下記は、「ニッポン日記」マークゲイン:井本威夫訳(筑摩書房)から、「第二章。実施の時期」の「1946年 5月28日 東京」抜萃した文章です。
マーク・ゲインは、シカゴ・サン紙の東京支局長で、占領下の日本を取材し、軍人や体制を支える政治家、官僚、企業関係者などとは明らかに異なる視点で、一般人は知り得ないGHQの取り組みを捉えています。
だから、戦後の日本や日米関係を正しく理解するためには、欠かせない一冊であり、多くの研究者や学者が、彼の記述を引用しているのだろうと思います。
前回も触れましたが、連合国軍が日本領土内の諸地点を占領するのは、「ポツダム宣言の執行」が目的でした。でも、米軍のウィロビーを中心とした参謀第2部(G2)は、全く異なる目的をもって臨んでいるのです。
それは、”ポツダム宣言はいつ追放を実施すべきかということについては何にも言及していない”とか、”ポツダム宣言は不可侵の文書ではない”とか”ポツダム宣言よ、地獄へ行け!”と吐き捨てるような主張までして、ポツダム宣言の遵守に抵抗していることで分かります。
そして、戦争犯罪人の公職追放が、”占領軍は現在追放実施の招く混乱を賭しうるだけの兵力を持っていない”とか、”彼らは確かに戦争犯罪人か”という疑問まで語って、追放が、”日本の最良の頭脳を敵側におき、アメリカのためにならない”と言うのです。
見逃せないのは、具体的に名前をあげて、日本の「セメント王」浅野良三を追放させないような主張をしていることです。 マーク・ゲインは、彼が、 連合国軍官への壮大な宴会供給者であってことを見逃しませんでした。
思い出すのは、岸信介元首相が巣鴨プリズンに拘束されいているとき、すでに、「アメリカとの協力は可能であり、自分は釈放されて政界に復帰できる」と確信していたということです。
冷戦が勃発し、米ソの対立が深まっていることを察知した岸信介元首相は、「反共」の立場でアメリカとの協力が可能であり、アメリカの役に立てると考えたのだと思います。
現に、ウィロビーを中心としたGHQ参謀第2部(G2)は、民政局(GS)から主導権を奪い、彼を釈放してれ公職追放を解除しただけでなく、首相に就任させたのだと思います。だから、「逆コース」の政策転換は、ポツダム宣言違反への政策転換であったと言えるように思います。
アメリカは、親米的でありかつ「反共」であれば、相手が独裁者であろうが、テロリストであろうが、日本の戦犯のような「戦争犯罪人」であろうが、手を結ぶということだと思います。中南米やアフリカ諸国でも、似たようなことがくり返しおこなわれてきたと思います。
「岸信介」は、かつて「鬼畜米英」を煽った戦時東条内閣の商工大臣であったことを、私たち日本人は忘れてはならないと思います。
伊藤貫教授は、陰謀論を語っているのではないと思いますし、トランプ大統領は民主主義の破壊者であるというような主張こそ、問題だと思います。
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第二章。実施の時期
1946年
5月28日 東京
日本の経済界から戦争犯罪者を追放する指令を成文化するため、総司令部のほとんど全部局合同の会議が4日前に開かれた。総司令部のマッカーサーの部屋から呼べばこたえるるほどの距離にある農林省ビルディングの506号が会場にあてられた。昨日のダイクの演説同様、この会議も日本占領史の一里程標として永く残るべきものである。
会場はすこぶる暑かった。そのうえ、はげしい論争がいやがうえにも会場の空気をあつくした。少なくとも6人の男があとで私のところへやってきて、会議の模様を憤慨して話すのだった。その憤慨はまったくもっともだった。侵略の資金をまかなった連中の追放を躊躇するなどは、とんでもない話である。しかしさらに遺憾なのは、この会議で「アメリカの緩衝地帯日本」とか「最上の同盟者を殺すな」とかいう考え方の再興が最高潮に達したことだ。会議のテーブルの上に置き去られたたくさんの残骸の中には、「日本国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたるものの権力および勢力は永久に除去されなければならない」というポツダム宣言の誓約もあった。
