真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

イスラエル建国とテロ

2023年10月29日 | 国際・政治

 先日、テレビ朝日がイスラエルとハマスの戦闘を伝える際、ハマスの指導者・イスマイル・ハニヤ氏が、怒りに満ちた顔で何かを訴えている映像を映し出していました。その時、私はウクライナ戦争当初のプーチン大統領の扱いと同じだと思いました。彼が何を訴えているのかは、誰にもわからないだろうと思われる映像でした。字幕が出ないのみならず、音声も消されているのです。もちろん、その内容についての解説もありませんでした。アメリカが軍事支援を表明したイスラエルのネタニヤフ首相の扱いとかけ離れていて、情報操作がなされていると思ったのです。
 イスマイル・ハニヤ氏の怒りに満ちた怖い顔を印象づけつつ、その時語られたのは、 彼がカタールで5つ星ホテルで豪華な生活をしており、彼の総資産は6000億円にのぼるというようなことでした。いかにもハマスが堕落した武装組織であるかのようなイメージを、視聴者に刷り込む内容だと思いました。私は、イスラエルやガザの歴史をふり返れば、こうした報道は、明らかに間違っていると思いました。

 肥沃な土地をイスラエルの入植地として没収され、人口密度の極端に高い貧しい地域のガザで、そんな資産が築けるとは思えませんし、そんな生活実態がわかれば、ハマスの創設者・アフマド・ヤスィン氏同様、イスラエルの組織によって殺害される恐れがあるだろうと思いました。
 ネタニヤフ首相は、先日、ハマスを根絶すると言いましが、果たしてハマスは根絶されなければならないような恐ろしい武装組織なのでしょうか。
 私は、決してそんなことはないだろうと思いますし、ハマスの根絶は、パレスチナ人を皆殺しにしない限り不可能だと思います。パレスチナの人達は、かならず組織の後を継いで立ち向かうだろうと思うのです。 

 イスラエルは、220万人といわれるパレスチナ人を、分離壁で三重県と同程度(福岡市よりやや広い)のガザに閉じ込め、周囲は軍が包囲しているということです。そして、いくつか検問所を設けて、人や物の出入りを制限しているため、ガザでは食料、日用品、医療品などが慢性的に欠乏し、燃料や電気、水さえも自由にならないということです。 経済や生産活動が停滞するのは当然だと思います。 ガザの人々は、半数近くが働きたくても働くところがなく、国連や支援団体からの援助物資で命をつないでいるのが現状だということです。
 そして、そうした状況を打破するために抵抗した多くのパレスチナ人を、イスラエルが殺してきたことが、今回のハマスの攻撃をもたらした側面があると思います。にもかかわらず、イスラエルは、北部のパレスチナ人に、避難所だけでなく、何もかも不足している南部に避難するよう命じ、その上で南部を爆撃し、多くの子どもを中心とする民間人を殺害しているのです。
 だから私は、そうした爆撃を正当化するイスラエルの政治家や軍人は、あまりに野蛮であり、差別的であり、残虐なテロリストと変わらないように思います。
 
 下記は、「パレスチナ合意  背景、そしてこれから」」芝生瑞和(岩波ブックレットNO.322)から抜萃しましたが、イスラエルの建国が、イギリスの二枚舌外交がきっかけであったことや、戦時中のホロコースト(ユダヤ人虐殺)に対する同情を背景にして、パレスチナに移住したシオニストたちが独立を宣言するに至ったという事実を、私は見逃すことができません。
  同書のなかには、下記の抜粋文にあるように、”パレスチナ人に恐怖状態のパニックをおこさせ、逃亡させる方針がとられ”たので、”ユダヤ人武装組織イルグンは村民254人を虐殺した。イルグン軍の指導者はのちの首相ベギンである”というような記述もあります。
 本来であれば、移住したユダヤ人が、移住先で独立を宣言することなどあってはならないことだと思います。その上、残虐行為をくり返してきたのがイスラエルです。
 だから、イギリスをはじめとする欧米諸国には、イスラエルによるガザの爆撃地上侵攻を止め、グレーテス国連事務総長の主張を支持して、パレスチナ問題を平和的解決に対する責任がある、と私は思います。イスラエルやアメリカの主張するような報復攻撃が、自衛権の行使などとして支持されてはならないと思います。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   Ⅰ パレスチナ問題の起源

