城線の両側に住民の家があったり人が住んでいると、抗日の民兵が「満州」から入ってきたり向こうに出たりして日本軍の作戦の邪魔になります。あるいは八路軍が入って来てそこに拠点を作る。それでは日本軍が統治するのに具合が悪いということで、無住地帯つまり「無人区」を日本軍が設けたのです。
 その地域にある中国人のは、15軒から20軒という小さなまでも全部焼き払っちまったんです。証言にもありましたように、全部家を焼いてしまった上で、日本軍の都合のよい所に、ある程度大きな集団を作りました。その無住地帯・無人区の状況から申し上げます。
 無住地帯は一つや二つ、三つじゃないんです。日本軍が無人区をつくるためにとった作戦は、徹底的にの人たちの家を焼いたり、あるいは壊したりすることです。ある地域のここからここまでと決めた区域は全部家を壊して焼いてしまうという作戦だったものですから、軍隊がみんな行ってただ家を壊すだけでなく、火をつけて焼いてしまいました。その結果住民たちが、自分の着物やら家財道具を持って別のところへ引っ越さざるを得ないんですが、日本軍は、そんなことにはお構いなく、無住地帯にするため人が住んではいけない、家があってはいけないということにして、全部火をつけて焼いちゃったんです。
 黙っていればみんな無住地帯にされ、殺されたりするといことを察知した農民たちは、家や家財道具をそのままにして、どんどんと余所へ逃げ出しました。
 それを知った日本軍は、統治できないところに逃げられては困るからと、軍隊を出して銃で農民たちを押さえ、全員を数珠つなぎに縛って部隊へ連れてきた。そして、その人たちをみんな殺したんです。そういう状況ですから、あちらでもこちらでも日本軍に抵抗した農民やご婦人がいましたが、捕まえてきて全員射殺しました。あるいは、中国には地下に掘った野菜貯蔵庫というのがあるんですが、その中へ捕らえて来た住民を全員手を縛って押し込めて、上から火を付けて、生きたまま焼き殺してしまったんです。
 それでもまだ農民たちは抵抗しました。そして抵抗しながら逃げまわるのを日本軍が捕まえてくると、穴を掘りまして、抵抗した若い農民をその前に座れせて、そして日本軍の初年兵に「人を突く練習だ」、あるいは「人を殺さなかったら戦争にならないんだ」と命令して銃剣で突かせ、その穴に農民を放り込んで、上から土をかけて埋めました。

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 さらに続けて、残虐この上ないことも証言している。
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 特に中国で犯した残虐行為として、中国の城壁がありますが、捕まえてきた中国の人たち、八路軍あるいは抵抗した農民の首を斬り落として、その生首を全部、城壁の上に20も30も並べておいたことがあります。
 その晒された首を見て、殺された人の両親や兄弟には、遠くからでも自分の息子や親戚の人たちの首がどれかわかるので、それを夜ひそかに取りに来るんです。そのことがわかっているから日本軍は銃を持って待ち伏せて、取り戻しに来た人達をみんなその場で射殺しました。
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              http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
          全文と各項目へリンクした一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。  

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