下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)から抜萃しましたが、アメリカが他国でやってきたことの一端や、アメリカのプロパガンダがどんなものであるかを知ることができると思います。チリのアジェンデ政権の転覆やインドネシアにおける虐殺事件に関わるアメリカの犯罪も、ベトナム戦争やイラク戦争の犯罪と同じように、覇権大国アメリカの影響力行使によって、事実上黙殺されているのですが、見逃してはならないことだと思います。
同書のなかに、The CIA: A Forgotten History(『CIA:忘れられた歴史』ウイリアム・ブラム著)からの引用がくり返し出てきますが、 そのウィリアム・ブルムが、生涯の使命を「終焉には至らないまでも、少なくともアメリカ帝国を減速させる事。少なくとも獣にダメージを与える事。それこそ世界中の災難の原因に他ならない」と語ったということが、強く心に残りました。
アメリカは、他国の内政に干渉するばかりでなく、おそろしい虐殺事件にもかかわるのです。「世界中の災難の原因」なのです。
私は、そういうことを踏まえて、ウクライナ戦争を見てほしいと思っているのです。
「嘘も百回言えば真実となる」と言ったのは、ナチス・ドイツで国民啓蒙や宣伝を担当したゲッベルスであるといいますが、私は、朝日新聞の、”NATOと連携 地域の安定につなげよ”と題する下記のような書き出しの社説を読んで、その言葉を思い出しました。
”NATOと連携 地域の安定につなげよ
力による一方的な現状変更は、世界のどこであれ、認められない。ウクライナ侵略をやめないロシアと、強引な海洋進出や台湾への威嚇を続ける中国が結びつきを強めるなか、日本と欧州が安全保障分野でも連携を図る重要性は増している。”
このような考え方は、自らの覇権や利益を維持するために、中・露の影響力拡大を阻止しようとするアメリカの戦略に端を発するもので、現在の日本の立場から出てくるものではないと思います。
北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)は、軍事同盟です。そんな組織とアジアにある島国の日本が連携して、平和がつくれるわけはないと思います。逆にアメリカを中心とするNATO諸国の戦争に加担しようとする考え方だと思います。
第二次世界大戦の終戦間際、日本に二発の原子爆弾を投下し、アメリカは、世界にその力を見せつけました。そして、ソ連崩壊後、アメリカは、並ぶもの無き覇権大国として、世界に君臨してきたといえるように思います。でも、そのアメリカの覇権が危うくなっていることは、今や誰も否定できない事実だと思います。世界中でアメリカ離れが進んでいますし、世界の外貨準備高に占めるドルの比率が徐々に低下し、ドルの影響力低下に歯止めがかからない状態になっていると思います。
大事なことは、アメリカがそういう自国の覇権の衰退に、どのように対処しようとしているのかを見きわめることだと思います。そうしないと、ウクライナ戦争にかかわるアメリカのプロパガンダは理解できないだろうということです。
オバマ大統領が、ノルドストリーム2の計画について懸念を表明したのは、2015年です。ドイツがロシアからのエネルギー供給に依存することを懸念したのです。その際、オバマ大統領は、この計画がウクライナに対するロシアの影響力を高めることになるとも語ったといいます。
また、トランプ大統領は、ロシア産ガスをバルト海経由で欧州に輸送するパイプライン「ノルドストリーム2」プロジェクトを阻止するため、制裁措置を検討し、ドイツに対しエネルギーでロシアに依存しないよう警告しています。そして、 2019年12月には、トランプ大統領が署名した法案により、同プロジェクトの敷設事業に参加する企業に制裁が科せられたのです。
アメリカによる経済制裁は、力の行使であり、一種の戦争行為だと思います。ノルドストリーム2の計画が違法だということであれば、経済制裁ではなく、法的に争うべきだったと思います。それが民主主義だと思います。
その後、バイデン大統領は、ロシアがウクライナに侵攻したら、ノルドストリーム2を終わらせると語り、パイプラインは結局爆破されました。アメリカの目論み通り進んだということだと思います。
でも、上記の社説は、決してそういうウクライナ戦争の背景や、戦争に至る経緯、ロシアの受け止め方などを語ることなく、「ウクライナ侵略をやめないロシア」とか、「力による一方的な現状変更」とかという、もっともらしい言葉で、アメリカのプロパガンダをくり返していると思います。
