きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「愛のプレリュード/Le Paradis!! -聖なる時間(とき)-」宝塚花組(一回目)

2011年03月26日 | 宝塚(花組)
まとぶんのサヨナラ公演です。

芝居は、大劇場デビューの鈴木くん。
まとぶんがほんのり影がある大人の男性、
蘭はなちゃんが少女に近い女性、
という年の差カップルは、とても良い。
若造なだけの役が多いまとぶんだったけど
こういう大人な役も似合うんだよね。
こういうのが見たかったんだよ!
蘭はなちゃんも可愛い!

前半はなかなかヅカっぽくて良かったんだけど
途中からは、あれもこれも入れすぎて
まとまりがなくなってきた。
「頭の中に銃弾が残り、
 いまの医学では取り出すことは不可能」
って、そんなネタ必要?しかも花組で。
半世紀後ならBJ先生が・・・
♪はるか群衆を~ とちょい古めの花組ファンなら思うよ。
結果的には無くても良いような・・・
ナチも唐突な気もする。

えりたんの役も、総体的にはいいんだけど
そこまでクドくしなくても、、、

クドくといえば「金がすべて」の台詞も。
「すべてじゃない」と言っている方が多いんだけど
こんなに繰り返すと、なんでいつも金の話ばかり・・・
って印象しか残らない。
主張はほどほどにね。

演出家大劇場デビュー作品への採点としては、
「もう少し頑張りましょう」かな。
大劇場的な人の捌き方は、
思っていたよりも、できていた。

オギー、大介、サイトー、ここが良かったから
演出家も新人が順調に育っている、と思ったけど
そのあとは、もうちょい、の人が多いかなあ。
みんな、頑張って!


あまちゃきが、可愛い、から、綺麗に、変わっていた。
退団が惜しいなあ。


ショーは、大介。
大介のヒット率は安定しているね。
華やかで、色合いも良く、ダンスも多く、
退団者の使い方も上手い。
意外な人が意外な場所に入っているのが面白い。
いいよ!


やっぱりまだまだ落ち着いていないのか
カメラと弟子を持っていくのを忘れました。
公演デザートはまた次回。


友会優先公演だったので
終演後に挨拶有り。
組長さんからは、
幕を開けて良いものか、みんなですごく悩んだ。
でも、自分たちの舞台が、誰かの力になれば、と思い
上演することにした。
など、涙を交えてお話。
雪組に続き、この公演もチャリティー公演になるそうです。
まとぶんは、すっきりした明るい笑顔で挨拶。
その笑顔になるまで、いろいろあったと思う。
だからこそ、その笑顔から、力を貰えた気がした。
涙も誰かの力になるけど、
笑顔も力になるんだ。
そこで「笑える」。
それを見に、力を振り絞って、客は行くんだよね。
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「わたしを離さないで」

2011年03月26日 | 映画
SFに入るのか、なんなのか。
臓器提供のために生まれ、生かされ、
命を「終了」させられる人達の物語り。

これのミソは、舞台が近来ではなく
1980年とか、そんなころの話ということ。
近未来SFなら、
映画でいえば「アイランド」とかあるけれど、
そのうち、の、ことではなく、
いま現在、いや、過去に、
そういうシステムがあり、いまも続いている、
というのが、なんともいえないんだ。
臓器提供者を、誰かを生かすために誕生させ、
必要な時が来たら、淡々と手術をする。
手術をする医者も、看護士も、
病院事務の人も、
なんの疑問も感情もなく、
彼らを「人間」ではなく、
臓器が入っている「物」として扱う。
その事務的な流れが、
なんともいえず、恐怖でもあり、リアルでもある。

これは、決して、
臓器移植に対する
(もしかしたら、人工授精も含める?)
アンチテーゼとか問題提起ではないです。
人は何のために生まれてくるのか。
自分の寿命や死を知るものこそ、
「生」をより意識して生きるのかも、
という話です。

