真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「もんじゅ」差止訴訟が問うたもの(前半) 

2013年05月10日 | 国際・政治
 朝日新聞に連載された「プロメテウスの罠」は、元東電社員木村俊雄のおそろしい話を取り上げていた。木村は東京電力が運営する全寮制の学校「東電学園」を卒業、福島第1原発で研修し、新潟の柏崎刈羽原発で燃料管理の仕事をした後、福島第1原発に戻り、炉心の運転・設計業務に携わったという。

 彼の話を一言で言うと、原発推進は”利益優先・安全軽視”ということである。彼の話の中に「津波」に関するものがある。1991年10月30日、福島第1原発のタービン建屋で冷却用の海水が配管から大量に漏れ、地下1階にある非常用ディーゼル発電機が使えなくなったことがあったという。補機冷却系の海水配管が腐蝕していたため、そこから大量の水が漏れたのだ。そこで木村は、上司に
「津波が来たら一発で炉心溶融じゃないですか」
と言ったという。その返事が驚くべきものである。
「そうなんだよ、木村君。でも安全審査で津波まで想定するのはタブー視されてるんだ」
津波を想定すると膨大なお金が要る。だから無視する、ということなのであろう。

 東電幹部は、福島第1原発の事故は「想定外の津波によるものだ」と言った。しかしながら、それは、”利益優先・安全軽視”による「意図的想定外」と言えるのではないかと思う。

 下記は『高速増殖炉の恐怖 「もんじゅ」差止訴訟』 原子力発電に反対する福井県民会議(緑風出版)から、『第三 なぜ「もんじゅ」訴訟を提起するか』の、一から五を抜粋したものである。

 「もんじゅ」差し止めの訴訟が提起されたのは1985年9月26日である。それは、チェルノブイリ原発事故のおよそ7ヶ月前のことであり、ナトリウム漏洩事故の10年以上も前のことである。もちろん福島第1原発の事故前のことであることは言うまでもない。

 1995年の高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故は、「想定外」の二次冷却系からのナトリウム漏洩であった。事故後、ナトリウムの検知が遅れたことや、事故時の停止措置が遅れたことも明らかになっている。自治体への連絡も遅れた。何も想定されていなかったのではないかと疑わざるを得ない。加えて、科学技術庁への虚偽報告やビデオの秘匿、改ざんも明らかにされた。そして、福島でも同じような過ちをくり返したのである。訴訟で提起されていたことをどのように受け止めていたのかと、疑問に思う。

 アメリカやイギリス、ドイツが、すでに高速増殖炉の研究開発は中止しているという。にもかかわらず、日本では福島第1原発の事故後もなお、沸騰水型や加圧水型の軽水炉原発はもちろんのこと、危険きわまりないプルトニウムリサイクルの中核としての高速増殖炉の稼働さえあきらめていない。利益に目が眩んで安全が見えなくなっているのか、あるいは、他に何かあるのか。
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          第三 なぜ「もんじゅ」訴訟を提起するか

一、本件訴訟で問われているもの

1  「もんじゅ」建設問題は、昭和50年7月、敦賀市議会で初めて明らかにされ、
  以来地元敦賀市、福井県で、市政、県政の最大争点として論じられてきた。「も
  んじゅ」は、県民の安全と郷土の将来を決定的にする運命を握るにとどまらず、
  その影響するところは国民的レベルに到達する問題をはらんでいる。

2  今、「もんじゅ」は、既設軽水炉とは格段に質の異なる問題をかかえながら、 
  それに立ち入った議論を経ることなく、原子炉と運命共同体を強いられる住民 
  の真の合意を得ることもないまま建設着工を前にしている。
   生命の安全に対する危機に常にさらされ、未知の問題をかかえたまま、多大
  の犠牲を払ってまで住民は「もんじゅ」を受忍しなければならないのか。この訴
  訟はそのことを問うものである。

二、原子力実験場と化す若狭湾岸

1  福井県嶺南地域の若狭湾岸には11基の原子力発電所があり、「もんじゅ」を
  含む2基が建設、準備中、さらに3基が計画中の我が国最大の原子力発電所
  密集地域地帯である。設置者は被告動燃、日本原電、関西電力の三者により
  炉型、出力はさまざまで、計画中を含むと15基、出力1173万キロワットにの 
  ぼり、西独一国分の原発(12基、1030万キロワット)を優に越える。