政界人追放を議題とした昨年の会議同様、今度の会議も開会早々二つの調和しがたい陣営に分裂してしまった。一は参謀本部の四局──G=1(人事)G=2(情報)G3(計画並に作戦)G4(補給)──を包含する鞏固な団結で、軍部外の外交局や民間通信局などもこれに味方した。この未曽有の論争の反対陣営にややバラバラに整列したのは、事実上日本の行政をつかさどっている三局──ダイク准将のCIE、ホイットニイ准将の民生局、マーカット准将の経済科学局──の代表者たちだった。
会議は調和音に始まった。ポツダム宣言がたしかに追放を規定していることは全員これを認めた。しかし、一致はこの点かぎり終焉した。軍側を代表する一人は、ポツダム宣言はいつ追放を実施すべきかということについては何にも言及していないと述べた。他の一人は「現存する事態下で」のポツダム宣言の効力について疑義をとなえた。国務省の役人でアチソンの右腕といわれるマックス・ビショップは、「ポツダム宣言は不可侵の文書ではない」と述べてこの見解を支持した。
わが友クレスウエル大佐は軍側でもっとも積極的な発言者だった。
「ポツダム宣言が世論や激情やその他の感情の圧迫をこうむることなしに、今日ふたたび書かれるとしたら、それはまったく異なったものとなるだろう」と述べ、そこで彼は思索的考察から一転して激越な語調で、
「ポツダム宣言よ、地獄へ行け!」とつけ加えた。
この二つの陣営への分裂が明瞭となるや、軍側の陣営は日本の経済から有能な人物を取り去ってしまうような危険をおかすことはできないと言い始めた。ある将校は言った。
「いま日本の産業を職工長たちにわたしてしまうわけにはいかない」
チェーズ・ナショナル・バンクの副頭取で、現在総司令部民間通信局長の任にあるJ・D・ホイットモアはこう言った
この指令を出してみたまえ、全通信産業は大混乱におちいるだろう」
クレスウエルは、追放に関するこの覚書草案は「時期尚早」で、マックアーサー元帥は「この指令がもたらすおそれのある混乱について熟考すべきであり、「この追放はあらゆる練達堪能の人々」を産業・金融界から「駆逐してしまう」と言い張った。
G=3代表の一大佐はこの問題を戦略的根拠からとりあげた。
「占領軍は現在追放実施の招く混乱を賭しうるだけの兵力を持っていない」
やがて、「混乱」論は「彼らは確かに戦争犯罪人か」という議論におきかえられた。
クレスウエルは、ポツダム宣言および類似の諸声明の基本的な欠点の一は、軍需品を製造した者はみな軍国主義者だという仮定であると言った。さらに彼は、
「一月の政界人追放の結果を見るがいい。大政翼賛会(戦時中の全体主義政党)や類似団体に属した者の活動を制限するためだけに彼らを公職不適格にしたようなものじゃないか」とつけ加えた。
先に発言したG=3の大佐もつづいてこの指令は「日本の最良の頭脳を敵側におく」ものだと言い、ビショップもこれに和して、これはアメリカのためにならないと言った。(「この追放は軍国主義に反対した人々の多くにも適用されることになるかもしれない」)。
クレスウエルは、
「この指令によると浅野良三も追放されるそうだが、私は彼が追放されるべきでないことをたまたま承知している」と言った。日本の「セメント王」アサノは大軍需産業家の一人で、また海外膨張の勇敢な戦士でもあった。敗戦後の彼は、連合国軍官への壮大な宴会供給者である。
ほかの将校たちも「不当にも」追放されるかもしれない財閥関係者の名前を進んで列挙した。
しかし、こうした議論のどれよりも、次の三つの発言は日本の政治の新しい気象配置を示度するバロメーターとして私に衝撃を与えた。
クレスウエル大佐「強力な日本を必要とする時期がくるかもしれない」
第二の大佐「われわれは日本経済を実験の具としてはならない」
その三「軍人追放の結果を反省してみるがいい。ただわれわれの戦略的地位を弱化しただけではなかったか」
日本経済改革の高遠な理想を放棄することや、あけすけに日本再武装論をやることだけでは、もはや事足れりとはしないのだ。ある人たちは日本軍隊の解体さえ誤りだったとまで考えるようになった。日本降伏の7カ月前開催された太平洋問題調査会の会議に出席した英国保守党の一代表のように、この大佐たちは「混乱期における安定勢力としての」日本軍隊の消滅を明らかに後悔している。
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