元自衛隊陸将補山本舜勝は、旧陸軍時代の同期生Mを三島に会わせた。彼は三島の「反革命宣言」を読んで、その思想に共鳴していたが、具体的な部分におおきな誤りがあると言ってきたという。そして、三島ほどの人物がその誤りに気づかず進むのはいかにも惜しいので、ぜひ会って議論したいと申し入れてきたというのである。その議論の一部を『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』元自衛隊陸将補山本舜勝(講談社)から抜粋する。
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三島を理解しなかった自衛隊
・・・
私は初め躊躇した。熱心なMの要請を聞いているうちに、議論によっては三島の民間防衛構想に、あるいは自衛隊の治安出動時の協力に関連して、何か新しい展開への糸口が見つかるかもしれない、と思い始めた。二人の議論を聞くことで、三島の当面の情勢判断を客観的に評価できるのではないか、という私自身のちょっとした願望も働いて、私は彼らを会わせることにした。私は三島が拙宅を訪れることになっていたその日、Mを招いた。
Mは、「反革命宣言」に対するいくつかの質問を用意していた。そして議論は「行動原理における有効性」の問題に集中した。それは同論文で次のように述べられていた部分である。
……自らを最後の者とした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとに続く者あるを信ず」という遺書を残した。
「あとに続く者あるを信ず」の思想こそ、「よりよき未来社会」の思想に真に論理的に対立するものである。なぜなら、「あとに続く者」とは、これもまた、自らを最後の者と思い定めた行動者に他ならぬからである。有効性は問題ではない。
Mは初めから鋭く切り込んだ。
「有効性を問題にしない運動とは、いったいどのようなものですか?それではただの言葉上の遊び、いや、思想をもてあそんでいるだけ、と言われても仕方ないんじゃないですか?」
「それは違う。言葉の遊びや思想上の問題などではない。実際に、自らの命を賭けて斬り死にすること、その行為がまた、あとに続く者を作り出すんだ!」
「真に日本の変革を目指すのであれば、そのための行動であれば、行動する以上勝たなければ意味がないじゃないですか。だとすれば、敵に勝る武器が、戦車であれミサイルであれ、必要になってくるはずです。あなたのおっしゃる精神論ももちろん必要ですが、手段に裏づけられない精神論など、絵に描いた餅ですよ!」
「違う。それは問題の立て方がまるで違うんだ。己の肉体を賭けて文化を守るのがわれわれの目標である以上、武器は日本刀で十分なんだ!」
議論は最後まで平行線をたどり、交わることがなかった。現代という歴史の時間軸の中では、即時的有効性よりも最終的な成果こそ重視さるべきであるという三島の論理は、Mの考える戦闘における勝利の概念を突き崩すことはできなかった。
もちろん、武器戦法の優劣に立った行動の具体的有効性に依拠するMが、三島の歴史性や精神性の考え方に少しでも動揺を与えることもなかったのである。とはいえ、自ら信ずることの埒外について眼中にない論者は、三島のように相手を理解しつつ、 自分を理解させようと考える論者を圧倒してしまうものである。
この強硬な論者は三島を手こずらせたばかりでなく、深く傷つけることとなった。
・・・
3月に入ると、「盾の会」第3期生の訓練が富士で行われた。訓練が終わって間もなく、その訓練に関わった若い自衛官から電話がかかってきた。
「三島先生は、どうもあなたが、最近妙な人物に会わせるが、とおっしゃっています。もしあなたが心が変わったのなら、われわれも黙ってはおりませんから、どうかそのつもりでいてください」
「私に心変わりなどあるはずがない。よけいな心配をするな」
私は電話を切ったが、内心、三島が自衛隊内部に深く浸透し始めている事実に舌を巻いていた。彼は富士の訓練などを通して、若い自衛隊幹部の中に協力者を見つけ出す努力を重ねていた。その成果がここまで来ている。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」は、文の省略を示します。
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三島を理解しなかった自衛隊
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私は初め躊躇した。熱心なMの要請を聞いているうちに、議論によっては三島の民間防衛構想に、あるいは自衛隊の治安出動時の協力に関連して、何か新しい展開への糸口が見つかるかもしれない、と思い始めた。二人の議論を聞くことで、三島の当面の情勢判断を客観的に評価できるのではないか、という私自身のちょっとした願望も働いて、私は彼らを会わせることにした。私は三島が拙宅を訪れることになっていたその日、Mを招いた。
Mは、「反革命宣言」に対するいくつかの質問を用意していた。そして議論は「行動原理における有効性」の問題に集中した。それは同論文で次のように述べられていた部分である。
……自らを最後の者とした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとに続く者あるを信ず」という遺書を残した。
「あとに続く者あるを信ず」の思想こそ、「よりよき未来社会」の思想に真に論理的に対立するものである。なぜなら、「あとに続く者」とは、これもまた、自らを最後の者と思い定めた行動者に他ならぬからである。有効性は問題ではない。
Mは初めから鋭く切り込んだ。
「有効性を問題にしない運動とは、いったいどのようなものですか?それではただの言葉上の遊び、いや、思想をもてあそんでいるだけ、と言われても仕方ないんじゃないですか?」
「それは違う。言葉の遊びや思想上の問題などではない。実際に、自らの命を賭けて斬り死にすること、その行為がまた、あとに続く者を作り出すんだ!」
「真に日本の変革を目指すのであれば、そのための行動であれば、行動する以上勝たなければ意味がないじゃないですか。だとすれば、敵に勝る武器が、戦車であれミサイルであれ、必要になってくるはずです。あなたのおっしゃる精神論ももちろん必要ですが、手段に裏づけられない精神論など、絵に描いた餅ですよ!」
「違う。それは問題の立て方がまるで違うんだ。己の肉体を賭けて文化を守るのがわれわれの目標である以上、武器は日本刀で十分なんだ!」
議論は最後まで平行線をたどり、交わることがなかった。現代という歴史の時間軸の中では、即時的有効性よりも最終的な成果こそ重視さるべきであるという三島の論理は、Mの考える戦闘における勝利の概念を突き崩すことはできなかった。
もちろん、武器戦法の優劣に立った行動の具体的有効性に依拠するMが、三島の歴史性や精神性の考え方に少しでも動揺を与えることもなかったのである。とはいえ、自ら信ずることの埒外について眼中にない論者は、三島のように相手を理解しつつ、 自分を理解させようと考える論者を圧倒してしまうものである。
この強硬な論者は三島を手こずらせたばかりでなく、深く傷つけることとなった。
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3月に入ると、「盾の会」第3期生の訓練が富士で行われた。訓練が終わって間もなく、その訓練に関わった若い自衛官から電話がかかってきた。
「三島先生は、どうもあなたが、最近妙な人物に会わせるが、とおっしゃっています。もしあなたが心が変わったのなら、われわれも黙ってはおりませんから、どうかそのつもりでいてください」
「私に心変わりなどあるはずがない。よけいな心配をするな」
私は電話を切ったが、内心、三島が自衛隊内部に深く浸透し始めている事実に舌を巻いていた。彼は富士の訓練などを通して、若い自衛隊幹部の中に協力者を見つけ出す努力を重ねていた。その成果がここまで来ている。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」は、文の省略を示します。