2  この密集地帯のなかで「もんじゅ」建設が予定されている敦賀半島は、加圧 
  水型軽水炉、沸騰水型軽水炉、新型転換炉、高速増殖炉の、計7基が集中す
  る。なかでも昭和45年に運転を開始した沸騰水型敦賀1号と加圧水型美浜1
  号は老朽化し、敦賀1号では、配管のひび割れや応力腐蝕割れが相次いだ。
  56年には、たまる一方の放射性廃棄建屋の増築部で大量の放射能が海洋に
  流出する事故を起こし、県民に多大の不安と被害を与えた。美浜1号は、47年
  から蒸気発生器細管の減肉、ピンホールが頻発し、全細管の4分の1が使用
  不能のままであるばかりか、炉心溶融事故につながる燃料棒折損という重大
  事故が、国にの立会い検査があったにもかかわらず3年半も隠されていた。こ
  の2つの原子力発電所は、明らかに健全性を失った欠陥炉であるが、敦賀1号
  では、61年から、わが国で初めての実験となるプルトニウム・ウラン混合燃料
  を軽水炉で燃焼させるプルサーマル実験が予定され、美浜1号も、やがては同
  様の実験を行うことになっている。新型転換炉「ふげん」は日本で自主開発され
  た実験型炉であり、これに「もんじゅ」を加えると、敦賀半島は日本における原 
  子炉の大型実験場そのものというほかない。

3  また高浜、大飯を加えると、若狭湾岸は巨大化、多様化、密集化の一大原子
  力実験場である。過去相当数の事故、故障が若狭湾岸すべての原子力発電
  所で起こった。公表されただけでも、年間30件は毎年起こっている。TMI事故
  (スリーマイル島の事故)以後安全管理が改善されたといわれるが、大飯1号
  のECCS誤作動事故、高浜2号の96トンもの一次冷却水漏洩事故、敦賀1号
  廃液漏出事故、大飯2号圧力容器付属器粒界割れ事故は、いずれもTMI事故
  以後に起こり、重大事故に属するものであった。住民は「安全性が高く信頼が
  おける」とされてきた既設軽水炉においても、いくつかの生命不安をいだかざる
  をえない経験に遭遇しているのである。そして事故の確率は、集中すればする
  ほど、実験的であればあるほど高くなるはずである。このように集中化した危険
  に、更に「もんじゅ」を加えることは到底許されない。

三 憂慮すべき環境汚染

1  集中化した原子力発電所は、大量の温排水を海に流し、その排出量は増大
  している。若狭湾岸稼働11基の原子力発電所から排出される温排水量は毎
  秒541トンに及び、福井県下最大の九頭竜川を4つ合わせた流量に達しようと
  している。その影響は、深さにおいても、広がりにおいても、当時「予測し、実験
  した数値をはるかに超えている。それが沿岸漁業にどのような影響を及ぼすの
  かの観測が始まったことは、漁業への影響はないとの当初の予測の破産を示
  している。また、放水口付近には、コバルト60、マンガン54、トリチウムなどの
  放射性物質が確実に蓄積されつつあり、大量温排水と放射能の影響は漁業資
  源の将来を脅かしている。

2  陸上では、原子力発電所から放出される放射能の影響を観測するために、
  住民たちがムラサキツユクサの実験を行ってきた。微量放射能が生物体に与
  える影響を観るこの実験は、高浜原発、大飯原発、敦賀原発の各周辺をとりま
  く形で、51年から現在まで10年間の観測が続いている。その結果は、原発が
  運転中の風下方面のムラサキツユクサに有意な突然変異率の上昇のみられ
  ることが共通している。このことは微量放射能、放射線が長期間にわたれば生
  物(人間)に対し身体的、遺伝的影響を与えることを示している。地元の原発労
  働者被曝に加え、地域全体の被曝線量は増大し、子供への影響は無視しえな
  いだろう。

