私は、木佐氏や木佐氏と同じようなことを言う人たちの本を読んで不思議に思います。彼らは、
1、GHQが日本人を計画的にマインド・コントロールし、その呪縛が現在も続いている。
2、戦後日本の歴史観が、東京裁判によって決定づけられた歪んだもので、史実を反映していない。
3、米軍の原爆投下は、一般市民を大量虐殺したもので、戦争犯罪であり、人道に対する罪であった。
などと主張しています。
では、なぜアメリカと同盟関係を強化し、日本における米軍のやりたい放題を黙認し、諾々とアメリカに従う安倍前首相を中心とする自民党政権を支え、活動しているのかと。
私は、原爆投下は確かに、一般市民(非戦闘員)を大勢殺害した戦争犯罪であり、人道に対する罪にあたると思います。だから、謝罪を求め、補償を求めるべきだったと思います。そして、同時に核兵器廃絶に向けた取り組みを開始してほしかったと思います。また、一日も早くそうした姿勢に転換してほしいと思います。
私は、問題にすべきはことは、GHQによる日本の民主化や東京裁判の内容にあるのではなく、公にされず、秘かに進められた計画や、議論や裁判の対象にならなかった問題、また、敗戦後の政治的取り引きにあると思います。私は、力が支配する世の中を、法の支配する世の中にするために、下記のようなことを明かにしてほしいと思っています。
1、なぜ、米軍は日本の反撃能力がほとんどなくなり、ポツダム宣言が発表されて、日本の降伏が見えてきていたのに、大勢の一般市民(非戦闘員)を殺害する原爆を、予告せず、二発も投下したのか。
2、なぜ、アメリカは情報を得ながら、石井機関と七三一部隊の人体実験を含む残虐事件や細菌戦に関する問題を東京裁判で取り上げなかったのか。
731部隊の人体実験を含む残虐事件や細菌戦については、ハバロフスク裁判の証言があり、中国戦犯管理所における関係者の自筆供述書があります。また、米軍自身、細菌戦調査官を四次にわたって日本に派遣し、「サンダースレポート」、「トンプソンレポート」、「フェルレポート」、「ヒルレポート」などと呼ばれる4本のレポートを得て、その内容をつかんでいました。でも、だれも訴追されませんでした。アメリカは731部隊の研究成果を独占入手する代わりに、石井四郎以下731部隊関係者を戦犯免責するという取り引きを行ったと言われています。だから、731部隊の犯罪行為は闇に葬られたに等しいと思います。日本にとって不都合であっても、そうしたことを放置せず、明らかにしなければ、力の支配は克服できないと思います。
3、なぜ、戦争終了後に、沖縄県民の一部を収容所に入れ、土地を取り上げ、強引に米軍基地を作ったのか。ポツダム宣言には、”前記諸目的ガ達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ從ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ”とありました。でも、米軍基地建設は、国民的合意や地主との法的手続きを欠いたまま進められたのではないかと思います。その経緯を明らかにしてほしいと思います。
4、なぜ、十一回にわたる天皇とマッカーサーの会談内容がきちんと公表されなかったのか。
5、なぜ、日本の主権を侵すような「日米地位協定」が締結され、いつまでも改定が進まないのか。
このようなことを、明らかにしようとせず、戦前の日本を正当化する姿勢は、力の支配を当然のこととし、再び日本国民を欺くものだと思います。方針転換前のGHQによる日本の民主化や東京裁判そのものは、法に則って進められ、問題にする必要はないのであり、問題はその外側にあると思うのです。
そうしたことを考えながら、『「反日」という病 GHQ・メディアによる日本人洗脳を解く』木佐芳男(幻冬舎)を読むと、「平和教育」や「ヴェノナ文書」に関する記述内容も、問題があると思います。
木佐氏は、戦後の歴史教育を、高橋史朗教授の文章を引いて、”占領軍は、日本人の「精神的武装解除」を実現しようと、日本人に犯罪意識を刷り込むため、共産主義者や社会主義者を利用した。教育の名の下に左翼を使って「内部からの自己崩壊」を画策した。”としています。
でも、日本の戦後歴史教育はそんなものではないと思います。日本の歴史教育は、日本国憲法や教育基本法に基き、日本の歴史学者が、歴史学の基本を踏まえ、事実に基づいて書いた教科書でなされているのであり、著者もちろん多くの現場教員に”日本人に犯罪意識を刷り込む”意図など少しもないと思います。まして、”「内部からの自己崩壊」を画策”など、あり得ないことだと思います。