                 イギリスの二枚舌外交とアラブの反乱

 第一次世界大戦でオスマントルコは連合国に敗れた。それでパレスチナ地方は西欧の支配下に入った。イギリスの委任統治領となったのである。第一次大戦の頃からユダヤ人のパレスチナ移住に拍車がかかった。それはあの有名な「バルフォア宣言」によってだった。イギリス外相のバルフォアは、ユダヤ財閥のロスチャイルドにあてた書簡のなかで、「イギリス政府は、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成し、この目的の達成を容易ならしめるため最善の努力を払うであろう」と述べた。大戦でユダヤ人からの経済的な協力を得るためだったが、背後ではシオニスト組織のハイム・ワイツマン(初代イスラエル大統領になる)が暗躍していた。しかしイギリスは一方で、アラブに独立を約束していた。オスマン・トルコ支配下のアラブに反乱を起こさせて、戦争を側面援助させるためである。有名な「アラビアのロレンス」は映画にもなったし、優れた文学作品を残したので英雄視されるが、じつはこのとき反乱するアラブのなかに送り込まれた英国の情報将校、すなわちスパイだったのである。
 
 こういう西欧の「二枚舌外交」が、パレスチナ問題をつくりだした。最近、アラブやイスラム諸国で「西欧の二重基準(double standard)」という言葉が使われるが、それはここに起源がある。西欧こそがアラブやイスラム教徒の苦しみをつくりだした、と多くの人びとは考えており、そういう怒りが、イスラム原理主義などのかたちで、おりにふれ吹きだすのである。
 衝突がおこることは目に見えていた。1929年、エルサレムの嘆きの壁(ユダヤ人の信仰の場で、イスラムの信仰の中心となるアクサ寺院隣接)の前での衝突ではユダヤ人側の死者133人、アラブ側の死者116人がでた。鎮圧にあたったイギリス軍は銃口を民衆に向けた。
 イギリスはユダヤ人の移住にブレーキをかけようとした。しかし、ヒットラーによる欧州でのユダヤ人迫害が、移住者の流入をさらに増大させた。

 そして1936年には大規模なアラブの反シオニスト・反英の反乱に至る。それはパレスチナ全土に広がっていった。1939年にイギリスは、ユダヤ人移住の制限を公式表明する。しかしこの年、欧州では第二次世界大戦が勃発した。ユダヤ人の”非合法”流入はとどめを知らない。ユダヤ人の多くは危険をおかしてもパレスチナをめざした。
 ユダヤ人の移住制限をしようとする英統治政府とアラブ民族主義者に対して、シオニスト組織はテロリズムを敢行した。イルグンツヴァイ・レウミやシュテルン・ギャングという秘密地下組織は、武器をパレスチナに搬入し、暗殺計画を繰り返した。のちにイスラエルの指導者となるユダヤ人たちは、首相となったベギン(イルグンの指導者)をはじめとして、このときイギリス政府によって”テロリスト”の烙印を押されたお”尋ね者”だった。
 こうして第二次世界大戦直後、パレスチナにおけるユダヤ人口は30%にまで達していた。

  イスラエルの建国
 戦後、アウシュヴィッツなどでナチスがおこなった残虐行為が明らかになった。
 私はかつてのナチスの軍需大臣だったアルベルト・シュペアにインタビューしたことがある。もうナチスの指導者の生き残りは、終身刑で監獄にいるルドルフ・ヘス以外はいなかった。シュペアもスパンドゥの監獄から出たばかり、数年後には病死しているから、これは今考えると、私にとってはナチスを直接取材する最初で最後の、そして唯一のチャンスだった。
 インタビューの下調べで、アウシュヴィッツの様子を詳しく知るにつれ、身の毛のよだつような思いがした。だが私の前に座っている温厚な紳士は、まぎれもなくかつてナチスの指導者だったのだ。私は彼が語ることをどこまで信じていいのかわからなかった。シュペアはアウシュヴィッツの虐殺などは薄々しか知らなかったといい、また出世欲や義務感から体制にまき込まれていた過程を語った。ときまさにベトナム戦争のさなか、かれの自伝は世界的なベストセラーになった。それは体制に加担していることの是非への著者の苦悩が共感を呼んだからである。
 いずれにせよ戦後、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)の犠牲になったユダヤ人には世界的な同情がよせられた。そういう同情を背景にして、パレスチナに移住したシオニストたちは、独立宣言をおこなった。1948年のことだ。たちまちパレスチナ戦争(パレスチナ内戦とも呼ばれ、イスラエルでは独立戦争とされる。第一次中東戦争)がはじまる。エジプト、ヨルダン、シリア、イラクなどがパレスチナに進軍する。しかしそれに備えて武装怠らなかったシオニストの軍隊はそれを追い返す。そうしてイスラエルという国家は成立するのだ。

 武力によってイスラエルがこのとき時獲得した”国境”は、パレスチナ人にとってもアラブ諸国にとっても、とうてい承認しがたいものだった。国際連盟の委任統治国イギリスは1937年にピール調査団の報告にもとづきパレスチナ分割案を出していた。1947年、国連はアメリカの強力なリードのもと国連分割決議を採択した。これすらもアラブ諸国やパレスチナ人は認めていなかったが、それ以上の領土を武力によるゴリ押しでイスラエルは獲得したのである。かろうじてヨルダン西岸がアブドッラー国王との秘密協定によりトランスヨルダン(現在のヨルダン)に帰属することになり、ガザ地帯がエジプト統治下におかれた。
 パレスチナ人は独立すべき国を失った。100万人ともいわれる(1949年の国連報告では、約73万人)難民が生まれた。かれらは着のみ着のままで、いままで住んでいた家を放棄し、隣国へ避難したのである。それから半世紀にわたるパレスチナ人の苦悩と闘いがはじまる。

