731部隊の撤退は早かった。1945年8月8日ソ連の参戦の何ヶ月も前から家族持ちの部隊員に家族の帰国希望を聴取し、6月にはすでに家族を帰国させていたという。そして、ソ連参戦直後の9日からすぐに証拠隠滅を中心とする撤退準備を開始し、七三一部隊は日本軍の他の部隊より一足早く撤退したのである。この時、多くの満州開拓団の人たちのことなど頭になかったのだろうか。そして、いち早く帰国した軍人たちは、その後の満州開拓団の人たちの悲劇をどのように感じているのであろうか。
撤退準備の第一の課題は、人体実験の証拠を隠すことであったというが、信じがたいのは、そのときロ号棟中庭の七棟と八棟に実験目的で収監されていたいゆる「丸太」の殺害が行われたということである。家族を帰国させる手配をしながら、さらには、撤退準備をしながら実験目的の「丸太」は集められ続けていたのである。そして、その数に驚く。下記は「七三一部隊(生物兵器犯罪の真実)」常石敬一(講談社現代新書)からの抜粋である。
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ハルビン特務機関ロシア語通訳で兵長の金城五郎は1947年7月18日、モスクワで次のように証言している。特務機関というのはスパイ機関で、敵の動静を探ることと、敵のスパイを摘発することが仕事だった。部隊で人体実験されたソ連人を送り込んだのも特務機関だった。「最後の送付は昭和20年8月13日あるいは14日にして其の数は30名以上なりき。尚其以前2~3名宛2回にわたり同部隊に
送付せる事実を余は承知せり」。彼も「実験目的は知らざるも彼等が其の結果として死亡する事は承知」していた。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
撤退準備の第一の課題は、人体実験の証拠を隠すことであったというが、信じがたいのは、そのときロ号棟中庭の七棟と八棟に実験目的で収監されていたいゆる「丸太」の殺害が行われたということである。家族を帰国させる手配をしながら、さらには、撤退準備をしながら実験目的の「丸太」は集められ続けていたのである。そして、その数に驚く。下記は「七三一部隊(生物兵器犯罪の真実)」常石敬一(講談社現代新書)からの抜粋である。
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ハルビン特務機関ロシア語通訳で兵長の金城五郎は1947年7月18日、モスクワで次のように証言している。特務機関というのはスパイ機関で、敵の動静を探ることと、敵のスパイを摘発することが仕事だった。部隊で人体実験されたソ連人を送り込んだのも特務機関だった。「最後の送付は昭和20年8月13日あるいは14日にして其の数は30名以上なりき。尚其以前2~3名宛2回にわたり同部隊に
送付せる事実を余は承知せり」。彼も「実験目的は知らざるも彼等が其の結果として死亡する事は承知」していた。
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一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。