アメリカがロシアや中国の弱体化、孤立化を意図して動いているのに、そこは見せないようにしているのだと思います。
先日、世界的な言語学者、チョムスキーが、英誌の取材に対し、米国の対ロシア・ウクライナ政策を批判して、「ロシアはウクライナでイラク戦争時の米国より人道的に戦っている」と語ったことが物議を醸したようです。(https://news.yahoo.co.jp/articles/53488cbd950d8b7f9c3dd84a164e2028da8b0d5c/comments?page=2)
例えば、次のような意見がありました。
”アメリカのイラク侵攻を肯定する気はないが、領土的野心がベースにある今回の話とは、まったく違い、今回はもっと悪質だと思う。比較して、ごまかすのは論外で話にならない。こういうのは、最初から、やってはいけないことで、ウクライナは汚職があるから攻めていいとか擁護するのはおかしいというのも、絶対間違いだと思う。ウクライナのことはウクライナの領土内の人間が決めることで、よその国の全く関与する資格のない大統領が決めることではない。そんなこと許したら、中露より、弱い国が世界のほとんどなのに、みんなやりたい放題やられてしまう。あと、先進国ルールが、腹立たしいという人もいるが、好き放題略奪されるより、ましだと思う。”
上記の朝日新聞の社説のような記事しか読んでいなければ、こういう考え方になるのも不思議ではないと思います。
また、下記のような指摘も目にしました。
”日本人の多くが、日本の「ヒロシマ」「ナガサキ」「東京大空襲」「大阪大空襲」を忘れてウクライナを応援しているわけではない。それとこれを比較するものではありません。
今般のロシアの侵略行為を認めれば、現在の国際秩序が崩壊して「やったもの勝ち」の「強者の論理」に支配されることが恐ろしいから、ロシアを勝たせるわけには行かないと反応しているのです。
この侵略戦争の帰趨が、日本の平和にも大きな影響を与えることを危惧しているのです。
現実のウクライナとロシアの戦い方は、事実に基づいて比較すべきかもしれなせんがね。「人道」のかけらもないのは、あきらかにロシアでしょう。”
全部を読んだわけではありませんが、大部分がこうした内容で、アメリカのプロパガンダを信じ、「一方的にロシアが悪い」と決めつけるものでした。
現在、アメリカが、自らの覇権と利益を維持するために、ロシアや中国の弱体化、孤立化を意図して動いていることを見なければ、台湾有事も避けることは難しいと思います。アメリカは、くり返し、台湾に武器を売却してきましたが、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は、中国による台湾侵攻の抑止を念頭に、「台湾の防衛能力強化のため、米国や他国は支援の速度を今後数年で加速する必要がある」と語ったといいます。中国を挑発していることは明らかだと思います。アメリカが挑発しなければ、中国が台湾に侵攻する必要など、少しもないと思います。
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第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ
(二)インドネシア、チリで何が起ったか?
CIA諜報員が海外での秘密工作活動を行うときに使う手法(手口)は実に巧妙だ。CIAの世界中の秘密工作活動の実態を暴いた”THE CIA:A FORGOTTON HISTORY”(『CIA:忘れられた歴史』ウイリアム・ブラム著)によると、その手法は五つに分けられるという。
(a)特定の団体への侵入・操作:労働組合、政府団体、女性運動団体、職業ブロック組織、青年会、文化団体などにスパイを送り込んで政治的宣伝工作を行う。あるいは全く新しい団体をつくり、それを地域レベル、国家レベルに発展させていき、既存の団体の勢力を弱めたり、釣り合いをもたせたりする。
(b)ニュース操作:現地の主要メディアの編集者、コラムニスト、記者などに接近して”関係”を打ち立てる。さらに出版社、雑誌社、ラジオ局、ニュース通信社などに財政支援する(あるいはCIAが直接経営に関わるケースもある)。これらの”アセット”をすべて含めると、CIAは世界でも有数のメディア企業になるという。