どのような記述や指導が、事実に反し、”日本人に犯罪意識を刷り込む”歴史教育なのか、きちんと示してほしいものだと思います。
木佐氏や高橋教授は、しばしば「左翼」「共産主義者」「社会主義者」という言葉を使っています。それは、かつて「治安維持法」が存在した日本で、そうした思想の持ち主が、”國體ヲ變革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ從事シタル者”として、”死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ處”す、と定められていた当時の考え方を、少なからず受け継いでいることを示しているのではないか、と私は思います。
現在の日本では、憲法で、思想の自由や学問の自由、信教の自由などが保障されています。「共産主義者」も「社会主義者」も、法を犯さない限り、自由に活動できる時代です。具体的な問題点や事例を示さず、「共産主義者」や「社会主義者」を、あたかも、犯罪者のように書き立てるのはいかがなものかと思います。
また、きちんと検証することの出来る資料や根拠を示すことなく、”ルーズベルトは、『ダム』を放流したかのように、ソ連の工作員をアメリカ政府機関に潜入させてしまいました”とか”ソ連のスパイが日米開戦のシナリオを書き日本を追い込むように仕組んだというのだ。”などというのは、いわゆる「陰謀史観」の類ではないかと思います。
「ヴェノナ文書」と題された文章には、”日本国憲法の骨格を決定したのがアメリカの内部に入り込んでいたソ連のスパイたちだったことも判明しつつある”などとあります。「ソ連のスパイ」という言葉にも、「共産主義者」や「社会主義者」という言葉と同じような犯罪的ニュアンスが込められていると思いますが、大事なのは、それが日本国憲法のどこに、どのような問題としてあらわれているのか、ということを指摘することではないかと思います。そうした中味がないのです。ただ、拒否感や恐怖感を煽るような、まさに「印象操作」といえる文章なのではないかと思います。
しばしば木佐氏が引用している明星大学教授・高橋史朗氏の「天皇と戦後教育 戦後世代にとって天皇とは何か」(ヒューマン・ドキュメント社)のはしがきに、下記のような記述があります。
”戦後教育を受けて育った私の脳裡に焼きついて今も離れないのは、高校時代の日本史の先生がいつもニヤニヤしながら、天皇のことを「天ちゃん」「天ちゃん」と連発したことがある。なぜこの先生はいつも意味ありげな嘲笑を浮かべながら、毎時間「天皇」のことを茶化すのだろうか、という素朴な疑問を私は抱き続けてきた。
それまで天皇という存在を実感して受けとめる機会を全く持たなかった(ほとんどの戦後世代がそうであるように)私にとって、日本史の先生がほとんど「怨念」に近い屈折した感情を込めて「天ちゃん」にこだわり続ける姿は、まさに”異様”そのものであった。
天皇および天皇制に関する私の関心は、この高校時代の異様な戦後教育体験に源を発しているといっても決して過言ではない。当時、高校教師をしていた父に、この疑問を話し、父は天皇をどう思うかと尋ねたところ、父は和歌日記(戦後四十三年間、父は毎日和歌を数首作って日記がわりにし、自分の部屋を「敷島の間」と名づけていた)の中から、昭和二十一年一月一日の天皇の「人間宣言」に際して作った次の和歌を私に示した。
すめろぎは神にまさずと宣(ノ)らすとも
我疑はずすめろぎは神
この二人の戦前生まれの高校教師の全く対照的な天皇観に触れ、果たして日本人は戦前・戦中、戦後を通して天皇をどのように見てきたのか、深く知りたいと思うようになった。…”
高橋教授は、自ら、天皇を「現津神(現人神)」とする父親の「神話的国体観」を受け継いだことを語っているのだと思います。だから当然、木佐氏と同じように、戦後の日本が受け入れられないのだと思います。
また、天皇が「人間宣言」をしてもなお、”我疑はずすめろぎは神”という高橋教授父子にとっては、「共産主義者」や「社会主義者」は、許されない存在なので、「現津神(現人神)」ではなく、「人間の尊厳」を基本原理とする日本国憲法下の民主化された日本が、「共産主義者」や「社会主義者」の影響下にあるように見えるのだろうと思います。
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第Ⅱ章 GHQによるマインド・コントロール
6 マインド・コントロールa6 平和教育
