真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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朝鮮戦争 米軍の細菌戦 捕虜飛行士の証言

2008年07月11日 | 国際・政治

 下記は、『アメリカ軍の細菌戦争』と題された、国際科学委員会調査団の調査報告書に「付録37」として付けられたもので、朝鮮戦争で細菌戦を展開したという捕虜飛行士の供述書である。「資料【細菌戦】」日韓関係を記録する会(晩聲社)から一部抜粋した。
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  アメリカ帝国主義者はどうして細菌戦をはじめたのかの真相(付録37)
                   (1952年4月7日・捕虜ケニス・L・イノック供述書)
 1951年8月末の2週間、わたしは日本の岩国にいた。第3爆撃連隊は8月いっぱいかかって、朝鮮の群山に引っこしをやった。一番最後に引っこしたのは、地上学校であった。地上学校が群山にうつったのは、9月のはじめであった。わたしが岩国にいたときには、アメリカからやって来たての乗員が15人いて、みんな地上学校にかよっていた。
……

・・・

 1951年8月25日の午後1時、われわれは地上学校航空教室の秘密講義に出席した。わたしの記憶では、この講義に出席したのは、10人の操縦士と15人の航空士であった。操縦士のなかには、ブロートン中尉、シュミット中尉、レマク大尉がいたのをおぼえている。航空士のなかでは、ブラウン中尉、ハーディー中尉、ド・ゴー中尉、ジーリンスキー中尉、カーヴィン中尉、ラーソン中尉と、それにわたしがいたのをおぼえている。わたしは、ラングリー飛行場でいっしょに仕事をしたことのある操縦士や航空士をのぞいて、ほかの人は誰も知らなかった。われわれの教官は民間人のウィルソン氏であった。かれ以外の教官はこの講義にだれ一人参加しなかった。
 ウィルソン氏は、この講義が細菌戦に関するものであると語った。われわれの側では、いま細菌戦をやる計画はないが、いずれやるときがくるかも知れないのであるから、講義は秘密であって、その内容は誰にも洩らしてはならないし、仲間同士でもしゃべってはいけないと、かれはいった。
 ウィルソン氏の講義はおもに、細菌戦の兵器についてであった。かれは標本をもっては来なかったが、細菌をそのまままいたり、虫やけだものにつけてまいたりする細菌撒布のいろいろの方法を論じた。ウィルソン氏の講義の内容は、次のようなものである。
 細菌をそのまままく方法。(1)チリと細菌をまぜたものをつめた爆弾をおとす。この爆弾は空中でひらき細菌のついているチリを風でまきちらす。(2)噴撒装置によって、飛行機からじかにチリをまく。こうしてチリをまいた所では、どこでも空中に細菌がちらばる。(3)細菌とチリをいっぱいつめた容器をおとす。つまり水の中にはいると口をあける爆弾か、水にぬれると口をひらくボール紙製の容器を貯水池や湖の中に投下する。この水を人や獣がつかい、また昆虫がそれらの細菌をつけて伝播する。
 昆虫をおとす方法。(1)外形は普通の爆弾のように見えるが、中には細菌をつけた虫をいっぱいつめてあり、地面にふれると口がひらき、細菌をつけた虫が外へ出るようになっている爆弾をおとす。(2)地面にふれると口がひらいて、細菌をつけた虫がとび出すようになっている、ボール紙製の容器をおとす。(3)動物に虫をくっつけばらまく。
 動物にくっつけて細菌をまく方法。(1)地面にふれると、動物を外へ出すようになっている落下傘容器で、ねずみ、うさぎその他の小動物をおとす。その小動物には細菌のついた、のみやしらみがくっついている。(2)舟をつかって、このようなけだものを敵の後方の海岸から陸にはなす。
 細菌をまくその他の方法。(1)細菌のついたビラ、チリ紙、封筒その他、紙で出来たものをおとす。(2)細菌のついた石けん、衣類をおとす。(3)細菌の入っているインキを入れた万年筆をおとす。(4)細菌のついた食物を敵陣におとす。また、榴弾砲や迫撃砲を使って細菌をまくことができるが、前線からの距離がちかいので、この方法をつかうのは安全でない。
 まくことができる細菌の種類は、たくさんある。あまり知られていない特別の細菌のほかに、発疹チフス、チフス、コレラ、赤痢、ペスト、天然痘、マラリヤ、黄熱病など、よく知られている病気の細菌をつかうことができる。細菌をはこぶ虫の種類は多く、いちばん普通なのは、しらみ、のみ、はえ、蚊である。
……

・・・

 わたしの、次の飛行は、1952年1月6日であった。われわれは、緑八号ルート(平壌と沙里院の間)にそって飛行することになり、午前3時に出発した。搭乗員は、操縦士アモス大尉、航空士がわたし、砲手トレーシー軍曹であった。いつものように、アモス大尉とわたしは、出発一時間まえの午前2時に大隊訓練室と大隊作戦部へ報告にいった。いつもそこで、さいきんの天候と飛行任務についての通達をうけることになっていた。その夜、わたしの知らない当直将校の大尉から、黄州へ飛行し、そこで外翼の爆弾2個をおとし、それから他の爆弾をできるだけ早く投下して群山へかえれとの指令をうけとった。
 また、黄州では、高度500フィート、最高時速200マイルで投弾するように、かれは命令した。われわれは訓令によると500ポンド爆弾10個をつまねばならないので、高度が低すぎはしまいかと、かれに注意した。しかし、かれは、これは極秘だが細菌爆弾なのだから、この仕事については、誰にも話してはいけない、といった。かれは翼の爆弾はもう積込ずみで、われわれにかわって点検してあるから、心配はないし、かえってきた時は、不発弾として報告するように命じた。それから中隊作戦室へいった。そこで砲手にあった。かれは大隊には報告にいかなかったので、わたしの知っているかぎりでは、われわれの特殊任務のことは知ってしなかった。外へでて飛行機のそばにゆくと、整備部から派遣された番兵がたっていて、翼の爆弾はもうしらべてある、とわれわれがもはや知っていることを、われわれにつげた。わたしは弾倉のなかの6個の爆弾を点検した。6個の爆弾は、普通の500ポンド爆弾であった。
 3時に黄州へむかって出発した
。……(以下略)

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一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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