(c)経済的手段:CIAが海外への経済支援を行う政府機関や国際的融資を行う民間の金融機関などと協力して、標的とする国への財政支援や融資を中止させたりする。このように経済的なプレシャーをかけることで、目的を達成していく。
(d)不法手段:盗聴、郵便物偽造、偽の証拠を植え付ける、ディスインフォメーション、脅迫など。
(eCIA学校:米国内や中南米諸国にあるCIAの訓練所に、第三世界などから軍人や警察官を招き、暴動や破壊活動の鎮圧方法、尋問のテクニック(拷問を含めた)、労働組合への対処方法などの指導訓練を行う。
アジェンデ政権崩壊の真相
CIAは、これらの手法を個々の秘密工作活動のケースに応じて巧妙に使い分ける。チリのサルバドル・アジェンデ政権の転覆計画には、主に(a)、(b)、(d)の手法が使われたと思われる。
1958年のチリ大統領選挙で、サルバドル・アジェンデ候補はわずか3パーセントの票しか集められなかった。ところがアジェンデ氏を”マルクス主義の専心者”として恐れた米国側の見方は違った。米国側は「3パーセントも集めたのか。次の選挙(64年)では民主主義が脅かされるこになるだろう」と考えたのだ。
60年代初め、米国から約100人の秘密工作員がチリに派遣されたというが、そのうちの一人は「当時のチリに対する米国の介入は実に乱暴でひどいものだった」と語っている(『CIA:忘れられた歴史』)
チャーチ委員会(上院情報活動調査特別委員会)の報告書は、CIAの秘密工作員はチリの64年の選挙に備えて、カギとなる政党との関係づくり、さらにカギを握る選挙民の投票に影響を与えるための、政治的宣伝工作や組織づくりなどを行ったことを明らかにしている。具体的には、農夫、貧民街の住民、労働組合組織労働者、学生、メディア関係者などへの反共主義思想の啓蒙活動と組織づくりの支援だ。
CIAは、チリの政党のなかでアジェンデ候補を倒せるのはキリスト教民主党(CDP)以外にないと判断し、CDPのエドゥアルド・フレイ候補を支援することを決定した。
前出の報告書によると、CIAはチリの政党(主にCDP)を支援するために莫大なお金を費やして、強力な反共主義のプロパガンダキャンペーンを展開した。CIAの支援を受けた組織団体がサンチャゴ(チリの首都)のラジオ局などを使って、一日に何十回も反共主義のメッセージを流したり、新聞社に反共主義をテーマにしたプレスリリースを配布。この結果、反共主義を掲げる政党を支持する記事や論説が目立つようになったという。
さらに大量の反共主義メッセージ入りのフィルム、パンフレット、ポスター、チラシ、ダイレクトメール、壁画、紙テープ、法王の手紙(教書)などがチリの国民に配布された。
CIA国内活動調査委員会(ネルソン・ロックフェラー副大統領率いる)の調査レポートによると、CIAは64年に300万ドルを、70年に800万ドルを使ってアジェンデ政権誕生を阻止しようとしたという。チリのマスコミや国民は、この反共主義プロパガンダの影響をもろに受けたのだ。
この政治的宣伝工作が功を奏したか、64年の選挙ではアジェンデ候補は惨敗した。しかし、70年9月の選挙ではアジェンデ候補が圧勝し、米国が最も恐れていたアジェンデ政権が遂に誕生した。チリの国民は自らの判断で、CIAの後押しを受けたCDPの候補ではなく、アジェンデ氏を自分たちのリーダーに選んだのだ。
アジェンデ政権誕生の3日後(70年9月7日)に発表された米国側のレポートは、「アジェンデの勝利は米国の大きな心理的後退を、同時にマルクス主義者の大きな心理的勝利を意味する」と結論づけた。(『CIA:忘れられた歴史』より)。アジェンデ政権の誕生を『チリの国民の勝利ではなく、共産主義の勝利と決めつけた米国は、「共産主義が他の中南米諸国に広まったら大変なことになる」と恐れ、アジェンデ政権転覆計画に本腰を入れ始めた。
そして3年後の73年9月、チリで軍部によるクーデターが起こり、アジェンデ政権は崩壊し、アジェンデ大統領は何者かに暗殺された。
「CIA国内活動調査委員会は、アメリカもCIAもアジェンデが死を招いた事件には関わっていないと判断した。アジェンデの死因は銃弾による重傷で、それも近くにいた目撃者の証言によれば、軍事クーデターの真っ最中に手にしていた銃器が爆発したためだったという」(ブラアイアン・フィリーマントル著『CIA』新潮社刊)
結局、CIAがアジェンデ大統領の死に関与していたという証拠は出なかったが、軍事クーデターを指揮した将校たちがCIAの影響下にあったことはほぼ確実視されている。