マインド・コントロールa1からa5を、教育の現場で浸透させたのが日教組だった。日本の教員・学校職員による労働組合の連合体である日教組もGHQの主導で作られたが、当初から左翼とのつながりがあった。
教育史に詳しい明星大学教授・高橋史朗は、「戦後の歴史教育はすべて『太平洋戦争史』に沿って教えられています」としている。(『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』)。高橋によると、占領軍は、日本人の「精神的武装解除」を実現しようと、日本人に犯罪意識を刷り込むため、共産主義者や社会主義者を利用した。教育の名の下に左翼を使って「内部からの自己崩壊」を画策した。
評論家・江崎道朗によると、進歩主義と社会主義が「欧米を代表する思想」として日本に入ってきたのは、すでに明治の日清戦争より前の1880年代だった。進歩主義は「歴史・伝統・文化を敵視し、それらを解体しなければ進歩がない」とするもので、軍人をふくむエリートたちは日本の近代化にそれが不可欠と信じていた。「戦前の日本では、労働問題や貧困問題に真面目に取り組んでいたのは、キリスト教徒と社会主義者であった。また、日本のアカデミズムは戦前からすでに社会主義に染まっていた」(『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』)
元ウクライナ大使の馬淵睦夫によれば、大戦中にアメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトの取り巻きの多くは社会主義のイデオロギーをもった者たちだった。大統領夫人のエレノアは根っからの社会主義者であり「レッド」と呼ばれていた。第Ⅰの側近ハリー・ポプキンスも社会主義者だったという。(『反日中韓』を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!』)。
元米太平洋艦隊司令官ジェームズ・A・ライアンは、こう語っている。「ソ連とルーズベルト大統領の関係について知ることで、日米開戦の経緯についての正しい認識を得ることができます。ルーズベルトは、『ダム』を放流したかのように、ソ連の工作員をアメリカ政府機関に潜入させてしまいました」(WiLL2018年2月号)。ソ連のスパイが日米開戦のシナリオを書き日本を追い込むように仕組んだというのだ。
ヴェノナ文書
アメリカ政府は、1995年、「ヴェノナ(VENONA)と名づけた文書を公開した。江崎道朗によると、これは1940~1944年、アメリカにいるソ連のスパイとソ連本国との暗号文をアメリカ陸軍が傍受し、
1943~80年、アメリカ国家安全保障局(NSA)がイギリス情報部と連携して解読した「ヴェノナ作戦」についての文書のことだ。
この文書の公開によって、ルーズベルトの側近だったアルジャー・ヒスらがソ連のスパイだったことが立証された。これをきっかけに、アメリカでは「ルーズベルトと共産党の国際機関コミンテルンの戦争責任を追及する」という視点から、近現代史の見直しが進んでいる。(江崎道朗『アメリカ側からみた東京裁判史観の虚妄』)。
また、この文書などによって、日本国憲法の骨格を決定したのがアメリカの内部に入り込んでいたソ連のスパイたちだったことも判明しつつある(WiLL2016年11月号)。
しかし、わが国の左派現代史研究者は、ヴェノナ文書をほぼ無視している。日本の憲法制定過程や戦後史にソ連のスパイがかかわっていたという事実は、左派にとって「不都合な真実」だかららしい。
日本近現代史研究家の渡辺惣樹によると、米ハーバード大学出身のロークリン・カリーは、ルーズベルト政権で史上初めて米大統領付き経済アドバイザーとなったが、戦後、ソ連のスパイだったことが明らかになった(『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』)
コミンテルンの史観とアメリカの史観は、本来、質がまったくちがうはずだ。高橋史朗は、そのふたつの史観の合体が可能となったのは、「日本が対外戦争を起こした軍国主義や超国家主義の根底に天皇制・天皇信仰を中心とする日本文化や神道があり、それらに根差した日本人の国民性があるという共通理解があったから」だとみる。そして「占領軍と共産主義者が癒着して戦後日本の歴史教育をつくっていったことは注目すべき点です」とする。(『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』)。