四 防災対策の不在

1  原発密集地帯は、日本有数の観光である。夏の海水浴シーズンには、15万
  人の人口が10倍以上にふくれあがり、中都市と同一人口のリゾート地と変貌
  する。これに対応する原子力災害の防災体制は何らないといってよい状態であ
  る。TMI事故(スリーマイル島原発)以後、原子力安全委員会の指針に基づい
  て策定された福井県原子力防災計画は、これまでにわずか年1回、行政レベ
  ルの担当者間の通報連絡訓練が行われているに過ぎない。同計画によれば、
  空間ガンマ線量率が毎時1ミリレントゲンに達して、初めて災害対策本部の設
  置準備が開始される。しかしこの段階では、すでに環境放射能は平常時の10
  0倍に達しているのであり、このような防災対策は有効性を欠いている。災害発
  生をいかに早くキャッチし、公衆へ周知させ、避難させるのか。そのことを住民
  はもっとも強く望んでいるのである。原子力発電所から逃れることが許されず、
  原子力発電所とともに日々を営まざるをえない住民は、事故が起こらないこと
  を念じ、かつ起こった場合のことが常に頭から離れない。現行防災計画は、住
  民のこうした期待に応えうるものとはほど遠い。

2  とりわけ、前述した海水浴シーズンに地理不案内の県外海水浴客があふれ、
  道路が十数キロにわたって渋滞する際には、全く打つ手がないほど大混乱を
  生ずる恐れがあろう。
   しかも、夏期シーズンは、電力需給のピークに当たり、原子力発電所はフル
  稼働で運転しなければならない時期であり、事故の際の 影響も大きいのであ
  る。


五 住民の声をふみにじった「もんじゅ」開発

1 バラ色の夢は破れて
    原子力発電所設置の大前提は住民の同意であるとされてきた。しかし、福
  井県の原子力発電所新増設は住民同意を裏付けに進められたものではない。
  確かに敦賀1号、美浜1号など当初は国の主張する「安全性」と「経済性」を信
  じ、国策としての軽水炉建設を受け入れた若狭湾岸の住民も多かった。見たこ
  とも、経験したこともない先端科学の判断を、住民や自治体がもちうるはずもな
  く、国の専門家にゆだねるしかなかった結果であった。
   しかし、実際に運転に入ると、1年も経たないうちに、今日に連なる原子力発
  電所の様々な問題点が露呈しはじめた。事故、故障が相次ぎ、稼働率は計画
  をはるかに下回り、放射能が環境から検出され、労働者が被曝した。建設と同
  意した時点と、運転に入った時点では、状況は大きく変わったのである。

2 高まる原発不信「もんじゅ」反対の世論
    住民は既設原発の安全性に疑問をもち始めた。しかしその頃には、既に漁
  業権を放棄し、売却済みの原発敷地には、2号、3号と増設が進められていた
  のである。「できあがって動いている原発をとめることはできなくても、もう、これ
  以上福井県に原発をつくらせるのはゴメンだ」という思いが県民世論として一気
  に広がった。
   昭和51年10月「高速増殖炉等に反対する敦賀市民の会」は、敦賀市を中心
  に「もんじゅ建設反対」で3万665人の署名を敦賀市長に提出した。
   昭和52年9月「原発に反対する福井県民会議」は、10万2464人の署名を
  めて知事と県議会へ要請した。この署名は、「原発はもうたくさん。『もんじゅ』
  建設をはじめいっさいの新増設に同意しないこと」を趣旨としている。そして、こ
  の署名数は県政始まって以来の最大数といわれた。同年11月には、「もんじゅ
  」をはじめ原発施設の設置に関する市民投票の条例制定を求め、敦賀市で直
  接請求運動が始められようとした。ところが市長は、請求代表者の資格証明書
  交付を不当にも拒否したため、市民が直接「もんじゅ」可否を行政に反映させる
  手段は奪われたのである。56年9月、「もんじゅ」建設反対署名は知事と県議
  会へ出され、その署名者は10万9487人に及んでいる。


3 「もんじゅ」反対は県民の声
    このように、県民の「もんじゅ」反対の声は圧倒的な数をもって明らかにされ
  てきた。しかし、国は、住民を代表する機能を失った議会や自治体の形式的な
  同意を得て、住民の意思をふみにじって、「もんじゅ」の建設手続きを強行して
  きた。
   このような中で、住民は「もんじゅ」に対し、毅然と反対し続け、安全審査手
  続きのなかでも、「もんじゅ」に関する公開質問書、公開ヒアリングの開催に関
  する改善要求を科学技術庁及び原子力安全委員会に提出したが、何ら誠意あ
  る回答はえられなかった。
   かくて、住民の疑問に答えることなく、又その同意をえることもないままに「も
  んじゅ」建設手続きは強行されてきたのであり、生涯、更には子孫の代まで危
  険を負担しなければならない地域住民に重い十字架を課さんとしているのであ
  る。


 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。

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