チャーチ委員会はCIAのアジェンデ政権転覆計画の調査を終えるにあたって、次のような結論を出した。
「CIAが他国の内政に干渉したことは、我々が支援しようとした政党をかえって弱め、逆に国内対立を生みだす結果になった。それは時間の経過とともに、そして少なくとも現時点では、チリの立憲政治体制を弱体化させたばかりでなく、息の根を止め得ることになった」(『同』)
命を狙われた要人たち
75年から76年にかけて行われたチャーチ委員会のCIA秘密工作活動に関する調査では、アジェンデ政権転覆計画の他にキューバのカストロ首相暗殺未遂事件なども明らかにされ、米国のマスコミや国民に大きな衝撃を与えた。CIAはマフィアを使ってカストロ首相の暗殺を計画したり、反カストロ派のキューバ要員を使ってピックス湾侵攻作戦を計画した。ケネディ大統領が最後の段階で「待った」をかけたために、ピックス湾侵攻作戦はなんとか中止されたが、…。しかし、これでケネディ大統領は米国内の反カストロ派キューバ人の恨みを買うことになり、これが大統領暗殺に大きく影響したとの指摘もある。
CIAが外国の要人暗殺に直接あるいは間接的に関わることは「大統領命令12333号」で厳しく禁止されている。にもかかわらず、CIAはカストロ首相の暗殺を試みた。しかも、CIAから命を狙われた外国の要人はカストロ首相だけではない。インドネシアのスカルノ大統領も、「共産主義に対して理解を示しすぎた、寛大すぎた」という理由でCIAから命を狙われた。
”インドネシアの大虐殺”とCIA
1956年5月、インドネシアのスカルノ大統領は訪米した際に、米国議会で、「インドネシアのような発展途上国が抱える問題とニーズに対する理解を深めていただきたい」と米国に訴えた。感動的なスピーチだったが、これを聞いていたCIA幹部の一人は、「スカルノは要注意人物だな」とつぶやいたという。彼らにとっては、インドネシアの独立運動(オランダからの)を指揮したというスカルノ政権の前歴も気に入らなかったかもしれない。
米国議会での演説の約1年前、スカルノ大統領は、米国主導でできたアジア地域での共産主義(国)を封じ込めるための政治的・軍事的同盟、SEATO(東南アジア条約機構)に対抗するためにバンドン会議を組織した。
スカルノ氏はこの会議で、発展途上国の信条として共産主義でも反共主義でもない”中立主義政策”を貫くことを宣言した。バンドン会議の開催も中立主義政策も、CIAにとっては”我慢の限界”を超えていたようだ。それはスカルノ政権転覆計画が現実味を帯びてきた瞬間でもあった。
「当時、東アジアに駐在していCIA諜報員のなかには、1955年のバンドン会議を混乱させるために”東アジアのリーダーを暗殺したらどうか”と提案する者もいたが、ラングレーのCIA本部のほうで反対したという」(『CIA:忘れられた歴史』より)
当時、スカルノ大統領はソ連や中国を訪問したり、東欧諸国から武器を購入したりしたが、これら一連の行動が米国の不安をさらに大きくしたようだ。しかし、考えてみれば米国だってソ連や中国を訪問している。それに武器購入に関しては、インドネシアは米国に断られたので仕方なく東欧から購入したのだという。米国は冷静に考えればスカルノ大統領に不安を感じる必要はなかったのだが…。
『CIA:忘れられた歴史』の著者、ウイリアム・ブラム氏は本のなかでこう述べている。
「どこをどう解釈したら、”スカルノは共産主義者だ”という言葉がでてくるのかわからないが、彼は断じて共産主義者ではない。スカルノはインドネシアのナショナリスト(国家主義者)であり、独自の考えを貫くスカルノ主義者だ。オランダから独立した直後の1948年にはインドネシア共産党(PKI)に政治的な大打撃を与えている。結局、ワシントン(米国政府)の政策決定者たちはスカルノ政権のナショナリズムと親共産主義、中立主義と危険主義の区別ができなかった。あるいは彼らは意図的にそうしなかったのかもしれない」
同書によると、1955年のインドネシア総選挙でCIAはイスラム教徒組織をバックにした中道派連合のマスミ党に100万ドルの選挙資金を提供したいう。スカルノの国民党とインドネシア共産党(PKI)の勢力を後退させることが本来の目的だったことは言うまでもない。そして57年、CIAはより直接的な手段に出た。「インドネシア共産党の影響を強く受けすぎている」として、スカルノ大統領を嫌っている軍部の将校にアプローチしたのである。