すごくリアルに考えれば、
臓器移植で助かる病気は、
少なくはないけど、多くもない、気がする。
臓器の予備がたくさんあれば
助かる人もいると思うけど、
すべての病気・怪我がそれで治るわけではない。
そう思うとコストの方がかかりすぎな気もする。
それは「アイランド」でも思ったなあ。

「アイランド」に比べて
こちらの人達は、自分の運命を享受する。
逃げずに、死を迎える。
それは、すべての人はやがて死ぬ、と
わかっているからなのだろうか。
それとも、小さい頃からの教育?
自分の臓器を取られても逆らわないのはなぜなのだろう。
それは、自分は「誰か」の犠牲によって生かされているのを知っているから
自分も「誰か」の犠牲になるのも当然だと思っているのか?

学校で、恐い人に見えた人こそ、
もしかしたら、子供達のことを一番考えていたのかな。

そういう話でありながら。
どこにでもある男と女の話も、
女の友情と嫉妬の話も絡め合う。
自分の命の先が見えたとき、
懺悔したいのは、、、、、、
「そんなこと」でもあるけれど、
「謝らずにはいられない」ことだったんだろうなあ。
どんな状況下でも、どんな出自でも
人の関係は同じ。
寄り添い離れ、また近づく。
それの繰り返し。

役者陣も豪華だったなあ。

見た人みんな、涙目で深い息をつきながら
映画館を出る。
でも、後悔はしない。
なんとも、不思議な映画でした。
映像がとても綺麗です。
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「ある日どこかで」(午前十時の映画祭 赤の50本)

2011年03月26日 | 映画
タイムトラベル&ラブロマンス。
謎というか、矛盾がいくつかあるけれど、
それはおいといて、
なかなかロマンティックな作品だった。


若き小説家がスランプ中に豪華リゾートホテルに逃避。
そこの資料室で、60年前の女優の写真を見る。
あまりの美しい彼女の写真に捕らわれた彼は、
ついにはタイムトラベルを試みる。

その方法は・・・

自己暗示!
××年●月△日、私は**にいる、、、と繰り返し唱えると、
あら、不思議、過去に行けちゃうんだ。

それはとても労力を使うので
生涯に一度しかできないんだ!

だから、ある意味、
すべて「彼」が見た夢、で片づけるのもあり、だと思う。

それを踏まえても。

恋は時空を超え、
その恋に人は命をかけることができる、
それが美しく映像化されていた。

最後に再会できて、良かったね。

時計が謎、だけど。
うーんと。
彼女が晩年手に入れて、
それを贈っただけとか。
贈るきっかけになったのも、
同名の脚本家がいると聞いて、
行ってみたら彼で、
それですべての謎が解けた、とか。
どちらにせよ、二人を結ぶ「輪」だよね。
「メビウスの輪」みたいな。

むしろ疑問なのが、マネージャー氏の方。
彼も未来から来たのかなあ。
それとも、自分が見出した女優が
悪い男に引っ掛かって
才能を無駄使いさせないための戒めなのかな。
女優を、女性の部分としてよりも
才能の方を愛していた。
それがあったからこそ、
女優はその後も活躍し続け
資料室に写真が飾られるほどになったのかも。
逆説的には、彼こそがキューピッド?

理詰めじゃないからこそ、
美しい話になったのだと思います。
カルト的に人気があるらしいですが
わかるような気がします。

クリストファー・リーヴは
情熱的でムキムキマンだけど
顔は優男系で可愛い。
なんとなくアンバランスなのが魅力的。
1900年頃の衣装もよく似合っていました。

ジェーン・シーモアも美しく魅力的。
彼女の写真に恋する男がいるのも頷ける。

クリストファー・プラマーも
渋くて良かったよ。
リーヴとの対格差がなければ、
小説家が晩年にタイムマシンを開発して
過去にやってきて女優を見守る、
って説も考えられたんだけどね。
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