 虐殺と追放
 かつてはホロコーストという悲惨な目にあったユダヤ人は、パレスチナ人に苦しみを強いた。
 パレスチナ人に恐怖状態のパニックをおこさせ、逃亡させる方針がとられた。そのためには虐殺も行われた。独立宣言の一ヶ月前、エルサレム近郊のデイル・ヤシン村で、ユダヤ人武装組織イルグンは村民254人を虐殺した。イルグン軍の指導者はのちの首相ベギンである。
 パレスチナ人は武力で追いたてられた。いや、そんなことはなかった、アラブの指導者が隣国に去るように呼び掛けたから、パレスチナ人は去ったのだ、というのがイスラエル政府の公式の見解である。しかし、これが歴史の捏造であることは、今ではあまねく知られることになっている。
 ラビン・イスラエル首相とアラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長が握手したパレスチナ和平合意の直後に、かつてニューヨーク・タイムズ誌のエルサレム支局長だったデヴィッド・シプラーが同紙に書いているところによると、当時ハレル部隊の司令官だったラビンは、テルアビブ付近の(リッダ)とラムレの町から5万人のパレスチナ人をヨルダン西岸に”追放”する指揮をとった。ラムレからのパレスチナ人は、バスで連行されたが、ロッドからは酷暑の中を20キロも徒歩で強制連行された。そのなかにはのちにPLOのなかの急進派PF LP(パレスチナ解放人民戦線)の指導者となるジョルジー・ハバシュの家族も含まれていた。1979年にラビンは回顧録のなかで、それは「荒っぽい残酷行為だったが、必要だったと感じた。ロッドの敵対的で武装した(パレスチナ人の)民衆を背後に背負うわけにはいかなかったのだ」と書いた。しかし、その詳細にたちいる五文節が、当時の法務長官がひきいる検閲委員会で削除を命じられ、日の目をみなかったとそのいきさつをシプラー記者は暴露している。一方、ハバシュはあるインタビューのなかで、この時の避難民としての経験がいかにかれの人生観を変え、闘争に参加するようになったかを語っている。

 その頃、子どもだった、裕福なパレスチナの旧家の出身のレイモンダ・タウィールの話も忘れることはできない。彼女はカトリック系の学校の寄宿舎にいたのだが、家族は離ればなれになった。彼女は修道院の孤児になった。必死の思いで、父親が娘に会おうと国境をこえて戻ろうとしたところをイスラエル兵に銃撃されて負傷した。それ以後一家はイスラエル内で「二級市民」として生活しなければならなかった。ヨルダン川西岸のラマラの自宅で、この話を聞いたとき、20歳をまだこえたばかりの娘ソウハも同席していたが、彼女がその十年後にアラファトPLO議長と結婚することになろうなどとは、この時には想像もしなかった。きわめて個人的な怨みと不信が、イスラエルとパレスチナ双方の指導者のあいだにはある。
 虐殺は”建国”以後も続いた。のちの国防相となるシャロンひきいる101軍団は、ナッハリーンとアッジュール(死亡者14名、1954年)、クンティーラ(死亡者数不明、1955年)、ガザ市(38名殺害31名負傷、1955年)、ハーン・ユーニス(46名殺害、50名負傷、1955年)などの虐殺をくり返した。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 侵略か自衛か、ドンバスやハ... | トップ | イスラエルの「ガザ」無差別... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (aki)
2023-11-01 00:27:22
この様な書込大変失礼ながら、日本も当事国となる台湾有事を前に 日本の国防を妨げる国内の反日の危険性が共有される事願います

今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。

世論誘導が生んだ民主党政権、中韓を利す為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など韓国への利益誘導の為に働きました。

メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や“身を切る改革”に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、

日本弱体と侵略に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
返信する
えっ? (syasya61)
2023-11-01 10:15:38
aki様

 「反日」という言葉、久しぶりです。
 
「日本も当事国となる台湾有事」は、誰が、なぜ、意図しているのですか?
「日本の国防を妨げる国内の反日の危険性?」
「世論誘導が生んだ民主党政権?」
「中韓を利す為の超円高誘導?」
「技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減?3万もの機密漏洩?」
「世界一長く続く自国?」

 どの指摘も、具体性や客観性に欠ける思い込みだと思います。
返信する

コメントを投稿

国際・政治」カテゴリの最新記事