58年初め、米国はスカルノ政権に反対する軍部の反抗集団に秘密に武器を提供した。当時、ジョン・ダレス国務長官は政策会議の席で「スカルノ大統領は共産主義の影響を強く受け、危険で信用できない人物だ」(94年10月29日付『ロスアンゼルス・タイムズ』紙)と語っている。CIAと国務省は秘密工作活動をめぐって対立するケースが少なくないが、スカルノ政権の対応に関しては珍しく両者の考えがピッタリ一致したようだ。
インドネシアの軍部の反抗集団は1959年に反乱を起したが失敗に終わり、米国政府は政策変更を迫られた。アイゼンハワー政権は軍部の反抗集団ではなく、インドネシアの軍部そのものを支援することにした。(軍部がスカルノ政権とインドネシア共産党への対抗勢力になることを期待して)。米国側の政策転換は見事に功を奏した。
1965年10月、奇妙なクーデター未遂事件が起こった。事件を引き起こしたという共産主義集団は軍部の将校6人を殺しただけで軍部に制圧され、クーデターは失敗に終わった。しかし、この事件をきっかけにインドネシア軍部のスハルト総司令官が総指揮を執り、スカルノ大統領を徐々に権力の座から引きずり下ろした(スハルト氏は今日もまだインドネシアの最高指導者の地位に留まっている)
謎の多いクーデター未遂事件の直後、軍部はスハルト氏の命令を受けて共産主義者として知られるインドネシア人約25万人を虐殺した。この大虐殺にCIAも関わっていたのではないかとの疑いが出た。
90年5月19日付の『スパルタンバーグ・ヘラルド・ジャーナル』紙(『SHJ』紙)は、「1965年に起こったインドネシアのクーデター事件で、CIAが約5000人のインドネシア人共産主義者のリストをインドネシア政府に渡していた」と報じた。ちなみに『SHJ』紙は『ニューヨーク・タイムズ』紙の関連会社である。
『SHJ』紙のなかで、当時の在ジャカルタ米国大使館の政治担当書記官は、「大使館とCIAの職員が協力して、2年間で約5000人のインドネシア共産党のメンバーとシンパのリストを作成し、それを反共主義者として知られるインドネシア外務大臣に手渡した。共産主義者の大虐殺が始まったのはその直後です」と語っている。
CIA側は『ワシントン・ポスト』紙(90年6月20日付)や『ニューヨーク・タイムズ』紙(90年7月12日付)の取材に対して、「インドネシアの大虐殺への関与」をきっぱり否定している。
しかし、CIAがスカルノ大統領の追放を望んでいたことは否定できない。75年にチャーチ委員会(上院情報活動調査特別委員会)が発表した。外国要人の暗殺計画がに関するレポートでは、「1961年にCIAはスカルノ大統領の暗殺を計画した」と報告されている。
CIA秘密文書の公開
91年、米議会はCIAなど情報機関に米国の外交政策決定に関するすべての情報を公開するにあたって、国務省の歴史家に協力することを義務づける法案を通過させた。この法律制定を受けて、国務省は94年10月、CIAのインドネシアでの反共産主義キャンペーンを中心とした秘密工作活動に関する報告書を発表した。これによって、アイゼンハワー政権の政策決定者がインドネシアに対する秘密工作活動を計画し、実行したことが明らかになった。
600ページにわたる分厚い報告書の序文を書いたウイリアム・スラニー氏は、国務省職員であると同時に歴史家でもある。スラニー氏は、「この報告書はCIAによって行われた一連の秘密工作活動の完全な情報公開に向けて一石を投じるものとなろう」と述べている。
一方、ウイリアム・コルピー元CIA長官はこう語っている。
「CIAが秘密に支援していたインドネシアの反抗勢力が1958年に起した反乱が失敗に終わってからは、我々はインドネシアからバックオフした(手を引いた)。60年代初めに我々はインドネシアに諜報員を派遣していたが、それは現地で何が起こっているかを掴む情報収集のためで、軍部との協力関係を打ち立てるためではありません。我々はインドネシアとソ連との関係を突き止めようとしていたんです」(94年10月29日付『ロスアンゼルス・タイムズ』紙)
相変わらずCIA側の歯切れは悪いが、少なくともコルピー元長官は、CIAがインドネシアのスカルノ政権の反抗勢力を支援していたことは認めた。
インドネシアのケースは、冷戦時代のCIAの秘密工作活動のやり方を象徴している。 米国政府はスカルノ政権と表面的には正常な外交関係を維持する一方、裏でCIAを使って秘密の政権転覆工作を行っていたのである。
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