真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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陸軍中野学校 カリキュラムと謀略・諜報工作活動

2008年10月06日 | 国際・政治
 下記は、「陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後」斎藤充功(角川書店)より第1章の「終戦前後の動き」と題された部分の抜粋である。前半部分は実際に計画された謀略・諜報工作活動について、後半部分は主に陸軍中野学校のカリキュラムについて簡潔にまとめられている。
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終戦前後の動き

 櫻の記録にもあるように、陸軍中野学校は”Unseen War(見えない戦争)”を戦う秘密戦士を養成するために、7年間存在した日本陸軍唯一の特殊学校であった。
 その”戦果”については戦後、関係者が断片的ではあるが手記や校友会誌に、あるいは小説の形式で発表してきた。また、校史にも若干ではあるが、終戦前後の中野学校の組織的な活動についての記述がある。
 例えば第1期生の4人が、陸軍次官秘書官だった中佐が計画した「皇統護持工作」に参加している。これは、終戦で天皇家の直系が絶えた場合を想定して、北白川宮家の若宮道久王を東京から脱出させて新潟方面の山中に隠蔽する計画であった。1期生たちはアジト探しで各方面に行動を起こしたが、結局、この工作は陽の目を見なかった。

 また、天皇の玉音放送を阻止する「玉音録音盤奪取工作」も存在した。これは、映画『日本の一番長い日』などで紹介されている宮城占拠事件と連動しており、尉官クラスの中野出身者が単独で計画した。NHK愛宕放送局を爆破して、玉音盤を奪取する計画であったが、録音が複数箇所で行われるという情報が流れたため、工作は中止された。
 こうした謀略・諜報工作で、一部関係者ではあったが、諜報員たちは隠密裏に活動していた。
 これらの工作活動には、中野学校で徹底的に叩き込まれた実戦教育が役に立った。中野学校での実戦カリキュラムは、「潜入、潜行、偵察、候察、偽騙、謀略、宣伝、破壊、通信、暗号」などの訓練であった。それと、中野学校ならではの特殊な教育として、一般教養基礎学専門教育座学が充実していた。
 学校のモットーは「謀略は誠なり」を実行するための「無私」と「誠」の精神を国体学と思想学で徹底的に教育され、外にも心理学や統計学を学んでいる。また、兵器学や築城学、航空学、それに自動車、戦車、航空機の操縦法や長短波無線の操作まで学んでいた。

 さらに、諜報員として外国事情を知ることは必須になっていて、米国、英国、ソ連、中国、ドイツ、イタリア、フランス、東南アジアなど広範囲にわたる地域の文化や民情、歴史を学んでいる。当然、派遣先の国の言葉として、英語、ロシア語、中国語、マレー語、ペルシャ語などが教えられていた。
 また、語学のなかでは英語が必須科目で、中国語またはロシア語から1科目を選択することになっていた。なかでも英語教育には力が入れられており、学生全員に英文の日記を書いて提出することが義務づけられていた。ちなみに中国語の教材には当時市販されていた『急就篇』が用いられていた。
 専門学科では、諜報員に必要な秘密通信法、防諜技術、暗号解読、武器の取扱い、射撃などを学んでいた。なかでもユニークなカリキュラムとしては、忍法研究家による忍術講座や警察教官による犯罪学や法医学の講座までも用意されていたという。
 術科では銃剣道や合気道はもちろんのこと、諜報技術の一環として、ヨード法や赤外線還元法による文書の作成、超小型カメラによる盗写技術、あるいは郵便物の開緘法、開錠術、変装術なども映画撮影所で役者から直接学んでいた。これらの謀略・諜報器材は陸軍登戸研究所で試作、開発されていた。(拙著『謀略戦 陸軍登戸研究所』<学研M文庫>参照)。



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